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31 採択と調整

 べリス家当主との交渉役としてわたしを派遣するという内容自体は、驚いたけれど一応すぐに把握できた。けれど、それにわたしが適役なのかどうかは自分では判断がつかなかった。


 何か言った方が良いのかと一瞬躊躇したけれど、グランデ将軍は特にわたしに発言を求めるようなことはせず、わたしへ向けていた視線をまた全体へと戻してからこの経緯を説明し始めた。


「昨日の帰り際直前に、トラッドソン家当主とマーガー副室長との話し合いを持ちました。べリス家当主との話し合いに、さて誰が出ていくかと。表面上は国内の一貴族への対応となるわけです、表立って高い位の役職者を出せばべリス家に警戒されるだろうと予想できる。そこで、知られている役人ではなく、かつ相手のことを国内で一番知っているのはシエナ嬢であろうという話になりました。トラッドソン家当主は娘が使えるかどうか分からないとは言っていましたが、マーガー副室長は中央での立ち回りからすれば問題ないだろうと。その意見を踏まえてこのような結論になりました」


 つまりバダンテール室長に伝わる前に、現地にいたマーガー副室長が得た情報を使って、あちらで話をまとめたということだ。


 わたしが交渉役をやることをイメージしてみたけれど、どう振る舞えば良いのか全く分からず身体が震えそうになった。そしてつい、わたしは自分の右手を下腹部に添えていた。

 正直に言えば荷が重すぎる。そして、今は時期が悪すぎる。もちろんこのことは誰にも知らせていないのだから、こうなっても仕方がない流れではあるとは思ったけれど。


 緊張が強まったためかぐっと気持ち悪さがせりあがる感覚が突然湧いた。まずい、この会議の場で、しかもわたしにも注目が集まっている場面でこの状態を見せるわけにはいかないと焦る。

 わたしは最大限、態度を崩さないようにとふるまうことに集中した。


「会議での承認が取れれば、トラッドソン家当主としてはシエナ嬢に()()を出してもらって構わないとの伝言も受け取っています。その場合はトラッドソン家伝令役としてではなく、新たに役職を作って調()()()か何かになるでしょうかね」


 グランデ将軍はそう言って、ウームウェル補佐官を見た。ここでグランデ将軍からの話は終わりということのようだった。


 わたしは命令という言葉にさらに鉛を飲み込んだような重みを感じながら、自分の中の気持ち悪さを収めるように小さく息をしていた。これはここで決まってしまえば、わたしの意見がどうであろうと断れる話ではないようだということは理解できた。

 つまり、父上がそう了承した時点で、わたしに拒否権はないのだ。


 戦略会議で提案された戦略や作戦は、その説明後に質疑が受け付けられ、それが収まり次第すぐに決議をとる流れになる。その場で政策を決めてしまえるだけの重役ぞろいの会議である。

 そして、この緊急性の高い戦略会議での決定は覆すことができないのが暗黙の了解だった。恐らく陛下ですらも、その一存では決定事項を覆すことはできない。

 だからこそ、この会議で提案される意見は事前に陛下の了承が必要なのだと思う。


 今この提案が出されたということは、陛下もこのことをご存知だということなのだろう。つまり、陛下はこの案を全くの非現実的なことだとは思っていないということになる。わたしはそれにもやや(おのの)くような気持ちになった。


「それでは、ここまでの話で何か意見等あれば挙手を。なければ決議に移りますが」


 ウームウェル補佐官がそう発言してしばし待っても、出席者からは特に質問も議論も出てこなかった。

 今は時間がない、使えそうな策はすべて使って戦争を回避したい。会議室にはそんな雰囲気が漂った。しかも、軍部のトップであるグランデ将軍が()()()()()()の提案をしたのだ。出席者たちはそれを認めているという風でもあった。


「それでは決議に移ります。賛成・反対・棄権のいずれかに挙手を求めます。……まず、賛成の方は挙手を」


 その言葉と同時にざわりと室内の空気が動いた。陛下以外の、ほとんどの手がそこで上がった。陛下は決議には参加しないため、今日もその流れをじっと静かに見ていた。

 そしてわたしは、そんな陛下のことを今日もまともに見られずにいた。


「それでは反対の方」


 ウームウェル補佐官の声にこちらは数人が手を上げたけれど、これは確実に賛成多数だとわかるような数だった。


 けれど、わたしはどちらにも手を挙げることができなかった。どうしたら良いのかと迷ったし、当事者としてはどちらとも言いにくかった。


「トラッドソン家伝令役は」


 それに気づいたウームウェル補佐官はわたしにそう尋ねたけれど、その一票があってもひっくり返る数ではないこともあってかそこまで圧は強くない問いかけだった。


「……わたくしは……、当事者になりかねませんので、今回は」


 口を開いたら吐いてしまいそうな不安もあって一瞬躊躇ったけれど、それはなんとか大丈夫だった。わたしの回答にウームウェル補佐官は特に何かを言うわけではなく、そのまま一度陛下を見た。陛下が頷くと、ウームウェル補佐官は全体に目を向けて淡々と続けた。


「それではトラッドソン家伝令役は棄権と。結果は御覧の通り、賛成多数で採択されました」


 するとその直後、ウームウェル補佐官はその淡々とした声のままわたしに向けて口を開いた。


「トラッドソン家伝令役、あとでまた正式に任命をと思います。すぐに動く必要が出てきますので、会議はここまでで退室されて出立(しゅったつ)の準備をされてもよろしいかと。……今日の夜、20時に陛下の執務室へといらしてください。任命と詳細の確認を行いますので」


 退室を促されて、わたしの身体は固まった。それは先ほどのバダンテール室長の姿が思い起こされたからだった。しかし、そんなわたしを見てウームウェル補佐官は「また詳しくは夜にご説明いたします」とやや柔らかい声で付け加えた。


 その声を聞いて、もしかしてこの人はわたしの体調の悪さに気づいているのだろうかと少し緊張が走った。ただそうであったとしても、今はこの場にいるよりも外に出て少し落ち着きたい気持ちも強くあった。吐き気はずっと続いている。

 しばし逡巡して、けれどこれ以上会議の流れを止めるわけにもいかないと、わたしは席を立つことにした。


「それでは準備にとりかかりますので、本日はここで失礼させていただきます」


 会議室内は特にわたしの行動をおかしいと捉えている雰囲気ではなく、それは受け入れられた。

 退出する時にグランデ将軍から「やっかいなことに巻き込んですまないな」と苦笑しながら片手を上げられたけれど、それはわたしを気遣ってくれているような雰囲気だった。


 わたしは抜け出した後、お手洗いでしばし体調を落ちつけてから情報収集室の事務室で必要な書類や今後の算段を一人で確認した。事務室にはバダンテール室長の姿はなく、落ち着いて作業をすることができた。

 そして夜までやや時間があったため一度部屋にも戻り、軽く荷物の準備に取りかかった。出立の準備をと言われたのだ、おそらくすぐに発つことになるだろう。


 ニカには詳細は言えなかったけれど、トラッドソン領へ少し戻ることになるかもしれないということだけは伝えておいた。


 匂いや緊張からの気持ち悪さが続くことへの不安をニカに話すと、「人によるようですが、落ち着く匂いもあるかもしれません」と用意してくれていた色々な香りのものを見せてくれた。

 色々と嗅いで気持ち悪くなりながらも、スッとする匂いのハーブティの茶葉を嗅ぐと気持ち悪さが和らいだような気がした。ニカはそれをハンカチに包んで縫って、いつでもさりげなく嗅げるようにと持たせてくれた。

 どれくらい効果があるかは分からなかったけれど、何もないよりも気持ち的には安心して、わたしは夜になってからまた王城へと向かったのだった。



 時間の少し前に直属部の事務室を覗くとウームウェル補佐官が居て、「私も行きますので、一緒に向かいましょうか」と声をかけられた。今日はどうやら陛下と二人での場ではないようだと理解して、わたしは頷いた。


 ただ、向かった先はやはりあの扉を通った場所にある方の執務室だった。ウームウェル補佐官がノックして、それに続いてわたしも部屋に入る。


 するとそこには既に、陛下とグランデ将軍がいらした。


「悪かったな、時間がなくて。先にお前さんにも伝えておくべきなのは分かってたんだが。直前まで陛下と詰めていたもんで」


 グランデ将軍はわたしを見るや、そう声をかけてきた。

 わたしは「いえ」と首を横に振る。おそらく本当にギリギリまで検討をしていたのだろう。


 執務室の応接間のような場所では二人がけのソファの方に陛下が一人で座り、グランデ将軍は一人がけのソファにどっかりと座っていた。

 わたしは立ったままでグランデ将軍に話しかけられて、その間にウームウェル補佐官は部屋の隅からキャスターのついた椅子を一つ持ってきてくれていた。


 ウームウェル補佐官にグランデ将軍の隣の一人がけソファを勧められて、いや、立場的にはわたしがそちらのキャスターの椅子を使うべきだろうと遠慮すると、何故かグランデ将軍が「良いから良いから」と言ってわたしを将軍の隣のソファに座らせた。


「あの場では言わなかったが、お前さんが出ていくのが一番べリス家当主を揺さぶれる可能性が高いと踏んでいる。ただの役人と、役人の顔をしたお前さんではべリス家当主にとってはだいぶ違うだろうからな」


 それは確かに間違いないなと思ったけれど、やはり自分にうまくできるとはあまり思えなかった。ただ、あの会議の場で正式に決まってしまったことである。やらないという選択肢は既にない。


「……できる限りのことはして参ります」


 わたしが諦めも含めてそう言うと、グランデ将軍は苦笑いしながら「お前さんとユーノルドは本当に似てないな」と言った。そうなのだ、父上とわたしは似ていない。父上はもっと、良くも悪くも自信家である。


 一旦そこでグランデ将軍との話の区切りがつくと、ウームウェル補佐官が今度は内容と日程の詳細についての確認をしてくれた。

 出立は明後日、もう既に父上がべリス家に「国の役人が調査に向かう」と伝えているらしく、べリス家が都合がつくと回答した日程でべリス家を訪ねる算段がついているという話だった。


 表面上は情報収集室がトラッドソン領で行っている生活調査の延長として、べリス家にもその調査をするという(てい)で伝わっているようだった。それについてはべリス家としては表立って断れないため、べリス家に乗り込むこと自体はできるだろうという推測はできた。

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