30 道筋と大役
翌日は、第16回会議が行われる日だった。
わたしはいつもより少し早く目が覚めて、緊張していることを感じながらも表情が出来るだけ揺らがないようにと鏡の前で何度も確認をしてから王城へと向かった。
会議は午後に始まって、最初にウームウェル補佐官に指名されたのは情報収集室のバダンテール室長だった。
前回会議で陛下から直々に至急の情報収集を命じられていたバダンテール室長だったけれど、やはりこの二日という短い期間では『マルタの相手は誰か』と『べリス家当主の不妊疑惑』についての確信度の高い情報は集められなかったようだった。
バダンテール室長の報告内容としては「マルタの妊娠が判明しても、べリス家の内部では大きな騒ぎにはなっていないようだ」というもので、それは元旦那様がマルタの子は自分の子であると思っていることをうかがわせる情報ではあった。
情報収集室からの情報の少なさについてはある程度予想出来ていたことだったため混乱は生じなかったけれど、唯一、バダンテール室長自身は手ごたえのなさにどこか悔しそうな表情を浮かべていた。
そして次に、「その件の補足ですが」とウームウェル補佐官が口を開いた。それは直属部としての発言で、タタレドに派遣されている間諜からの報告が入っているということだった。
「タタレドの間諜からの情報では、やはりマルタはあちらでべリス家当主とは別の男性と頻繁に会っているようです。間諜はマルタの実家を時々張っていて、何度かマルタと男性の二人で実家に出入りしているところを見ています。それと実家を出てからの行動を追った際には、二人で相手方の家へと向かい、朝になってから出てきたと」
タタレドの間諜は、これが必要な情報とは思わずに特に今まで報告をしていなかったということだったらしい。確かに一貴族の浮気や逢瀬など、取るに足らない情報に見える。
ウームウェル補佐官は部屋の中の全体を眺めながら続けた。
「そして先日、マルタの実家に往診医が来ていたそうです。ただ、調べたところによるとマルタの実家の専属の医師ではない女性医師だったと。詳しく調べさせたところ産科の医師であるとのことでした」
その情報にはやや会議室内がざわめいた。わたしはドクターミュゼットを思い出して、まるで自分のことが話されているような気分になって冷や汗をかいていた。そしてその緊張感に飲み込まれかけて、話の主題がきちんとつかめなかった。
妊娠したら定期的に医者にかかるのは当たり前だけれど、どうしてざわめきが起きているのだろうかと思った。するとウームウェル補佐官はそこを説明してくれる。
「マルタは現在はヴァルバレー国民です。わざわざタタレドの実家でタタレドの医師に定期的な診察を頼むことには違和感があります。他国の貴族に嫁いだ嫁が里帰り出産というのは通常であれば有り得ないでしょう。……バダンテール室長、マルタはトラッドソン領内でも医師の診察を受けていますか」
その問いかけを受けて、皆の視線がバダンテール室長に向けられる。室長はやや焦った顔をしたけれど、すぐに返答した。
「今のところ情報は入っておりません。すぐに確認いたします」
ウームウェル補佐官はそれを聞いてちらりと陛下を見やると、陛下は頷いた。それを受けてまたウームウェル補佐官が「それを至急確認していただきたい。今日は退席してそちらの確認にあたってください。次回会議にと言わず、情報が入った時点で報告を」と指示を出した。
それは、これ以上室長がこの場にいる意味はないとの判断なのかもしれなかった。そう思うと、わたしの背筋はひゅっと冷たくなった。
指示通りバダンテール室長はすぐに退室し、それからウームウェル補佐官は「間諜からの情報は以上です」と報告を締めた。
そして次の話題に移るかと思いきや、ウームウェル補佐官はそのまま「グランデ将軍からも情報が」とグランデ将軍を見た。
昨日トラッドソン領から帰還したグランデ将軍は、ここ二・三回ほど会議に出席していなかったけれど、おそらく事前に陛下と打ち合わせたのだろう。必要なことは頭に入っているという様子だった。
「昨日までトラッドソン領に滞在しておりました。トラッドソン家当主と私と、あとは情報収集室のマーガー副室長も交えて何度か会議をしました」
熊のような大きな身体のグランデ将軍の声はよく響いた。
「先ほどのマルタの診察の件は、こちらで確認ができていまして。トラッドソン領で名医と言われている医者が週に一度は往診しています。こちらはトラッドソン家とも懇意の医者で、内密にですが医者からの証言もとれています」
その発言で、やはりバダンテール室長は体よく追い払われただけなのだと分かった。そしてどうやら将軍は実際の戦争になった際の戦略だけではなくて、父上と色々な話をして来たらしかった。
「本来はこれは私の役目ではないかもしれませんが……、トラッドソン家当主から、彼が練った策略を会議で提案してほしいと頼まれています」
グランデ将軍はゆっくりと会議室内を見渡した。わたしは父上からそんな報告は受けていなかったため、更に少し冷や汗をかいた。もしかしたら帰る直前になって慌ただしく話された内容なのかもしれない。わたしも緊張しながらそこにいれば、グランデ将軍と一度目が合った。将軍はそんなわたしを見て二度頷いた。それは「知らなくて当然」という肯定のようにも受け取れた。
「マルタがどちらでも医者にかかっているということは、おそらくタタレドに戻りたいという意思があるからでしょう。出産時までにある程度、継続的に医師に状態を見せておく必要がある。出産の際にはどうなっているか分からないからどちらの国でも対応できるようにとの行動に見えます」
グランデ将軍は悠々と話を続ける。しかし、続けられた言葉はやや文脈のない唐突な発言に聞こえた。
「マルタは、本当にべリス家当主の妻なのでしょうか」
その言葉を、わたしは瞬時に理解することができなかった。同じように出席者の何人かは眉間に皴を寄せている。その反応を見てか、グランデ将軍は「……つまり」と言った。
「マルタは間諜かもしれません。べリス家を偵察するためにトラッドソン領へ派遣された、タタレドの」
それを聞いて、わたしはハッとした。マルタが本当にそういう役割を担わされてべリス家へと嫁いだかどうかは分からない。けれどおそらく、タタレドはヴァルバレーとの戦いを経てから、べリス家をそのままの立ち位置で泳がせておくつもりはないのかもしれないと思い至った。
つまり、べリス家を使ってヴァルバレーへ侵略した後、タタレドはべリス家を潰すつもりなのかもしれない。
タタレドにとってはヴァルバレー侵略のためのとっかかりであるべリス家は、侵略前の今は役に立つけれど、それを成した後は力のある貴族となる。しかもべリス家の立ち位置としては貴重なとっかかりを作った元ヴァルバレーの貴族だ。その分け前をタタレドに求めることや、べリス家がさらに権力を持とうとすることは確実だろう。
そうすればべリス家は、タタレドにとってはやっかいな存在になる。
出席者はしんとしていた。大きく深いグランデ将軍の声だけが空気を震わせる。
「トラッドソン家当主が言うには、タタレドは相当な数の戦いで歴史が塗り変えられてきている国です。信頼という言葉の裏をいつも見ていると。……タタレド側は、べリス家を信頼し切ってはいないでしょうな」
それはわたしにとっては自然に頷ける話だった。武力を以て制するやり方は常に反発を生む。タタレドという国の名前は変わらずとも、内乱も多い国であることはトラッドソン領では有名だった。その度に商人が来なくなるから、トラッドソン領民は影響を受けてきたのだ。
けれど、中央の人達はそのあたりの知識は薄いだろう。父上は甘いと日ごろから思っているけれど、ここぞという時はやはりわたしとは経験値が違うと感じる。わたしには思いつけないことを父上は考えていたようだった。
しばらくグランデ将軍は黙っていた。しんとした空気の中で、各々が理解するのを待っているかのようだった。少ししてから「そこで」とゆっくりと口を開いた。
「べリス家をマルタの不貞と間諜疑惑で揺さぶって、タタレドとの間に混乱と対立を促してはどうかと。べリス家はわが国への侵略後、タタレド内では消される可能性があることをべリス家当主に示唆します。べリス家当主をこちらへ取り込みましょう。……と、これがトラッドソン家当主の提案です」
そしてそれから、グランデ将軍がじっくりとわたしを見たのが分かった。なぜだろうと思う前にまたグランデ将軍の口が開かれた。
「そしてその交渉役として、トラッドソン家当主のご令嬢……トラッドソン家伝令役のシエナ嬢を使いたい……とも、トラッドソン家当主は申しておりました」
その言葉に、わたしは目を見開くことになったのだ。




