2 値踏みと思惑
王城には、当たり前だけれど多くの人々が働いていた。そのために、陛下の補佐官であるウームウェル公爵に今後関わる必要があるであろう方々を紹介してもらうだけで今日1日が潰れた。
慣れないことをしたわたしの頭は、日が暮れる頃には疲れ切っていた。
「お疲れでしょう」
情報収集室の事務室へと戻ると、ウームウェル補佐官はそう言いながらわたしに椅子を勧めてくれる。今日の定時はとっくに過ぎているからか、事務室にはもう誰もいなかった。
「そうですね、……お恥ずかしながら、わたくしは元々政治には詳しくないので尚更です」
苦笑しながらため息をつくと、補佐官様は「いえ、ご立派ですよ」とわたしを立ててくれたけれど、実際にわたしに王城でできることなど限られている。ほとんどないに等しいかもしれなかった。
「王城内の空気はあまり居心地の良いものではないでしょう。困ることがあれば、いつでも呼んでいただいて構いませんので」
ウームウェル補佐官がかなりわたしを気にかけてくれているらしいということは、今日1日で有難いほど伝わってきていた。
確かに今日、わたしをとりまく空気は重たかった。ほとんど、針のむしろのような。
というのも、わたしの今回の中央への招聘と伝令役への抜擢はかなりイレギュラーなことだからだ。もちろん王城内で必要な際に役職が増えることはあるそうだけれど、今回はその役職を請け負うのがわたしであるということが問題である。
辺境伯令嬢とは言え、わたしは幼い頃から政治や役人としてのいろはをきちんと学んでいるわけではない。今日様子をうかがった感覚としては『今回の有事に他に使える者もいないから、暇をしている出戻り娘を使っているのだろう』と言うのが王城内での一般的な解釈のようだった。そして、それはあながち間違いではない。
トラッドソン家にはわたしを含め、現在は子どもが3人いる。長女であるわたし、3歳年下の妹、そして20歳年の離れた弟である。妹は既に中央の貴族へ嫁いでいるし、弟は次期跡取りとはいえまだ子どもである。こうなれば自ずと当主以外で招聘されるのがわたしである事は理解は出来た。
おそらく王城内の人々も理解はしているだろう。しかし、理解は出来ても不満は出るものだ。
実は私には6歳上の兄がいた。しかし、後学のためにと王城で勤め始めてしばらくして始まった、14年前の西の国境での戦争で亡くなっている。兄は享年19歳、わたしが13歳の時の出来事だった。これはトラッドソン家にとって大きな痛手であった。
兄が居たために家を継ぐ可能性がほとんどなかったわたしは政治のことを学ぶ機会もなく、実家では『女子としての政治への関わり方』だけを求められて過ごしていた。兄が亡くなってから付け焼刃的に教養は少しは学んだけれど、その後数年で領土奪取の危機が来てべリス家との結婚が決まったために、それも中途半端なままとなってしまった。
こんな時、兄が生きていればと思ったけれど、おそらく王城の人々はより強くそう思っているはずだった。
会う人会う人、わたしのことを探ろうとしていることは明白だった。父と仲が良いために友好的な人もいたけれど少数で、あとは様子をうかがうような人がほとんどだった。辺境伯よりも身分が高い方の中には「お飾りの娘で本当によろしいと陛下はお考えなのか」と直接嫌悪をぶつけてくる人もいた。
わたしはため息をつかないようにと笑顔を作ってから、「王城内ではここで作業をしてよろしいのですよね」と補佐官に確認する。「ええ」とウームウェル補佐官は頷く。
「もしくは直属部の事務室でもかまいません。あそこはほとんどいつも人が出払っていますので」
そちらなら人の目を気にせずにいられるでしょうという意味の有難い提案を受けて、「ありがとうございます」とわたしは頭を下げた。
わたしは『トラッドソン家伝令役』として王城に上がって、その『伝令役』の所属は情報収集室という部署になっていた。その名の通り様々な情報を取り扱う部署らしい。
ただ、この役職は今回のためにと取って付けたもので、他に同じようなトラッドソンの情報収集役を担う人間はいない。場当たり的にこの所属と場所が提供されただけで、実質的な上司はウームウェル補佐官となるらしい。ウームウェル補佐官は陛下直属の部下であるため、遠回りではあるがわたしも陛下の管轄に置かれることになるとのことだった。
消耗しているわたしを見抜いたように、「面倒なことが多くて申し訳ないですが」とウームウェル補佐官に謝られる。むしろ、わたしのせいで厄介事を引き受けることになった補佐官に申し訳ないと言う気持ちが湧く。けれど、わたしが謝ろうと口を開く前に、補佐官は続けた。
「本来ならトラッドソン家伝令役は直属部の所属としても良いのですが、なにせ王城内でのあなたへの反応は大きい。いきなり表立って陛下の直属とするのは難しいので」
貴族には建前と正当な序列が必要という典型的な例だなと思いつつ、能力のない娘をいきなり陛下直属とはできないという事情には納得する。頷いているわたしを見て、「ですが」とウームウェル補佐官は続ける。
「周りがどう言ってもあなたの存在は大きい。……今回のタタレドとのことではトラッドソンの協力は必要不可欠ですから」
ウームウェル補佐官はそう言ってから「あなたには負担を強いますが」とまた申し訳ないとわたしに言う。
「国境を守る家としては当然のことです。むしろこちらの力不足で申し訳ありませんが」
こういう時に国を守るために頂いている権力であるのは明白である。わたしにとっては全く問題ではなかった。ただ、自分に力が足りないことは心苦しいなと思うけれど。
タタレドとは、トラッドソン領の南の国境を超えた先にある国である。
つまり、べリス家がトラッドソン領に移って来る前に住んでいた国で、このタタレドこそが今回わたしが王城へと呼ばれた理由だった。
トラッドソン領では前々から交流がある国だったけれど、ここのところ何やら領内でのタタレド人の行動が物騒になってきていた。そんな状況下だった1か月ほど前、中央から派遣された外交官がタタレドとの会談の際に襲撃を受け殺されかけるという事件が起きたのだ。そこから、このヴァルバレーとタタレドとの緊張は一気に高まった。
本来ならわたしではなく、当主である父上が王城へと出向いても良いくらいの事件である。しかし父上とわたしを比べたときに、実際にまた事件が起きたときのことを考えれば、わたしよりも武力に秀でて実権のある父がトラッドソン領に残った方が良いのは間違いなかった。
つまり、また何か事件が起きる可能性がかなり高い状態であるのだ。
おそらくそこで「トラッドソン家の誰か」を招聘することになったものの、手の空いている人材がわたししかいなかったということなのだろうと理解している。
「お役に立てるよう、精一杯努めます」
ウームウェル補佐官はわたしの言葉を聞いて頷いてから「それでは私はこれで」と出口へと向かった。わたしは1度礼をして見送る。今日の仕事はこれで終わりだ。昨晩はあまり眠れなかったし、今日は早めに帰って眠りたい。
そんなことを考えていると、ウームウェル補佐官がわたしを振り返った。なんだろうと思っていると「……今日も陛下がお待ちです、21時頃に来て欲しいと伝えるようにと申し付かっていましたので」と言った。その表情はほとんど変わらなかったけれど、何だか同情されているような雰囲気を感じ取った。
陛下は、わたしのことがお気に召さなかったのではなかったか。
続けてそんな要求をされるとは全く想定していなかったわたしは内心驚いて固まりかけたけれど、ウームウェル補佐官を困らせるわけにはいかない。だから、「わかりました」と頷いた。けれど、わたしよりも陛下に近いこの方なら何かを知っているかもしれないと、つい口を開いていた。
「あの、陛下はなぜわたしを?」
しかし、ウームウェル補佐官は一瞬の間の後、「それは私からはなんとも。陛下に直接お聞きするのが良いかと」と言って、すぐに「それでは」と部屋を出ていったのだった。
昨夜のことを考えれば、陛下はわたしを帰す気がないという状況も有り得るかもしれないと思った。
朝にまたバタバタと部屋に戻ってというのは慌ただし過ぎるので、今日はとりあえず一度部屋に戻って明日の準備を済ませてから再度王城へ行く計画を立てる。
わたしの現在の住まいは、王城近くの集合住宅の一室であった。実家は広い屋敷だが、トラッドソン家は中央に土地を持っていない。この部屋は父上などが中央に召される時に、一時的な宿泊をするために活用されてきた場所だった。
リビングダイニングと主寝室、キッチンや風呂・トイレなどの水場、そして使用人のための小さな部屋がある。
わたしは寝室に吊るしておいた服の中から明日の分の着替えを選び、それを小さめのボストンバックにしわにならないようにと注意しながら畳んで入れた。
本来なら使用人がやってくれることだけれど、今回の中央への招聘にわたしは使用人を連れてこなかった。領内が緊張状態にあってはトラッドソン家に仕える者たちも家族を残してあの場所を離れたくないだろうと思ったし、ただでさえ最近はやんちゃな弟に皆が手を焼いていて、使用人たちの余力もないのは知っていた。
反面べリス家に嫁いでからのわたしは使用人がいなくても自分のことは自分でできるようになっているし、誰かがいないと困るということもない。
万が一の危険もあるからと付いて来ようとしてくれた侍女もいたけれど、気持ちだけ受け取って断った。
父上が普通の親の感覚を持っていれば、娘のことを案じてこうはならなかったのかもしれない。けれど、幸か不幸か父上はわたしに興味がないのだ。その結果、一人で中央に住まうことを許されたという次第だった。
今朝はシャワーを借りられたけれど、今日はそうではない可能性もある。そう思って、荷物の準備を終えてからシャワーも浴びた。すぐに化粧をし直して、仕事着を再び身に着ける。
時間が迫り、「どうしてまた呼ばれたのか」ともやもやした気持ちが強くなっているのは感じたけれど、自分ではそんなこと分からないしどうしようもない。
わたしは諦めて、ウームウェル補佐官に言われた通りの時間に間に合うように再び王城へと向かったのだった。