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27 関係と内緒

 それから陛下は、なぜだか少しの間わたしをじっと見ていた。


 その瞳からはしばし人間味を感じられず、わたしの緊張は高まった。けれど、何十秒か経つと徐々にその陛下の表情はただの無表情に変わっていったように思えた。

 その変化にわたしの緊張が弱まったのとほとんど同じタイミングで、陛下はやっと口を開いた。



「まず、マルタという娘についてだけど、……君が来た頃、その話は少ししていたね」


 確認のような問いかけに、わたしは「はい」と頷いた。陛下の寝室に呼ばれた日に、確かにわたしはその話を陛下にしていた。名前を伝えたくらいで、離縁する前から元旦那様とマルタが関係を持っていたことははっきりとは伝えていなかったと思うけれど。



「……べリス家当主は、君にあまり手を出さなかったんじゃないかい」


 それから陛下は少し言い淀んで、わたしへの配慮がにじんだ言い方をした。元旦那様とわたしの間に子が設けられなかったことについての確認だった。

 わたしに手を出さない代わりにマルタを呼んでいたという解釈を、陛下はしたのかもしれない。それは半分ほど当たっているように思ったけれど、半分ほどは違う気がした。



「……旦那様は……、あ、いえ。……べリス家当主は、おそらく若い女性がお好みなのかと。わたしが若い頃はそれなりに関係を持っていましたが、離縁の何年か前からはマルタや他の女性を頻繁に呼んでいましたので」


 思わず旦那様と呼んでしまってから、もう元旦那様だったと訂正しようとして、いや、今はトラッドソン家伝令役として話をしているのだからべリス家当主と呼んだ方がよかったと少し慌てた。

 そのミスに対してなのかどうかは分からなかったけれど、陛下の気迫がぐっと強くなるのを感じて、きゅっと身がすくむような思いがした。ただ陛下自身で制御ができないような危うさはなく、怖さや焦りをわたしが感じることもなかった。


 (にじ)む迫力とは裏腹に、「そうかい」とやはりどこか人間味のないような声で陛下が言う。この声は何かをこらえている時のものだろうということは想像できたけれど、何に対してかはやはり分からず、わたしには対処のしようがなかった。


「一人目の妻との間にも子どもがいなかったのは事実と」


 陛下の視線はわたしではなく、正面になんとなく向けられていた。今度は元旦那様のわたしの前の妻についての確認がされる。「そう聞いております」とわたしが頷くと「そう」と言って陛下はまたしばらく口を閉ざしていた。


 そして、陛下はふうとゆっくり息を吐いてから、「マルタという娘とべリス家当主の関係性は知っているかい」とちらりとわたしを見た。わたしは陛下の膝元に視線を落としながら少し考えて、口を開く。


「……はっきりとは分かりません。わたくしはマルタがタタレドの大臣の娘であることも、今日初めて知りました。マルタが嫁いだこと自体が、タタレドとべリス家が手を組んでヴァルバレーに侵攻しようという計画の元の政略結婚の可能性もあるとは思います」


 結びつきを作って味方を増やす。特にタタレドにとってべリス家は唯一のヴァルバレー侵略のためのとっかかりである。侵略を考えるならタタレドとしては抑えたい重要な家だろう。

しかし、と思ってわたしは続ける。


「けれど、そうであるなら正式に妻として迎えてからしか身体の関係は持たないのではないかとも思います。……ですので、2人の結婚は元々計画されていた結婚というよりは、マルタか、べリス家当主が望んで以前からそういう関係になっていたのかと」


 元旦那様が最初からわたしと離縁する計画でいたとしても、婚姻中に他の人と関係を持てば一夫一妻制のヴァルバレーでは不倫になってしまう。愛人としての立場を選ぶ女性もいなくはないけれど、大臣の娘であるマルタが自らそれを良しとはしないだろうと想像できた。いくらべリス家の協力が国として欲しいと言っても、立場の高い娘としてはそんなことをしたいとは思わないはずだ。


 そして後々政略結婚をするつもりだったのであれば、その時点で関係を持つことは若い女性であるマルタ側にはメリットがないのだ。ヴァルバレーでは愛人として子が出来ても、正当な跡継ぎにはなれないのだから。


 そしてこれは裏付けのない感覚でしかなかったけれど、元旦那様の性格を知っているわたしからすれば元旦那様がマルタに言い寄り、有無を言わせず囲っていたのではないだろうかとかなりの確信度で思った。


「……そういうのは大概は男の方だろうね……」


 陛下もわたしと同じようなことに思い至ったらしく、ため息のようなものを漏らしながらそう言った。同意するところでもないかと思って、わたしはそれには頷かなかった。すると少し口ごもってから、ふと気迫を緩めたような雰囲気で陛下はぽつりと続けた。


「……その娘は結婚してからも頻繁に実家に帰っていたというけど……。結婚しても尚、夫以外の男のことを忘れられなかったということなのか……」


 それは分からなかったので「どうでしょう」とわたしはあいまいな相槌を打った。すると陛下はわたしの膝元に視線を寄越して、目は合わせずにわたしの様子を窺うような素振りを見せる。

 そして、「君は、」と言った。


 その続きはすぐには聞こえて来なくて、わたしは思わず陛下の方へと顔を向けた。なんだろうとやや緊張しながら待つと、陛下はわたしの視線をとらえて、言いにくそうに口を開いた。



「……君は、べリス家当主がまだ好きかい」



 思いがけない言葉に、わたしは陛下の目を見たまま固まった。


 いや、べリス家当主を好きになろうと努力したことはあった。けれど、本音を言えば結局一度も好きだと思えたことはなかった。手荒で乱暴で、怖かった。機嫌が良ければ優しかったこともあったけれど、それすらもいつ変わるか分からなかった。

 とにかくあの九年間を、わたしは良い妻の顔をしながらやり過ごしてきたのだ。


 そういう元旦那様への思いと、あろうことかわたしがお慕いしている方にそれを尋ねられることがあるなどとは思わずに、わたしは表情を作ることもできずただ驚いた顔をしていたと思う。



「……いえ、あの、……それはありません」


 かなりの間を作ってしまってから、わたしは答えなければと気づいて口を開いた。気持ちをそのまま言うわけにもいかず、わたしはしどろもどろになりながら返事をした。


 ちょっと経ってから「……そう」と陛下が頷いたので、今度はわたしもそれに合わせて頷いておく。

 しばらくお互い無言でいると、何かを仕切り直して今までの流れをまとめるかのように、急に陛下が口を開いた。


「とりあえず、君に聞いておく必要があったことはこれくらいだ。あまり気持ちの良いものじゃなかっただろう、すまなかったね。……あとは情報収集室の追加の情報を待つしかない。バダンテールの言っていたことが正しい可能性もあるけれど、そうだとしても不明確なままでは実行には移せない」


 陛下は、珍しく早口でそう言った。

 陛下が言っていることは最もだったので、わたしはまたその言葉に頷いた。それから陛下はゆっくりと立ち上がって、「何か飲むかい」とわたしに尋ねる。わたしはそれに即座に「いえ、お気遣いは不要です」と首を振った。


 強い匂いにはまた反応してしまうような気がした。陛下の前でその姿は見せられない。

 陛下が聞きたかった話はこれで終わりということだろう。そう思ってわたしも立ち上がり、その場で陛下へと礼をした。


「陛下もお忙しいでしょうし、今日はわたくしはこれで失礼させていただこうかと思います」


 とりあえず、またいつ気持ち悪さが出てくるかわからない不安があった。

 そして聞き取りが終わった今、これ以上陛下と何を話せば良いのかも分からなかった。体調についても、陛下へのこの気持ちについても、何かぼろがでてしまいそうな気がして、わたしはできる限り早くこの場を立ち去りたいと思った。


 表情は取り繕える自信もあるけれど、会話で人を騙すのは全く得意ではない。

 喋らずにこにことしていればやり過ごせた元旦那様とはまるで違うのだ。陛下に何かを問われてしまったら、自分が上手くやり過ごせないことは火を見るより明らかだった。


 やや不敬だとは思ったけれど、陛下がわたしを引き留めようとする言葉を口にする前にと(きびす)を返して、わたしは出口へと向かった。


「シエナ」


 そうすれば陛下の声が後ろから聞こえて、さすがに無視することは出来ずにわたしは一度振り返る。

 陛下は感情を浮かべていないような表情でわたしを見ていた。陛下は何をこらえているのだろうと心配にはなったけれど、そういう状態でも大丈夫そうな姿を見ると、ここにわたしが必要ないことは誰に言われなくても分かった。

その事実にも少し胸が痛んだけれど、そういうものだから仕方がないと自分をたしなめた。


「また、」


 陛下はそう何かを言いかけて、少し動きを止めてから「いや」と緩やかに首を一度振った。そしてまたすぐに口を開く。


「身体には気をつけて」


 わたしは「お気遣い痛み入ります」と再び礼をしてから扉に手をかけた。先程は陛下が開けてくれていたから分からなかったけれど、それはとても重たい扉だった。

 ぐっと力を入れて開けようとすると、ふと更に扉が重くなったことに気づいた。同時にわたしの上には影がかかって、見上げれば陛下がわたしにかぶさるようにして扉を抑えていた。


 陛下は顔をわたしに近づける。真剣な顔だった。心臓が大きく跳ねて、けれど、わたしはそれを表に出さないようにと(こら)えた。


 キスされるかもしれない。

 そんな風に、一瞬錯覚するような距離だった。


「おやすみ、シエナ」


 囁かれた陛下の声は優しげで、けれどぞくりとする響きをともなった。


 わたしはなんとか気持ちを出さないようにと堪えたままこくりと頷いた。

 すると、陛下はその重たさがまるで嘘であるかのような軽い動作で扉を開けてくれた。わたしは改めて、とにかく表情は崩すまいとだけ思って、転がるように執務室を退出したのだった

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