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25 訊問と一声

「あなたはべリス家の二人目の妻だ。一人目の妻と、三人目の妻マルタのことはどれほどご存じでしょうか」


 口調は丁寧で怖さなどかけらもないはずなのに、いつもお見かけしていたバダンテール室長には見えなかった。そうか、この中央でそれなりの立ち位置に上り詰めるというのはこういうことなのかとどこか遠くで思った。


 わたしが会議で発言するのは、本当に久しぶりのことだった。手に汗をかいていたけれど、おそらく表情は崩さないでいられたと思う。


「どちらも詳しくは存じ上げておりません。……一人目の妻とは死別と聞いておりました。べリス家当主が22歳の時に結婚したものの、1年半ほどでの別れだったと聞かされていました。わたくしとべリス家当主が婚姻を結んだのはその後、べリス家当主が24歳の時でした。」


 今や会議室内の視線はわたしに向けられている。わたしは視線をバダンテール室長の首元から動かせずにいて、じっと、その一点を見つめながら話した。

 ただ一人、上座に座っている陛下の反応だけが気になった。けれど、おそらく陛下も他の出席者と同じようにわたしを見ているのだろうと思った。


「では、マルタのことは」


 バダンテール室長に促されて、わたしはまた口を開く。


「マルタのことは……わたくしが離縁して1年程してからべリス家当主と婚姻を結んだと聞いています」


 どこまで話すべきかと思案する。マルタの男性関係の話が取り沙汰されているのだから、わたしとの婚姻中にも元旦那様とマルタの関係があったことを伝えるべきなのかどうか。

 悩んで、けれどやはりそれは必要なことに思えて、わたしは意を決する。


「……しかし、べリス家当主とマルタは婚姻前から……、わたくしと当主の離縁が成立する前から、べリス家の屋敷で逢い引きしていたようでした。わたくしはマルタと直接会ったことはございませんが、お忍びで屋敷に来ていた姿はよく見ていました」


 できる限り淀みのないように、今は何も思っていないのだということが伝わるように。そう思って感情を浮かべずに言ったつもりだった。

 けれど、会議室の中にはわたしへの様々な反応が――哀れみや同情や、おもしろがるようなものが、見えてしまった。気持ち悪さがじわりとせりあがる。

 けれど、周りの反応もわたしの反応も気にしていないかのようにバダンテール室長は口を開く。


「べリス家当主は現在35歳。でもまだ子がいませんね。あなたとべリス家当主の間には、子を成すための行為はあったのですよね」


 別に、下卑たいやらしい言い方ではなかった。バダンテール室長自身はそれを聞いて何かに役立てたいと思っているのだろうし、嫌だと思うのはわたしの自意識過剰かもしれなかった。けれど、そんなことを大勢の前で言わなくてはいけないのかと屈辱のような気持ちが浮かんだ。


 ぐっとわたしは言葉に詰まって、けれど冷静にと自分に言い聞かせる。バダンテール室長がそうでなくても、出席者の中には下世話な想像をしている者もいるような気がして、わたしの中では更にぐらぐらと気持ち悪さが湧き出す。


「……それは、」


 けれど答えなければならないと思って口を開きかけ、すべての視線がわたしに向けられたと感じた瞬間に、わたしの言葉を遮る音が聞こえた。

 それはあの柔らかい声ではなかったけれど、わたしに向けられた陛下の声だった。


「トラッドソン家伝令役、このことに関しては今は発言を控えてくれ」


 声のした方に顔を向けると、陛下はわたしを見ていなかった。わたしに返事を求めるようなそぶりすらもせず、陛下はすぐにバダンテール室長へと視線を向けて続けた。


「バダンテール室長、今日の会議でこの発言をすると私は聞いていないが」


 皆の視線がバダンテール室長へと向いてから、わたしは自分の心臓がドクリドクリと鳴っていたことに気づいた。嫌な汗をかいていて、表情こそ動かさずにいたけれど、わたしは明らかにいつもと状態が違っていた。他の人にそれが伝わっていたかはわからないけれど。


「申し訳ございません、陛下。……この場でトラッドソン家伝令役から聞き取りができれば、話が早いかと思い予定外のことを」


 全くこちらを向かない陛下からバダンテール室長に視線を移せば、室長は陛下に深々と頭を下げていた。陛下の会議途中での発言はとても珍しかった。けれど出席者はバダンテール室長を眺めながら、陛下に話を通していないのならこの場での発言はできなくて当然であるというような雰囲気を漂わせていた。


 やはり、会議での報告や発言は会議前に陛下が承認したものであるようだった。その上での議論であることが前提なのだろう。一方で、真っ向からの対立意見がそれぞれの部署から出されることもあることを考えれば、全てを陛下が決定するということではなさそうだった。ただ、どの情報を会議に乗せるかという選別や取捨選択はある程度陛下がしているのだろう。


 わたしは今まで、自分が得た情報で会議に乗せたいものはまずウームウェル補佐官に上げていて、補佐官が陛下に情報の伝達をしてくれていた。そのため、陛下に直接会議の内容について話すことがなかったのだ。しかし、それはわたしが陛下に直接お会いできるような立場にないからである。今この会議に参加している方々は立場上、その報告をするための上司とはつまり、陛下のみであることは理解できた。



「伝令役からはまず、私が話を聞いて会議で開示する必要があるかを判断する。バダンテール室長、べリス家当主に跡継ぎがいないことで何を言いたかったのか説明を」


 陛下の声は鋭かった。先日までの感情を隠していた陛下とは違う、感情が感じ取れる声だ。その声はどこか憤っていた。そして陛下から発言を促されたバダンテール室長はやや焦りを浮かべながら、先ほどよりもかしこまった物言いをした。


「はっ、……べリス家当主には子を成す能力がない可能性があると思っております。そうであるならば、マルタ妊娠の情報を使い、戦争が起きる前にべリス家に打撃を与えて戦争回避ができるのではないかと」


 つまり、マルタの妊娠騒動を使ってべリス家を内側から崩せたなら、タタレドが戦争をしかけてくる可能性が低くなるということを主張したかったようだ。

 タタレドにとって、べリス家がヴァルバレー侵略のとっかかりであることは間違いない。べリス家当主とマルタとの間に不和が起きてべリス家が混乱すれば、タタレドはべリス家を頼れなくなる。つまり、タタレドはヴァルバレーへと攻めてこられないということだ。もしかしたら、マルタが大臣の娘であることを使えば、べリス家とタタレドを対立させることすらも可能かもしれない。



「案としては悪くない。だがまだ噂レベルなのだろう。べリス家当主が自分に子を成せないことを理解していて、妻にそういう行動をさせている可能性も考えられる。情報収集室として至急、より詳細な情報を集めてくれ」


 陛下の声はよく響いて、「畏まりました」とバダンテール室長は頭を下げた。いつもより長い時間頭が下げられていたことから、陛下の不興を買ったことは理解しているようだった。

 そんなバダンテール室長を尻目に、陛下は淡々と会議を閉じようとしていた。



「今日はもう報告はないね」


 陛下は一度ウームウェル補佐官に視線をやって、補佐官が頷くとすぐにまた正面を向いた。


「これにて終了とする。次回は二日後に」


 ざっと皆が一斉に立ち上がり頭を下げて、陛下が退室するいつもの流れだった。けれど、陛下はゆっくりと立ち上がった後、わたしへと声をかけた。


「トラッドソン家伝令役、15分後に執務室に来てくれ」


 わたしは名前を呼ばれて一度顔を上げたけれど、すぐに「承知いたしました」とまた頭を下げた。

 陛下はそれ以上は何も言わず、いつも通りの顔で音もなく部屋を退室したのだった。



 部屋に残った出席者は、ちらりとわたしとバダンテール室長を見てから退室し始める。バダンテール室長がわたしを見て何かを言いかけたけれど、それよりも早くウームウェル補佐官がわたしに近づいてきて、バダンテール室長には何も言わせなかったことに気づいた。


「あなたは執務室へ行ったことがなかったかと。よろしければご案内しますが」


 ウームウェル補佐官のいつもの調子にわたしは安心感を得て、「お手数をおかけいたします、よろしいですか」と補佐官を見上げた。

 ウームウェル補佐官はゆっくりと頷いてから、「では行きましょう」とわたしを促し、わたしたちは二人で会議室を出たのだった。

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[良い点] いい感じにトラウマスイッチの上でタップダンスやった事 [気になる点] 確かに跡取りのいない国王陛下の寝室に出入りする女性が出戻り娘って言うのは気になるどころか娘を后にねじ込みたい連中からす…
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