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24 噂と過去

 二日後。会議室では第15回会議が開催されていた。


 軍部からは兵士たちの訓練の状況についてと、グランデ将軍がトラッドソン家の当主――つまりわたしの父上との作戦会議のためにトラッドソン領に滞在していることが報告された。開戦となればトラッドソン家の協力は欠かせない。父上からわたし宛の手紙でも、トラッドソン家の私兵のほかにも領民から有志を募る予定であるとわたしは先日報告を受けていた。


 そして政策部からは、実際のタタレドの婿とその家族に対しての具体的な支援策案が提出された。具体的には正規の職につけるようにという訓練と国主導での仕事の斡旋、そして子どもがいる家庭にはヴァルバレー式の教育を受けやすくなるような援助などが盛り込まれた。普通であれば援助策などは平等性を考慮してかなりの時間をかけて検討していくものだったけれど、今は開戦までにいかに婿たちを取り込めるかが勝負だという認識が共有されていたため、それもすんなりと可決された。


 おそらく、いつものように事前に打ち合わせを重ねた上で会議に臨んでいるのだろう。軍部に対しても政策部に対しても、陛下は表情を崩さずに見守りつつ時々頷く姿が見られた。


 陛下にはもう、あの頃の人間味のない表情はなく、兵士や軍事の話を聞いても動じていないようだった。安堵のような気持ちが浮かんだけれど、気がかりなことがあるわたしは今日、陛下の顔をまともに確認することができていなかった。

 そんなわたしの様子の違いなどには、陛下はもちろん他の誰も気づいていないだろうとは思うけれど。



 会議の最後に、ウームウェル補佐官から指名されたのは情報収集室のバダンテール室長だった。最近は毎回戦略会議に参加していて、今日も情報収集室から新たな報告があるらしかった。

 バダンテール室長は50代後半程の落ち着いた人だ。ややその目の奥が笑っていないような気がすることもあったけれど、頭も良く指導力もある。個人的にゆっくりと話したことがあるわけではなかったものの、室長として申し分ない人だと感じていた。そんなバダンテール室長が口を開く。


「今回はタタレドの婿ではなくべリス家についての情報なのですが、……ここ数日、べリス家の周囲で噂が立っていることをマーガー副室長がつかみました」


 皆の視線はバダンテール室長に向いていた。べリス家と聞いてわたしの心臓はドクリと跳ねたけれど、今はもう関係がない家だ。何食わぬ顔をしながらその続きを待った。

 するとバダンテール室長は含みのある笑みを浮かべながら、ゆっくりと続けた。



「べリス家当主の現在の妻であるマルタが、妊娠したという噂です」



 何食わぬ顔をしながら――でも、わたしの心臓はより強く早鐘を打ち始めた。聞こえてきたのが、今自分が最も気にしている言葉だったからだと思う。


 妊娠。

 しかも、べリス家の後妻が、である。



 マルタは確か今は22歳くらい。元旦那様とわたしが離縁してから1年程経ってべリス家の後妻となっていたはずだ。タタレドの重鎮の娘だとは思うけれど、直接会ったことはないし、わたしはマルタに関する定かな情報を持ちあわせていなかった。

 その妊娠の情報がどう使えるのだろうかとわたしの頭は勝手に動き始めていたけれど、しかしすぐに、まともにそのことは考えれなくなった。無意識に自分のことへと思考が流れていったからだ。


 べリス家の後妻が妊娠したということは、やはり、子を成す能力がないのはわたしだったということになる。


 元旦那様にそういう能力がないのかもしれないと、思ったことが実はあった。あの頃のわたしは若くて健康だったし、反面旦那様はわたしよりも不摂生も多かった。かといって元旦那様はわたしの8歳年上で特に支障の出る年齢ではなかったし、知っている限りは病気等もしていなかった。確信を得ていたわけでもなかったけれど、その能力がないとは言えないだろうとも思っていた。


 そしてマルタが妊娠したということは、やはり原因はわたしだったのだろう。


 そう思うと、少し冷静になれた気がした。月のものがまだ来ていないのも、妊娠しているからではないという裏付けになる。だって、わたしに子はなせないのだから。


 悲しいような安堵のような不思議な気持ちになりながら、わたしの鼓動は先ほどよりも落ち着いてきていた。

 周りに気づかれないようにと息を細く吐き出してから、会議室の何人かがわたしの方を窺っている視線を感じた。べリス家の前妻であるわたしをこの状況で窺いたくなる気持ちは理解できる。まして離縁の理由は後継ぎができなかったからだということも、公にしたことはなかったけれど誰もが察していたことだろう。


 個人的なことでぐらぐらしている場合ではないと、わたしは気合いを入れなおす。

 しかし次にバダンテール室長が口を開くと、わたしの冷静さはまたどこかへ吹き飛びそうになった。


「そして……あろうことか、マルタのその相手はべリス家当主ではない可能性があるというのです。タタレドの婿たちに聞いたところによれば、マルタは嫁いでからもタタレドへと頻繁に帰っていて、それが()()()で作った子どもではないかと」


 あまりの情報量の多さに一瞬、わたしは自分の表情が固まっていたのを感じた。


 元旦那様の子ではない?

 そんなことがあり得るのか。そして、そんな噂がどうして立っているのか。


 わたし以外の参加者も、その情報の信憑性に疑問を持ったようで何人かが口々に疑問をあげる。気がつけばわたしを窺う視線はなくなっていた。バダンテール室長はゆっくりと頷いてから、それを説明し始める。


「我々が噂を掴んだと同時に、情報提供者がいたのです。タタレドの婿の中に、自分達がタタレドの間諜だと疑われているのではないかと危惧している者がおりまして。その者が、自分達はヴァルバレーの味方であると示すために情報を提供してくれました。今までの言動から信用度は高いと判断しています」


 会議室はざわついていた。けれどそれを全く意に介さず、バダンテール室長は続ける。


「その者はもともと、タタレドの大臣の家の奴隷だったそうです。劣悪なその環境から逃げ出して苦労してトラッドソン領へと入った。その者の奴隷仲間がその後に同じように逃げ出し、そちらはたまたま良い商売人の家に拾われた。そしてそちらは先日トラッドソン領に商人について入ってきたのだそうです。そこで偶然、二人は再会した。そしてその商人についてきていた奴隷はマルタが結婚後も何度も実家である大臣の家に帰ってきているのを目撃していた」


 その堂々とした声からは、危機感で溢れた会議室には似つかわしくない余裕さえ感じられた。わたしの背中には冷たいものが流れている気がした。

 「そして」とバダンテール室長は続ける。


「実家にマルタが帰るたびに、マルタの部屋には男が通ってきていたそうです。人目を忍んではいたそうですが、家の中にいる奴隷たちはその部屋にいるのがマルタと、とある男だということは分かっていた。そして、何をしているかも」


 具体的には伏せられたけれど、マルタはその男と関係を持っていたということなのだろう。バダンテール室長はよどみなく言葉を続ける。


「べリス家の当主にとって、マルタは3人目の妻です」


 その言葉で、また一気にわたしに視線が向けられたのを感じた。居心地が悪い、気持ち悪いと思った。一瞬面食らったけれど、表情は崩さないようにと意識する。

 そしてスッと、バダンテール室長の視線もわたしへと向いた。嫌な予感がした。


「トラッドソン伝令役、べリス家当主の話を少し伺っても?」


 バダンテール室長は笑みを浮かべたまま、わたしに問いかけた。ああやはりという気持ちも浮かんだけれど、冷静になり切れていない今の自分の状態からやや返事が遅れる。

 するとバダンテール室長はわたしを急かすように喋り続けた。


「伝令役としての範疇は越えているかもしれませんが、……おそらく国のためになりますので」


 わたしの頭はさらに働かなくなったように感じた。追いつめられているような気持ちになった。別に拒否するようなことでもないと頭の片隅では思うのに、ここにいる出席者にわたしの今までのプライベートが晒されるのかと思うと不快な気持ちになった。


 そして、……ここには陛下もいらっしゃるのだ。


 以前は陛下に何を聞かれてもかまわないと思っていた。けれど、今は違うのだということを自分でも初めて実感する。ただ、それは思ってはいけないことだと自分をたしなめた。

 わたしは誰の顔も見れず、バダンテール室長の首元に目を向けた。


「……当主の話とは、どんなことでしょう」


 できる限り冷静にと頭の中で繰り返しながら、わたしはバダンテール室長へと問いかけた。

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