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22 跡と朧気

 身体の痛みを感じて意識が浮上して、心地の良い暖かさがそばにあることを感じて目が覚めた。

 なんだっけ、どうして身体が痛いんだっけ、と思いながら身じろぎすると、すぐそばから柔らかい響きの声が聞こえた。


「シエナ、おはよう」


 目覚めの際に近くに人がいるなんて滅多にないことで驚きからびくりと身体が揺れると、その声は「驚いてるの」とわたしの顔を覗き込んできた。

 全く躊躇なく、陛下の目がわたしの目をとらえる。そうか、わたしは陛下に戦いを吹っかけたんだっけとぼんやり思い出した。


 けれど思い出すと恥ずかしくなって、わたしはすぐに手元にあった毛布を顔まで引き上げた。

 最近いけない。9年間鍛え上げた崩れないはずの表情筋が、なんだか衰えてきているような気がする。


 陛下はわたしのその行動に困ったような声で「駄目だったかい?」と尋ねる。陛下の行動にあれこれ言える立場にないわたしは、毛布の中で「いえ……」と答えた。今まで陛下にさんざん不敬な態度をとってきたことも思い返されて、せめてきちんと挨拶くらいしなくてはいけないと分かってはいるものの、毛布の中のわたしは何も纏っておらず、立ち上がることも(はばか)られた。これはこの後どうすれば良いのかと戸惑う。


 そうしていると、陛下はポツリと呟いた。


「ありがとう、と言っても良いのかな」


 小さな、けれど穏やかな声だった。わたしはそろりと顔だけ毛布から出すと、陛下は困ったように笑ってわたしを見ていた。


「たぶん、もう大丈夫だと思う。鍵は壊れて、僕の()()()はここに残ってしまっているけど、……ここにあるのに暴れだそうとはしないんだ。なんだか、不思議だけど」


 陛下も見れば上半身は何も身につけていない。しなやかな筋肉がついたその腕がそっとのびてきて、わたしの頬に手が添えられた。


「僕の全部を見ても、君が逃げずにこうしていてくれるからかな。恐ろしい僕も、ここにいて良いのかなって、胸に落ちた」


 わたしに向けられるその声に、わたしは無性に胸が痛くなった。


「不思議だね、今まで全くそんな風に思えなかったのに」


 陛下は笑っているように見えたけれど、どこか泣きそうにも見えて、わたしは毛布で身体を隠したままそっと上半身を起こした。すると陛下の手がわたしの背中にまわってきて、わたしはそのままぎゅっと抱きしめられた。


「発作も起きるとは思うけど、少しはましなんじゃないかなって気がする。……だから君はもう、無理はしないで」


 その声は真剣で、わたしは応じて「承知しました」と返事をした。陛下の鼓動はゆっくりで、それが身体に響くと気持ちがよかった。


 抱きしめられたままで、陛下の指がわたしの首筋をなぞる。くすぐったくて身じろぎすると、耳元で陛下の申し訳なさそうな声が聞こえた。


「これ、痛かったかい」


 なんだろうと確認すれば、そこには赤くなった跡が残っていた。


「それは……、そうですね」


 恥ずかしさもあってなんと答えれば良いかと思ったけれど、わたしが感じたことを伝えても良さそうな雰囲気だった。


「ごめん、もうしないから」


 陛下はそう言って、より腕に力を入れた。わたしは頷く。そもそも陛下と昨夜のように夜を共にする機会などもうないだろう。当たり前のことだ。

 けれどそう思うと胸のどこかがちくりと痛んだことは、つけられた跡の痛みだと自分に言い聞かせてやり過ごした。


 陛下から直接伝わる熱は心地よかった。陛下の鼓動はゆっくりなのに、自分のそれはいつもよりも早くて、それが陛下には知られていないことを強く祈った。


 それから陛下は最後に、わたしの首筋で深く息を吸った。



*****



 陛下がそれ以降、わたしを呼ぶことはなくなった。


 それまでの二週間ほどはかなり頻繁に呼ばれていたため、こうなってみるとやや落ち着かない気持ちになった。

 ただ、会議で見る限り陛下の様子は落ち着いていた。今までのどの場面の陛下とも少し雰囲気が違っていて、時々人間味のない気配が漂うことはあったけれど、大半は思案しているような真剣な顔の陛下だった。


 やや心配な気持ちもあってウームウェル補佐官にそれとなく様子を尋ねてみれば、ごく軽い発作は出ることもあるけれど、酷くないためすぐに収まるという。そしてウームウェル補佐官の知っている限り、重い発作は出ていないということだった。


 良かったと、素直に思った。陛下はあの苦しみから少し解放されたのだときちんと分かったから。


 陛下とわたしの接点はもはや会議だけだった。これが本来のわたしの立ち位置である。呼ばれない限りはもう近づくことすら出来ないだろう。

 呼ばれずともお部屋に伺ったことも二度あったけれど、もうそんな必要はない。陛下がお忙しいのは分かっているし、必要がないのならばもう関わらない方が良いのは明白だった。

 わたしは(わきま)えていた。



 第11回会議では、ウームウェル補佐官からトラッドソン領に情報収集のための人員が派遣されることが報告された。わたしがニカから聞いた情報はウームウェル補佐官経由で陛下に上げられ、それについて陛下はより緻密な情報を得る必要があるという判断をしてくれたようだった。この件にわたしが関わっていると言うことは会議の場では報告されず、おそらくわたしの立場を庇ってくれているのだと分かった。それくらい、この情報にはまだ信憑性がないのだ。


 国内での情報収集であるため、こちらは間諜ではなく情報収集室が担当するということになっていた。表向きはトラッドソン領での生活調査という名目で、襲撃事件が起きた関連での聞き取りという位置づけだった。


 現在の暮らしのことや、必要な支援、タタレド人商人との関わり、そして元タタレド国籍の婿たちが迫害や差別等を受けていないかなどの聞き取りを行うということが、トラッドソン領民に向けてすぐに発表された。

 責任者としてのマーガー副室長を筆頭に、情報収集室の数人が実働部隊の『調査団』として派遣されることとなった。


 わたしも情報収集室の一員として、トラッドソン領のことであるのだから当然そこに加わるものだろうと思っていた。けれど確認すれば、その派遣者一覧にはわたしの名前はなかった。

 何故だろうと思いつつマーガー副室長に加わりたい意向を伝えると、今回はトラッドソン領民への聞き取りのためトラッドソン家の令嬢の立場では難しいと言われた。確かに領主の娘に不満は言いにくいだろうとそこで思い至り、わたしはやや気勢を削がれるような気持ちで王城に留守番となったのだった。


 それからの王城内でも、(せわ)しなさは続いていた。

 しかし一方で、わたしには以前よりも時間ができていた。

 そしてそのぽっかり空いた時間に、わたしはもどかしさとやるせなさを感じていた。



 マーガー副室長たち調査団の正式なトラッドソン領派遣によって、わたしの仕事は大幅に減った。

 もちろんトラッドソン家とのやりとりは変わらずに続けていたけれど、情報の重要度としては実際に聞き取りができている調査団のものの方が何倍も高いことは言うまでもなかった。会議にも情報収集室の室長が報告のために出席するようになり、わたしが発言する機会もほとんどなくなっていた。


 もしかしたら最終的にはこんな風に組織的に情報収集ができるようになることが理想だったのかもしれないし、その質としては高いのだから良いことなのだけれど、王城に留まっていることを意識するとやはりもどかしい気分がつきまとった。


 普段なら自分に出来ることを見つけようと切り替えるところだったけれど、何故だかわたしはそういう気持ちにもなれずにいた。



 陛下の呼び出しもぴたりとなくなったため、早い時間に帰れる日が増えていた。

 ニカは喜んでいたし、「これくらいがシエナ様の本来の仕事でしょう」と言っていた。おそらくそうなのだろうということも、ぼんやりした頭でなんとなくは理解はしていた。


 そして身体は今までの睡眠不足を解消しようとしているかのように、わたしは次第に睡魔に襲われることが増えてきていた。

 それでも特段の支障はなかったけれど、徐々にわたしの気持ちは落ち込みがちになった。上手くいかない時でもこんな風になることは今までなかったんだけどなと、あまり実感のないまま日々を過ごしていた。


 その間に、戦略会議は第14回までが終わっていた。

 会議で毎度なされている情報収集室の報告によれば、わたしが日々をぼんやりと感じているうちに、トラッドソン領民からの生の情報もたくさん揃い始めているようだった。


 気づけば、陛下とのあの夜から3週間が経とうとしていた。

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