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19 昏さと赦し

「僕は君に、酷いことをしている」


 顔色の変わらない表情を浮かべて、噛み締めるような響きで、陛下はそう言った。それはわたしに向けられた言葉なのに、その視線はわたしに向けられてはいなかった。


 陛下の話は、とてもとても長かった。じっと壁を見つめながら陛下は話し続けた。けれど、一言ひとことを漏らさないようにとわたしは息をひそめながらそれを聞いていた。


 陛下の思いや今までのことは、言葉で聞いてもすぐに理解をできるものではなかった。

 苦しさ、怖さ、痛み、悲しみ。

 言葉では表せないようなものが漂って、わたしはどんな言葉を陛下に返せば良いのか分からなくて口を開けずにいた。


 本当に、わたしが聞くべきことではなかったのではないかと思った。途方もない話だ。この国の国王陛下のこんなにも柔らかい部分を晒して良い相手だとは、自分でも思えなかった。


 冷静にと努めたけれど、わたしは混乱していた。


 陛下はわたしの膝にかかるブランケットをそっと手に取る。ひんやりとした空気がそれまで温かかった膝に一気に流れ込む。急に心許(こころもと)なく感じて、緊張で身体が震えた。自分の感覚では手足は冷たいのに、身体は汗をかいている気がした。


「ちょっと、重すぎたかな」


 わたしの様子を見て、陛下は冷静にそう言った。その冷静さが余計にわたしの気持ちを締め付ける。

 きっとこうして言葉にするために、何度も何度も何度も、自分に向き合って来たのだろうと想像できた。

 ずっと、ひとりで。


 陛下はそっとブランケットをわたしの肩にかけ直す。背中と肩に暖かさが感じられた。けれど身体は震え出しそうな気がして、わたしは震えないようにとそれを懸命に(こら)えていた。



「シエナ」


 ポツリと呟かれた自分の名前に顔を上げて陛下の方を見れば、陛下はわたしを見て少し悲しそうな顔で笑っていた。


「なんて顔してるの」


 自分がどんな顔をしているかは、全く分からなかった。すると陛下の手がそっと顔に伸びてきて、わたしの目元を拭った。


「泣かないで」


 その言葉で、わたしは自分が泣いているのだと知った。


「……話したいっていうのも、自分のエゴだったのかもしれない。君に何かを貰いたかったのかもしれない。君を壊したかったのかもしれない。……わからないんだ、自分のことが。どうやったって、私はもう自分の利己的で暴力的な()()からは逃れられないような気がするんだ」



 「だから、」と陛下は息を吸い込む。


「君をトラッドソン家伝令役の任から解くことを考えていた」


 そう言うと陛下の顔はスッと色を失って、表情が窺えなくなった。唐突すぎるその言葉の意味が本当に理解出来ず、わたしは混乱した。それなのに頭の片隅で、そうか、と腑に落ちる感覚もあった。


 多分これは。

 この人間味のない顔は、陛下が必死に何かに鍵を掛けようとしている時の表情なのだろうと今なら分かる。


「僕のエゴで、君を呼び寄せて使ってしまった。……役目の途中での解任になるけど、君が不利益を(こうむ)ることや君の立場への悪影響は一切ないように配慮するし、トラッドソン家にも何か褒賞を与える。もちろんここから先もタタレドとの件には協力をして欲しいけど、君は中央から出て、……解放されて良い」


 畳みかけるように、陛下はそのまま人間味のない声でそう言った。

 つまり、わたしを手放すというのだ。

 ここまでわたしに聞かせておいて、ここまでわたしの気持ちを揺らしておいて。



「シエナ・トラッドソン、君を解任する」



 わたしの中に浮かんだのは悲しみでも懇願でもなく、そんな傲慢な陛下への怒りだった。


 わたしは立ち上がって、勢いに任せて正面から陛下に詰め寄った。寝台に腰掛けている陛下の顔はわたしの顔よりも低い位置にあって、上から陛下を見下ろすのはとても新鮮な眺めだった。



「承服いたしかねます」



 目元を乱暴に(ぬぐ)ってから、わたしは陛下にはっきりとそう言った。


 そんな横暴で理不尽なこと、わたしが簡単に飲むと思ったのか。

 わたしはこの着任に疑問を抱いていなかった。タタレドの件でトラッドソン家から人手を求めたのは当たり前のことだと思っている。力不足なわたしが王城へ来てしまったことは申し訳なく思っているけれど、現実的に考えてもそれしか選択肢はなかったと思う。陛下は別におかしな命令をした訳ではないはずだった。


 なのに、それなのに。

 ここまで色々なものをさらけ出しておいて、陛下はわたしのことを要らないというのか。


 陛下はわたしの返事を聞いて固まっていた。こんな返事が来るとは思っていなかったのかもしれない。

 そうだとしたらそれこそ利己的で独りよがりだと、その姿にさらに怒りが増す。


「わたしはトラッドソン家伝令役として、お役に立てませんでしたか」


 陛下は驚きの色を持って、わたしを見上げていた。


「わたしはもう、必要ないということですか」


 怒りとともに悔しさもあった。おこがましく恐れ多いけれど、わたしは陛下の力になりたいと思ってしまったのだ。

 わたし以外には、生涯言わないだろうと陛下は言った。それが本心なのであれば、ここでわたしが引き下がったら陛下は一生この場所にいることになるのではないかと思った。

 暗くて痛い、この場所に。


「いや、そういうことではなくて、」


 わたしの気迫に気圧されたのか、陛下は口ごもる。


「でしたら」


 頬に冷たいものが触れた。自覚はしていなかったけれど、もしかしたらわたしはまた泣いているのかもしれなかった。


「でしたら、許されるのであれば、わたしは最後まで役目を果たします」


 陛下の喉がぐっと鳴るのが聞こえた。陛下はわたしから視線を逸らして、それからしばらくはお互いに何も言わずにいた。

 ただただ頬の冷たさを感じながら、わたしはそこに立ち尽くした。どうして泣いているのかは、自分でも分からなかった。



 少ししてから、陛下は観念したように口を開いた。わたしには聞かせたくなかった、そんな雰囲気を纏う低い声だった。


「……君が近くにいると、私がおかしくなった時、君をどうにかしたくなってしまうと言っている」


 気持ちはできる限り乗せないようにとしたような、一言ひとことが響くような言い方だった。


「危ないから、逃げて欲しいんだ、……僕から」


 陛下は苦しそうだった。その懇願は、わたしをひたすらに悲しいような気持ちにさせた。


 けれど。


「承服いたしかねます」


 わたしはそれを、拒否した。

 だからこそ。陛下のそういう面を知ったからこそ、わたしはそれを受け止めたいと思うのに。それが、陛下には伝わらない。


 陛下はわたしの目の前でズルズルと崩れて頭を抱えた。どこまでも平行線だと、おそらく互いに途方に暮れていた。



 涙を拭いて、ひっと鳴る喉をしばしの時間をやり過ごして落ちつける。それから、今度はわたしが切り出そうと思った。


「……わたしを何故そこまで求めてくださるのか、正直に言うと分かりません。けれど、こうして秘密を共有された以上、わたしは陛下のお傍にいるしかないと思います」


 陛下は崩れた体勢のままで更に目を覆ってから、またピクリとも動かなくなった。どうしたら、わたしのこの気持ちは伝えられるのだろうと言葉を探す。


「気持ちに鍵をかけても、いつか鍵や箱は壊れます。そんな気持ちがない方が良いと思うのは分かります、なくなってしまえばいいと。……ただ、閉じ込めてもまたいつか、陛下は苦しむことになるのではないですか」


 陛下の利己的で破壊的な気持ちは、どこかに捨てられるものではないと思った。

 人間の中に渦巻く、暗くて黒い直視できないような気持ち。それは拒否しても拒否しても、間違いなくそこに存在してしまう。


「わたしにだって認めたくないような、人からは認められないような気持ちがあります。……正直に告白するなら、元旦那様のことを、何度頭の中で殺したかわかりません」


 怒り、恨み、憤り。

 わたしの中にも、陛下と同じものがある。

 では、陛下が自身の中にあって愕然としたそれを、わたしが今まで受け入れて生きて来られたのはどうしてなのか。


「そんな後昏(うしろぐら)いわたしは、陛下に求めていただける人間かは分かりません。けれど、それを抱えたわたしでも周りからは受け入れられて、今、ここにこうして居ます」


 それはわたしの()()()()()()()()()()()()()()()()と思える人がいるからだ。

 それはわたしの場合は父上や母上ではなかったけれど。

 死んだ兄や、妹やニカや、実家の使用人たちはわたしを大切にしてきてくれた。

 それがどれほどの支えとなっているか。


 陛下が、その陛下のもつ(くら)さを仕舞いこもうとするなら、わたしはそれを受け止めたいと思った。

 

 自身で認められない感情でも、それはあなたの中にあって、そこに()()()()()()()()認めてあげられないことは苦しい。

 そこにあっても良いと思うのだ。それを認めた上で、一緒にどうするか考えたいのに。


 涙が止まらなかった。どうしてこんな気持ちになるのかも、分からなかった。けれど、陛下に諦めて欲しくないと思った。

 わたしの中に湧き出すこんな気持ちを、わたし自身も今までは知らなかった。



 沈黙が続いた。陛下に伝わってほしいと、半ば途方に暮れながら思った。



「……甘やかすようなことを、言わないでくれ」


 沈黙の中に落とされた陛下の声は震えていた。顔は覆われたままで、表情は窺えなかった。


「どうして、君はそうなんだ……」


 力ない声に、わたしは思わず陛下の頭を抱きしめた。陛下も、泣いているような気がした。

 そしてそれをわたしは見てはいけないと思った。陛下は見られたくないと思っていることを分かっていたから。


 けれど、その涙もわたしは認めたかった。受け止めたかった。


 わたしは膝をついて、陛下の顔を覗き込む。


「陛下」


 呼べば、拒否の手がわたしへと伸びてくる。


「見ないでくれ」


 わたしはその手を力を込めて握った。それからまた、陛下の顔を覗き込む。今度は、陛下は抵抗しなかった。

 陛下はやはり泣いていた。声も上げず、静かに。きっとずっと、こうしてひとりでやり過ごしてきたのだ。



「見せてください」



 わたしはもう片方の手で陛下の目元に触れた。涙は、温かかった。陛下はそれ以上わたしを拒否せず、されるがままわたしに触れられていた。

 そっと陛下の頭を撫でると、少しして陛下の腕が恐る恐るわたしの背中にまわった。それに応じてわたしが陛下の頭を抱きしめると、今度はその腕は強い力でわたしの身体を抱きしめた。

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