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1 無知と従順

 クロード・ルノー・ヴァルバレー。


 王国ヴァルバレーの、国王陛下その人の名前である。昨夜、わたしを寝台へ引っ張りこみ、そのまま眠った張本人でもある。


 朝、広い寝台でわたしが目を覚ますと陛下はもうその部屋にはいなかった。時計を確認すると、まだかなり朝早い時間だった。けれどこのままここでもう一眠りというわけにはいかないと、眠たい頭をぶんと振る。


 昨夜は当たり前だけれど、しばらく寝付けなかった。

 寝台に引っ張りこまれた後、わたしは仰向けになりながらどこからかかってくるのかという気持ちで身構えていた。すると、ベッドサイドで上掛けを脱いでいた陛下は「ふふ」と笑った。なんだろうと見上げるとなんとなくその顔に見覚えがあった気がして、なんだったかと頭が働く。陛下はそんな私を見て少し眉を下げた。


「ごめん、何もしないから。一緒に寝てくれないかな」


 この状況で何を言うのかと、陛下の言葉の意味はよく分からなかった。それから陛下はヒールとわたしの仕事着であるタイトなドレスをそっと脱がせて、わたしを中に着ていたワンピースタイプのペチコート姿にする。それも脱がされるのだろうとさらに身構えたけれど、陛下はそのキャミソールの肩ひもには触れなかった。


 代わりに素早くわたしを横向きに転がし、わたしの背中と陛下のお腹をくっつけて、自分の腕の中に閉じ込めた。腕枕をされる格好で、反対の手はわたしのお腹に添えられる。


 全く力みがなく、元旦那様にもこんな大切に扱われたことはないと思うくらい丁寧な動作だった。元旦那様は女遊びもわりと激しく、女は自分の思う通りに動くものと思っている人だったので尚更ギャップを感じた。


 陛下は本当に、それ以上はわたしに求めなかった。しばらくしてやっと「何もしない」の意味をわたしは理解する。陛下の表情がうかがえない体勢で、わたしは背中に神経を張り巡らせ、陛下の呼吸を感じる。陛下がいつ頃きちんと寝付いたのかは分からなかったけれど、わたしの記憶がある内はお互いにその体勢のまま身動きもとらず静かにしていた。


 国王陛下をこんなに近くにして眠れるわけがないと思っていたのに、朝起きてからどうやらわたしは眠ってしまったらしいと気づく。初めての登城は確かに疲れたけれど……と、自分の図太さに思わず天を仰いだ。



*****



 部屋を出ないと帰れないもののここは陛下の私的な空間で、勝手に動き回って良いものかと思いながらそろりと陛下の寝室を出る。すると扉の横で控えていた侍女がすぐにわたしに声をかけてきた。


「シエナ・トラッドソン様ですね。ご準備がととのっておりますので、こちらへどうぞ」


 50代くらいだろうか、安心感と愛嬌のある侍女だった。もしかして、ずっとわたしが出てくるのを待っていたのだろうか。寝室を出てすぐのところに一脚椅子がおいてあり、彼女はそこに座っていたようだった。


「あの、……準備というのは?」


 疑問を口にすると「はい、陛下から申し付かっております」と笑顔で侍女は答える。


「わたしは自分の部屋に帰りたいのだけれど……」


 侍女は「あら」と驚いた顔をしてから、「お疲れでしょうけれど、湯浴みされてから行かれたほうがよろしいかと。それに、わたくしは陛下にシエナ様のことをご報告する義務がございまして」と続ける。

 上へ報告せねばならない、――つまり言いつけ通りにしないと怒られてしまうと言われると、それに従わないわけにもいかない。

 「わかりました」とわたしが頷くと、侍女はにこりとしてわたしを案内してくれた。



 連れていかれたのは陛下の寝室からそう離れていない場所にある、窓から日差しが差し込む感じの良い部屋だった。客間なのかベッドやチェスト等の一通りの家具があって、続き扉を開くと広い浴室につながっていた。


 わたしはそこでシャワーを浴びた。侍女ははじめ手伝ってくれる気でいたようだったけれど、それは丁重にお断りした。嫁いだ家では侍女達に甲斐甲斐しく世話を焼かれる機会もなくなり、身の回りの事は自分でやるのが普通になっていた。出戻ってからの実家でも誰かに身の回りの事をされると逆に落ち着かなくなっていたため、今も大体のことは自分でしている。侍女は少し残念そうな顔はしたものの、そこに関しては引き下がってくれたようだった。


 そして、もしかしたらここは陛下と過ごした女性向けの部屋なのではないかと浴室内で思い至った。部屋の内装も派手すぎないがかわいらしい印象だった。シャンプーなどのアメニティグッズもきちんと女性向けのもので揃えられている。



 国王陛下は独身だったはずだ。

 貴族は10代で結婚することも少なくない中で、陛下も早く結婚をして世継ぎをと望まれているのになぜか結婚しない、というのはことあるごとに話題になるくらい有名な話だ。噂によれば幼いころからの婚約者はいたらしいけれど、それは成立しなかったと言う。そしてその後新たな婚約者を立てることなく、今日まで独り身を貫いているらしい。


 それを考えれば、こうして時々女性を連れ込んでいるのもおかしいことではないだろう。ただ、昨日は添い寝で終わったけれど。それもただ単に陛下がわたしのことをお気に召さなかったのかもしれない。陛下が女遊びをするという噂は聞いたことがなかったけれど、外に漏れないようにしているだけかもしれないし。


 陛下が女性を選べる立場にあることを考えれば、お気に召さない相手と一夜を過ごすより、添い寝だけして時間をやり過ごすこともあるだろう。


 わたしはそう結論づけて、シャワーの栓をしめる。


 金のある男性はそんなものなのだろう、と思った。こんな時思い出すのは、元旦那様とのことだ。

 夫を立てて1歩下がってついていく『良い妻』を、わたしは16歳から9年もの間続けた。



 わたしの結婚は、政略結婚だった。


 トラッドソン家は南の国境を守る家である。

 辺境伯として力を持ち、地位にも金にも困っていなかったトラッドソン家としては、長女のわたしには中央の貴族との結婚をさせるつもりだったらしい。

 しかし、わたしが16歳だった当時、トラッドソン領内で力を拡大してきていた成金商人のべリス家がトラッドソン家の立場を危うくしていた。


 べリス家は、それより何年か前に隣国から商人として移り住んできた家だった。

 文化の違いなのか、過激派で怖いもの知らずのべリス家には実行力があり商売で得た金もあった。しかし唯一、この国での権力はなかった。大抵の人々は力が欲しければトラッドソン家と友好的な関係を作ろうとするけれど、べリス家は違った。


 政治に全く関与していなかったわたしが気づいた時には既に、べリス家とトラッドソン家の間には切迫した緊張状態ができていた。権力欲しさにトラッドソンへの反逆すら有り得るというような。

 べリス家としては、当主を討って乗っ取ればトラッドソン領を全て我が物にできると考えていたようだった。


 父上はそれを危惧し、トラッドソンを乗っ取れば国を上げての戦いにもなりかねないと説得を重ねた。落とし所として、トラッドソン家の地位をべリス家に分け与えるという結論に至ったようだった。結果として、父上はべリス家の抑止には成功している。


 その抑止のための駒として、わたしは政略結婚をしたのだ。



 ただ唯一想定外のことがあったとすれば、それは元旦那様とわたしの間に子が設けられなかったことだった。そして9年後。遂に、わたしはそのことを理由に離縁を申し渡されたのだった。


 この国では一夫多妻が認められていない。元旦那様には愛人が何人かいたけれど、愛人に子どもを産ませても制度上では正式な跡取りにはならない。べリス家としてはもちろん跡取りが必要である。よく考えればこの離縁は当然の結果であるのかもしれなかった。

 わたしとしても、べリス家にも旦那様にも強い思い入れはなかったために離縁自体はすんなりと受け止めていた。


 政略結婚をさせられたことに恨みなどは全くないし、父上は正しい判断をしたと思っている。けれど正直に言えば、ある意味人質のようなあの頃の暮らしより、雑務だとしても実家で仕事をしている方が居心地は良かった。



 軽く身なりを整えてから続き扉を開けて部屋へと戻ると、侍女は目を輝かせてわたしの準備を請け負ってくれようとする。少しだけお願いしたけれど、やはり慣れない人に世話を焼かれるのはやや居心地が悪かった。

 しかし、「もう大丈夫です」というわたしの申し出は「いけませんよ、わたくしが怒られてしまいます」とにっこり退けられた。


 これは言っても無駄そうだなと踏んで侍女の気が済むまでそれに付き合えば、やっと退室の許可が下りた。侍女にお礼を伝えると、侍女はいつからか外に控えていた侍従を呼び、その侍従が王城の出入口まで案内してくれて、わたしは無事に帰路につくことができた。


 今日は王城の中の案内をしてもらいつつ挨拶周りをする予定になっている。

 今から帰ると登城の時間はぎりぎりになるけれど、昨日と同じ服ではまずいだろう。一度家に帰って着替えようとわたしは王城を後にした。

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