18 壊れた鍵と失望
陛下side
隣国との小競り合いは父上の意向もあってよく起きていたけれど、西との戦争はそんな規模のものではなかった。小競り合いに小競り合いを重ねて、西の国はヴァルバレーへの恨みを募らせてきていた。その不満が爆発してあちらから仕掛けられた大きな戦いだった。
私は前線へと出た。全体指揮は父上が執ったが、私は王子としての立場から一個師団の団長を命じられて、率いる者として戦場へと向かった。それまでの小競り合いでもそういう立ち位置を命じられることはあって、決して初めての戦いなどではなかった。
しかし、西との戦争は想像を絶したものだった。
思い出すと、今でも発作が起きるくらいに。
たくさんの人が死んだ。
たくさんの血が流れて、たくさんの叫び声を聞いた。敵も味方も、双方が受けた損害は酷いものだった。
そこにはべっとりとした恨みや痛みが重たく張り付き、鉄臭くてよどんだ空気が停滞して、地獄とはこういう場所なのかもしれないと思った。けれど、それでも私は死ねないと思った。国の中で私を頼りにしている者達がいる。国を守らなければならない。戦っている間は必死だった。必死に味方を守り、自分が殺される前に敵を殺した。
敵よりも私が強かった。だから相手は死んだのだ。
西の国よりも、ヴァルバレーが強かった。だから、沢山の弱い者達が死んだとしても、ヴァルバレーは戦いに勝ったのだ。
戦争が終わって淀みきった戦場で、私はそう思っていた。
しかし中央へと帰ってから、私は己のした事と考えていたことに愕然とした。
あれほどまでに嫌っていた父上の考え方が、私の中にも存在していたことに気づいてしまったから。
あの場で、私は死ねない、と強く思ってしまった。
だから私も弱き者を殺したのだ。
私の中にも父上と同じように、酷く利己的で暴力的な気持ちがあったのだということに直面せざるを得なかった。
私は私に、酷く失望した。
発作が出るようになったのは、それからだった。
戦いについての話を聞くと、あの戦場が思い出された。血の匂い、叫び声、人間としての尊厳を失ったまま転がる人間とは思えぬ身体。
それが思い出されるとひどく息が苦しくなった。冷や汗が出て、心拍数が上がり、まともではいられなかった。頻繁にそんな姿を見せるようになった私に、「お前は弱い」と父上は言った。
その言葉は、私を破壊的な気持ちにさせた。私は本気で父上を殺してしまいたいと、言葉に尽くせないような激しい気持ちに囚われた。
けれど、その酷く暴力的で破壊的な気持ちが自分の中にあることさえも、私は受け入れることが出来なかった。
こんなにも父上を嫌っているのに、結局私の中にも利己的で暴力的なものが潜んでいる。
戦争を思い出して苦しい発作が起きると、そこには自分では受け入れられないような考え方の暴力的な自分も一緒に現れるようになっていた。
地獄を思い出すと息が出来ず、怖くてたまらなかった。そして同時に、父上を殺してしまいたい、私を苦しめることになったすべてを壊してしまいたいという酷く破壊的な気持ちにもなった。このふたつが私の発作だった。
私はそのどちらも外には出さぬように封じ込めなくてはいけなかった。
当然、私は周りのことを見る余裕を失くしていった。
そこから一年程、私は強くそれらの発作に悩まされた。その状態で人と関われば自分の弱い姿を晒すだけでは済まず、人を傷つけて全てを破壊してしまいたい衝動に駆られた。それは私の本意ではなかったし、そんな自分がとてつもなく怖かった。
制御出来ないほどの苛烈な感情を持つ自分が。
時間が過ぎていくと少しずつ発作の頻度は減っていったものの、発作が出ると私は1人で部屋に籠るようになっていた。
もう誰も、傷つけたくなかった。
そんな折、父上はおそらく私を諦めたのだと思う。
父上にとって最も重要な位置づけであった戦いに関する仕事を外された私は、「次期国王としての後学のため」という理由をつけて各地を回るように命じられた。
今思えばそれは私にとって有意義なことではあって、その期間で様々な視点を得て、様々な思いを抱える人々がいるのだということに触れる機会となった。
そして発作を抑えるという面でも、その命令は功を奏した。父上や戦いから離れることができたためか、発作が起きる回数は急激に減り、発作が起きた時にそれを制御する術も少しは身につけた。
戦争から二年かけて、私は徐々に落ち着きを取り戻すことができたのだった。
そして私が落ち着いてきた頃、思わぬことが起きた。
私が地方を回っている時に父上の訃報が届けられたのだ。病死ということだった。父上に持病はなく、本当に当然の死だった。
想定外の出来事に国が揺れることが想像できた。軍事力が高い国だと周辺国からは認識されていたためすぐに攻め入られる危険性は低いだろうと思えたけれど、政治的な空白を作るのは危険だった。
父上の死に何か特別な感情を抱く暇もなく、私はすぐに中央に戻って戴冠することになった。私が、24歳の時の事だった。
私は私の理想を求め、軍事的な強さだけを軸としない国を作ってきたつもりだ。
父上の死後、発作は本当に稀にしか出なくなっていた。自分の中にある利己的で暴力的な気持ちには鍵をかけて、それが出てこないようにと閉じ込めることにも成功していた。
その結果として、私は柔和で優しげな顔をした、しかし強かな国王としてある程度認められるようになっていた。
だが。
今回のタタレドとの一件は、長らく落ち着いていた私の足元を急に揺さぶり始めた。
即位してからの十二年間、戦いが起きないようにと注意深く気を配ってきた私にとって、それはあれ以来初めて自分のすぐそばに戦いが迫る恐怖を感じることだった。
初めは耐えていた。大丈夫だろう、もう自分の中の暴力的で破壊的なものには全て鍵をかけた。中からは出てこないだろうと。願望のような、自分に言い聞かせるような、そんな内言を繰り返した。
しかし緊張状態がしばらく続くと、いとも容易くその鍵は壊されてしまった。
戦いについて考えると、私はまた息苦しさと破壊の衝動に操られるようになったのだ。
僕は、壊れている。
こんな自分は嫌だと思うのに、それを自分ではもう制御できなくなっていた。
そんな時、君を中央へと――僕の近くへと呼び寄せることに成功した。これも多分、利己的で暴力的な僕が君を欲してしたことだと思う。
だから君に、なんと謝れば良いのか分からないんだ。
けれどもう笑えてくるほどに。
鍵の壊れた箱の中から出てきた感情に支配されてしまった壊れている僕は、どうしても君を望んでしまうんだ。