15 詮索と眠気
開戦か、交渉か。
王城内では戦争に関する論争が起きていた。
戦争すべきという開戦派と、戦わずに穏便にケリをつけるべきという慎重派の二つの派閥ができているのだ。
これは、第5回の戦略会議の場で激しく展開された議論から王城内に広がったものだった。
第5回の会議でも、軍部を中心とする人々は戦うべきという主張を続けていた。間諜からの情報もあって、タタレドが最初の想定よりも強いだろうということは皆が把握していたけれど、財務部が火器を用意するための予算を捻出したこともあって、軍部は中央侵略まではあり得ないと踏んでいた。
そもそもが好戦的なタタレドに話しが通じるわけがない、ここで折れたらこの先ずっとタタレドは同じことを繰り返し続けるだろうという主張だった。
一方で外務部からはタタレドとの間で条約を結ぶ案が出ていて、法務部もそれを後押ししていた。戦争回避のために友好条約、不戦条約、休戦協定のようなものをタタレドに提案し、それを飲ませるというものだ。
侵略を目的としているのであれば、タタレドにはそこまでの旨味はないかもしれないけれど、他国の目もある以上、表立ってこれを無下にできるとも思えなかった。タタレドへの経済的な支援等も盛り込むことで飲ませやすくして、人的・物的な被害を抑えるべきだという主張であった。
べリス家やタタレドの好戦的な態度を見ると、軍部の主張も理解できなくはなかった。しかし、戦いとなればトラッドソン領は戦地になることは免れない。トラッドソン家のわたしとしては可能であるならば話し合いでの条約締結を求めたい立場だった。そしてこれはトラッドソン家伝令役としても同じ立場をとっても問題がなさそうだった。
結局会議の場での意向としては「まずは穏便な手を、それでも収まらなければ最終的には戦いを」という方向となり、すぐに外務部と法務部が動くことになっていた。ただ、前回の外交官襲撃事件のこともあり、話し合いに向かうこと自体にもかなり緊張感が高まっていた。
わたしから陛下を訪ねた日から、陛下はちょくちょくわたしを呼ぶようになっていた。確かに会議では毎度戦いの話になるし、会議以外の場でも陛下は軍部とのやりとりを頻繁にしているはずである。発作の反応が出る頻度が高かったのだろうというのは推測できた。
夜に寝室に呼ばれることもあれば、会議が終わった直後にウームウェル補佐官に個室に呼ばれるとそこに陛下がいたということもあった。
荒い呼吸に早い脈の陛下は毎度、「すまない」と謝りながらわたしを抱きしめた。わたしも陛下の背中に手を添えたりしながら、そのまましばらく陛下が呼吸する以外はお互いピクリとも動かずにいると、陛下がわたしから身体を離して「もう行って良い」というようなことを言ってお開きになるという流れだった。時間としてはほんの10分15分程度のことだ。
もう全く手荒なことはされなかったし、身が竦むような雰囲気も感じられなかった。
抱きしめることに何の意味があるのかということや、どうしてわたしを呼び寄せるのかということは分からなかったけれど、陛下がそれで落ち着くならという思いはあって、わたしはそれに従っていた。
トラッドソン家のわたしとしてでも、女としてのわたしとしてでもなく、わたし自身がそれに応じたいと思い始めているのを、自分で感じていた。
その自分の気持ちに対して戸惑いもあったけれど、今のところ何かに支障があるわけではなかったため、その気持ちもある程度受け入れていた。
そして、第6回会議が終わった今日の夜も、陛下からの呼び出しを受けていた。
今日の会議では条約に関する話が主題だった。タタレドにとって旨味のある譲歩をした上で友好条約を締結することをまずは目指して、外交官の派遣が決まった。会談を設定するための手紙がタタレドへと送られていて、タタレド側もそれを了承したのだ。会談の開催場所は幻の会談となった前回と同じく、トラッドソン領内に決まった。
今日の会議中には軍部からの話が出ることはなかったため、今日はなぜ呼ばれたのだろうという思いもあったけれど、陛下の事情をきちんと分かっていないため、必要か否かの線引きはわたしには出来ない。
そしてここ1週間ほどはわりと高い頻度で呼ばれていたこともあり、呼び出しに応じることにはさほど抵抗がなくなってきていた。
部屋にも何度か伺ったけれど、毎度ウームウェル補佐官が送ってくれていた。しかし今日は早々に帰宅しなければならないとのことで、わたしは初めて一人で陛下の寝室へと向かった。もう中での移動は慣れているだろうと認識されているのか、今日は案内役の侍従もつかなかった。特に問題なく部屋までたどり着き、わたしはひとつ呼吸をしてから扉をノックした。
しかし、ノックしてからしばらく返答を待ったけれど、中からは物音ひとつ聞こえなかった。
わたしの頭には二つの候補が上がった。一つは陛下が弱っていて声を出せないような状態かもしれないということ、そしてもう一つは中にいないのかもしれないということだ。わたしは、その場で逡巡した。
とりあえずもう一度と思って「トラッドソン伝令役です、ご在室ですか?」と声をかけるけれど、やはり結果は同じだった。
中にいるかどうかを入口で侍従に確認すれば良かったと、今更ながらに思った。陛下のお部屋にわたしが無断で入るわけにはいかない。
けれど陛下が中で苦しんでいるかもしれないということを考えると、わたしは落ち着かない気持ちになった。ウームウェル補佐官が陛下の知らないところでわたしを勝手に部屋に入れ、陛下はそれに関して何も言わなかったのだから大丈夫なのではないかという考えも浮かんで、わたしは少しだけ扉を開けることにした。
「陛下、扉を開けさせていただきます」
キイと音を立てて、少しだけ扉を開ける。ゆっくりと開かれた扉の中を見ると、そこは明かりのついていない暗い空間だった。そろりと扉を大きく開けて廊下の明かりを中に差し込ませると、少なくとも見える範囲には誰もいなかった。しばらく耳を済ませても、特に音も聞こえない。
わたしは無意識に安堵のため息をついていた。
良かった、お部屋にいらっしゃらないだけだった。
ただ、やはり陛下不在の部屋に足を踏み入れるわけにはいかない。辺りを見渡すと、以前侍女が控えていた際に座っていたと思われる椅子を廊下に見つけた。扉を静かに閉めてから、わたしはそこで陛下が戻られるまで待機することにした。
椅子に座り、わたしは今日の会議の内容を振り返る。
条約がうまく締結できれば、表面上しばらくの間はタタレドがヴァルバレーに攻め入ってくることはなくなるだろう。そうなれば一旦、今回の危機は乗り越えられるはずだ。
それがうまく行かなかった場合には、次の手を考えなければならない。その際にはどうするか。これが悩みどころであるというのは皆が理解しているところだった。
わたしにその戦略を練るのは無理だとはなから分かっていたけれど、何かないかとここ数日は考えていた。今のところわたしが持っている使えそうな情報と言えば、平民も含めたトラッドソン家の使用人たちから寄せられているものだろうと思案する。
トラッドソン領の平民女性とタタレドの若い男性の婚姻は、やはり増えているらしかった。それも三年程前からで、わたしが離縁する前からのことのようだ。
その者たちは、表面上はとても仲睦まじい家族のように見えるという。タタレドの男性といえば、元旦那様のように男性を立てる慎ましやかな女性を求めているのだろうと思っていたのだけれど、どうやらそうではないらしい。内情は分からないけれど、少なくとも表向きは妻であるトラッドソン領の女性も大切にしているようだった。
そして三年も経てば、各家庭では子どもも生まれて育っているという。平民の目線から見たところの印象だけの話ではあるけれど、タタレドの男性は子どものことをものすごく大切にするのだという。
べリス家に入った際のわたしの元旦那様の印象とはかけ離れたその話に初めは驚いたけれど、いくつもいくつもそういう話があった。おそらく、元旦那様はわたしのことを最初から身内として受け入れるつもりがなかったのだろうと、今は結論づけている。
ただ、そのタタレドの男性たちが開戦となったときにどういう動きをするのかといえばおそらく、陛下からこの話を聞かされた時に予想したように内部からのトラッドソン領の侵略になるだろう。
それをどうにか出来ないものかとわたしは考えていた。ただ、いかんせん情報が足りていない。
一方、幸運な情報もあった。ニカが正式にわたし付きとなって、その抜けた穴を補填するために雇われた新たなトラッドソン家の使用人が、タタレドの男性を夫に持つ若い女性であるというのだ。
わたしは、その人からの情報が欲しかった。ただ、会ったこともない使用人から文書でうまく話を聞けるとは思えない。そのため二日ほど前から一度ニカをトラッドソン領へと戻して、その情報を探るようにお願いしていた。
お願いするとニカは「シエナ様おひとりで生活できますか」とぎろりとわたしを見たものの、その役割を受けること自体は快諾してくれた。もともとタタレドの間諜をと言われて肝の据わった返事をする娘である。ニカがこちらに来てくれていてよかったと心から感謝した。
今のところはそのニカの情報待ちだった。きちんとした内情が分かれば次の手にもつながるかもしれない。
わたしは一度考えるのを止めて、ふうとため息をつく。
ここ最近は取りこぼしのないようにと気を張り、ずっと頭を使っていた。その緊張がずっと続いているのか、夜が更けても目が冴えていることが多くあまり眠れていない日が続いていた。
陛下は、まだお戻りにならない。ちょっと疲れを感じて、わたしは少しの間だけ目を閉じた。




