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11 囚われと心音

「どうされたのですか」


 わたしに覆いかぶさったままの陛下に、もう一度尋ねる。そうすると陛下の目がわたしの目をとらえて、やっとはっきりと目が合ったのが分かった。けれど、陛下は答えない。


「陛下」


 わたしがさらに声をかけると、陛下は一度ゆっくりと目を閉じた。その口から細く長く息が漏れる。

 するとその直後、わたしの身体にはずしりと重みと温かさが与えられた。いきなりのことで何かと思えば、わたしの頬には陛下の柔らかめの髪の毛が触れていて、陛下は身体を預けるようにわたしの上に倒れこんでいた。何かをされるという危機感は全く浮かばず、ただ陛下が身体の力を抜いたらこうなったという雰囲気だった。


 「ああ……」と、わたしの耳元の枕に埋まった陛下の口からうめくような言葉が漏れる。言葉というよりも、音に近いものだった。


 陛下はそのまま何度か呼吸をしたようだった。息を吸う音と、吐く音が聞こえる。重なった身体からも陛下の胸が上下するのを感じて、同時にわたしのではない鼓動も伝わってくる。一定のリズムを刻むそれはドクドクと音を立てていた。わたしのよりもずっと、陛下の脈は速かった。

 自分に心臓がもう一つ増えたような、不思議な心地がした。


 数分そうしていたけれど、それから、陛下はゆっくりと慎重にという雰囲気でわたしの上から身体をどかした。そして寝台をまたギシとひずませながら、今度はわたしに背を向けて寝台の淵に座った。


「……ごめん、帰ってくれないかい」


 陛下からは、先ほどまでの威圧感は感じられなかった。その声は平坦で、何の感情も浮かんでいないような、あの会議の時のような声だった。わたしは身体を起こして、陛下の背中を見つめる。


「……お身体の加減がよろしくないのではありませんか」


 わたしがそう言うと、「いや」と陛下の背中から否定の声が聞こえた。けれど、多少落ち着いたようには見えてもこれでもう大丈夫という風には見えない。そのまま帰れと言われても、それを了承できる雰囲気ではなかった。危ういという言葉が当てはまるかもしれない。


 そう思ってから、ふとウームウェル補佐官が言っていた意味が分かったような気がした。この状態のこの方を、このままにしておいてはいけないということだったのだろうか。そういうことであれば、陛下は今までにもおそらく何度か、こういう状態になったことがあるということだろう。


「陛下、必要であれば」


 お水などお持ちしましょうかとわたしが言いかけると、陛下はそれを強く遮った。


「君にもう用はないと言っている、出て行ってくれ」


 先ほどよりも固い、また怒りのようなものが顔を出した声だった。



 どうしたら良いのか分からなかった。けれど、わたしの中の恐怖心はもう大きくはなかった。

 逆に、そんなに怒りのようなものをぶつけられ続けたらこちらだって腹が立ってくる。確かに今日は陛下のご意向でこちらに呼ばれたわけではないようだけれど、手荒にこの寝台まで連れてきたのは陛下ではないか。


 妙に腹が立ってきたわたしは、ならばやってやろうという気持ちになった。

 本心からではないにせよ、陛下がその口で望んだものは唯一、()()()だ。


 わたしは言い直した。



「必要であるならば、どうぞ」



 わたしは、自分の服を脱ぐ。

 こんな放っておけないような気持ちにさせておいて帰れというならば、その陛下の中にある何かを収めてもらう必要がある。陛下がどうしたいのかは知らないけれど、口先だけでも陛下が求めるというのなら、やってやる。

 わたしの中では本当にどうにかしたい気持ちと、半ば当てつけのような気持ちがないまぜになっていた。


 知らぬ間に汗ばんだ手でドレスについた背中のファスナーをジジジと下げる。袖から両腕を抜いて上半身を脱ぎ、タイトなスカートの裾を持って足からそれを取り去った。シュルシュルという衣擦れの音が耳に残る。

 そして一度ぎゅっと手を握ってから、ペチコートの肩ひもも腕から抜く。


 衣擦れの音が聞こえたからなのか、そこで陛下は怪訝な顔でゆっくりとこちらを振り返った。そしてすぐに驚いたような表情になる。それは先ほどこの部屋に入ってきたときに、中にわたしが居るのを見て一瞬浮かんだのと同じ表情だった。そこにもう、怒りは見えない。



「何を、」



 陛下はわたしに近づかない。代わりに今まで聞いたことのない驚いたような慌てたようなそんな声でわたしに問いかける。毒気を抜かれたとはこういう状態なのかもしれない。


「命令でなくても、必要であれば差し上げようかと思いまして。おこがましいですが」


 わたしからは当てつけのような言葉がこぼれる。それから、自分の身体に視線を落とした。身体に自信があるわけでもないし、よくよく考えると下着姿を男性にさらすのは恥ずかしいような気持ちもあった。けれどやはり、強気な気持ちは消えなかった。


 そして、陛下の動揺は思ったよりも大きかったらしい。陛下はわたしの言葉を聞くと今度はぐっと勢いをつけてまたわたしに背を向けた。先日ここで添い寝した際に陛下はわたしのこの下着姿を見ているし、なんなら陛下に脱がされたのだからこの姿自体に動揺しているわけではないのだろうけれど。


 すると突然、ばさりと音を立ててわたしの方にブランケットが放られた。陛下の近くに畳んであったものを、陛下が放ったらしかった。



「身体は、冷やさないでくれ」


 この雰囲気にそぐわないその言葉に、わたしは少し目を瞬かせた。背中しか見えない陛下が何を思っているかは分からなかったけれど、どうやら感情の支配からは少し解き放たれたらしいことが窺えた。


 とりあえず陛下がそうおっしゃるのならと、わたしはブランケットを肩から羽織った。しばし陛下は何も言わず、その場から動かなかった。わたしはブランケットの中で膝を抱えて待った。

 わたしの勢いも、陛下の素っ頓狂な言葉に毒気を抜かれてもう下火になっている。



「……変わらないものだね」


 沈黙を破ってそう呟くと、陛下はそろりと振り返ってわたしを見た。けれどそれは独り言のように響いて、わたしに何かを求めた声ではないように感じた。わたしが言葉を返さずに陛下の顔を見ると、陛下は苦笑いしていた。



「……そっちへ行っても良いかい」


 陛下はゆるやかな声でわたしに尋ねて、わたしはそれに頷いた。その声は、ただわたしを抱きしめて眠った時の陛下の声だった。いや、それよりも柔らかいような気もする。

 陛下はゆるゆると寝台の上を渡り、わたしの近くへとやってくる。気まずさと心許(こころもと)なさと、疲れを感じさせる顔で陛下は眉を下げた。



「抱きしめて良いかい?変なことはしないから」



 尋ねる陛下に、わたしはまた小さく頷いた。子どものように謝ったあの時とも少し重なって、拒否する気にはなれなかった。わたしは陛下に少し近づいてから少しだけ手を広げると、陛下は少し窺ってからわたしを抱き寄せた。


 その腕はわたしを大切そうに、でも遠慮がちに抱きしめる。陛下の鼓動は先ほどよりもゆるやかになっていた。それを直接的に身体で感じて、わたしも少し安心する。

 陛下に何が起きていたのかは分からなかったけれど、どうやら少しは落ち着いたようだった。


 わたしの首筋に顔をすり寄せた陛下は、そこで息を深く吸って吐いてを繰り返す。先ほど枕を相手にやっていたようなことだなとふと思い出す。


「……すまない」


 首筋にかかった息がくすぐったかった。ぴくりとわたしの肩が揺れたけれど、陛下はそのまま話を続けた。


「制御できなくなる時があるんだ。いつもは、ひとりでやり過ごすんだけど」


 わたしは相槌も打たずにただ聞いていた。たぶん、陛下はとてもではないけれど知られたくないことをわたしに言おうとしているのだと感じられたから。


「……シエナ、君にはいつかきちんと話したい。だけど、……言葉にするには少し時間がかかりそうだ」


 それにも反応せずにいると、少ししてから「良いかな」と小さな声で付け加えられた。ただ、それはわたしが聞いて良いものではない気がして、わたしは首を傾げた。


 何も言わないわたしに、陛下は身体を少し離してからわたしの顔を覗き込む。視線が合って、陛下は「望みすぎかな」と呟いてから、苦笑いしながら眉を下げた。


「……またその時が来たら、お願いしてみることにするよ」


 そう言ってまた、陛下はわたしを抱きしめ直した。陛下の心音はもう、わたしよりもゆったりとしたリズムを刻んでいた。

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