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評論文
評論文の問題が解けない。ちゃんと読めば分かるはずなのに、分からない。もっと簡単な言葉で評論文を書いてほしいと思ったことはないだろうか。私はある。
なぜ評論文が比較的難しい言葉で書かれているのだろうか。それは、評論文の意義に関連する。
そもそも評論文は、筆者が自分の意見を主張するための文章だ。そのために、筆者は言葉と論理を使う。この言葉というのが厄介なものだ。
言葉は、完全なものではない。筆者の思考と、それを伝えるための言葉には、微小な誤差が確実に存在する。その誤差をなくそうとすると、普段使わないような難解な単語を組み込まざるを得なくなるのだ。主張を大雑把に理解してほしいのであれば、簡単な言葉に置き換えて伝えることは不可能ではないが、その分だけ主張の本質との誤差は大きくなる。それがあまりにも大きいと、本来の主張とは別のことを主張しているともとられかねない。
正確な主張のために、難解な言葉の評論文がある。