「Memory」<エンドリア物語外伝100>
「3食、昼寝、おやつ付きだ」
いつもは午前中に桃海亭にやってくるアレン皇太子が、珍しく夕刻にやってきた。
「ウィルとムーは、明日から南の離宮で1週間暮らしてもらう。食事は我々が用意する」
「オレ、何かしましたか?」
「質問は受け付けない。明日の朝、迎えに来る」
「南の離宮はイヤです。東の離宮にしてください」
どちらも【離宮】という名前だが、南は森にある掘っ建て小屋、東は王宮の敷地内にある温泉つきの立派な建物だ。
「シュデル、桃海亭にウィルが一週間いないことになるが問題ないか?」
「はい、大丈夫です」
動じることなく、断言した。
「明日の朝、迎えに来る」
アレン皇太子は念を押すと、踵を翻して出て行った。
「何かあったのか?」
「僕は何も聞いていません」
オレとシュデルは、首を傾げた。
「あの、これ………」
オレは『3食、昼寝、おやつ付き』という厚遇の理由を、南の離宮到着と同時に知った。
にこやかな笑顔のアレン皇太子が言った。
「こちらは、エンドリア王立兵士養成学校デイモン先生。ウィルとは既知の仲だな」
「既知と言えるか、どうか……」
トレードマークは真っ赤な唇、推定年齢70歳後半のデイモン先生は、魔女学が専門だ。格闘クラスのオレは、デイモン先生の授業を受けたことはない。オレが先生の半径1メートル以内に近づいたのは、卒業試験のくじ引きの時だけだ。
「なぜ、ここにデイモン先生がいらっしゃるのかわかるな?」
わかっていた。が、返事をしたくなかった。
掘っ建て小屋の壁には黒板が掛けられている。並べられた机と椅子。机には教科書が山積みだ。
デイモン先生が短い魔法の杖を取り出した。
「ウィル・バーカー。あなたには魔法の基礎を指導するために呼ばれました」
ムーが回れ右をした。
「ボクしゃん、魔法の勉強いらないしゅ」
逃げようとしたムーの襟首を、アレン皇太子がつかんだ。
「お前は、こっちだ」
部屋の後ろの方に引きずっていき、用意されていた椅子に座らせた。
「書き終わるまで、帰れないと思え」
ムーの机に置かれているのは、羽ペンとインク壺。インク吸い取るためのブロッター。
「何を書くしゅ?」
ムーが聞いた。
「これに決まっているだろう」
アレン皇太子が指したのは、床に積み重なった書類。50センチを越えている。
「これ、やるしゅ?」
ムーが、でかい目を潤ませた。
「違う」
アレン皇太子が、首を横に振った。
「違うしゅ?」
ムーの顔が明るくなった。
「これと、あれだ」
壁際に並んでいる山積みの書類の指した。丁寧に並んだ書類の山が延々と置かれており、書類の壁を作っている
ムーが机に突っ伏した。
大声で泣き出した。
「ひどいしゅ。幼児虐待しゅ」
「放置しておくのが悪いのだろう。魔法協会から、伝言を頼まれた。今週中に書き上がらなかったら、ムー・ペトリはコーディア魔力研究所行きだ」
「ひっく……ボクしゃん………行かないしゅ……ぐしゅ」
泣きながら、拒否した。
「コーディア魔力研究所から特別講義をやるという約束で禁書を23冊借りだしたそうだな。あれも返せと言っていた。延滞分が加算されて講義時間が320時間になったそうだ」
「………借りてない………しゅ……ひゃっく………」
「借りてないのか?」
「渡されて……3秒経ったら……ボクしゃんの…だしゅ…………」
「わかった。23冊、すぐに返すように。エンドリア国民の規範意識が疑われる」
ムーが突っ伏したまま、首をフルフルと振った。
「私はこれより王宮に帰らなければならない。後のことはスモールウッド殿にお願いすることになっている」
アレン皇太子が屈み込んだ。
そして、声を潜めた。
「なにやら、とてつもないものを魔法協会が見つけたそうだ。しっかりと仕事をすれば、教えてくれるそうだ」
ムーがガバッと顔を上げた。
「何が見つかったしゅ?」
「まもなく、スモールウッド殿が来る。聞いてみるがいい」
アレン皇太子が南の離宮を去って、5分ほどでスモールウッドさんが現れた。
「仕事ははかどっているかな?」
上機嫌だった。
「まだ、です」
「まだ、しゅ」
オレとムーの返事を聞いて、スモールウッドさんのテンションが一気に落ちた。それでも、笑顔でデイモン先生に聞いた。
「一週間という短い期限ですが、ウィルは魔法について、どれくらい知識を覚えることができそうですか?」
「それについて、お話があります」
デイモン先生はオレの机にある冊子をひとつ手に取り、スモールウッドさんに差し出した。
「ご存じだと思いますが、ウィル・バーカーの全教科の成績です」
スモールウッドさんは、手にとって広げた。内容を知っているはずなのに、顔がこわばっている。
「今回の特別授業の為に、ウィル・バーカーを教えた先生方に話を聞いて参りました。詳しい内容はあとで説明しますが、全員が同じことを言っていました」
デイモン先生の真っ赤な唇が笑みを浮かべた。
「『ウィル・バーカーは怠け者だ』」
スモールウッドさんが横目でオレを見た。
デイモン先生は笑顔で話を続けた。
「ウィルを非難している部分もありますが、賞賛も含まれていました。怠け者であるが故に、合理的で効率を重視する」
スモールウッドさんが眉をひそめた。
デイモン先生が言わんとしている意味がわかったらしい。
「先生方の結論は『魔力を持たないウィル・バーカーは、魔力についての勉強する行為に価値を見いださない。彼は勉強をしないだろう』ということでした」
「彼が勉強嫌いなのも、魔力の勉強に価値を見いださないのもわかっている。だが、今の彼には必要なのだ。魔法の知識を与え………」
「お待ちください」
スモールウッドさんの話をデイモン先生が遮った。
「私たちも現在のウィル・バーカーに魔法の知識が必要であることはわかっております。しかし、本人にやる気がないといのもわかっています」
「やる気があるないの問題ではなくなっているのです」
「スモールウッド室長。ウィルと頻繁に会っていられるようなので、質問させていただきます。今のウィル・バーカーは魔法の勉強すると思われますか?」
「自分ではしないと思い、こうしてデイモン先生に来ていただいているのです」
デイモン先生は、熱くなっているスモールウッドさんに片手をあげた。
「私はウィルを教えた先生達に、ウィル・バーカーという人間に魔法を教える方法があるかを聞きました」
スモールウッドさんが、少し落ち着いた。
デイモン先生は話を続けた。
「やる気があっても、教えるのは難しいと言われました。教える方法よりも、言語系の記憶する才能が皆無だと言われました」
デイモン先生が教科書の山に手を乗せた。
「魔法は基礎に、記憶しなければならないものが大量にあります。覚えなければ、先に進むことはできません」
デイモン先生は一呼吸あけた。
「先生方にウィルに記憶をさせるアイデアを募集しました。記憶が難しいということから、知識を補助脳に入れて使用させる方法がでましたが、補助脳は非常に高額な上、魔力を必要とします。ウィルに魔力はありません」
スモールウッドさんが持っているオレの成績表をデイモン先生が指した。
「アホの……失礼、記憶力に問題があるウィルが、落第しなかった理由を先生方に聞いてみました。短期で覚えるのが非常に得意だそうです」
「短期というのは、つまり」
「一夜漬けで乗り切ってきたのです」
スモールウッドさんが再び横目でオレを見た。
「テストの前日だけ勉強する。3日後には、ほとんど覚えていないそうです」
スモールウッドさんがオレの成績表を握りつぶした。
「デイモン先生は、ウィルに勉強させるのは無駄とおっしゃりたいのですね」
「無駄とは言えません。人は生きている限り、学ぶことは必要です。しかし、スモールウッド室長の希望される『魔法の基礎を覚えているウィル・バーカー』を作ることは難しいと思われます」
スモールウッドさんは数秒考えた。
「ウィル・バーカーに100の事項を学ばせて、3日後に覚えているのはいくつだと思いますか?」
「私はウィルを教えたことがありません。ウィルのということではなく、ウィルのようなタイプというのであれば、5ぐらいだと思います」
「1週間後には?」
「よくて3つ。悪ければ0です」
「わかりました」
握りつぶした成績表をデイモン先生に渡した。
「一週間、びっちりとしごいてください」
「無駄になる可能性が高いと思います」
「それでも、構いません。1000覚えれば、一年後でも1つくらいは覚えているかもしれません。その可能性にかけます」
オレは手を挙げた。
「反対です。どうせ、忘れるとわかっていて勉強するのは無駄です。それよりも、オレは一週間という長い時間を有意義に使いたいです」
スモールウッドさんとデイモン先生が、オレを見た。
地中から這い出たばかりのハダカデバネズミでも見るような目つきだった。
デイモン先生が握りつぶされた成績表を受け取った。
「わかりました。教師生活50年の私が、全力でウィル・バーカーに魔法の基礎知識をたたき込みます」
「よろしくお願いします」
デイモン先生が真っ赤な唇を開いて、命令した。
「ウィル・バーカー、席に座りなさい。ノートを開いて、ペンを握りなさい」
マンツーマンの授業は初めてだ。
眠れるかなと思いながら、ノートを開いた。
デイモン先生がすごい勢いで板書を始めた。
スモールウッドさんが、部屋の後ろの方に歩いていった。
「【ユージニアの書 第2巻】が見つかった」
今度はムーと話すようだ。
「ほょーーーーーーーしゅ!」
椅子から飛び降りる音がした。
「見せるしゅ!見せるしゅ!」
「ここにある書類を全部記入、禁書の返却、特別講義を実施。以上が終わってから、相談にのる」
「イヤしゅ!見せるしゅ!」
「先に言っておくが、保管場所は魔法協会本部ではない。本部を襲撃して奪うことはできない」
「どこにあるしゅ!」
「私は場所を知らない。脳内を読んでも無駄だ」
「チィしゅ」
舌打ちにムーのイライラした様子が伝わってくる。
「エンドリア支部のブレッドが、日に3回、お前たちの食事を持ってくる。書類が完成したら彼に言うように。その時は、私が直々にチェックしに来る」
キツい声でムーに言うとスモールウッドさんは部屋の後ろの扉から出て行った。
「ウィル・バーカー。手が止まっています」
オレはデイモン先生に怒鳴られた。
そこから一週間、デイモン先生にびっちりと魔法の基礎をたたき込まれた。詰め込むスピードが早すぎて、脳が沸騰しそうだった。それでも、オレは必死に覚えた。
勉強を続けた理由は、簡単だ。
3食昼寝おやつ付き。
栄養が考えられた豪華な弁当を、ブレッドが日に3回届けてくれた。昼寝は1時間だがちゃんと貰えた。おやつは、果物にクッキー。最終日は生クリームが乗ったケーキが付いた。そして、何より嬉しかったのは、夜ぐっすりと眠れたことだ。
ムーは初日、スモールウッドさんが帰った直後に逃走していた。
「おかりなさい、店長」
桃海亭の扉を開けると、シュデルが笑顔で迎えてくれた。
カウンターに見慣れない石版。
買い取ったところらしい。
オレは手に取った。
「〈トヒルの石版〉か」
書かれていた簡易魔法文字を読んだ。
「店長、魔法文字が読めるようになったのですね」
シュデルが、涙を浮かべた。
一週間で忘れることは、黙っておくことにした。
「〈トヒルの石版〉のことも知っているぞ。魔力で発動させる石版型の爆弾だ」
「正解です」
シュデルが手をパチパチと叩いた。
「店長がようやく魔法のことを覚えてくれて………」
シュデルが、目に浮かんだ涙を指でぬぐった。
「………なのに、一週間で忘れるなんて」
忘れることは、知っていたようだ。
「ムーは2階にいるのか?」
「いいえ」
「出かけているのか?」
「僕の予想ですが、ペトリの家ではないかと」
「ムーの家にいるのか?」
「店長が勉強に出かけられた日、スモールウッドさんが事情を説明に当店にいらっしゃいました。僕に詳しい事情を説明しているところに、ムーさんが戻られて、スモールウッドさんがいるのを見ると逃げ出されました。すぐにスモールウッドさんが追われましたが、逃げられたそうです。食いしん坊のムーさんのことですから、ペトリの実家に逃げ込んだのではないかと」
「ムーの家に問い合わせたのか?」
「スモールウッドさんがすぐに問い合わせをしましたが『いない』という答えでした」
ペトリの家は、ムーの為なら嘘くらい平気でつく。が、本当にいない可能性もある。
「桃海亭のどこかに潜んでいるということはないのか?」
「道具達に見張らせています。絶対にいません」
オレは腕を組んだ。
「そうなると………」
「はい、今夜はぐっすり眠れます」
「だよな」
オレとシュデルは、笑顔を浮かべた。
「ふわぁ……まだ、明け方です。太陽が上ってから来てください」
ムーのいない夜を満喫していたオレは、早朝、訪ねてきたスモールウッドさんに叩き起こされた。
「西のアロッテ共和国の議事堂が爆破された」
「アロッテ共和国。ロラム王国の北東にある共和制の小国。人口は約3万人。主な産業は農業で、農作物や乾燥した薬草を近隣の国に輸出しています。標高の高い山がいくつかあり、そこで作る薬草が………」
「わかった。勉強したことはわかった。ウィルが習っていない知識にアロッテ共和国の議事堂の地下には特殊な結界空間があり、現在、魔法協会が保管庫として使用しているということだ」
話の予想がついた。
「オレ、寝ます」
「犯人は、ムーじゃない」
「えっ」
オレは、ムーが保管庫を襲撃したのだと思っていた。
そうでなければ、スモールウッドさんが来る理由がない。
「ムー・ペトリは、ペトリの家に帰っている。監視員をつけているから間違いない」
イヤな予感がした。
オレは後ずさりすると、店の奥に設置している扉を後手で開けた。
「【ユージニアの書 第2巻】は、まだ襲撃者の手には渡っていない」
食堂に逃げ込む気だったオレは、スモールウッドさんに右上腕をつかまれて逃げられなくなった。
「【ユージニアの書 第2巻】を回収してきてくれ」
「議事堂が爆破されたなら、もう、バラバラだと思います」
「保護の魔法をかけてある。爆破くらいでは傷つかない」
「魔法協会には、戦闘魔術師という実働部隊があるじゃないですか」
「だめだ。戦闘魔術師は使えない」
「探すのに、魔力があるとダメとか言いませんよね?」」
「違う。保護魔法と一緒にかけられたトラップが強力なのだ。戦闘魔術師でも死ぬ可能性がある」
オレは腕をつかんでいる手を引き離そうとした。が、スモールウッドさんは指が食い込むほどに強く握っていて、引きはがせない。
「頼む。保護魔法をかけた魔術師が失踪した。襲撃者達に殺された可能性がある。報告書を提出する前で、トラップがどのような発動をするのかわからないのだ。だが、解除方法はわかっている。ブレッドと一緒に行って【ユージニアの書 第2巻】を回収してくれ」
「そいつは戦闘魔術師に命令…………ブレッド?」
「そうだ、ブレッドだ」
「ムーでも、シュデルでもなく、あのブレッド?」
「魔法協会エンドリア支部経理係のブレッド・ドクリルだ」
ブレッドは魔法協会に白魔術師として登録してあるが、擦り傷くらいしか治せない。魔術師ヒエラルキーの最下層に位置するひとりだ。
「ビクトリアですか?」
ブレッドに恋する魔道人形ビクトリアは人の魂を食らう戦闘タイプだ。ビクトリアを使うためだと考えればつじつまが合う。
「それもあるが、ブレッド自身の力が必要なのだ」
いつものオレならば、ここで『なぜか』を質問していただろう。だが、新生ウィル・バーカーはちょっと違う。
「木系の力ですか?」
木系の魔術師は少ない。一番少ないのが召喚魔術師、次が死霊魔術師、その次が木系の魔術師だ。
ブレッドが白魔術師で登録してあるのは、ローブを安く買う為だ。本来の力は木系だ。といっても、虫除けの魔法をかけたり、花を開いたりする魔法くらいしかできないが。
スモールウッドさんがうなずいた。
「書の封蝋に〈花を開かせる〉魔法をかけると、トラップが解除されるはずだ」
「ムーではダメですか?」
「アロッテ共和国の花を、全部開花させる気か?」
「花が開くくらい、問題はないと思います」
「その思考パターンの修正もデイモン先生に頼んでおくべきだった。それに………」
スモールウッドさんが笑顔を浮かべた。
顔の筋肉が全部弛緩したような不気味な笑顔だった。
「………ムー・ペトリは動けない」
「ムーの奴、怪我でもしましたか?」
「食い過ぎだ。ペトリの家で大量にお菓子を食い過ぎて、腹痛でうなっている」
不気味だが、幸せそうな笑顔だ。
「ウィル。ブレッドと一緒に【ユージニアの書 第2巻】を回収に行ってくれ」
「待ってくださいよ。さっきから言っているように戦闘魔術師を使ってください。オレは部外者です」
「2人の護衛にビクトリアを連れていけるよう、許可は取った」
「ビクトリアは、人の魂を食らうんですよ」
「心強い味方だろう」
「勘弁してください」
オレは必死に断ったが、スモールウッドさんの押しの強さに断りきれず、引き受けることになった。
「なんで、オレなんだ。なんで、オレなんだ…………」
大型飛竜に乗って3時間、ブレッドはずっと呟いている。
そのブレッドにしがみついているのは、戦闘魔道人形ビクトリア。いつもの白いメイド服ではなく、漆黒のメイド服だ。
「ブレッド、そろそろ着くからな。手順を確認しておくぞ」
「なんで、オレなんだ。なんで、オレなんだ…………」
「アロッテ共和国の議事堂の上空にさしかかったところで、オレとブレッドは落下傘で飛び降りる。ビクトリアはブレッドにしがみついているそうだ」
口が利けないビクトリアは、上品にうなずいた。ブレッドにしがみつけて、とても幸せそうだ。
「議事堂の建物は爆破によって、瓦礫しか残っていないそうだ。地下への階段は襲撃によって防御結界が壊され、露出している。階段を下りた先に扉があるが、これが破壊できず、襲撃者達は立ち往生をしているようだ」
デイモン先生の授業で学んだことがある。
魔法は制約が非常に多いツールだということだ。できることも多いが、できないことも多い。
魔法を使用するうえでの最大の問題点は、魔力だ。同じ火の魔法でも、魔力が少なければ蝋燭の火で、魔力が多ければ大陸を吹っ飛ばせる。製造ができないから、貯めるにしても、魔術師の製造できる魔力に依存しなければならない。
襲撃者が開けられない地下の扉も、ムーの魔力なら簡単に吹っ飛ばせる。倉庫の中身はダメになるだろうが。
「扉は魔法による防御結界だけでなく、物理的にも強固な作りになっている。襲撃者達は開こうとやっきになっているようだ」
「なんで、オレなんだ。なんで、オレなんだ…………」
「魔法協会による探査で襲撃者は8人と思われる。どこの組織の者か魔法協会はつかんでいるそうだが、教えて貰えなかった」
「なんで、オレなんだ。なんで、オレなんだ…………」
「オレ達はこの8人を殺すか、気絶させるか、諦めさせるか、何らかの方法で撤退させなければならない」
「なんで、オレなんだ。なんで、オレなんだ…………」
「8人がいなくなったところで【ユージニアの書 第2巻】を回収する。扉を開ける必要はない」
「なんで、オレなんだ。なんで…………」
ブレッドがオレの方を向いた。
「扉を開ける必要がないというのは、どういうことだ?」
「簡単だ。【ユージニアの書 第2巻】は地下倉庫にはないからだ」
ブレッドが立ち上がった。
「倉庫にないのか?」
「ない」
「どこにあるんだ?」
「到着してから教える」
「今、教えろ」
「お前には独自の情報網があるんだろ。ここで教えたことで【ユージニアの書 第2巻】の場所が漏れたら、オレの命が危なくなる」
「飛竜に乗っているんだぞ。どうやって、漏らすんだよ」
「そんなの知るか。オレは危険なことは、極力さけることにしているんだ」
ブレッドはオレをにらみつけたが、オレに教える気がないことがわかったのだろう。席に座った。
「なあ、なんで、オレなんだろうな。木系の魔術師は多くはないが、珍しいってほどじゃない」
「その質問はスモールウッドさんにしてくれ」
ブレッドがすがるような目でオレを見た。
「ウィル。オレ達、友達だよな?」
「帰りの飛竜で、その質問に答えられることを祈ってくれ」
探査魔法回避の魔法がついた落下傘をつけて、議事堂に落ちるように飛び降りた。幸いなことに闇夜。目視では発見できない。
姿勢で速度を調整しながら、議事堂の上で落下傘を開いた。無事、議事堂の瓦礫の上に着地した。ブレッドもオレの側に着地。ビクトリアがうまくやってくれたようだ。
「帰りたい」
ブレッドが小声で言った。
オレは地面に伏して、闇に目を慣れるまで待った。
うっすらとでいい。見えなければ、勝負にならない。
「飛び降りる前に言えよ」
動くのには、落下傘を外さなければならない。外したら、すぐに探査魔法に引っかかる。攻撃される前に地下に降りる階段のところに到着しなければならない。
「行きたくない」
「わかった。ここにいろ」
ビクトリアがいれば、しばらくは持つ。敵の戦力がわからないから、その先は保証できないが。
目が闇に慣れ、階段の位置がわかった。
距離にして30メートルほど。
「オレは行くからな」
落下傘を外して、階段に向かって駆けだした。
オレの真後ろ、ぴったりと影がついた。
「ビクトリア、甘やかしすぎだろ」
落下傘を外したブレッドを、小脇に抱えて走っている。
戦闘魔道人形だけあって、状況を理解している。
階段、数メートル手前で、魔法道具〈火の粉〉の入った布袋を、階段に投げ込んだ。階段から出てこようとしていた2名が、火に包まれた。風が吹いた。一瞬で火を消した襲撃者達は、オレに向かって飛びかかってきた。オレは準備していた紐を彼らに投げつけた。〈縛りの魔法鎖〉。金属製は重いので、麻でできた紐だが物理的な拘束だけでなく魔力も一緒に封じ込めるすぐれものだ。
ひとりは紐を切り、ひとりは避けようとして、紐に捕まった。ぐるぐる巻きにされ、肩から地面にたたきつけられる。
紐を斬った方は、オレに向かってロングソードを構えた。地面で呻いている仲間を一瞥もしない。戦い慣れしている。
構えから腕がいいこともわかる。
身体にぴったりと密着した、黒いマスクに、黒いシャツに、黒いズボン。どこの組織の者か、見た目ではわからない。
オレはロングソードを構えた襲撃者を無視して、階段に向かって球を続けて投げ入れた。襲撃者は、すぐに反応した。ロングソードで球を斬ろうとして失敗。直後、巨大な火の柱が立ち上がった。〈カカの炎球〉。〈火の粉〉とは比べものにならない火力の魔法球だ。
ロングソードの襲撃者がオレに斬りかかった。早い。闇夜で足元がはっきり見えない。続けて攻撃されたら、オレが不利だ。
「なあ、火を消さなくていいのか?」
「火ごときで傷つく者はいない」
オレはニヤリと笑った。
「なぜ、火だったのか考えたか?」
襲撃者の手が止まった。
「あれは〈カカの炎球〉だ」
意味が分かったのだろう。
「きさまぁー!」
身を翻すと、階段の方に走り出した。ロングソードを捨て、両手で魔術の印を結び、走りながら魔法を詠唱している。
〈カカの炎球〉。一瞬で気化する特殊な魔法燃料を組み込んだ火の攻撃用魔法球だ。爆発地点の酸素を一気に消費する。投げ込んだのは階段の奥の狭い空間。怖いのは火じゃない。酸欠による窒息だ。
空中に水の竜巻が現れた。
オレは転がって呻いている襲撃者に〈沈黙の蜘蛛〉という魔法道具をつけた。襲撃者が動かなくなった。〈沈黙の蜘蛛〉を肌に直接つけると仮死状態にする。20分ほどしかもたないが、その頃には決着がついている。
竜巻がほどけて、大量の水が階段になだれ込んだ。
「ビクトリア、いるか?」
オレの後に接近する気配がした。
「すぐに戦闘になる」
オレの戦闘力はゼロに近い。ブレッドはマイナスだ。実際の戦闘はビクトリアに頼むしかない。
「ブレッドはここに転がしておけ。お前が連れて戦うより、ここの方が安全だ」
ブレッドが鼻水を啜る音が聞こえた。
「敵についてだが、手が折れようが、足が折れようが、内蔵が少々はみでようが、死ななければいい。ただし………」
スモールウッドさんから、戦闘状態に突入したら、ビクトリアは魂を食らってもいいと許可はもらっていた。
「………魂は食らうな。できるか?」
オレの読みが正しければ、情けは人の為ならず。の、はずだ。
ビクトリアが動く気配がした。
水で満たされた階段から、3人が飛び出した。ロングソードを捨てて竜巻を呼んだ襲撃者も加わり、4人がオレ達に向かって駆けてくる。
「いくぞ、ビクトリア」
走り出したオレを、ビクトリアが抜き去った。
最初にロングソードを捨てて素手だった襲撃者に襲いかかった。すれ違いざまに、腹に膝蹴りをした。続いて、延髄に一撃。あっという間に地面に沈めた。オレは動かなくなった襲撃者に近寄り、〈沈黙の蜘蛛〉をつけた。その間もビクトリアは戦闘をしていた。3人を相手に、魔法弾を避け、剣を持った腕を折り、顎に肘打ちをかませていた。オレはビクトリアが戦闘しているところを大きく迂回して、階段を目指した。
階段に満たされた水から、黒ずくめの3人が這い上がってきた。階段を泳いであがってきたのだろう。息が荒い。
「【ユージニアの書 第2巻】、今回は諦めてもらえませんか」
水に濡れた身体で、剣を構えた。
3人とも戦うつもりらしい。
オレは笑顔を浮かべた。
「あのですね、オレの顔、見てくれませんか?」
オレの言葉にあわせたかのように、雲が切れて、月の光が射し込んできた。
3人ともオレの顔が、はっきりと見えたはずだ。
3人は顔を見合わせた。何も言わずに、剣を納めると、ビクトリアと戦っている仲間のところに走っていき、怪我をした仲間と〈沈黙の蜘蛛〉で動けない仲間を連れて、走り去っていった。
「よし、うまくいった」
ひとりで悦に入っているところに、ビクトリアが近づいてきた。
メイド服が所々破けている程度で、損傷はないようだ。
「ブレッドを連れてきてくれ。オレは【ユージニアの書 第2巻】の回収の準備をする」
水で満たされた階段に〈砂漠球〉を投げ込んだ。〈砂漠球〉が水を吸い込み、数分で階段から水がなくなった。
「ウィル………」
半泣き状態のブレッドがビクトリアに支えられて歩いてきた。
「そこで、待っていろ」
階段の上から5段目。青っぽい石を抜いた。石がくり抜かれて、そこにすっぽりと【ユージニアの書 第2巻】がはめ込まれている。
「ここの封蝋に花を咲かせる魔法をかけてくれ」
「なあ、魔法をかけたら、お払い箱で、オレを殺したりしないよな」
「しない、しない。する価値もないから、安心しろ」
ブレッドが封蝋に魔法をかけた。封印が消えて、薄いピンク色のスクロールが姿を現した。
「よし、こいつだな」
ベルトにつけておいたスクロール入れに収納した。
「帰るぞ」
ポケットに折り畳んでいた極薄の紙を広げた。〈魔法の大紙〉。魔法の絨毯と同じように乗って空を飛ぶものだ。紙なので収納に便利なのだが、水に弱いという欠点がある。今回は上空で待機している大型飛竜のところまで上がれればいいので、紙で問題ない。
「怖かった」
震えているブレッドをビクトリアが支えて乗り、オレが最後に乗った。一気に上昇。待っていた飛竜に乗り、エンドリアへの帰路についた。
「よくやってくれた」
桃海亭で待っていたスモールウッドさんは受け取った【ユージニアの書 第2巻】を、朱塗りの豪華な封印箱に納めた。
「これ、残りの魔法道具です」
スモールウッドさんに準備してくれた戦闘用の魔法道具一式を返した。街中の古魔法道具店の桃海亭は、戦闘用の魔法道具は扱うことが少ない。戦闘用の魔法道具は高額で、平和なニダウでは需要もない。
オレも初めて見る物が多かったが、勉強をしたばかりだったので、用途も使用方法も知っていた。
「金貨30枚くらい使いました」
スモールウッドさんの頬がヒクリと動いた。が、すぐに疲れたような顔になった。
「【ユージニアの書 第2巻】が無事に戻ったのだ。金貨30枚で済んでよかった」
「オレへの報酬がまだです」
「金貨20枚、明日、届けさせる。ブレッドにも同額、渡す予定だ」
「プラス、金貨50枚」
スモールウッドさんが眉を潜めた。
「金貨20枚では不満か?」
「襲撃者をひとりも殺さなかった謝礼と口止め料と思ってください」
スモールウッドさんは数分間黙った。
「………ウィル。口止めの内容はなんだ?」
「話してもいいんですか?」
「一回だけ、話すことを認める」
今回の件、オレが納得のいく答えはひとつしかなかった。
「襲撃者は魔法協会の戦闘魔術師ですね」
全員、腕が立った。
訓練された動きだった。
そして、オレの顔を見て、オレが誰だかわかった。
ウィル・バーカーが動いている。つまり、災害対策室のスモールウッドさんが公然と動いているということが伝わり、襲撃を中止して帰って行ったのだ。
もちろん、オレとビクトリアの方が有利であるということを、先に見せつけていたからこそ、成功した作戦だ。
「オレの読みでは魔法協会の上層部の誰かが【ユージニアの書 第2巻】を手に入れるために戦闘魔術師を動かした。スモールウッドさんは、何らかの理由でそれを阻止しようと思ったが、戦闘部隊を動かすと同士討ちをさせることになる。しかたなく、オレを使った。ブレッドを使ったのも似たような理由です。数が少ない木系の魔術師を表立って動かせない。誰の視野にも入ってない5流魔術師だから動かしても目立たない。魔法協会の職員だから口止めもしやすい。違いますか?」
スモールウッドさんが小さく息を吐いた。
「その問いには答えられない。追加の金貨10枚については了承した。報酬と一緒に渡す」
「あの、オレ、50枚と言ったんですけど」
「10枚で我慢しろ」
スモールウッドさんが疲れ切った顔にホッとした笑顔を浮かべた。
「さて、帰るか」
「オレとしては、もう少しだけ。せめて、20枚、いや、15枚でいいですから」
桃海亭の扉を抜けるとき、スモールウッドさんは立ち止まった。オレに背を向けたまま、静かに言った。
「ウィル。命を奪わないでくれたこと、心より感謝する」
「店長…………」
石版を握りしめたまま、シュデルが絶望の表情を浮かべている。
買い取りに持ち込まれた石版の文字が読めず、食堂にいたシュデルを呼んだ。シュデルは笑顔で買い取りを行い、客が店から出ていった途端、石版を握りしめて動かない。
「しかたないだろ。1週間も経てば、きれいさっぱり忘れるって知っているだろ」
「……簡易魔法文字です」
「残念ながら、オレの頭に魔法文字は欠片も残っていない。オレが読めるのはルブクス公用語だけだ」
必死に詰め込んだ知識もほとんど消えている。
奥の扉が開いて、目の周りを黒くしたムーが、ヨロヨロと店内に入ってきた。
「ダメしゅ」
「もう、諦めろよ」
オレは、回収した【ユージニアの書 第2巻】を帰りの飛竜の中で開いてみた。魔法文字で、短い文章が十数個書かれていた。閉じた青い空とか、白く長い時間とか、読んでいても意味不明だった。何かに使えるかと写しておいたものをムーが見つけた。暗号に違いないと解読に挑戦して3日経つが、手がかりすら見つけられない。
「【ユージニアの書】は予言の書しゅ。絶対、何かあるしゅ」
翌日、スモールウッドさんから届いた手紙で、【ユージニアの書 第2巻】事件は収束を迎えた。
ウィル・バーカーへ
【ユージニアの書 第2巻】は精巧な偽物と判明した。