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おまけ 夜食フェス

ある金曜日の深夜。

僕は暑さによる寝苦しさを感じて目を覚ました。

春は寒暖差が激しくて、寝るとき毛布が必要か不要かで悩むことが多い。

寝る前は湯冷めのせいもあってか体は冷えていたのだが、いざ毛布をかけてベッドに入るとだんだん暑くなってきて、起きてしまったのである。

汗をかいたせいか喉はカラカラだし、中途半端な時間に起きたせいでトイレにも行きたくなってきた。

しかし、今の僕には生理現象に逆らってでもベッドから動きたくない理由があった。


寝る前にテレビで観たホラー映画が僕にとってトラウマものの内容で、ぶっちゃけトイレに行くことすら怖いのだ。

お風呂だって夏美に頼み込んで一緒に入ってもらった。

だって、髪を洗ってるとき背後を守ってくれる人がいないと不安じゃないか。

そんなことを馬鹿正直に夏美に話したら『お兄ちゃん可愛いから一緒に入ってあげる』と快諾された。

兄の威厳形無しである。

ありもしない脅威に怯えているぐらいなので、正直今、自室に1人でいること自体が既に怖い。

クローゼットやベッドの隙間から青白い手がにゅーっと出てきやしないか?姿見に知らない顔が写ったりしないか?

想像したら余計に怖くなってきた。

いやだ、出てこないで!出てきたら僕泣くぞ!本気で……


しんと静まりかえった部屋の中を見回す。

尿意とは別の理由で体がぶるりと震えた。

とりあえず部屋の電気をつけよう。

明るくなれば怖さも和らぐはずだ。

照明のスイッチを押すと蛍光灯がてかてかと点滅した後間もなく完全に明るさを失った。

なんという不幸か、最悪のタイミングで蛍光灯は寿命を迎えたようだ。

部屋が暗くなった瞬間、窓の外でカラスがぎゃあぎゃあと騒ぐ音が聞こえた。

ひっ!?やだようもう……僕が何をしたっていうんだよう……

何者かの作為すら疑わせる偶然の連続に目が潤みそうになる。

もはや自室は安全な城ではない。

ならばもう少しマシになるよう行動すべきだ。

僕は震えて動こうとしない足を叱咤して自室を出た。

一歩ずつ歩を進める旅にフローリングの床が軋みをあげる。

階段を慎重に下りてトイレのある角へ向かう。

途中でキッチンのドアから光が漏れているのに気付いた。

コンロの上のやかんに火がかけられている。

誰もいないし、気配も感じないのに。

背中に氷柱を差し込まれたような寒気を覚えてコンロの火を止め、キッチンの照明を落とす。

そろそろ尿意も限界だ。トイレの方に急ごう。

この年でお漏らしはホラー映画以上にトラウマになる。

トイレを目指して移動しているときに微かな音が僕の耳朶を打った。

僕の足音とは別の足音が聞こえるのだ。

足音からはおよそ人らしい気配を感じない。

トイレのある角の方からそれがゆっくり近づいてくるのだ。

得体の知れない恐怖の接近に足がすくむ。

心臓の動悸に合わせて歯の根がガタガタ震える。

足音を立てるそれはやがて角からぬーっと顔を出して僕を見た。

悲鳴をあげようとした僕の目の前に現れたのは


僕の父さんでした。


幽霊の正体見たり枯れ尾花。

我が家で最も影の薄い人が正体だと知って、声を失い僕はその場にへなへなと崩れ落ちた。


「どうした千秋?トイレか?」

父さんは僕の緊張を知ってか知らずかのほほんとした顔で問いかけてくる。


「そうだよ。こんな夜中に誰かと思ったよ。」


あと漏らすかと思ったよ……

そう漏らしそう、漏れる!トイレいかないとっ!

僕は立ち上がると父さんの脇を号砲の音に反応したスプリンターのごとくすり抜けてトイレに駆け込んだ。


ふう、危ないところだった。


あ、喉も渇いていたんだったな。水でも飲んでいこう。

キッチンに寄っていくと父さんがコンロの前に立っていた。

やかんに火をかけていたのは父さんだったらしい。

手にはカップうどんを持っている。

どうやら夜食を食べるつもりのようだ。


「父さん夕飯食べたのにカップ麺なんて体によくないよ。」

「いや、待ってくれ千秋。父さんだって無性にこういうものが食べたくなるときがあるんだ。決して母さんの料理が不満なわけじゃないんだぞ。これが楽しみで夜中に起き出したわけでは……」

「ダメだよ。父さん最近お腹出てきたんだから。せめて食べるなら味の薄いものにしないと。」


僕は父さんからカップのうどんをひったくった。

大きな父さんの体が落胆で小さく見える。

餌を他の動物に盗まれて呆然とする熊さんみたいで可哀想だ。

……んもう、しょうがないなあ。


「父さん僕が夜食作ってあげるからリビングで待っててよ。」

「いいのか?千秋。」

「いいよ。このまま放っておいたら父さんコンビニまで新しいカップ麺買いに行っちゃいそうだし。」


「娘の手料理が味わえる日が来るとは……」


父さんが感涙に咽び泣いている。

娘か息子か中途半端な存在でも嬉しいもんなのかね?

父親ってやつは。

僕は不器用ではあるけど母さんの薫陶あってか料理のスキルは着実に上がっている。

これから作るのは誰でもできる大したものではないんだけどね。

エプロンをした僕はやかんのぬるま湯を鍋に移して火にかける。

ついでに湯沸し器を棚から取り出して水道水を注ぎ、スイッチをいれる。

やかんを使ったあたり父さんは湯沸し器の場所を把握していなかったのだろう。

僕は食品添加物少な目を謳っている乾麺のうどんを戸棚から取り出して茹でる。

茹でている間、冷蔵庫からネギを取り出して刻む。

具はネギのみのシンプルなもの。あ、生姜はお好みでどうぞ。

どんぶりに味付け薄めの関西だしスープの粉末を投入。

うどんが茹であがるより先に湯沸し器のお湯がわいたので、どんぶりにお湯を注いだ。

鰹だしの香ばしい食欲をそそる匂いがキッチンにふわりと漂った。

父さんが鼻をひくひくとさせている。

ちょっと待っててね。もうすぐだから。

茹で上がったうどんをザルにあけ、軽くお湯をきる。

どんぶりに麺を溢さぬよう入れてと、さあ完成だ。


「父さんお待たせ。」

父さんの前にどんぶりを置き、僕はコップに水を注いで対面に座る。


「おお!これが千秋の手作りうどんか。」

「感動するのもいいけど、麺が伸びる前にどうぞ。」


父さんは箸を掴むと、どんぶりに口をつけ、スープの味を少し堪能した後、麺を勢いよくすすった。

駅そばで立ち食いするサラリーマンみたい。

美味しそうに食べるなあ父さん。

ちょっと興味の湧いたことを尋ねてみる。


「ね、父さん。母さんの料理と僕の料理どっちが美味しい?」

父さんの眉にシワが寄る。

真剣な顔で懊脳している様が見てとれる。

意地悪な質問だっただろうか?

父さんが悩んでる顔見るの楽しいかも♪


「千秋に軍配だ。母さんは夜食作ってくれないからな……」

「ほんと?えへへ♪」

「千秋は可愛いな。ずっと家にいて、たまにでいいから父さんに夜食を作ってくれ。

父さんは千秋を誰の嫁にもやらんぞ。」

「やだなあ、僕はお嫁になんて行かないよ。」

だって男の子だもん。


父さんはスープ1滴残すことなく、うどんを平らげた。

スープは残して欲しかったんだけど……塩分0じゃないんだし。

まあいっか、美味しそうに食べてくれたから作りがいがあるってもんだ。

今度は母さんがいるときに作ってあげて母さんを悔しがらせてみようかな?

それは楽しそう♪


父さんの新しい一面を発見して気持ちがほっこりした僕は、ホラー映画の恐怖なんていつの間にか吹き飛んでいて、快適な眠りにつくことができたのであった。






うどん食べたい。

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