3話 TS初期にありがちな問題解決
朝からバスルームでライフをほとんどゼロにまで減らした僕はリビングのソファに憔悴した気持ちで腰を下ろした。
反動で胸部が揺れる。
隣に座った夏美が感嘆の吐息を漏らした。
さっきから妹は僕の胸部の膨らみにご執心のようだ。
自前のものを見ればいいと思うが、夏美はぺったんなので、
ボリュームのある僕の胸が気になってしょうがないらしい。
無造作に伸びてきた夏美の腕を僕は黙ってはたきおとす。
小蝿でも払うかのようなぞんざいな扱いに批難の視線を向けてくるが敢えて無視をした。
向かいに座る母さんと父さんを恐る恐る窺う。
2人とも首からカメラを下げて、まるで観光地の観光客のような出で立ちだ。
これから真面目な話をしようという服装ではない。
「こら千秋女の子が足を開かない」
母さんがカメラのシャッターをきりながら僕をたしなめた。
「それとも母さんを誘っているのかしら?」
冗談じゃない。
僕は慌てて太ももを閉じた。
自分の買ったパンツを撮影して何が楽しいんだか。
それに僕のパンツは観光名所ではない。
その仕草のどこが母さんを刺激したのか、整った鼻梁から血液が垂れる。
母さんは真顔のままティッシュで血液を拭き取った。
「冗談はここまでにしておいて、その姿どうしちゃったのよ。
一応確認するけど千秋が連れ込んだ彼女さんって可能性は?」
「……」
2人は優しい目で僕を見る。
僕が話す気持ちになるまで待ってくれているのだろう。
「う……」
罪悪感に負けた僕は洗いざらいを両親に話した。
昨日園芸部の最後の活動の際、見知らぬ花を見つけたこと。その花の蜜を好奇心に負けて口にしてから体調がおかしくなってきたこと。
他に特別なことは何もなかったので、その花が原因ではないかということ。
嗚咽をもらし、要領の得ない話をする僕を父さんと母さんは根気強く聞いてくれた。
僕が懺悔を終えると母さんは僕を抱きしめて言った。
「千秋は軽率な行為をしたと思っているわ。けれどね、生きていて本当によかった。」
それまで黙っていた父さんも言う。
「父さんも同じ気持ちだ、お前は父さんたちの大切な宝なのだから」
父さんの温かい言葉に涙腺が崩壊する。
「うう……ひっく……ごめんな……さい……」
両親を心配させてしまったことに対して僕は何度も謝罪を続けた。
涙が治まらない僕を母さんが懸命にあやしてくれる。
僕の髪の匂いを嗅ぎながら。
感動は台無しだったが、この両親の子供に生まれた幸運を僕は心の底から感謝した。
落ち着いたところでこれからどうするべきかについて家族会議となった。
まずは戸籍の問題。父さんは開口一番に「何も心配しなくていい」と言った。
性同一性障害の場合に戸籍上の性別を変更する届けを出すことができるからだ。
今後僕に訪れるであろう社会的な弊害を避けるため、僕の戸籍上の性別は女に変更することになった。
父さんは小規模ながら会社経営をしていて、様々な人脈を作り上げている。
そういった問題に詳しい法律の専門家の知り合いがいるそうだ。
僕も社会の授業で現代では性同一性障害の人の場合戸籍上の性別の変更が可能と習ったことがあったのでその辺は納得できた。
学校の方も知人がいるそうで性別変更の対応はなんとかなりそうだとのことだ。
僕は父さんの社会人としての能力の高さに尊敬せずにはいられなかった。
家では寡黙な大黒柱なんだけど、仕事となればスイッチが切り替わる人なのだ。
人とコミュニケーションをとることが苦手な僕にもそのスイッチが欲しいと切に願う。
高校に女子として通うことに思うところはあるけれど、僕の自業自得なのだ。
皿からこぼれたミルクは元に戻らないのである。
そして次の問題は僕の体の健康上の問題。
未知の成分を摂取したのだから今、自覚症状が何もなくても慎重になってなりすぎることはない。
より重篤な症状が隠れているかもしれないのだ。
元看護師としてもっともな母さんの主張で、病院で精密検査を受けることになった。
結果は特に異常なし。
おめでとうございます!元気な女の子ですよという検査結果だった。
当面の大きな問題が解決したところで次の問題は僕の交友関係になったのだが、僕の心の準備ができるまで待っていて欲しいと両親を説得した。
この体に変わって数日間悩んだけど答えはでていない。
幼馴染の加奈子ちゃん、もう一人の幼馴染で同じ高校に進学する親友の関川弘人だ。
特にヒロトには言いだす勇気は今の僕にはない。
不安もあったけど楽しみにしていた高校生活は入学前から暗雲がたちこめてしまった。
2人にこのことを告白して拒絶されるのが怖い。
数少ない友人を失うのが怖い。
何度も頭の中で2人に拒否されず受け入れているかシミュレーションしてみたもののぐるぐると回ったあげくに思考が停滞してしまう。
僕の様子を見かねたのか母さんが提案してきた。
「とりあえず買い物に行くわよ買いもの。気分転換すれば気持ちが変わるかもしれないわよ。」
「何を買いにいくのさ?」
「可愛い千秋ちゃんのカワイイお洋服に決まってるじゃない。それに下着も。あんた結構胸大きいんだからブラジャーは必須よ。」
げ、ここ数日間Tシャツを着るだけだったのだが、そうきましたか。
この先高校で女子の制服を着ることは受け入れよう。
ただでさえ浮いてしまう髪と目の色の女の子なのだ。
それが男子の制服を着ていたら悪目立ちしてしまうだろう。
両親の厚意を無碍にするわけにはいかない。
女子の制服を着るのは業腹だったが諦めがついた。
制服はともかく普段着については女の子になって急に身長が伸びたことで男の服の大半が着られなくなっている。
新しい服を購入することで両親に経済的負担をかけてしまう負い目もある。
けれど僕にも男としての矜持があるのだ。
母さんに口ごたえする。
「僕は男なんだから少なくとも家で着る普段着や下着はメンズのものがいいんだけど。」
「プライド以前の問題よ。千秋は男性向けの洋服が合う顔と体型ではないし、ノーブラだとそれこそ痛い思いをすることになるわよ。」
どうしてブラジャーが必要か教えてあげるといって顎で廊下の方をうながした。
「ちょっとそこの廊下を走ってみなさい。軽くでいいわ。」
僕は頷いて廊下を駆け出してみる。
まず、最初に胸を支えるわきの筋肉のようなもの?に鋭い痛みが走った。さらに胸が揺れるたびに肩がつっぱる。
「いっ!!」
痛い!
これ無理!女性ってこんな大変な思いをしているの!?
千切れるかと思った!
足を止めた僕は母さんに三つ指をついて土下座した。
「大変申し訳ありませんでしたお母様。ブラジャーは必須です。」
「よろしい。あとおっぱいを支える筋肉は切れたら治らないから注意するように。」
母さんはスマホのレンズを僕に向けたまま笑顔で僕をみつめていた。
今度は動画なのだろうか?
それより切れたら治らないなんて女の子怖すぎだよ……
一部始終を眺めていた夏美がつぶやいた
「おねえちゃんすごい…」
妹よ僕はおねえちゃんと呼ぶのをまだ受け入れたわけじゃない。