22話 好奇心は少女をも殺す
校門を出た後、加奈子ちゃんが忠告してきた。
「千秋はお人好しだから忠告しておくけど、あんまり安請け合いするんじゃないわよ。アンタ今女の子なんだから。助けた女の子から何でも言って下さいねって笑顔で言われたら、ビキニで1日接待しろと要求されてもおかしくないわよ。」
「はい?」
刑事ドラマで活躍中の氷谷豊さんのような声が出た。
ビキニってあれだよね。水着の一種で布の部分が上半身と下半身でセパレートタイプになっている物のことだよね。つまり、それを僕が着るってこと?下着と大差ないあれを?ほとんど初対面の男の子の前で?
「またまたご冗談を。あんな茶髪連中と違って僕を助けてくれたような人達がそんな趣味の悪いお願いをするわけないじゃないか。」
僕は加奈子ちゃんの全然笑えないジョークを一蹴した。
しかし、僕の反応に加奈子ちゃんは盛大にため息を吐いた。
「アンタ、男子高校生の性欲を完全に舐めきってるわね。私なら最低でも膝枕に耳掻きぐらいは要求するわよ。」
「え、加奈子ちゃんならやってあげてもいいよ。いつもお世話になってるんだもん。それ(耳かき)ぐらい御安いご用だよ。あ、ヒロトも勿論いいかな。喜ぶとは思えないけど。」
「んな!? 馬鹿!馬鹿!馬鹿っ!親しき中にも礼儀ありって言うでしょ!アンタもう少し考えてから発言しなさい! ……それに、そういうことはまた是非今度二人きりの時に……水着も用意しないと……スクール水着も捨てがたいわね……」
加奈子ちゃんは急に怒髪天を衝くような激昂をしたかと思うとうつむいて後半ぼそぼそと何か呟いている。何を言っているか聞き取れなかったので、さっぱりとした気性ではっきり物を言う加奈子ちゃんにしては落差の激しい態度は珍しいなと思った。
そうこうしている内に市立図書館の建物が視界に入ってきた。
自動ドアを通過すると、日曜日のためか図書館はそれなりに込み合っている。
土曜日は丸一日遊んでしまったので、今日は明日提出の課題をやる予定だ。
僕と加奈子ちゃんは学習スペースを確保して課題のプリントと教科書を広げた。
相変わらず他の来館者の視線が突き刺さってくるけど加奈子ちゃんが傍にいるので集中できる。
2人で知恵を出し合って問題を解き始めると思いの外スムーズに進み、ものの1時間程度で終わってしまった。
せっかくなので明日の授業でやることになるであろう箇所に一通り目を通していった。
どれくらいやっていたかな?スマホの時計を確認する。
まだ11時か。思っていたより時間が経っていない……お昼時には早すぎる。
せっかくだから本でも読もうかな?
家にも植物図鑑は何冊かあるけど、家に無いものを見るのも新鮮だろう。
加奈子ちゃんにどうするか聞くと、少し休憩すると言って机に突っ伏して眠り始めた。
僕は眠気を感じてはいなかったので、一人で書棚の散策をすることにした。
この図書館は市立にしては懐の大きい図書館で、基本的に寄贈された本を拒まない。公序良俗に反するもの以外は。だから漫画やライトノベルなんてのも置いてあったりする。
あ、そうだ。昨日夏美と観た恋愛映画は原作が小説だって言ってたっけ?もしかしたらあるかもしれない。
そう考えて僕は書棚を探してみた。
目当ての本は話題の作品だったおかげかあっさり見つかった。
女性向けの小説コーナーに表紙を向けるようにして陳列されていたからだ。映画化決定の帯が付いているのも分かりやすい。
手にとってパラパラとめくってみる。映像で見た話の展開が文章で表現されているのを見るとなんだか新鮮だった。
他にも何冊かちょっと見てみようかなそう思って隣の1冊を手に取ってみる。
その本の表紙のイラストは肌色だった。
ズボンは履いているものの、上半身が裸の線の細い少年2人が絡み合って描かれている。
片方の少年は小柄で天真爛漫な笑顔を浮かべた色白の、まるで天使のような少年で、もう片方の少年は精悍な顔立ちに浅黒い肌をした背の高い少年だ。
背の高い少年はイラストのタッチのせいか線の細さはあるもののしっかり筋肉はついていて細身ながらたくましさを感じる。この少年はヒロトによく似ていた。
これってもしかして男の子同士が恋愛するやつ?
最後に従姉妹のお姉ちゃんに会った時、こんな感じのイラストの本を鼻息を荒くして読んでいたことを思い出す。何を読んでいるのか聞いてみたら普段からは考えられないほど饒舌に語ってくれたが、早口過ぎて僕には1割も頭に入ってこなかった。
それはともかくヒロトによく似たこの少年はこの男の子とどんな恋愛をするんだろう?
ヒロトみたいな人ってどんな娘が好みなのかな?
僕はほんの好奇心でページをめくった。
最初の見開きでイラストレーターさんが魂を込めて描いたであろう色鮮やかなイラストが目に入ってきた。
表紙同様の格好でベッドの上に腰かけ、肩を回して抱き合っている。2人ともとても幸せそうな表情だ。
うわあ、うわー……
僕は心臓をバクバクさせながらところどころに入っているイラストが気になってさらにページを進める。
千秋には預かり知らぬことではあったが、結論から言うとこの作品は18歳未満お断りの作品だった。
ただ、この本のデータを登録して陳列作業をしたのがお年寄りの男性のボランティアだったこと。
この男性が女性の寄贈した本ならいかがわしいものはあるまいという先入観をもっていたこと。
結構な量の寄贈だったため、内容を詳しく確認する暇がなかったことが重なりこの本は書架に並んでしまったのである。
イラストはとうとう2人が結ばれ、行為に及ぶシーンにまで移った。
ベッドの上で激しく絡み合う2人の少年。イラストレーターはソフトさを意識しているらしくアングルを利用して過激な部分はうまく隠して見えないようにしていた。
意外?なことに小柄の少年の方が行為の主導権を握っているようだ。
背の高い少年の方が頬を赤くして、精悍な顔に似合わない切ない表情を浮かべている。
わあ……ヒロトもこういう時こんな表情するのかな……
イラストの少年の淫靡な表情をヒロトの顔に重ねて想像してしまう。
って!僕は一体何を考えているんだ!
いけないモノを見てしまった罪悪感も手伝い、僕は慌てて本を閉じて書架に戻そうとした。
「千秋さん?」
「うっひゃあ!!」
急に背後から声をかけられて僕は本を落としてしまった。
声をかけた主は僕より先に本を拾ってその表紙を観察している。
恐る恐る振り返るとそこにいたのは吉野先輩と竹井先輩だった。
2年生と3年生の組み合わせというのは珍しいかもしれない。しかし、2人とも眼鏡の似合う痴的、いや知的な美人なので本が好きなのだろう。本の趣味が合うのなら一緒に図書館に行くこともあるのだろう。
そう考えれば納得できた。
「あら、まあ。千秋さん……」
吉野先輩は僕が落とした本のページをめくっている。悪童が新しいおもちゃを見つけた時のような表情を浮かべながら。
終わった……僕の高校生活終わった……
そう思いながら僕は必死に取り繕った。
「そ、それはですね!表紙の男性が幼馴染に似ていたからでつい!こういうの初めてなんですっ!」
吉野先輩はぱたんと本を閉じて「分かるわ」とうんうんとうなずいている。
竹井先輩はどろっと生温かい吐き気を催すぐらい優しい視線で僕を見ている。
「つまり、千秋さんは幼馴染の男性が他の男性と絡み合うのが見たくて、代替としてこの本をとったと。」
「千秋さんは異性に興味はないっておっしゃっていましたけど、こういう意味だったんですのね。合コンに行きたがらないのも、女の子が好きな男の子に興味がなかったからだったんですね。」
竹井先輩は長年の疑問が氷解してすっきりした時のような表情で言った。
「誤魔化したりしないでいいのよ。人は誰しも簡単に口にはできない重い業を背負っているものなのよ。千秋さんには、私達の前ではありのままでいて欲しいわ。」
いいことを言ったような御満悦な様子で吉野先輩が締めくくった。
「違います!僕は普通に……!」
あれ?普通に誰が好きなんだろう?女性?男性?
どちらかを言おうとして僕は言葉に詰まった。
どうしよう。言い返せない。
「う……あう…」
誰にとっても当たり前のことなのに、自信を持って答えられなくて、目尻に涙がたまってくる。
「あ!そのごめんなさいね千秋さん。意地悪を言ってしまったわ。」
「ごめんなさい、私も千秋さんがこの本を選んで取った様子ではないのは知っていたの。からかってしまって悪かったわ。」
慌てた様子で吉野先輩と竹井先輩が僕に謝罪した。
誤解は解けたことにほっとしたのでフォローする。
「えっと、勘違いを理解してもらえたのならよかったです。許しますから、顔を上げてください。」
僕の言葉に2人は安堵してくれたようで胸をなでおろした。が、次の瞬間彼女達の顔は恐怖にひきつることになった。
「へぇ、千秋が、神が許しても、私は許さないけどね。」
いつの間にか起きだしていたらしい加奈子ちゃんが、般若のごとき様相で先輩2人をにらみつけていた。




