11話 小原千秋は静かに暮らしたい
あらゆる意味で濃密な春休みを過ごした僕はなんとか入学式の日を迎えることができた。
制服に着替え、僕が女の子の体になった時母さんが買ってきた姿見で問題がないかチェックをする。
髪は朝起きてから梳いたので問題なし。
ずいぶんと長くなってしまった髪をつまみながら物思いに耽る。
最初は農作業の邪魔になるのでショートにしたいと母さんに進言したのだがすげなく却下されてしまった。
曰く、「その美しい髪を切ってしまうなんて人類の損失よ!絶望のあまり全世界でICBMが発射されて、人類がポストアポカリプスをアメリカ産の核シェルターで過ごす日々が来てしまってもいいっていうの?私はイヤよ!コーラのビンのフタを通貨にする世界で暮らすなんて!」
母さんの脳みそは飛躍しすぎじゃなかろうか……
最終的には父、母、妹のプライドをかなぐり捨てた土下座によって僕は降参することになった。
どうしてこんなときだけ家族の足並みが揃ってしまうのか。
ともかく身だしなみはオーケー。ネクタイも曲がってない。練習したかいがあったってものだ。
部活に入る前はヒロト、加奈子ちゃんと一緒に登校すると決めていた。
待ちあわせに向かうとしよう。
「いってきまーす。」
「変質者に気をつけるのよー最近多いらしいからー特にアンタは気を付けなさーい。必ず誰かと一緒に帰宅するのよー」
「はーい。」
母さんも心配性だなぁ。変質者なんて一度も会ったことないよ。
「ハッ!なんだかフラグが立った気がするわ!」
立ちません。立たないよね?
最近の僕の不運ぶりからするとあながち否定できないのがつらいところだった。
家を出てから程なくして待ちあわせの場所に到着した。
僕の到着と同時にヒロトと加奈子ちゃんも現れた。
「2人ともおはよう。」
「おはよう千秋。ちゃんと眠れた?」
「うん。加奈子ちゃんは元気そうだね。」
「千秋おはよう。」
「うん、おはよう。ヒロト。」
僕は新しい制服に包まれた2人をじっくりと観察した。
「2人とも制服すっごい似合ってる!並んで立ってるとドラマの俳優さんみたい!」
加奈子ちゃんは足が長いのでスカートが野暮ったくなっていないし。上半身はすっきりとスマートなので腕が長く細く見える。
腰に手を当てた立ち姿は実にサマになっていて、ティーン向け雑誌のモデルとして表紙を飾れそうなぐらいだ。
ヒロトは長身で引き締まった体をしているので、制服がだぼついて見えたりしない。僕が中学生の男子だった頃、いや卒業まで制服に着られてる感じのままだったけど、
ヒロトはまるで最初から制服を支配下においているレベルで着こなしている。これは恐らくヒロトの歩き方が無駄なく美しいせいだろう。だらしなさなど微塵も感じられない。
母さんじゃないけどチート主人公というのはヒロトのことを言うのだ。きっと。
「千秋こそ制服姿初めて見たけどこりゃたまげたわね……最っ高にカワイイ。私が男だったらハイエースを用意するわね。」
ハイエースってなんだろう?
「そう?ありがとう。何を喜んでいいのか分からないけど。」
気持ちの上では男の子はやめるつもりはないけど、加奈子ちゃんの感動に水をさすつもりはないのだ。
これまでに何度も男子力は捨ててきたけど。男の子であったことは僕の中に年輪としてしっかり残っているのである。
「ヒロト!アンタもぼけっとしてないで感想言いなさいよ。」
加奈子ちゃんがヒロトの脇腹を肘でつっついた。
「お、おう」
大丈夫かな。気持ち悪いって思われたりしていないだろうか。
ヒロトの中では男の子が女子の制服着てるってことなんだし……
僕の心配をよそにヒロトはまじまじと見つめてくる。
「その、なんだ。オレもすごく……可愛いと思うぞ。
男と間違う奴がいたら眼科に通うことをお勧めするな。」
意見する時ははっきりというヒロトが珍しくぼそぼそと言った。
気を使ってくれてるのかな?
「ほんと?無理しなくてもいいんだよ?ヒロトになら何を言われたって受け入れられるから。」
「ぐはっ!」
ヒロトは飲み物が気管に侵入した時のような表情をして急にゲホゲホと咳き込んで蹲った。
心配した僕はヒロトに近寄ろうとするも彼の手に牽制されてしまう。体調悪いなら言ってくれればいいのに。
ヒロトは昔からやせ我慢ばかりして…
ヒロトの隣にいた加奈子ちゃんはやれやれだわというようなジェスチャーをした。
その後はとりとめのない、いつもの話題に花を咲かせた。
おしゃべりに没頭していたらいつの間にか僕たちは校門に到着していた。
僕たちは早めに来た方なのでまだ周りには他の1年生の姿は少ない。
入学式の受け付けは既に開始しているらしく、少数の列ができていた。
生徒会の役員とおぼしき先輩達が1年生の記帳作業を行っている。
列は人数が少ないためか順調に進み、僕の番がやってきた。
「次の方どうぞー」
受付の先輩が名簿から顔を上げずにいう。早朝から作業しているせいなのか眠たげだ。
僕は返事をして名簿から自分の名前を探す。
ふと顔を上げた先輩の顔が凍りついていた。
うん。さすがに僕もこの反応は慣れた。
何もかもこのインパクトのある髪と目がよくないのだ。
「あ、あのー」
先輩に声をかける。
反応がない。
顔の前で手を振ってみる。
しばらくすると現実に帰還したのか先輩の瞳に生気が戻った。
「すみません!えーと説明しますね。
まずは名簿の名前の脇にある空欄に○をつけてください。
それとこの校章のバッジを付けて体育館に向かってください。
入学式は席は自由ですのでお好きなところにどうぞ。」
普段は要領のいい先輩なのだろう。
僕に分かりやすくテキパキと教えてくれた。
先輩は僕を見たショックで目が覚めたのか次の新入生を手際よく処理していった。
手続きが終わると2人とも待ってくれていた。
「ごめん、お待たせ。」
「やけに時間かかったわね。どうしたの?」
「受付の人がこの髪に驚いちゃったみたいで。」
「だと思ったわ。さ、行きましょ。」
左に加奈子ちゃん右にヒロトの両手に花?状態で僕は体育館に向かう。
入り口に入ったところで既に中にいた新入生、先輩、先生方、来賓の方々の視線が一斉に僕達に集中した。
視線に物理的な力があったのなら外まで吹き飛ばされそうな勢いだ。
そりゃそうだよね。僕の頭はこんなんだし。
それに両脇は美男美女のコンビだ。視線を集めて当然か。
するとヒロトがすっと僕の前に立って無言で歩き始めた。
視線を自分に集中させて僕達を守るつもりなのだろう。
なんだか視線が落胆したようなものに変わる。
「ヒロトってばやるう。まるで千秋の騎士様ね。」
?どんな関係なんだろう?せめて対等とまではいかないまでも彼の槍持ちの侍従ぐらいの地位でいたい。
加奈子ちゃんは時々婉曲な表現をする。
僕たちは早めに到着をしたことをいいことに一番後ろの席の隅っこに陣取った。
3人でおしゃべりをしているとだんだんと新入生の数が増えてきた。
注目されるのは分かっていたけど。もう慣れた。ていうか感覚が麻痺してきた。
やがて式の時間となり、校長先生や来賓の退屈で長いお決まりの式辞が始まった。
パイプイスって長時間座ってるとお尻の肉が痛くなるよね。
女の子になってお尻が大きくなってもこの痛みから解放されることはないようだ。
こんな男女の違いを経験するのは僕で人類初なんだろうけど。
お尻の血行に気を配りながらひたすらパイプイスと格闘し続けること2時間。
あれこれくだらないことを考えているうちに式が終了した。
これからの流れを教頭先生がざっくりと説明していく。
この後まずは校庭前に張り出された掲示板で所属となるクラスを確認してHRということらしい。
うう、緊張してきた。加奈子ちゃんとヒロトしか知り合いがいないのだ。
人見知りの僕にはつらい時間である。
僕と違ってほどほどに社交的な加奈子ちゃんとヒロトは平然とした様子だ。
掲示板の前までやってきてクラスを確認する。
50音順で並んでいる。
小原、関川、清水で僕もヒロトも加奈子ちゃんも比較的上の方になるので比較的探しやすい。
ええと、Aクラス…には誰の名前もないな。
Bは、あ、あった僕と加奈子ちゃんだ。
ヒロトの名前はない…残念だ。
ヒロトはCクラスだった。
隣の教室だから会うのは難しくないのでよしとしよう。
僕たちは教室に向かい、ヒロトと別れてBクラスの教室に入った。
席も50音順で指定されていたので指定された場所に座る。
あ行だからどうしても前の方の席になるんだよね。
男の子の時はクラスで一番小さかったから前の方の席で良かったんだけど。
とりあえず席は男子と女子で半分に分けられていた。
分かりやすくするために機械的に振り分けられた感じだ。
か行に他に女子がいなかったようで僕の後ろには加奈子ちゃんが座っている。
よかった。人見知りの僕にとっては友達が近くにいることはありがたい。
先生がやってくるまで僕は加奈子ちゃんと入学のしおりに目を通しながら雑談する。
「わ、見て見て!妖精さんウチのクラスだよ!やったあ!」
視界の隅で何やらハイタッチしている女の子たちがいる。
すごいな。もう仲良くなってるグループがいるんだ。
何を話しているかここからは聞こえないけど。
なんだか楽しそうだ。
教室に入るなり、「しゃっ!おらぁ!我が青春に一片の悔いなし!」
と急に大声を上げる男子もいる。
高校生活が楽しみすぎて理性の箍がはずれたんだろうか?
教室内がだんだんガヤガヤとしてくる。
恐らくクラス全員が揃ったのだろう。
ちょうどいいタイミングで先生が入ってきた。
平凡を絵に描いたような容姿の壮年前の男性だ。
HRを始めるぞーと声をかけ、教室が静かになる。
「えー俺がこのクラスを受け持つことになった佐藤だ。まずはみんな入学おめでとう。俺の担当する科目は数学だ。テストで赤点の際はもれなく追試になるのでその時はよろしく。」
とめでたいんだかめでたくないんだかよく分からない挨拶をした。
「まずは皆それぞれのことをざっくりと知っておきたいから自己紹介を頼む。」
「じゃあ男子から50音順な」
男子達がそれぞれ自己紹介を始めた。趣味や入る予定の部活なんかを紹介している。
ネタに走る者、如才なく簡潔に終える者様々だ。
テンポよく自己紹介が進み僕の番がやってきた。
緊張はするものの既に紹介する内容は考えてある。
「えーと小原千秋といいます。こう見えて日本人です。あと部活は中学の頃から園芸部でした。高校でも園芸部に入ろうと思っています。よろしくお願いします。」
完璧だ。こういうとき緊張して噛んでしまう僕にしては珍しすぎるぐらいに完璧だ。
ネタに走るほどの器の大きさはもっていないのだ。
これでいい。
深い感動はいらない。
代わりに夜眠れなくなるほどの絶望もいらない。
ただ僕は植物のようにおだやかに日々を生きていたいだけなんだ。
何一つ失敗のない自己紹介に僕は安堵してイスに腰を下ろそうとした。
が、思わぬ伏兵が僕に致命の一撃を入れてきた。メバチ指輪に致命補正130レベルのものをだ。
一人の男子が手を上げて発言する。
「はーい!質問があります!」
質問だと!?今まで質問された生徒はいなかっただろうが!
何故僕で!?
佐藤先生がその男子に釘を刺す。
「いいけど、ひとつだけな。後がつっかえている。」
「大丈夫です。ひとつだけなので。
小原さんは彼氏いますかー?」
「は?」
彼氏?何だソレ。彼氏ってなんだっけ?つまり男のボーイフレンドってやつか。
なんとなく脳裏にヒロトが浮かんだ気がするが、その真の意味を理解した時には僕は憤然として言い返した。
「僕は、彼氏なんていないし!興味もないですし!作るつもりもありません!絶対に!です。」
やめてよね。そういう意地悪。
僕は炎を纏った怪鳥のごとく愚かな質問をした男子を『キッ』とにらみつけた。
防御力が一段階下がったような音がした男子はすんませんでしたと謝って。席についた。
声を荒げたことに恥ずかしくなった僕は席に座ってうつむいた。
その後の自己紹介は特に起伏もなく終わり……(僕の醜態だけ目立ってしまった格好だ。)
学級委員等の役職を決め、翌日以降の予定の解説、注意事項を聞いて、本日は解散となった。
この後部活の見学に行ってもいいらしい。
園芸部に向かおうと思い、腰を浮かせかけた僕はクラスの女の子の大半に取り囲まれた。
「彼氏いらないってほんと?もったいないよ-?」
「その髪すっごいキレイ!トリートメントどうしてるの?」
「ね、この後隣のクラスの男子と合コン行かない?すっごいカッコイイ人いるんだって。」
「あ、ずるーい!私たち女の子だけでカラオケ行くのがいいよね?」
「日本人って言ってたけどすっごい美人!ハーフ?」
「カレーにちくわは入れる派?入れない派?」
口々にまくしたててくる。
僕は聖徳太子ではないのでいっぺんには答えられない。
初対面の女の子達相手に平然と対処する度量もない。
うろたえてしまった僕を守るためどうどうと加奈子ちゃんが取り仕切ってくれた。
あ、カレーにちくわはアリだと思います。
「千秋に色々聞きたいことはあると思うけどひとつずつね。この後部活見学したいそうだし。」
ほんと頼りになるなあ加奈子ちゃん。
結局僕は男の子の頃から何も成長してない気がするぞ。
そんな僕の心の内を知ってか知らずか女子の一人が発言した。
「へぇー加奈子ちゃんと千秋ちゃん幼馴染の付き合いなんだー。」
「うん、幼稚園の頃から一緒だよ。」
「なんだかまるで王子様とお姫様みたいだね。」
「それわかるー」
お、僕のにじみ出る男子力が初対面の女の子に通じたらしい。僕が王子様だなんてちょっと嬉しいぞ。
加奈子ちゃんのおかげで質疑応答はなんとか終わったので、僕は園芸部に向かうことができたのであった。




