1話 花のくちづけ
遥か宇宙の彼方、コンテナを搭載した宇宙船が周囲を憚るように進んでいる。
積荷の中身は国家間で厳重に管理されている植物の種子で、軍の護衛がついてようやく輸出の許可の下りるものであった。
しかし、この船は単独で航行しており、護衛とおぼしきものの姿はない。
挙動不審なこの船は密輸船だった。
船内で異星人の若い男がシートに背を預けながらぼやいた。
「たかが、植物の種ごときにどうして軍の連中が血眼になってるんですかねぇ」
隣で船の操縦をしている壮年の男が仏頂面で答える。
「黙ってレーダーを見ていろ。こいつの効能は良くも悪くも巨万の富を生むからな。俺達組織の下っ端は黙って報酬を受けとりゃいい。」
「そう、それ結局その効能ってなんなんすか?」
無愛想なおっさんとの会話でもこの際退屈な仕事の気がまぎれるのならばそれでよかった。
「おめぇこいつが何なのか知らねえで運んでたのかよ。」
全く近頃の若造はと月並みな悪態をついて
「そいつの花の蜜でできるクスリはな、男が服用すると女に変えちまうんだ。そいつの特徴をある程度残しつつとびきりの上玉によ」
「は?」
「表向きは性同一性障害の治療薬って形で医療機関におおっぴらに流通してるらしい。だが、2度目以降の服用は強い快楽を伴うからな。依存性もある。2度服用させればいくらでも売人の言いなりになるお客様のできあがりさ。」
「へぇ、オレはロクに学校も通ってなかったんで一般にそんなものが出回っているなんて知らなかったすよ。こいつがねぇ…しかし、病院の治療で女になった男とうっかり結婚して後で知った日にゃいくら美人でもオレ、一生自己嫌悪に陥りそうですわ。」
若い男がニヤつきながら言った。
「分かったのなら黙って作業しろ。組織がクスリを使って誰が不幸になろうが俺にはどうでもいい。」
おっさんが煩わしそうに言ったところで唐突に通信が送られてきた。
「こちらはTS宙域治安維持軍である。貴船の所属を明らかにし、直ちに停船しろ。指示に従わない場合、撃墜が許可されている。」
物々しい武装をした船団が接近しつつあった。
「ちょっまずいっすよ!軍につけられてましたよ!」
「馬鹿野郎!レーダーを見ていろと言っただろうが!」
積荷の正体が判明すればどこの国家でも極刑、または監獄型資源惑星アバシリーでの終身懲役刑である。極刑は免れてもアバシリーに収監された囚人は、刑期が決まっていても過酷な労働で帰らぬ人となることが多い。
捕まるわけにはいかなかった。
部下を殴りつけた男は船のスピードを上げるべくあわただしく計器を操作しはじめた。幸いここはデブリ地帯だ。岩礁に逃げ込めば小回りのきかない軍艦がこちらを見失ってくれる可能性は十分にある。
急に速度を上げはじめた不審船を観測した軍は、こちらの指示に従わないものと判断し、攻撃を開始した。
「ちょ、ミサイルにビーム砲!オンボロ輸送船に使う武器じゃないっすよ!」
「やかましい!シールドを張れ!死にてえのか!」
「死にたくないっすよ!オレまだ童貞なんですよ!」
「テメーは馬鹿か!生き延びりゃ報酬でいくらでも女を抱けばいいだろうが!女は元男かもしれねーがな!」
「こんなことになるならヤクザになんてならなきゃよかった!」
船内での言い争いをよそに非武装の船1隻に使うにはもったいないほど税金をふんだんに投入した官民癒着の贅沢な火力が叩きつけられてくる。
単なる輸送船にこれを避ける術もなく、砲撃であっさりと爆発し童貞の無念もろとも宇宙の藻屑となった。
任務の完了を判断した軍は速やかに撤退を開始した。
不審船の撃墜に過剰な攻撃を行うことは国際法で禁じられている。だが、密輸の横行に国民の軍への不満は日に日に高まりつつある。上層部は成果をあげろとせっついてくる。非武装の船一隻逃したとあっては他宙域の同僚から失笑されることは間違いなしだ。船団の司令官はこの宙域のデブリ駆除を名目に不審船を撃墜して功績を上げ、己のメンツを守りながら出世の足がかりにしようとしていた。
結局のところどんなに科学が発展した宇宙人であっても知的生命体である以上己の欲望を律することはできなかったのだ。
そんな宇宙人達の欲望の坩堝をよそに、密輸船のコンテナだけは奇跡的なことに多少程度の損傷は見られるものの積み荷を保護する程度には無事だった。
偶然にも近くのデブリがコンテナを守ったのだ。派手な火線がコンテナの存在を見失わせたことも大きい。
爆風の衝撃で慣性に流されるままコンテナはどこの国家の管轄にもあたらない太陽系に飛んでいった。
そして気の遠くなるような年月をかけて地球の引力につかまり、落下していった。
コンテナは大気との摩擦で燃え尽きていったが、最後まで積荷の種子を守り切り、大地に種子をぶちまけた。
種子の大半は鳥や魚のエサになったが、野生の動物の性別の変化などは誰も気づくことなく、忘れ去られていった。
残った種も地球の環境に適応できず芽を出すことはなかった。
ただし日本に降った一粒の例外を除いて。
※魚には現実にTSする種がいます。人類はどうしてTSしないんでしょうかね……
宇宙の事情とは関係なく地球は暖かな日差しを浴びて生命を祝福するように柔らかな大気を循環している。
とある中学校の花壇で少年少女が草むしりに精を出していた。
気持ちの良い春の陽気が暖かい。草花のほのかな青い香りが肺を満たす。わずかに吹き出てきた汗を首にまいたタオルで拭きながら僕小原千秋は幼馴染の清水加奈子ちゃんに声をかけた。
「加奈子ちゃんありがとう。せっかくの春休みなのに手伝ってもらって。園芸部も引退したのに」
「いいのいいの、今日は特に予定なかったしさ。体も動かしたかったし。それに長かった受験勉強が終わって、いい加減に外の空気を思いっきり吸いたかったんだよね。」
加奈子は立ち上がってのびをし、深呼吸を始めた。
彼女の身長は163センチもある。
ジャージに包まれた肢体はすらっとしたスレンダーな体型だ。思春期に入ってからはその体は若干ながら丸みを帯びてきており、
まるでモデルさんのようだ。猫の毛のようなショートヘアと勝気な瞳は輝いていて僕はその姿に少しドキドキしてまう。
僕の身長は150センチで、言うまでもなくクラスの中で一番身長が低い。運動能力も最下位の非力なもやしっ子だ。
肩幅が華奢で顔のパーツも小さな僕は周囲にいつまでも子供扱いされ、特に加奈子ちゃんを見上げないと目が合わないことはイヤでしょうがない。
同い年なのに彼女の僕に対する弟分扱いは幼い頃から健在で、僕は思わずため息をついてしまう。
せめてあと10センチ身長が伸びないだろうかと毎日牛乳を飲んでは背を測る日々が続いている。
自己嫌悪に陥っていると加奈子ちゃんが僕の頭をくしゃくしゃとかきまわした。
「せっかく自由になれたのに辛気臭い顔しない。ほら笑顔笑顔♪千秋は笑顔の方がカワイイんだからさ」
「カワイイって男の僕が言われたってうれしくないよ。」
小動物扱いされているようで僕はムッとした顔で抗議する。
が、むくれた表情はどこかの琴線に触れるものがあったらしい。
ほほえましいものを見る目で僕の頭を優しく撫でる。
「さぁーて私はちょっとトイレに行ってくるわ。」
「うん、行ってらっしゃい。」
加奈子ちゃんがトイレに立ったので草むしりを再開する。
この春中学を卒業し、高校生活を目前にした春休み。
3年間を過ごした園芸部の花壇に最後の奉公と意気込む。
僕は花を鑑賞するのが好きだ。個性ある香りも好きだし、食用の花も大好きだ。刺身の上のタンポポ、いわゆる食用菊は食べる派だし、イタリアンやフレンチに添えられるパンジーの花びらなんかも好きだ。
イチジクも花を食べていることを知った僕は花の奥深い世界に感動したぐらいだ。
そして、花に等限らず美しい植物は、ただそこにあるだけでテレビに出てくるどんなアイドルにも見劣りしない魅力を僕に感じさせてくれる。
後輩たちがどんな風にこの花壇を飾ってくれるのだろう。
高校生活が始まってもたまに覗いていこうかなと思いつつ草をひっこぬく。
すると雑草の中に見慣れない花が咲いているのを見つけた。
長さ15センチ程の茎にチューリップの花弁のような花が垂れさがっている。
青白く透き通っていて水色に近い。ほのかに発光しているかのように見えた。
清純でありながら時にあでやかな花びらの美しさに胸が知らず知らずの内に動悸し、うっとりと見入ってしまう。
僕の自室には自慢の色とりどりの鉢植えが置いてある。自室は我が城であり美しい花達は僕の側室だ。我が家の家庭菜園は王たる僕の領地なのである。
脱線した。これ野草みたいだし持ち帰ってもいいよね…?
僕ですら見たことのない花だ。
風か鳥が運んできた外国産のものだろうか。
植える予定のリストになかった植物だし、問題ないだろう。
この花は僕のお妃にする!
幸い土ごと持ち帰る道具も持ってきている。
どうやって掘り起こそうか観察していると花の中心部から透明な液体がしたたっているのを見つけた。
「花の蜜かな…?」
小学校低学年の頃公園の花壇に植えられているサルビアの蜜を吸っていたことを思い出す。
ほのかな甘さが好きだった。さすがに今は体面があるので決してやったりはしないが
気づくと花に顔を近づけていた。
ふわりと甘くそれでいてしつこさのないいつまでも嗅いでいたい香りがした。
脳がしびれるような香りだった。
あまりにも魅力的な花弁と香りに僕は翻弄された。
姫、口づけをしてもよろしいですか?
僕は衝動に流されるまま、花に口づけをした。
甘かった。脳が、体がとろけてしまうかのようだった。
顧問の先生が身近な植物でも人の命を奪うことがあるから絶対に食べないようにと講義していたことを頭の片隅において僕は夢中で花弁にむしゃぶりついた。
食虫植物の罠にかかる昆虫ってこんな気持ちなんだろうなと思いながら。
濃厚な甘さでありながら爽やかに舌を、口内を優しく刺激する。
「んう…ん…」
今だかつて経験したことのない快楽が全身を巡り声が漏れてしまう。
蜜らしきものがなくなり甘さの余韻に陶酔していると背中から突然声がかかった。
「千秋何してるの?」
「!?」
加奈子ちゃんの声で正気に戻され、油の切れたゼンマイのようにギギギと振りかえる。
加奈子ちゃんが心配そうな目で見ていた。
「え…と…あぅ」
なんと返事をしたものか分からず言い淀んでしまう。
「顔赤いよもしかして日射病じゃない?保健室に寄ってく?」
去年の夏僕が日射病で保健室に運ばれたことで心配しているらしい。その時親友の男子にお姫様抱っこをされながら運ばれていったことは今だに消えない僕の心の傷だ。
ともかくそれ以降炎天下の中にいるときは加奈子ちゃんは僕の世話を焼くようになった。
なんとなく後ろ暗いことをしていた気分だったため、今に限ってはその誤解はありがたい。
「大丈夫だよ日射病じゃないから」
「ならいいけど水分はとりなさいよ」
加奈子ちゃんはカバンから水筒をとりだしてコップにお茶を注ぎ僕に手渡した。
先程の蜜の甘い余韻が残っていて、水筒のお茶で流してしまうのが残念だったけど、加奈子ちゃんの厚意を裏切るわけにもいかなかった。
僕はとろんとした表情のままお茶を飲む。
「ん……ふぅ…」
男としては白く細い僕のノドが動き、お茶を嚥下する。
ひといきついて加奈子ちゃんを見ると彼女も顔が赤い。
「大丈夫?顔が赤いけど。加奈子ちゃんも飲んだ方がいいんじゃ…」
「ううん私は大丈夫!」
僕を観察していた加奈子ちゃんが言った。
「それよりさ、千秋あなた喉仏ってあったっけ?」
「えーといくらなんでも男なんだからあるはずなんだけど僕は首が細いから目立たないだけじゃないんかな?」
「言われてみればそうかも…」
おかしいなと言いつつ加奈子ちゃんはしきりと首をひねっている。
が、彼女は普段さほど悩まない性格なので
「まあいっか再開しましょ。」とあっけらかんと言った。
足元に目を戻すと蜜を失った花は急速に萎れ、カサカサの干物になっていき、やがてボロボロと崩れ、存在した痕跡を残すことなく消した。
先程までの時間が夢か幻だったかのように……
1時間後僕たちは作業を終えた。
昼ごろから作業を始めて陽は既に傾き始めていた。
立ち上がるとしゃがみっぱなしだったことに対する抗議か、腰と背中に鈍い痛みを感じた。
「おつかれさま、帰ろっか」
顧問の先生に最後の挨拶をし荷物をまとめて僕たちは校門を出た。
それにしても体が熱い。
自分でも顔が赤くなっているのが分かるぐらいだ。
動悸も激しい。
あの花の蜜を口にしてからだんだんとこの症状が強くなってきている。
加奈子ちゃんには一度日射病を心配されたことで迷惑をかけたくなかったので僕は努めて平静を装った。
体の熱量が高まっていくにつれて僕は気が気でなくなっていた。
毒があるかもしれない、知らない植物を口にしてしまったからだ。
毒のある植物を無自覚に摂取して病院に搬送され、ニュースになるケースは年に何度が報道されている。
今の時期であればスズランなんかがそうだ。
微量でも強い毒を持ち葉っぱがニラと似ているため、気付かず料理に入れて中毒症状を起こす事故が毎年のように起きている。
公害に強いとされ植えられているキョウチクトウの木には猛毒があり、バーベキューでこの木の枝を串にしたことによる死亡例も存在する。
植物というのは身近なものでもうかつに触れればただではすまされないことがあるのだ。
僕は今さらながらこの教訓を思い出し、青くなっていた。
僕の表情の変化を高校生活への不安とでも受け取ったのか加奈子ちゃんは
「不安なのは分かるけどさ、私もフォローするから元気出しなって」
といって背中をバシバシ叩いた。
「うん、ありがとう加奈子ちゃん」
悩んでも始まらない。
家に帰ってとりあえずはゆっくり休もう、やばかったら最悪素直に親に相談しよう。
そう決心して僕はうつむくのをやめた。
気づけば家の近くまで来ていた。
途中で膝をつかなかった自分を褒めてやりたい気分だ。
「じゃあまた。春休み中暇だったら連絡するね」
体調不良を加奈子ちゃんに知られないよう言葉を絞り出して僕たちは別れた。