魔導士は磔におくれ(上)
黄昏に沈む旧市街の路地を、アルとフレッドが並んで歩いている。
「いやー、それにしてもすごい人ごみと熱気だったな、商業取引所」
アルは感心していた。
「あと想像以上にたくさんの株や証券があって驚いたよ。貿易会社や鉄道会社の株ばかりかと思っていたが、まさか貴族の預り証まで売買されていたとはなあ」
「ありゃぁ金を貸した銀行が、回収できねぇ負債と見なして売り払ってんだぁ。手ぇ出すと痛ぇ目にあうぞぉ。しっかしアルよぉ、おめぇ財布に二ディール六百セタしかねぇのに、よく株を始めるなんてぇ言えたなぁ? 帰ぇりの馬車代までたかりやがってよぉ……。株なめんなぁ」
「オヤジが俺を誘ったんだろ。心配すんな、今日借りた金は利子つけて返すから」
「是非そうしてくれぇ」
アルはコートのポケットからカルタゴの一ディール銀貨を取り出した。表に国王の顔が描かれたその銀貨を、親指で空中へ弾く。ピーンと高く澄んだ音色がした。
「それにしても……本当にいい銀を使っているな……」
落ちてきた銀貨をアルはキャッチした。
それはネミディアの鉱山で採れた銀を使って出来た硬貨だった。そしてこの銀貨こそがカルタゴの金融業を支え、空前の好景気を生み出しているのである。
加えて景気がいいと、税も多く入るようになり、政府の懐も潤う。
そもそも一番儲けている大手の貿易会社、製鉄会社、鉱山会社、建設会社などの大株主は、ほとんどが王族か貴族なのだ。
「……よく出来たカラクリだ」
アルは感慨深げに銀貨を見つめると、ポケットにしまった。
「そういやアル、おめぇマテリアルギアの株価をずいぶんと熱心に見てたなぁ。ほしいのかぁ?」
「興味ある」
「わかるぜぇ、その気持ちはよぉ。だがありゃぁ元国営企業で、株主は九十パーセント以上がぁ王族を占めてらぁ。社長も国王の従弟が務めているくれぇだぁ。一株でもありゃあ、俺なんかは一生遊んで暮らせるんだろうがぁ……残念ながら民衆にゃぁ手の届かんお宝だぁ。
それよりもアル、今ぁ帝国の企業の方がぁ狙い目だぞぉ」
「帝国か……。長年カルタゴとは犬猿の仲だった帝国の会社が、カルタゴ国内で出資を募っているとは、驚愕だな……」
「それだけ今のカルタゴにゃぁ金があるってぇことよぉ。俺もよぉ、近けぇうちに、中央大通りに店を持つ予定だぁ」
「はあ? 何だよそれ。中央大通りに軒を連ねているのは貴族の経営する店や、老舗の大商人ばかりだぞ。第一、今やってるパブはどうすんだ?」
「売る!」
「売るうぅ?」
突然のショッキングなカミングアウトに、アルは鸚鵡返しに訊ねた。しかも巻き舌で。
「実ぁはなぁ、カディス湾の港と、カディスの街中と中州の三つを繋ぐ鉄道を造るってぇ都市計画があるんだぁ。町のど真ん中に列車を走らせて、人と物の流通をより活発にすりゃぁ、カディスはさらに発展するし、景気もさらによくなるってぇことらしい。
そんでぇそのセントラルステーションの建設予定地がぁ、今の旧市街なわけよぉ。
あの辺りの地価はぁいずれ上がるぜぇ。すでに地上げが始まってるってぇ情報もあらぁ。だからあの店の土地が最高値をつけたところで売っぱらってぇ、株で稼いだ金と合わせりゃあ、中央大通りの建物一つくれぇは買ぇるはずだぁ。すでに目ぇつけてある物件もあんだぁ」
「ほお……」
「俺ぁはそこで、これまでとは全く違う新しい商売を始めるぜぇ」
「新しい商売? 何すんだ?」
「不動産だぁ!」
「不動産っ?」
これまた想定外の答えに、再びアルは単調に鸚鵡返ししてしまった。
「中央大通りの建物をぉ手に入れたらよぉ、そこに貸し店舗を入れるなぁ当然のこととしてぇ、他にも郊外の安ぅい土地を仲買人に頼んでぇいくつか買ってもらってんだぁ。このまま都市開発が進みゃぁ、拡張工事でいずれ必ず値が上がるだろうってぇ土地をなぁ。
これでまたさらに儲けてやりゃぁ、そんときゃ、そんときゃあ……俺も上流階級の仲間入りだぜぇガハハハハハ」
「じょ、上流階級……?」
熊のような厳ついガタイを丸めて猫背で歩く、髭がもじゃもじゃのむさい男に、上流階級という肩書きはどうもしっくりこなくて、アルは苦笑した。
でもフレッドはお構いなしだ。
「おぉうよぉアル、上流階級だぁ。そのうちカディスの北西にある、高級住宅街の貴族の屋敷も買ってやっからよぉ」
「ちょっと待てよオヤジ。中央大通りの物件だって俺たちからすれば雲の上なのに、貴族の屋敷なんか絶対に無理だろ」
「ガハハハハハ、長らくカディスを留守にしていたおめぇがそう思うのも無理ねえがなぁ、実ぁ投資や事業で失敗した貴族が、負債処理のために屋敷を売りに出してんだよぉ。これを手に入れてやりゃあ、周りの奴らぁ俺のことを“サー”とか“ロード”って敬称で呼ぶに……」
「あーオヤジ、熱く語っているところ悪いんだが、正直話が飛躍しすぎて、ついていけねえよ」
水を差されたフレッドは渋い顔をした。
「ちぃっ、リーナと同じ様なことを言いやがらぁ。あんの石頭も現実的じゃねぇとか、つまらねぇ寝言はやめろだとか言ってよぉ、相手にもしてくれねぇ。ふんっ、見てろよぉ。そのうちどっちが正しかったのかぁ、思い知らせてやるぜぇ」
「オヤジの野望は果てしないなあ……ん?」
リーナのパブが見えるところまで来て、アルの表情が突然強張った。
なぜなら、店の前にいるフィアとロンの後ろに、軍服を着たカルタゴ兵がいたのだ。カルタゴ兵は今、何も武器を持っていない。隙だらけだ。
アルは状況を読み取ると、瞬時に決意し、腰に下げている魔剣の柄を握った。
「お、おい、アル?」
フレッドが呼び止めるのも聞かず、アルはカルタゴ兵に向かって一直線に走り出していた。足音を消し、まるで滑るかのように接近していく。
カルタゴ兵が、瞳に殺気を宿らせ、ものすごい速さで接近するアルに気づいたようだ。だがもう遅い。あと半歩踏み込んだらそいつの首を刎ね飛ばせる。
というところで、アルとカルタゴ兵を隔てるように、パブの扉が開いた。アルは扉の前で急停止した。
「あら、お帰り。みんな一緒なのね」
店から顔を出したリーナが、全員の顔を見回して飄々と言った。
「あー、アル! 捕まえたっ!」
アルに気づいたフィアが飛びついてくる。
「ねえねえアル、これケリーのお母様が作ったのなんだけど、食べてもいーい?」
「は? 何? ケリー? ……って誰だ?」
新聞紙で出来た紙袋を掲げて意味不明なことを言うフィアに、アルは眉根を寄せた。
だが、それよりも今問題なのはカルタゴ兵だ。アルはフィアを自分の後ろに隠すと、カルタゴ兵に向かって臨戦態勢をとった。
しかし……
「スコットも一緒なの? ネミディア人同士仲いいわね」
「スラムで会ったんだ。軍務が終わったら姐さんの店へ行くって言ってたから、帰り道で待ち合わせたんだ」
「ど、どうもリーナさん。店はもう開いてますか? ちょっと早いですかね?」
「今開けようと思ってたところよ。さあさあ、入って入って」
リーナ、ロン、そしてカルタゴ兵は和気あいあいと話し始めた。
「知り合い……なのか? リーナ」
アルが警戒しながら訊く。
「あなたと同じネミディア人のスコットよ、アル」
「どうも、スコットといいます。見ての通り、軍人です」
スコットは軍人らしく背筋をピンと伸ばした姿勢で自己紹介をし、口を結んだまま微笑した。
茶髪を短く刈り上げた、生真面目さだけが取り柄と思わせるような、朴とつそうな青年だった。体格はアルとそう変わらない。
「……ネミディア人がカルタゴの軍人やってるのか?」
まだ警戒を解いていないアルは、疑わしそうに訊ねた。
するとスコットは、あはははと軽く笑った。
「よく言われます。変だって。ところであなたが噂のアルさんですか?」
「噂? どんな?」
「リーナさんやロン君からよく聞いてます。会えて光栄です」
スコットは右手を差し出して、握手を求めてきた。アルは躊躇いながらも、ここで不信感を持たれてはマズいと、その手を握り返した。
「……旅商人のアルバートだ」
続きます。