エピローグ2 ~虚宮~
魔宮から脱出したディド三世は、イサベルを抱きかかえてメルカルト宮殿の中庭を歩いていた。
すでに夜は明けている。日の光は王宮内に刻まれた昨夜のクーデターの爪あとを、鮮明に照らし出してる。
ハンニバルの兵に荒らされた後の庭は、無残なものだった。
だが幸いにも、クーデター側の兵は見当たらない。それどころか周りには人っ子一人いなかった。人のいる気配すら感じない。まるで廃墟のようだ。
しかしディド三世は、これでこそ自分に似合いの宮殿だと思った。
肌寒く、静謐な朝の空気を吸い込むと、生まれ変わった気分になる。
ディド三世は、娘を宮廷の中庭にある、東屋のベンチに寝かせた。イサベルはまだ眠りの中である。
そこでディド三世は、背後に人の気配を感じた。誰だろうと振り向いたその瞬間、肩に軽い衝撃を感じた。誰かがぶつかってきた。
「エリッサ……?」
何と相手は王妃のエリッサだった。
「どうした……?」
妻の肩に手をかけようとしたとき、ディド三世は己の太ももが濡れているのに気づいた。同時にわき腹に熱いものを感じた。
見るとエリッサは、ディド三世のわき腹に短刀を突き立てていた。傷口から流れ出る血潮が、ズボンを紅く濡らしている。
ディド三世は膝から崩れ落ち、うつ伏せに倒れた。
「ふふふ……ほほほ……ははははは……やったわハンニバル。これで私たちの間を邪魔するものは何もないわ。約束通り二人でこの国を支配するのよ。今日からこの国の全ては私たちのもの。ほほほほほほ、ハンニバル、何処? 何処なのハンニバル?」
エリッサは狂喜し、小走りで去っていった。
芝生の上に倒れ込んだディド三世は思った。
果たしてこの国に、命を捨ててまで、自分のためにハンニバルと戦う者がいるだろうか、と。知人も部下も数え切れないほどいるディド三世だったが、そんな人間はおそらく一人もいないだろう、という結論に達した。妻でさえ、ハンニバルに傅いたのだ。
それを思うと、自分が友と呼べる者は、我が怨敵のハンニバルと正面きって戦い、愛娘の命を救ってくれた、あの魔法使いだけのような気がした。(自分のことを分かっていたのはハンニバルと魔法使いだけだった?)
最後に国王は倒れた状態で、娘の寝姿を確認した。愛する一人娘はちゃんと生きている。ならば悔いはなかったし、またその事実が己の死の恐怖をわずかばかり和らげた。
「イサ……ベル……」
愛娘の名を口にすると、ディド三世の意識は、二度と浮かび上がることのない、深い常闇の底へと沈んでいった。
次回でいよいよ最終話です。




