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ロード・オブ・ロード  作者: 中遠竜
第4章 エピローグ
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エピローグ1 ~さよならソニー~

 九年前のカディス・ダウンタウン。そこはカルタゴ中にある密輸組織インディゴの隠れ家のひとつだった。

 そこのテーブルに座って、ナイフを研いでいる一人の男がいた。背が高く、体格もがっしりしているが、顔は細面の美丈夫だ。


「ねえソニー」


 後ろから声をかけられ、ソニーは無言で振り向いた。


 髪を短く切り揃えた少女がそこにいた。リーナはつい先日、十五歳になったばかりだ。今彼女が着ている藍色のワンピースは、その誕生日にソニーがプレゼントしたものだった。


「ここの一階、物置にしか使ってないなら私に使わせてくれない?」


「ん? ……何に使うんだ?」

 抑揚はないが、低くて渋い声だった。


「お店を開きたいの」


 ソニーの問いかけに、リーナは笑顔で答えた。


「店? 何の店だ?」


「美味しい料理とお酒を出すお店」


「酒場でも開くのか?」


「んー、そうね、もうちょっと小洒落れて、パブみたいな……」


「……どうしたんだ、急に?」


「みんな私のシチューはカルタゴ一の絶品だって言ってるじゃない。きっと売り物にしたら儲かると思うの。それに、作った料理を美味しそうに食べてもらうの見てると、私うれしくなっちゃうんだあ」


「……」


「店のテーマは、無愛想な亭主と美人で愛嬌のある奥さんの、夫婦が営むパブよ。亭主は無口でいつもムスッとしていて近付き難いから、接客は奥さんが主にやるの。そして奥さんに気のあるお客さんは、亭主に聞こえないようにこう言うのよ

 『あんな無愛想な男はやめたらどうだい。俺の方が君のことを幸せにできるぜえ』

って。それに奥さんはこう答えるのよ、

 『悪いわね、あの人見てると放っておけなくて……私が傍にいてやらないとダメなのよ』

……」


「……やめておけ」


「何でよ?」


「お前の料理、みんな半分はお世辞で言ってるだけだ」


「酷っ! 失礼しちゃうわね。嘘よ、みんな本気でカルタゴいちだって言ってくれてるのよ。ソニーはもっと素直になるべきよ。そうしないと、そのうちみんなに愛想尽かされて、裏切りに合っちゃうわよ。このバーカ!」


「……ついでにその口の悪さ、客商売に向いてない」


「客の前じゃ猫かぶるもん」


「それから、ここら辺の住人はスネに傷ある与太者や、犯罪者ばかり。お前が思っているような、上品で気のいい、カタギの客なんざ来ないぞ。もしかしたら、売上金を狙う強盗が押しかけてくるかもしれんな」


「どうして人の夢を壊すようなことばかり言うのよ。信じらんない! 嫌い!」


 リーナはふくれて、ふんっとそっぽを向いた。


「……リーナ、悪いことは言わない、女一人で店の切り盛りするなんて、お前が思っている以上に生やさしいもんじゃない」


「じゃあ、ローザはどうなの? 独立してて、何人も娼婦抱えてて、おまけに自分の娼館まで持ってるじゃない」


「……ローザに何を言われたのか知らないが、あいつを見本にしたり、張り合おうとか思うな。それにあいつ、お前の幾つ年上だと思ってるんだ? キャリアも人脈も遠く及ばないだろ」


「私が子供だって言いたいの? 冗談じゃないわ。この間の絹の取引、私の商談で予定よりもずっと儲かったでしょ。それに比べたら客商売なんて軽いもんよ。あと……」

 と、リーナは俯いて頬を赤らめた。

「この間の……誕生日の晩に、私にしたことは何? あれって、私を子供じゃなくて、一人の女として見てくれたってことじゃ……ない……の……?」

 リーナはごにょごにょと語尾を濁した。


 するとソニーはナイフを置き、リーナの頭を撫でた。ソニーの掌は大きくて分厚くて、リーナの小さな顔などすっぽり隠れてしまう。この大きな掌なら、世の中に散らばる宝の全てを手にしてしまいそうだ、と幼いリーナは思った。


「だからこそだ」

 ソニーはリーナの頬をさすりながら言った。

「お前は俺の言うとおりにしていればいいんだ。そうすれば何不自由のない暮らしを約束してやるから……」


「ざけんな!」

 リーナはソニーの手を振り払った。


「それじゃ嫌なの。そんなんじゃちっともうれしくないの! 私はね、いつまでもソニーの小さな妹や部下のままじゃ嫌なの。対等のパートナーになりたいのよ!」


「なぁに騒いでやがんだぁ? まぁた犬も喰わねぇってやつかぁ? ガキの頃からよくもまぁ、ケンカのネタが尽きねえなぁ、おめぇらぁ」


 階段から、ソニーよりも更に一回りでかい、髭面の大男が降りてきた。


「フレッド……じゃない、お父さ~ん」


 リーナは急に猫なで声になって、小走りでフレッドのところへ行った。


「どぉしたぁ、俺の可愛ぁい娘よぉ。ソニーに酷ぇことでも言われたかぁ?」


「うん、あのね……」

 リーナはソニーに話したのと同じように、ここでパブを開きたいとフレッドにねだった。

「お願い、お父さん!」


「めぇったなぁ。おめぇに頼まれると、どうしてかぁ嫌たぁ言ぇんだよなぁ、俺ぁ。う~ん……そうだなぁ、まあ、赤字にならねぇって約束するならいいかぁ」


「やった! お父さん大好き」


 リーナは気球のように膨れあがったフレッドのお腹に抱きついた。


「ぐっはっはっはっはっはっは……」

 自然とフレッドの目尻が下がる。


 ソニーは溜息をついた。

「親父、またリーナを甘やかして……」


「いいじゃねぇかぁ、こいつの笑顔にゃぁ、みぃんな癒されてんだぁ。これっくれぇのワガママ聞いてやってもよぉ」


「さっすがお父さん。ソニーより体も器も大きい!」


「ガッハッハッハッハ。でもなあリーナ、もし儲けが出ねぇようだったらぁ、そんときゃぁ潔く店をたたむんだぞぉ」


「わかってますって」


「やれやれ、為にならんぞ……」


 リーナはソニーに向かって、べーっと舌を出した。


「大頭目の許可をもらったんだから、もう誰にも口を挟む余地はありませーん。べー!」


「こいつ……」

 ソニーは苦虫を噛みつぶしたような顔をした。


 でも、それから店を開くのに、一番協力してくれたのがソニーだった。


 店の間取りを自ら引き、部下に改装を手伝わせ、調度品も手配してくれた。更に、インディゴのネットワークを使って、酒の製造業者や卸業者なども紹介してもらった。

 店の看板も用意してくれたのもソニーだった。彼の手作りで、とても褒められたような出来ではなかった。けれども、傷だらけになったソニーの指を見たら、文句など言えなかった。

 店の看板は、ソニーが死んだ後も変わらずに掲げられてきた。




 あれから九年。




 カディスの町のあちこちで火の手が上がっている。クーデターの混乱は、最早町中に広がりつつあった。


 クーデターに乗じて脱獄した囚人や、潜伏していた犯罪者、国益を独り占めする貴族たちに鬱憤の溜まっていた貧困層の人間たちが暴徒と化し、火事場泥棒をやっている。


 また、現政権の最高責任者である国王ディド三世も、クーデター側の首謀者であるハンニバルも、あるときからプッツリと消息が一切途絶えてしまったことが、混迷に更なる拍車をかけていた。両者が共に不在となったことで、カルタゴは一時的にとはいえ、統治者のいない無政府状態に陥ったのだ。それがクーデターの収集をつかなくさせているのである。


 金融と産業で近年稀に見る栄華を誇ったカディスの町は、一晩で修羅の巷に変わり果てた。



 リーナはカディス西側の郊外にある、貴族の邸宅街を更に西方へ行った小高い丘の上で、混沌に沈む町を眺めていた。彼女の後ろには三台の荷馬車がある。それには、陸軍基地の地下室から救い出してきたネミディアの娘たちが乗っていた。


 東の空からは朝日が昇りだした。


 ポエニ川がその光を反射し、水面がキラキラと輝く。


 町はあんなに混乱しているのに、それだけは昨日と何も変わらない風景だった。


 二十年程前、この町に住むようになってからずっと……あの日、ソニーが死んだ後もずっと、今日まで変わらず、毎日眺め続けてきた景色だ……。

 そしてこの後もきっと変わらないのだろう。


 変わるのはいつも人間たちの方だ……。


「姐さん、出発の準備が出来たよ」


 リーナの後ろからロンが報告した。


「ん……わかった」


 最後にリーナは、ポエニ川の流れに向かって言った。


「さよなら、ソニー……」


 別れを済ませると、リーナはロンたちの方に振り返った。するとそこには、亡くなった恋人の影を追う儚げな女は既に消え失せ、密輸団の荒くれ者たちを束ねる切れ者の女頭目がいた。


「これからカルタゴを脱出する。みんな、気を引き締めな!」



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