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ロード・オブ・ロード  作者: 中遠竜
第1章 魔導士と魔女
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彼女たちの慕情

 明け方の凍てついた空気が頬を刺す。町中の外気に凛とし清冽さがあり、匂いの中にも冷気を感じる。


 リーナは一本筋の入った寒気に思わず首をすくめ、外套の襟を鼻先まで引き上げた。唇から洩れた吐息は、瞬時に白く染まる。冬の始まりを悟った。


 カディスの町は未だ眠りと静寂の中にあり、彼女の周囲に人気は全くない。


 リーナはポエニ川西岸の堤防沿いの道に立ち、藍色から山吹色に変わりつつある東岸をじっと眺めていた。朝焼けが眩しかった。


 川の中央に浮かんでいる中洲には、コンクリートの建物が、数多そびえ建っている。遠くから見ると、まるで整然と並んだ巨大なドミノの駒のようだ。

 それらのほとんどが貿易会社や金融業者のものだ。さらに貿易会社の小型商船が、中洲の岸辺を埋め尽くすように停泊している。始業時間になったら、さらに河口の港に停泊している多くの商船が溯上してやってくる。そして川は船で埋め尽くされるのだ。


 一昔前までは、朝日の昇る地平が、人工物であんなにゴタゴタしてはいなかった。政府主導による、大規模な普請事業のせいで、カディスの街はこの数年で大分様変わりした。




 リーナは日が昇りきった後も、まだ中洲を眺めていた。いや、彼女が見ていたものは、中洲の巨大な造形物群などではなかった。

 リーナが熱心に見ていたのはポエニ川の水面だった。

 いずれ昼になったら小型蒸気船が埋め尽くすポエニ川の水面は、始業前の朝だけ、今だけしか見れないものだ。


 彼女は既に二十分以上もそこにたたずんで、川の流水をひたすらに見つめていた。


 しかも彼女の眼は、何故か悲哀に満ちている。瞳が潤んだように見えるのも、水面に反射した朝日の光が、揺らぎながら虹彩映っているせいではなかった。



「随分と朝が早いんだな」


 声に驚いて振り向くと、十メートル程離れたところにアルがいた。


 リーナは思わず息を呑んだ。


 アルは、人の大事な秘密を暴いたような、優越感に浸った笑みを浮かべている。


 その笑みを見て、リーナは反射的にアルを殺してやりたくなった。が、すぐさま血気に逸る胸中を自戒し、まずは驚きを隠した。さらに顔からあらゆる感情を消した。


「昨日あんなに遅くまで起きてたのに大丈夫か? 寝不足にならないか?」

 ニヤニヤと笑いながらアルは訊ねる。


「ご心配なく、ちゃんと昼寝シエスタをとるようにしてるから。あなたの方こそ、昨日あれだけ飲んだんだから、二日酔いなんじゃないの?」

「あの量じゃ飲んだうちに入らないよ。しかし、リーナって毎日こんなに早起きだったんだな。知らなかったよ」

「まあね。でも、あなたも随分早いじゃない」

「いやいや、俺は、普段は朝食と昼食を一緒に食べる方だよ。ただ、今朝はちょいと用があって、早起きしたんだ。

 それで悪いんだけど、今日一日、フィアの面倒を頼めないかな?」


「あの口の悪い子の?」

「それについては何度も謝っただろ。頼むよ。実は昨日の夜、ホームシックにかかったのか、俺がリーナたちと話しているのを見ていたら急に寂しくなったって、泣いてたからさ……」

「……同じ女の私が思うに、あの子が寂しいって泣いたのは、別のところにあるんじゃない?」

「は?」


「いや、何でもない。そんなに頼むんならいいわよ。でもあなたの用事って何? 面倒を見るんだから、それぐらい教えてくれてもいいでしょ」

「いやー、それはその……」

 アルは気まずそうにしながら、小さな声で言った。

「オヤジと中洲の商業取引所に行くんだ」


「えっ?」

 リーナの形相が次第に怒気を含んでいく。

「あなたねえっ、泣いてる女の子を放って自分はギャンブルに行く気? 最っ低ね。スッテンテンになっても知らないわよ!」

「リーナ、勘違いしてるよ。株はギャンブルじゃないって」

 フレッドと同じ口癖に、リーナの怒りはさらに増したようだった。

「でもオヤジ、昨日の夜かなり飲んでたからな。寝過ごしたりしないかな?」


「ふん、心配しなくても大丈夫よ。前の日にどれだけ飲んでても、商業取引所が開く時間になれば、毎朝ちゃんと起きてくるんだから。ホントに呆れちゃうわ。

 でもね、アル……商業取引所が開くのはまだ何時間も先よ。こんな朝早くに行っても、商業取引所はおろか、インサイドステート街自体に、だーれもいないわよ」

 リーナは鋭い眼光でアルを見据えた。

「フレッドと商業取引所に行くなんて、行きがけの駄賃でしょ。こんな早朝に出かけなきゃならない本当の理由って何?」


 アルの笑顔が少し強張る。彼は何も答えなかった。




 するとリーナはそれ以上追求しようとはせず、話題を変えることにした。

「昨日は、再会を喜んでいるところに水を差すのも悪いと思って、あえて訊かなかったけど、三日前、ウティカの国境で、魔導士が兵士数人殺して逃げたって、新聞に載ってた。あなたの仕業なんでしょ?」


 アルの顔からは、もう完全に笑みは失せていた。


「新聞を読んだとき、すぐにあなたなんじゃないかって思った。そして近いうちに、私の前に現れるような予感がしたわ。だから昨日あなたが現れたときには、本当に驚いた…………」


 アルは観念したようだ。


「さすがはインディゴのヘレナ姐さん、耳が早いな。実は関所を越えるときにヘマしちまったんだ。あんまりしつこく追ってくるから、仕方なく四人 った……」

「……あなたがネミディアからカディスに来た目的って何? やっぱり復讐?」

「半分正解だな。もう半分は、その報復活動をやめさせるため……かな?」

「え……?」

 アルは再びニッと笑った。



「そうだ、ロンのことには感謝するよ。本来なら、同じネミディア人である俺が何とかしなきゃいけない問題だったのに……」

「別に感謝されるようなことじゃないわ。それに、ロンの前にも一度、ネミディア人の男の子を拾って面倒見てやったことがあったからね。そいつは無愛想で生意気で、その上常識知らずで、あと鼻の下の長いクソガキだったっけ。それに比べたらロンは聞き分けがよくて、手先も器用で、前の奴より全然楽だったわ」

「耳が痛いな……」

 アルの笑顔は、苦笑いに変わっていた。


「じゃあ、俺は行くから。オヤジが起きたら、ビスカヤ橋で待ってるって伝えといてくれ」

 アルは堤防を下りると、旧市街の町並みの中に姿を消していった。



「まったく、言いたいことだけ言っていっちゃうんだから。男って本当に勝手ね……」

 アルの後姿を見送ったリーナは、心底忌々しそうだった。


                  ◆


「ロン、朝ごはんにするからフィアを起こしてきてくれない」

 店のカウンター内では、リーナが石炭コンロにかけたシチューの鍋をかき回している。

「フィアって?」

 朝の市場で買ってきた食材の入っている布袋を二つカウンターに置きながら、ロンはリーナに訊ねた。


「アルが連れてきた女の子よ。昔お世話になった人のお孫さんなんだって。二階の一番奥の部屋にいるから」

「わかった。あ、ついでにおやっさんは起こさなくていいの?」

「……そっちはいい。寝過ごして遅刻すればいいのよ」

 理由は知らないが、今日のリーナはまた一段と不機嫌だな、と思いながらロンは階段を上っていった。




 ロンはフィアのいる部屋の前に立つと、ノックを二回した。しかし返事はない。人が動いているような物音もなかった。

 仕方なくドアを半分開けて室内を窺うと、ベッドに誰か寝ている。彼女がフィアだろう。


 ただ寝相が悪いのか、布団は足元まで下がっているし、両腕は豪快に広げて、仰向けの状態で寝ている。しかも真っ白なキャミソール姿だ。


 部屋の入り口にいるロンの位置からだと、腕を広げて無防備になった脇が丸見えだった。また、キャミソールの裾がめくれ上がり、呼吸でヘソが小さく上下している様子まで観賞できた。



 ロンは物音を立てないようにして、室内へ足を踏み入れた。ベッドで横になっている女の子を間近にすると、ロンの眼はその子に釘付けになった。


 幼さは残るものの、艶麗で整った顔立ち。磁器のように滑らかな乳白色の肌。シルクのように細くて透き通った長いプラチナブロンド。その髪が朝日に映えて、反射して照り輝きながら枕の上に舞い広がっている。

 湿潤な薄紅色の小さな唇は、わずかに開いて、静かな寝息を規則的にたてている。それがまた妙に艶っぽいのだ。


「か、可愛い……」


 目の前で寝入っている少女は、ロンが今まで見た中で一番 澄明ちょうめいで可憐で清純そうで、尚且つ愛くるしい女の子だった。まるでおとぎ話に出てくる妖精のようだ。


 さらに左側のキャミソールの肩紐が少しずれていて、桜色の乳輪の端がわずかに覗いている。




 ロンの心臓は、機関車のピストンみたいに激しく鼓動しだした。ゴクリと生唾を飲み込む。思わずベッドに覆いかぶさり、吸い込まれるように少女に顔を近づけた。


 少女からは、花の蜜のような、芳しい香りが漂ってくる。


 その刹那、少女は小さくくしゃみをした。

 同時に眼が開き、琥珀のような黄金色の瞳が、間近にあるロンの顔を映す。次第に眼の焦点が定まってくると、少女の顔色は変わっていき、絹を裂くような悲鳴が建物中に響いた。



 ロンは、反射的に放ったフィアの魔力で、壁まで吹き飛ばされた。



 フィアの悲鳴を聞いた階下のリーナは、バタールを切る手を止めて天井を見上げた。



 四階の自室で寝ていたフレッドは眼を覚ました。けど、再びすぐに眠った。



 二階では、布団を羽織ったフィアがベッドの上に立ち、息を荒くして、倒れているロンを睨み付けていた。


 ロンの方は一体何をされたのかわからず、呆然としながら壁にぶつけた頭をさすっている。


「あんた誰っ?」

 フィアは詰問した。

「いや、俺は君を起こしに……」

「アル、何処? アル、変態がいるわよ、助けてアルぅ!」

「ちょ、ちょっと待った」

 ロンは、騒ぎ立てるフィアの口を塞ごうと近づいたが、少女はひらりとその腕をかわした。

「助けてぇ! アルぅっ、変態に襲われるぅ。アルーっ!」

「違う、違うんだって!」

 フィアは必死に逃げ、ロンは慌ててそれを追う。そうやって追いかけっこをしながら、二人は部屋の中を何週かぐるぐる回った。



 終いにフィアは部屋を飛び出して、アルの名前を叫びながら階段を下りていった。

「アル、何処? アルー!」

「どうしたの? 何があったの?」

 店に下りてきたフィアに、リーナが調理を中断して訊ねた。


「あいつ、寝ていた私にいきなりキスしようとしたのよっ!」

 ロンを指差してフィアが怒鳴った。


 ロンはうろたえながら首を振る。

「違う、誤解だ!」


 それに対するリーナの言い様は、案外と冷めたものだった。

「ああ、ネミディアの男はみんなドスケベだからね。仕方ないわね」

「ちょっ……姐さんまでそんな……」


「それよりアルは? アルは何処?」

 フィアは店内を見回しながら我鳴り立てる。

「アルに頼んで、この変態が二度と変な気起こさないよう、懲らしめてやるんだから」

「アルなら用があるって、朝早くに出掛けたわよ」

「ええっ?」

 リーナの言葉にフィアは愕然としたようだ。


 だがショックで固まっていたのも短い間のことで、次の時には、敵意をたっぷりと含んだ眼でリーナを見据えていた。

「あなたね、あなたがアルを隠してるんでしょ。アルは何処なの?」

 いきなり謂れのない嫌疑をかけられて、リーナは眼を丸くする。

「私が……? 何で?」

「とぼけたって無駄よ、私知ってるんだからね。あなたがエーディンなんでしょ?」

「……エーディン?」

 リーナとロンは訳がわからず、眼を合わせて首をかしげる。


 しかしリーナはすぐにピンときたらしい。

「ははあ、なるほど、それがアルの昔の恋人らしき女の名前ってわけね?」

「はうっ………………え? ……じゃあ、あなた、違うの? エーディンじゃないの?」

「残念だけど、私の名前はヘレナ。みんなはリーナって呼んでるわ。エーディンって子は知らないわね。少なくとも、ここの旧市街じゃ聞いたことのない名前だわ。それに、名前のイントネーションから察すると、多分フェニキア人じゃなくてネミディア人っぽいわよ」


 フィアは訝しげにロンを見た。ロンは黙ったまま、そうだというように頷く。


「それよりもフィア、アルのこともいいけど、あなた自身の格好も気にした方がいいわよ」

「へ?」

 リーナに言われて、フィアは下着に布団を羽織っているだけの自己の姿をようやく確認したようだ。


 フィアは気恥ずかしそうに布団を羽織り直すと、そそくさと階段を上っていた。




 二階に上っていくフィアの後姿を見ながら、ロンは失望感溢れる嘆息をした。寝ていたときはいじらしいほどに愛らしかった妖精が、起床したら一瞬にして無尽蔵に暴れまわる凶悪な怪獣に変身したのだから……。


                        ◆


 リーナのシチューはラム肉、タマネギ、ジャガイモをじっくり煮込んだものに、香辛料だけで味付けをしたシンプルなものだ。でもこれが美味い。それも、貴族御用達の一流レストランみたいな気取った味ではなく、ほっとして毎日常食出来る味だ。


 ロンが朝食にこのシチューを啜っていると、身支度を終えたフィアが下りてきた。

 寝ぐせでボサボサだった髪は黒のリボンでポニーテールに結い、黒のロングワンピースを着ている。左脇にはワンピースと揃いの黒いケープを抱えていた。

 ロンはフィアの姿を見て、ポニーテール姿も可愛いな、と思った。



「アルは何処?」

 再びフィアは挑戦的な口調でリーナに訊ねる。

「まずは朝食にしなさい」

 フィアの横柄な態度にも慣れてきたのか、リーナは落ち着いた様子で、カウンター席に少し厚く輪切りにしたバタールとシチューを置いた。


 だがフィアは席には着かなかった。店の中央で突っ立ったままだ。

「どうしたの? 早く食べないと冷めちゃうわよ」

「……アルが、知らない人から食べ物やプレゼントを貰っちゃいけない、って言ってた」

「なるほど、言いつけを守っているのね。でもねフィア、そのアルが出掛けに、今日一日あなたの面倒を見てくれって、私に頼んでいったのよ」

「ウソ!」

「ホント。何でそう何でもかんでも突っかかってくるのかなあ? んー……、そうだ! 全部食べたら、アルの居場所を教えてやってもいいわよ」

「む……」


 その言葉に動かされたのか、フィアは皿に顔を近づけて、シチューの匂いを嗅いだ。そして一匙ひとさじ掬って口にする。

「美味しい!」

 フィアは眼を見開いて唸った。それからは夢中になってシチューにぱくつき始めた。

「私やアルが作った料理よりも断然美味しい、これ…………ムグムグ……」

 最後は、バタールで皿の内側についているシチューもキレイに拭き取って、一滴も余すことなく平らげてしまった。



「美味しかったぁ」

 シチューを平らげて、至福の笑みをこぼしているフィアを眺めながら、リーナは微笑んだ。

「そう言ってもらえると、作った甲斐があったわ」


 フィアは不覚をとったことを悟ったらしく、慌てて口元を引き締め直した。

「こんなもんじゃ騙されないからね。アルは何処? 約束どおり居場所を教えなさいよ」

「アルか……あのろくでなしなら商業取引所に行くって言ってたけど」

 リーナは木皿を片付けながら、忌々しげに答えた。

「ショウギョウトリヒキジョ……? それって何処?」

「ポエニ川の中州よ、ビスカヤ橋を渡った先。だけど、本気で行く気なの? って、え? ちょっとフィア……?」

 リーナが言い終える前に、フィアはすでに店を飛び出していた。



「こ、こらっ、待ちなさいフィア! ロンっ、すぐにフィアを追って!」

「え? でも俺、これから仕事が……」

「そっちはいい、今日は特別に休みにしてあげるから。あの子魔導士なのよ。軍警察や治安部隊に捕まったら火あぶりにされちゃう」

「わ、わかった」

 事情を知ったロンは、急いでフィアの後を追った。


 次から話が動きます。

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