崩壊する世界2
イサベルもフィアの姿を確認して驚いた。
「何? 彼の知り合い? 何処かに隠れてましたの? じゃあ、ひょっとしてあの子も魔導士……魔女?」
するとイサベルは反射的に思い立った。
父が腰に提げている剣を引き抜いて奪うと、フィアの元へ走っていった。
少女の方は、剣を持って迫ってくるイサベルに気づいたらしく、アルの応援をやめて急いで逃げ出した。
でも大人と子供では競争にならない。キツネがウサギを狩るよりも容易に、イサベルはフィアを捕まえた。
「いやーっ、何するの、やめてよっ」
「うるさい、お黙りなさい」
イサベルは、暴れるフィアの首に、剣を突きつけた。
「クラン=アルスター!」
イサベルは魔導士に向かって怒鳴った。
「すぐに私たちをここから逃がしなさい。さもないと……」
少女の喉元に、剣先がわずかに食い込んだ。真っ白な肌の上に真紅の血液が一筋流れ落ちる。
「何のつもりだ、イサベル?」
アルはハンニバルと剣を交えながら、イサベルに怒鳴った。
「気安く名前を呼ばないでください。あなたが父とどんな取引をしたのか存じませんけど、私は認めませんわ。カルタゴは絶対に魔導士の言いなりになどなりません。むしろあなたこそ、私の言う通りになさい」
これが王女の結論だった。魔導士に助けられたことで、著しく傷つけられた王女としての面目を保つために、そしてこれ以上魔導士をつけあがらせないためにはどうすればいいか。思案して出した、歪んだ結論だった。
「ふざけるなよ……」
「内輪揉めか?」
ハンニバルもフィアとイサベルの様子を少し気にしたようだった。
「まあいい、どちらにしろ全員殺すことに変わりはない」
しかし、そんなことで刃を収めてくれる相手ではなかった。
一方、ディド三世は、幼い少女に剣を突きつけている娘の姿が信じられず、動転していた。
「い、イサベル……お、お前は何てことをしてるんだ……」
また、アザだらけで今にも泣き出しそうな少女の顔が、国王の憐憫をさらに誘う。
「そんな幼い子を人質にとるなんて……」
「だから何です、お父様? 気が引けますの? もしかして、綺麗事だけで治世が出来るとお思いですの? それにこんな子供でも魔女なんですのよ。気を許したら何をするかわかりませんのに……」
するとアルが国王に向かって叫んだ。
「おい、ディド三世」
アルはこれまでどんなときでも、ディド三世を“陛下”と尊称をつけて呼んでいたのに、ついに呼び捨てにした。
「イサベルを説得してフィアを解放しろ。てめえの娘だろ。イサベルを助けるときにも言ったはずだ、これがラストチャンスだと。約束を違えるというのなら、お前たち親子とハンニバルだけをここに残していくこともできるんだぞ」
アルの言葉を聞いたディド三世は、慌てて娘の懐柔にとりかかった。
「イサベル、気に入らないかもしれないが仕方ないんだ。さっきも言っただろう、我らには……いや、カルタゴにはあの魔導士の助けが必要なのだ。そのためには……辛いだろうが私情は捨てるべきだ。
それに彼は、二年前お前を襲った魔導士と違って、信じられる相手だと余は思うぞ。これだけの魔法を扱えるのに、力ずくで奪おうとせず、きちんと金を出して公平に取引を申し出たのだ。
ネミディア人スラムが襲われた後でも、まだ余を助けてくれると言ったし、そのおかげでお前もハンニバルから助けてもらっただろう。……今もあのように、体を張って我らのためにハンニバルと戦っているではないか」
「お言葉ですがお父様、私がいつ、魔導士に助けて欲しいと言いまして? 魔導士にそんなほどこしを受けるくらいなら、死んだ方がマシですわ。むしろさっき自決していた方がよかった!」
「な、何てことを言うんだ、お前は……」
「お父様……あなたという人は……本当にどこまでお人好しで、他人任せなんですの? だから……だからお母様も寝取られたんですのよ」
「きゅ、急に何を言い出すんだイサベル……」
「確かに彼に頼んだら、ハンニバルを倒してくれるかもしれません。けど本当にそれでよいのですか? そうしたら今度はあの魔導士がハンニバルにとって変わるだけです! 何の解決にもなりません。
そもそもあなたは何ですの? この国の王ではないのですか? なのにどうしてそう万事において他人頼みなのです? 国内外に山積する問題だって、自分の力で解決すると、どうして言ってくれないのです? 国王でしょう? なのに真っ先に命を惜しんで……一国の王としてのプライドがあるならば、命よりも重んじるべき大事なモノがあるはずではありませんの?」
「う……うう……」
国王は娘の熱弁に、次第に引き込まれていった。
イサベルもまた、喋りながら自分の言葉に陶酔しているようだ。そのせいか、人質への注意が逸れ、フィアの首から徐々に刃が離れていく。
「お父様、いや陛下、私たちがカルタゴ王家の名誉を保って生き残れる唯一の道は、魔導士の力を借りることではなく、魔導士とハンニバルの両方を倒すことでしょう」
そこでフィアが、イサベルの腕を思い切り噛んだ。イサベルは悲鳴を上げて少女から腕を離す。その隙にフィアは逃げ出した。
しかしすぐ側にはまだディド三世がいる。
「しまった……お父様!」
「ディド三世!」
イサベルとアル、両者がそれぞれの願いを託してカルタゴ国王を呼んだ。
そして……
「いやーっ」
フィアは叫号した。少女の腕は国王にガッチリと掴まれている。
だがそこで、国王の足に、先日挫いたときの痛みが再び走った。ディド三世は仕方なく、少女を巻き込むようにしてその場に倒れこんだ。そしてそのままフィアを大の字に組み敷く。
「どういうつもりだっ、ディド三世」
アルは、ハンニバルの槍をくぐり抜けながら、憤慨して吼えた。
「余は……余は我が娘を信じる……」
ディド三世は己の決意を述べた。
「余は確かに、王としても男としても、自分に不都合な事実から眼を背け続けてきた、逃げてきた。……だが、父親としてまで逃げるわけにはいかん」
「父上!」
イサベルは相好を崩した。
「ふ、ふざけるなよ、ディド三世……」
魔導士は歯軋りしている。
「クラン=アルスター、この子だろう。この子がお前の言っていた“精霊の巫女”なんだろう。ネミディアを治めるための切り札なんだろう」
「き、貴様……」
魔導士はさらに苛立ちと焦燥に満ちた眼でディド三世を睨んできた。
「やはりそうか……いけるぞイサベル。この子さえ、いや、この魔女さえいればネミディアの魔導士はどうとでもなる。植民地問題は解決したも同然だ」
ディド三世とイサベルは互いの顔を見合って、笑顔で頷いた。
「くっそ……貴様ら……」
怒りで判断力が低下したアルの一瞬の虚を、ハンニバルは見逃さなかった。長剣を持つアルの左手首目掛けてハルベルトを振り下ろした。
瞬時に、アルの着ているレザーコートが鮮血で紅く染まった。剣を握ったままの左手が花畑の中に落ちる。
さらにハンニバルは槍の石突で、アルのわき腹目掛けて逆袈裟に振り上げた。
アルは左手首の切り口から血を振りまきつつ、後方に一回転しながらうつ伏せに倒れた。




