魔宮への誘(いざな)い
毎年、建国記念日の夜には、貴族や閣僚をメルカルト宮殿に呼んで、舞踏会が行われてきた。だが今年の舞踏会は異例の厳戒態勢の中で催されることとなった。
ネミディア人スラムの襲撃後も、未だに魔導士が捕まっていないからだ。
ディド三世は自室の窓から、不安げに外の警備の様子を眺めた。ハンニバル直属の兵が、我が物顔で宮廷の庭を歩いているのを見るのは居心地悪く、あまりぞっとしないものだった。が、背に腹は変えられない。
兵に警備されながら、来賓である閣僚や貴族の馬車がたくさんやってくるのが見える。楽団の合奏が響き、ポエニ川の夜空には花火が上がっていた。町中もきっとお祭り騒ぎだろう。
今のところまだ何も起こってはいない。昨日あれだけの惨劇があったにもかかわらずだ。早朝から行われてきた建国記念式典の行事は万事順調で、恐ろしいほどの静けさである。
でも魔導士は、この建国記念式典でハンニバルを殺すと宣言して去っていった。何もないはずはないだろう。
ディド三世の予測では、スラムの報復も含めて、あの魔導士が事を起こすのなら、式典最後のイベントとなるこの舞踏会の最中だろうと予想していた。なぜならこのイベントでは、王族や閣僚、軍の重要人物のほとんどが、ここメルカルト王宮に集まるからだ。ここを襲えばカルタゴの行政に関わる主要人物のほとんどを一網打尽にできる。
国王のところへ交渉に来た魔導士は一人だけだった。しかし、その後ろにはきっと秘密裏にカディスへ潜入した、何十人もの魔導士が控えているに違いない。王家の生き残りと自称していたのだから、大勢の部下がいるのは当然だろう。
ハンニバルを殺すと言っていたのだから、当然それぐらいの準備はしているだろう。
ハンニバルの兵にも屈強な猛者が多いが、果たしてこれだけの兵で大丈夫だろうか?
イサベルや来賓の安全を優先するならば舞踏会は取りやめるべきだ。しかし、建国以来毎年行われてきた式典を、理由もなく中止にはできない。
また、理由を説明して中止にすれば、それは魔導士に屈したということになる。そんなこと受け入れられるわけがない。
出来ることなら、襲撃してくる魔導士とハンニバルが上手く潰しあってくれれば万々歳である。先祖から引き継いだ、このメルカルト宮殿を戦場にしてしまうのは忍びないが……。
不意に部屋の扉がノックされた。外から執務室長の声がする。
「陛下、そろそろお時間です」
「……わかった」
意を決して自室を出た瞬間、国王は言葉を失った。開いた扉の向こうは、見慣れたメルカトル宮殿内ではなかった。
屋外の広大な花園だった。そこには今まで見たこともないような美しい花が一面に咲き乱れている。花園の中心には、数本の大理石の石柱に囲まれた噴水がある。噴水の上には、ふわふわと一本の剣が浮いていた。剣の刀身からは七色の光が輝いている。それがこの世界の全ての光源となって、噴水の水や天空をも虹色に染め抜いていた。
さらに花園の向こうには、祭殿のような巨大な建築物がある。
気がつくと、ここへ入ってきた扉はいつの間にか消えていた。
「ようこそ陛下。これはネミディアの高原に咲いている花だ。美しいだろ? でもマテリアルギアの乱開発によって、今や絶滅寸前だ。もっとも……ここにある花も、俺の記憶から創り出した模造品にすぎないがな」
ディド三世はハッとして息を呑んだ。あの魔導士の声だった。声の出所は祭殿からだ。
見上げると、祭殿の中心部にある玉座に、銀髪の魔導士が踏ん反り返るように深々と腰掛けていた。
「クラン=アルスターか……」
「名前を覚えていてくれたとは光栄だ」
「ここはいったい……」
「あんたらが住んでる場所の下に、魔法で創った俺の魔宮だ」
「何っ、ここが……地下だというのか? あれからずっと、宮殿の下にこんなものを創っていたと……?」
「まさか……」
魔導士はクククと笑った。
「カディス中にだ」
「カディス中に……?」
魔導士がパチンと指を鳴らすと、空がスクリーンのようになって、メルカルト宮殿の様子が幾つも映し出された。正装姿の貴族や上流階級、美しく着飾った貴婦人たちが大勢行き来している。
その中には、いつもの男勝りな格好とは違い、パーティードレスで着飾った美しく清楚なイサベルの姿もあった。
さらには消えた国王を捜す執務室長の様子も見えた。
宮殿内に配備された警備兵の様相を盗み見れば、警備体制は手に取るようにわかる。
観賞できるのは宮殿内部の様子だけではない。中州の金融街や、祝賀ムードに沸く中央大通り、厳戒態勢に臨む陸軍基地の状況さえ窺えた。
「これでメルカルト宮殿だけでなく、町ひとつが人質になったな……」
魔導士は悠然と言い放った。
「以前言っただろ、俺は影となってお前のすべてを見ていると……」
「……馬鹿な……こんな大魔法は途絶えたと聞いていたぞ……だからネミディアに攻め込む議会決議を承認したというのに……」
「ほお、よく知っているな。確かにこれは失われた古代魔法だ。師の屋敷で見つけたんだが、習得するのに二年もの月日をかけたぞ。しかも本当は五、六人の上位魔導士で行うものでな、半年間自分の髪の毛に魔力を溜め込んでようやく発動できた。
本当はこの魔法、ハンニバルを葬るために準備したんだがな……。俺はこの魔宮から、カディスの何処へでも現れることができる。いきなり標的の背後に現れて、喉笛を掻っ切ることも可能だ。しかし、俺以外の人間は、俺の許可なしに入ることも出ることもかなわない。だがカディスにいる人間ならば、誰でも強制的にここへ呼び込める。今やったみたいにな。これなら警備兵も親衛隊も全く無意味だ。それでハンニバルのみを魔宮へ招待して、殺してやるつもりだったんだが……残念ながら標的を変更せざるを得なくなっちまった」
「う……」
「まあいいさ、こうしてまたディド三世陛下と二人きりで話が出来るんだからな。しかも今回は、北乃森のときとは違って時間無制限だ」
「ううっ……」
ディド三世は己の考えの甘さを悔恨した。
以前はアカギツネに変身していたから、王宮で飼っていたペットは全部別の場所にやって遠ざけておいた。
また、動物に化けられるのなら、人間にも化けられるだろう。そう思い込み、王宮にやってくる来賓や、警備兵の中にも変装した魔導士が紛れていないか、チェックを厳重にするよう命じた。
警備兵を増やすだけでなく、王宮の庭に大砲やガトリング砲を持ち込むことさえ許可したのだ。
北乃森で崖の下に引き落とされた教訓から、出来うる限りの警備体制を整えたつもりだった。
しかし、まさか相手がこんな反則ともいえる魔法でくるとは想定外だった。国王のとった厳戒態勢の警備は、自分自身でも滑稽と思えるほどの無駄な足掻きといえた。
そこで国王はふっとある事実に気づいた。魔導士の言うように、この花園には今二人しかいない。他に伏兵は見当たらない。
もしかして……
「まさか……貴様一人きりなのか? 仲間に魔導士の仲間はいないのか?」
「……? ……何を言っているんだ、陛下? 俺はいつも一人だぜ」
ディド三世は愕然とし、再び絶句した。
この魔法使いはイカレているとしか思えなかった。
祖国の自治権復帰のため、この警戒厳重なメルカルト宮殿に乗り込んできた者がいる。それも誰の手助けもなく、たった一人で……。
勇敢だとか勇壮というよりは、ほとんど無謀である。
しかしディド三世は、彼の命知らずなこの行動に、心の内で少なからず感嘆していた。
「俺としては、なるべく平和裏にことを治めたかったんだがな……」
魔導士はやおら玉座から立ち上がった。途端にその姿は消えた。
次の瞬間、彼は国王のすぐ隣に立っていた。国王は驚いて後ろへ飛びのいた。瞬間移動したのだ。
「北乃森でこちらが提案したことについての答えは受け取った。では今から、それに対すしてこちらも返答しよう」
魔導士は手の平を胸の前に掲げた。すると手元にいきなり一本の長剣が現れた。
「この魔宮にある物は全て俺の想像により創造された物。全ては俺の意志に従う」
魔導士は国王に向かって剣を構える。ディド三世は慌てて首を振った。
「待て、あれはハンニバルが勝手にやったことだ。余はあずかり知らなかった……」
「そうか。ありえそうなことだな。だが一国の王として、軍規違反のハンニバルを、暴走する部下を止められなかった責任がないというのか?」
「くっ……」
「無能な王は、悪政を敷く暴君よりも性質が悪い」
ディド三世には言い返す言葉が見つけられなかった。
「それにあんただけじゃない。ハンニバルも、軍の上層部も、スラムの襲撃を知っていたハンニバルのパトロンどもも、全員あんたの後を追わせてやる。国王陛下に殉死できるなら、臣下として、国民として大満足だろっ!」
魔導士は国王に襲い掛かった。ディド三世は咄嗟に腰に提げていた儀礼用の剣を抜いて、魔導士の長剣を受けた。二本の剣が鋭い金属音を立てて打ち合い、そのまま二人は鍔迫り合いとなった。
「余を殺しても、何も解決しないぞ。お前が言うように、ネミディアからカルタゴ軍が撤退したら、魔導士の軍閥に歯止めが利かなくなり、更なる内乱状態に陥る……」
「そうだな、その通りだ。だがテメエらの奴隷でいるよりはマシだっ!」
魔導士はディド三世のわき腹に蹴りを入れた。ディド三世は吹っ飛んで、花の上を転がる。
「ま、待て、捕えられたネミディア難民は全員解放する」
国王は素早く起き上がりながら、必死に言った。
「余は……余は、本当はお前の提案を呑もうと思っていたのだ。株券も用意していた。マテリアルギアの株、五十一パーセントを。見逃してくれたら株はタダで譲るし、難民も解放する。だ、だから……」
「……なかなか魅力的な話だな……」
魔導士はディド三世の命乞いともいえる提案を聞いて、剣の構えを解いた。しかし……
「だが、あんなことをされた後で、今更あんたの言うことなんか信じられると思うか?」
「ほ、本当だ、信じてくれっ」
「……陛下、あんたは今は本気でそう思っているのかもしれない。だがこの先、ハンニバルに脅されたら、また考えを覆すんじゃないのか?」
魔導士はディド三世を嘲笑った。
「そ、そんなことは……」
「ない、と言い切れるのか? これなら必ず裏切られるとわかっていても、まだハンニバルと手を組んだ方がマシだ」
「う……うう……」
「命乞いは終わりか? なら死ねっ!」
魔導士は再び鋭い剣さばきで、何度もディド三世を襲った。
ディド三世も、若いころから剣を振るってきたので、そこそこ腕に覚えはあった。しかし今や壮年。若い魔導士が繰り出す、力の篭った素早い斬撃を受け流すので精一杯だった。加えて、挫いた足の痛みもぶり返してきた。次第に息も上がってくる。
痛みの走る足が何かにとらわれ、防戦一方だった国王がバランスを崩し、しりもちをついた。見ると、足首に花の茎が蔦のようになって巻きついている。
ディド三世は魔導士が迫ってくるのを視界に捉えると、倒れた拍子に落とした剣を慌てて拾おうとした。だが伸ばした右手に、花の茎が蛇のように絡みついてきた。あと少しで剣の柄に触れられた、というところでディド三世の右腕は花の茎によって地表に縛り付けた。
「くそっ、魔法か。汚いぞ」
「仕方がないな、俺は魔導士だから」
花の茎はさらに、ディド三世の体全体をも地面の上に大の字に張り付けにしていく。やがてそれは国王の口をも塞いでいった。
「何か言い残すことはないか、陛下?」
魔導士はディド三世を見下ろして訊ねた。
ディド三世は必死に何かを訴えようとしたが、口を覆う花の茎が猿轡となって「んーんー」と唸るような声しか上げられなかった。
その様子を見て、魔導士はさも楽しそうに笑った。
「ないな。ではこれで終わりだ」
魔導士はディド三世の喉仏に切っ先の照準を合わせると、剣を振り下ろした……。




