七年の空白を埋めるキスをして
朝、店のカウンター内でリーナが朝食の準備をしていと、アルが二階から降りてきた。
彼の髪はくすんだ茶色から、鮮やかな銀色に変わっていた。アルの銀髪は、朝日を受けてキラキラと眩しいほどに反射している。
「男ぶりが上がったわね。そっちの方が似合ってるわよ」
リーナは微笑んだ。
しかしその後は互いに何も言わなかった。アルは口を閉じたままカウンター席につき、リーナは黙って彼の前に朝食を出した。アルはそれを黙々と食べる。
食べ終わる頃になって、ようやくアルが口を開いた。
「この店、昨日の夜から見張られてるぞ」
「……知ってる」
「スコットの奴、つまらんものを連れてきたみたいだな。どんなに軍に尽くしても、向こうはネミディア人ってだけで信用してくれないわけか……。馬鹿な奴だ」
「……」
「……リーナ、俺が使ってたベッドの下に、金貨と銀貨の入った袋がある。株で売り抜けた金だ。俺は今日一日帰らない。だが、もし明日の朝になっても帰らなかったら……フィアをカディスから脱出させてくれ。金はそのための費用と……運び屋としてのお前への依頼料だ」
「……ソニーが死んだのは、今のあなたと同じ年だった」
おもむろにリーナは言い出した。
「あの時は私が年下だったのに、今度は私が年上か……、変なの……」
アルはスプーンを止めた。
「あの日のソニーも、私の作った朝食を食べて、出かけていって、そして……二度と帰ってこなかった」
「……」
「私たち、一週間後に結婚式を挙げる予定だったの……。仲の良かった娼婦たちが、私のためにウエディングドレス作ってくれてた。でも、前日にソニーと喧嘩しちゃってたのよね。それでその日の朝も、険悪な雰囲気のまま、ロクに口も利かずに別れたわ……。喧嘩の原因は忘れちゃった。それほど些細なこと。……だったら、あんなことになるんだったら、私から謝っておけばよかった……。そう思ってすごく後悔した……。せめて、笑顔で送り出したかった……」
「……」
「その日の朝、ソニーに言った私の最後の言葉、何だと思う?」
「……さあ?」
「 “私の焼いたパン、不味そうな顔して食べるのはやめて”よ。それが……私がソニーと交わした最後の言葉……。ホントに……最低だわ……」
リーナは自嘲した。見ていて痛々しい笑顔だった。
「悪いけど、俺はソニーじゃないし、ソニーの代わりにもなれないよ」
「……わかってる。私が言いたいのは、フィアに私と同じような悲しみや苦しみを、味わわせないでほしいってこと。必ず生きて帰ってこないと、承知しないわよ」
「この間からずいぶんとフィアに肩入れするな」
「あの子見てると、何故か母性本能くすぐられちゃうのよね」
「インディゴのヘレナ姐さんとは思えないコメントだ」
「歳のせいかしらね、私も」
二人は一緒になって笑った。
一笑いの後、アルは立ち上がり、魔剣とトランクケースを持って戸口へ向かった。リーナがその後についていく。
扉の前でアルは立ち止まり、リーナの方に振り向いた。二人は黙ったまま、申し合わせたかのように、抱き合ってキスをした。
リーナにとっても、アルにとっても、蕩けるように濃密な時間だった。三年間の空白を埋めるかのように、二人は互いの舌をからめ合い、唇を貪り合った。
「ん……んん……ぅんっ……」
快感に耐え切れなくなったリーナが、か細い声で喘ぐ。
何十秒かの後に、ようやく二人の唇が離れた。リーナはやや息を乱し、桃源郷を彷徨っているかのような、陶酔した眼をしている。
そんな彼女の耳に、アルが囁く。
「今晩、生きて戻ったら、続きをしにリーナの部屋へ行ってもいいかな?」
「……バカ……何を言うのよ。フィアもいるのに……」
「関係ないね。それに……約束してくれたら、絶対に生きて帰ってこようって、さらに頑張れるんだけどな」
するとリーナは、顔を赤く染めながら渋々頷いた。
リーナの返事を貰ったアルは、とてもテロ行為をしに行くとは思えない、晴れやかな笑顔で出て行った。
アルがいなくなると、リーナの眼は一変して鋭い光を帯びた。すぐさまブーツの中に隠してあった、短剣を抜き放つ。
「おいっ、そんなとこから覗いてんじゃねえよ」
ドスの利いたリーナの声が響き渡ると、裏口の戸がゆっくりと開いた。そこにはロンが立っていた。
「えへへへへへ……」
「まったく……このスケベガキが。熱はもういいの?」
「もうばっちり、一晩寝たら治ったよ。それより姐さん、俺、捕まったみんなを……」
「わかってる、助け出したいんでしょ。でも待って。今行っても無理よ。それどころか私たちまで捕まっちゃう。ここはアルが動くまで待つの……」
リーナは天井を見上げた。
「フィアはまだ眠ってるのかしら?」




