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ロード・オブ・ロード  作者: 中遠竜
第2章 魔導士のシナリオ
29/43

母の宮庭

 部屋に戻ると、ぶどう酒を木杯もくはいに注いだ。一息で飲み干すと、ため息を吐いて椅子に座った。

 鞘を抜いて、フラガラッハの刀身を見つめた。少しあおみがかった白銀の魔剣。精鉄の際に、エーディンの髪を炉にくべて、その魔力を吸った玉鋼から生み出したつるぎだ。

 死んでもまだ彼女の魔力を感じる。姉の残り香がここにある……。


 幼い頃、自分が今のフィアよりももっと小さな頃の記憶がよみがえる。



 クランと呼ばれていた、幼い時のアルはよく泣いていた。あの日も泣きながら、宮廷の庭を歩いていた。逃げていたのだ。


 宮庭きゅうていには様々な花が咲いていた。母の趣味がガーデニングだったため、ティル・ナ・ノーグ全土から草花が集められ、栽培されていたのだ。中には魔法薬に使われる希少な植物もあった。


 だがそのときのクランは、花々に気をとめることもできないほどに塞ぎこんでいた。


 クランは垣根の影に身を潜ませた。ここで夜になるまでやり過ごそう。


「何しているの、クラン?」


 悲鳴が出るのを必死に堪えて、頭上を見上げた。姉のエーディンが垣根から顔を出して、不思議そうに覗き込んでいる。

 どうして見つかったのだろうと思考し、口を噤んでいると……。


「さっき歩いているのを見かけたのよ。かくれんぼ?」


「……」


「あら、怪我しているの? おでこに傷が……」

 エーディンは表情を曇らせた。

「もしかして、ブラン?」


 ブランはエーディンの弟で、クランの兄だ。しかしエーディンやクランとは母親が違った。そして幼少期から士官学校で、攻撃に特化した魔法の訓練を受けている。そのせいか、また本人の才能もあってか、王族や貴族の中では魔導戦士の実力者として通っていた。


 普段は士官学校の寄宿舎にいるが、長期休暇には王宮に帰ってくる。ブランが王宮にいると思うだけで、クランは息苦しさを感じた。魔法を教えてやると、小さなクランをいたぶるからだ。

 しかも今回は士官学校の同級生だとかいう、やたらと粗暴な魔導士たちを連れ帰っていた。とはいえ彼らはいずれも貴族の子息だ。


 ブランは同級生の前で、クランは才能がないとバカにした。


 魔法の才覚は生まれで決まる。親からの、そして祖先からの魔力の研鑽けんさんが蓄積されて、子の才能に現れる。王族は当然国内で最も強力で高潔な魔力の血脈けつみゃくを持つ。

 しかし親の才能が、そのまま子の形質に現れるわけではない。また兄弟でもその特性は違う。


 クランの髪の色は茶色だった。王族でありながらはなはだ凡庸な魔力しか持っていない。成長や修練によって髪の色が変わることもあるが、今のところその兆しはない。


 ブランはそのことを揶揄やゆしたのだ。さらには、母親が不義密通してできた子供で、国王の血も魔力も継いではいないと、大声で言いふらした。


 兄の侮辱に憤慨したクランだったが、かなうはずもなかった。貴族の子弟たちの前で返り討ちにあい、そして逃げてきたのだ。


 耐え難い恥辱に、クランは一人で打ち震えた。だがどうにもならない。国家として魔法を重視しているため、魔力が弱い者は発言力もない。そういう文化社会だった。


 しょげ返っているクラン。そんな末弟にエーディンは優しく微笑ほほえんだ。

「大丈夫、クラン?」


 エーディンの銀色の髪は、魔導士の中でも相当 まれとうとばれていた。容姿も魔法の才能も比類のない魔女である姉を前にすると、自分の惨めさがコントラストのように際立つ。同じ両親から生まれたはずなのに、と思うと尚更なおさらだ……。


 クランは差し出されたエーディンの手を振り払った。

「なんでもない」


「でも」


「なんでもないって!」


 額を掌でさすると、傷は消えていた。治癒魔法はクランにとって唯一の得意分野だった。母親譲りの魔法だ。物覚えがつく前に亡くなった母は、治癒魔法と魔法薬学の専門家だった。


「ほら、なんでもないだろ!」


「強がりね。どうしちゃったの? この前までが素直で、姉上様の言うことは何でも聞いていたのに」


「女に慰められたくないんだよ!」


「ええ?」


「お、俺は、女に慰められるほど軟弱じゃない!」


「どうして? どうして女の人に声をかけられると軟弱なの?」


「だって、兄上が……」


「ブランが? ブランがそんなこと言ったの?」


 クランは黙って頷いた。


「そんなことないわよ。それに私たち姉弟きょうだいじゃない。だから別にいいのよ」


 そうか、姉弟なら女の人に慰められてもいいのか。でも……


「でも、兄上は、俺は父上の本当の子じゃないって……」


 するとエーディンはクランを抱き寄せて、呪文を唱えた。魔法によって、彼女の手に空気中の水分が集まり、氷の鏡ができた。

「ほら、見てみなさい」

 エーディンは鏡に映った自分とクランの顔を指した。

「私たち、よく似ているでしょう。私たちが姉弟である証拠よ。それは、同じお父様とお母様の子供でもある証拠なのよ」

 エーディンはニコリと微笑んだ。

「今日は私と一緒にいましょ、クラン。ブランも口出しできないはずよ」

 彼女はクランの手を引いて、宮庭を歩き始めた。


「この庭きれいでしょ。誰が造ったのか知ってる?」


「……母上」

 亡き母親が生きていた頃、ここは魔法薬研究のために収集した草花を栽培するための研究施設でもあった。クランでもそれぐらいは知っている。


 しばらく歩くと、エーディンは垣根を剪定せんていしている庭師に手を振った。庭師は薄い黄色の髪をしていて、同じ色の口髭を蓄えている。庭師の老人はエーディンに向かってお辞儀をした。


「クラン、この人はミスルトよ。生前のお母様に仕えていて一緒にこの庭を造った人なの。造園家であると同時に、魔法薬学の専門家でもあるの」


「恐れ多いことでございます」

 老庭師は照れて頭をかいた。


「お母様が亡くなった後も、こうして庭を管理してくれているのよ」


「わたくしにとってはもうライフワークになっております。命ある限りこの宮庭を守り続けることが、王妃殿下の魂に報いることだと思っております」


「ありがとう、お母様もきっと感謝しているわ。ところで今から温室を見せてくれる?」


 老庭師は頷き、二人を案内した。


「王妃殿下亡き後、ここに足を運んでくださるのは姫殿下だけになってしまいました」


 温室に入ると、温度と湿度の高さに身が重くなった気がした。


「ここにあるのは、魔法薬に欠かせない貴重な薬草ばかりなのよ。中には絶滅寸前のものまであるの」

 そう言って、エーディンはいくつかの植物の名と効能を教えてくれた。


 その日から、エーディンはクランを庭や温室に連れて行って、魔法薬のことを教えてくれるようになった。おかげで母親が好きだった花も色々と覚えた。


 老庭師のミスルトとも仲良くなった。




 しかしそんな秘密の場所を、ブランは嗅ぎつけて来た。招かれざる客は、ある朝、同級生を連れて現れた。しかも泥のついたブーツを履いて。


 無作法に園庭を踏み荒らす無法者たちを、エーディンが仁王立ちで睨んだ。彼女の後ろには専属の侍女たちが控えていた。王女付きの侍女ともなると、厳選された名門出の魔女たちになる。屈強な士官候補生たちを相手にしても、誰一人怯えていなかった。それどころか、エーディンとクランを守るために臨戦態勢をとっている。


 両勢力は温室の前で睨みあった。


 母親が違うせいか、エーディンとブランは昔から仲が悪い。さらに二人の間には、王位継承権の問題も絡んでいた。ブランは第一位継承者であり、エーディンは第三位継承者だ。実力と人望とで、二人は次期王位の最有力候補である。



「どこにこそこそ潜んでいるのかと思ったら、園芸をしながら女の庇護を受けているとはな。見下げ果てたぞ、この腰抜けが」

 ブランはクランに言った。長い黒髪の精悍な顔つきをした美丈夫だ。黒髪の魔導士も稀で、古くから一族に吉兆を招くと言い伝えられている。しかも王族である。魔法の実力も高い。誰もが彼の将来に期待した。周囲は彼を持てはやし、尊崇そんすうした。神の化身のようにまつる者さえいた。そのためブランの人格は、過剰な自信と傲慢ごうまんさで形作られていた。


 彼は切れ長の鋭い目でクランを見据えた。

「治癒しかできない軟弱者め。それでは国が攻められたとき、先陣に立って敵と戦えん。国の頂に立つ王族として情けないと思わんのか。少しは男らしく、戦いに向いた魔法の一つでもおぼえてみろ」


「どうして治癒魔法が軟弱になるのかしら、ブラン?」


 ブランはエーディンに視線を移した。

「エーディン、クランが臆病者になったら、甘やかしているお前のせいだぞ。魔力の弱い魔導士は、他の貴族や民にさえも舐められる。こいつが弱いせいで、王族全体が舐められることになるのだぞ。俺は落ちこぼれでも、そこそこ戦えるようにしてやろうとしているのだ。こいつ自身のためにもな」


「必要ないわ。あなた、陛下にクランの教育係をしろなんて命令を受けているわけ? そんな過剰な押し付け、いい迷惑だわ」


「何だと? 魔法の修練もせず、女のふところに逃げ込んで土いじりをしているなど、腑抜ふぬけもいいところではないか。その軟弱な性根を叩きなおしてやろうというのだ。感謝されるべきところをいい迷惑とは、とんだ恩知らずだな」


「軟弱なのはブランではなくて?」


「聞き捨てならんな。お前でも許さんぞ、エーディン」


「六つも年上なのに、大勢でクランをいたぶるなんて、卑怯で軟弱だって言っているのよ!」


 ブランは形相を変えた。

「貴様っ……。ふざけるなっ、俺はクランを鍛えてやっているのだ!」


 兄と姉がにらみ合う。国内屈指の魔力を持つ二人である。魔法を発動していなくても、練りこんだ魔力が二人の間の空気を削る。空間が陽炎かげろうのように歪んでいくのがクランにも見えた。取り巻きの魔導士と魔女たちも腰が引けている。


「ほう、これはいけませんな」

 二人の魔力の削りあいにもまったく動じない声だった。そこには黒い法衣を着た初老の男がいた。前頭部は禿げ上がっていたが、まばゆいばかりの金色の長い髭を生やしている。


「あなた……グランストラエ伯!」


「さ、宰相さいしょうか!?」


 二人とも驚いて魔力を抑えた。


 それはティル・ナ・ノーグの宰相であり、名門貴族メイザース家の当主サミュエル・リデル・メイザースだった。称号はグランストラエ伯爵。魔導士としても、国内で五指に入る大魔導士である。間違いなく当代最強の魔導士の一人だ。


「どうしてあなたがここに?」


「姫様、王宮でこれだけ大きな魔力の衝突があれば、魔導士で気付かぬ者はおりませぬ。しかし、いけませんなあ。王位継承の最有力候補のお二方が仲違いを起こすとは。二人のいさかいはすなわち、国を割ることにもなりかねません。陛下よりも、常日頃から兄弟は仲良くと言われているでしょう」


「……」


「……」


「宰相として、国の乱れの芽は見過ごせませんな。二人の争いの元を断たねばなりません。諍いの元は何ですかな? ほう、これですか? 二人の仲を悪くしている元凶は……」


 グランストラエ伯はクランに顔を近づけた。クランは身を逸らした。


「なるほど、忌々しい顔をしておりますな。早速排除しましょう」


「グランストラエ伯、少し待っ……」


 エーディンが言い終わる前に、グランストラエ伯は法衣を脱ぎ、それをクランに被せた。法衣をひるがえすと、そこにクランの姿はなかった。


「これで諍いの元はなくなりましたな」


 ブランは目の色を変えて、グランストラエ伯から法衣をひったくった。


「何処だ、何処にやった?」


「排除したといいました。もうこの世にはおりませんよ」

 グランストラエ伯はすっ呆けた感じで言った。


「嘘をつけ。魔法で何処に消したのだ!」


「ほう、魔法で消したというのですか。でしたらその魔法のタネを見破ってみたらいかがですか? 殿下も魔導士なのでしょう」


「……!」


「それが出来れば、ブラン殿下御自身の魔力で、クラン殿下をここに呼び戻すことも出来るのが道理です」


 魔法を発動するときは、魔力を練って組式そしきをくむ。魔力の流れを操る組式を理解すれば同じ魔法が使えるし、逆に魔法を打ち消すこともできる。


 ブランは目を皿にして法衣を調べた。しかしそれは何の変哲もない法衣だった。魔力の宿ったいわくつきの武具や魔法具などでもない。それどころか魔力の痕跡すら感じ取れなかった。結局ブランには、グランストラエ伯がどうやってクランを消したのかわからなかった。


 そして、わかっていたことだった。ブランもエーディンも魔力は高くとも、その使い方と技の切れはグランストラエ伯の足元にも及ばないことを。


 さらに相手は王の信頼厚い、勲功くんこうある名宰相だ。王子といえども、迂闊うかつなことをすれば処罰されるかもしれない。下手をすれば廃嫡はいちゃくになることも……。


「ちっ……」

 ブランは法衣をその場に投げ捨てた。

「弟子がゆるい考えなのは、師匠の影響のようだな。クランがひ弱な魔導士になったらお前らのせいだ。そんなことで王族の名を汚さなければいいがな」


 言い捨てるとブランは法衣を踏みつけて去っていった。仲間の士官候補生たちもそれに続いた。


「あなたの方が素行の悪さで王族の名を汚しているわよ、ブラン」

 そう言うと、エーディンはグランストラエ伯に頭を下げた。

「お礼を言います、グランストラエ伯」


「いえいえ、後見役としての勤めを果たしたまでです」


 グランストラエ伯はエーディンの後見人であり、また魔法の師でもあった。


 彼は側にあった園芸用の水瓶みずがめに手を突っ込んだ。そして水の中からクランを引っ張り出した。訳がわからずきょとんとしているクラン。しかも少年は濡れてもいない。


「メイザース一門のお家芸、時空間魔法です」

 グランストラエ伯はにこりと笑った。

 それからは彼も度々(たびたび)宮庭に姿を見せるようになった。




 やがてブランは士官学校へ戻っていた。憂鬱ゆううつのタネがなくなり、クランは開放された気分になった。


 しかしその翌日、宮庭に来たクランは呆然とした。温室の中の草花が全て枯れていた。寒さで枯れていたのだ。茎が凍っているものもあった。今は霜が降りるような時季ではない。そもそも温室の中が凍えるほど寒くなるなどありえない。こんなこと、魔法しか考えられない。誰かが意図的に温室内の温度を狂わせたのだ。誰が……


「……ブラン……」

 エーディンは怒りをあらわにした。


 するとグランストラエ伯は首を振った。

「お待ちください。証拠もなしに問い詰めては、周囲は姫様の器量や品性を疑うでしょう。ブラン殿下との仲が良好でないことを知っている人達は尚更です。そもそも誰かの仕業ではなく、事故かもしれません」


「ミスルトが温室の温度管理を誤ったというの?」


「多くの人はそう思うでしょう」


「そんなはずないでしょ!」


「私もそう思います」


「では……!」


「ですが、ブラン殿下を問い詰めることはできませんな」


「どうして?」


「姫様、状況と御身おんみのお立場をよくお考えください。これが誰かの故意によるものだとしても、証拠もなしに特定の相手を犯人呼ばわりするのは軽率です。ヒステリックな言いがかりにしかなりません。その相手がブラン殿下となれば尚更です。それではこちらが大儀もなく、騒乱の元を生み出しているようにしか映りません。その場合、周囲は姫様とブラン殿下のどちらにつくでしょうか?」


「……」


 悔しいが、グランストラエ伯の言うことはもっともだった。


「けど、けど……このままじゃ、ミスルトが管理責任を問われるかもしれないのよ」


「むぅ……」


 温室の管理は国王が命じている仕事だ。それを誤ったのだから、処罰を受けるのは明白だ。


 だが老庭師は何も言わず、枯れたプランターを片付けている。

「他に人が来る前に片付けましょう。これが最後の仕事になるかもしれません」


「ミスルト、あなたはこれでいいの? やられっぱなしでいいの?」


 庭師は少し俯いて言った。

「私の身の上などより、王妃殿下の花を枯らしてしまったことの方が、身を裂かれるように辛いのです……。ですからこれは私の落ち度です。王妃殿下の花を守れなかった私の失態です。それによって処罰を受けるのなら、仕方ありません……」


 エーディンは押し黙ってしまった。


 考えてみればエーディンやクランより、誰よりも老庭師が悔しいし、哀しいはずだった。王妃と共にこの庭を設計し、創り上げてきたのだから。さらに王妃亡き後も、この庭を守ってきた。そうして生涯をかけて積み上げてきたものが、たった一晩で崩壊させられたのだ。その苦渋と煩悶はんもんは、エーディンとは比べものにならないだろう。


「何か、何か策はないの? グランストラエ伯は名宰相で名軍師でもあるのでしょう! このままミスルトが処分を受けるなんて、あまりに理不尽だわ」


 エーディンはグランストラエ伯に詰め寄った。宰相は静かに王女を見つめた。


「その前に……ブラン殿下に意趣返しなど決してしないと誓ってくださいますか?」


「それはつまり……手があるということ?」


「その前に、誓ってくださいますか?」


「それが条件なの……?」


「誓えますかな、姫様?」


「…………わかりました……」

 エーディンは両手を胸に当てた。

「祖霊と精霊の御名のもとに誓います」


「…………よろしいでしょう。それにはクラン殿下、力を貸していただけますかな?」

 宰相は微笑んだ。が、クランは突然の指名に困惑するだけだった。


「殿下の治癒魔法が必要なのです。治癒の魔力を私の組んだ魔法陣でエネルギー変換し、植物細胞の活性化を促すのです。この草花は、しおれてからそんなに時間が経っていません。全てではありませんが、いくつかは蘇らせることができるでしょう。それで恩赦おんしゃたまわり、処分を軽くしてもらうのです。これが最上策と存じますが、いかがですかな姫様?」


 なるほど、とエーディンは頷いた。


「ではクラン殿下、力を貸していただけますか? 治癒魔法が得意なあなたにしか出来ないことです」


 しかしクランは尻込みした。

「そんな……やったことないから無理だよ。枯れた花を蘇らせるなんて難しい魔法……」


「何言っているの! あなたにしか出来ないことなのよ。あなたの魔法でお母様の形見を守るの!」


「でも……だったら姉上がやったほうが上手くいくんじゃ……」


「私には、無理なの……」

 エーディンは首を振った。

「私、治癒魔法は使えないの。天変地異を起こせるほどの魔力ちからはあるのに、治癒はさっぱりダメなのよ。得手不得手ってことかしらね。だから今この場で、お母様の花園を守れるのはあなただけなのよ、クラン」


「…………わかった……」


 グランストラエ伯はさっそく地面に魔法陣を描いて、その中心に枯れたプランターの花を置いた。

「私は魔法の補助を行います。クラン殿下はありったけの魔力で治癒をしてください。それこそ死人を蘇生させるつもりで。切り傷を塞ぐのとは訳が違いますからな」


 二人は魔法陣に手をかざした。そしてクランは、いつもは撫でるように優しく発動する治癒魔法を、大河に阻まれた対岸へ投石を届かせるくらいのつもりで放った。グランストラエ伯はクランの魔力を一旦受け止めた後、魔法陣の組式そしきでエネルギー変換し、プランターに注いでいる。


「……これで、いい?」


「まだまだです。それで人が蘇るとでも?」


 治癒魔法でも大きな魔力で放てば、過回復で細胞が壊死することがある。だがグランストラエ伯爵は、クランの全力の魔力を直接受けても平然としていた。やはり魔力のキャパシティは桁違いだ。


 クランは更に魔力を強めた。

「これでどう?」


「それでは擦り傷は治せても、骨はつながりませんな」


「ま、まだまだ……」


「やれやれ、その程度ですか? それで全力ですか?」


「こ、このおぉぉ……」


 クランは体中の全細胞から搾り出すつもりで魔力を放出した。それでもグランストラエ伯は涼しい顔をしている。

 悔しくなった。相手は国内最強の魔導士だ。力の差はわかっていたが、自身の全力をこうもたやすくあしらわれるとは……。

 さらにこれだけ力を注いでいるのにも関わらず、プランターにはまったく変化がない。


 兄の言うように自分は腰抜けの軟弱者なのか? 才能のない落ちこぼれなのか?


 花を蘇らせるというのも、自分では無理なのではないか? やっぱり姉のほうが……。


「クラン、クラン、よく見なさい」

 エーディンの呼ぶ声で我に返った。魔力を放つのに夢中で気付かなかったが、曲がっていた茎が天へ向かって真っ直ぐに伸びている。枝葉はまだ茶色くしなびているが、茎は根元の辺りから深い緑の色彩を取り戻していた。その色からは、瀕死のきわでも懸命に生き延びようとする、強い生命力を感じることができた。


「ここまででいいでしょう。後は温室で育てていけば、いずれ枝葉も蘇るでしょう。とはいえ育成には細心の注意が必要ですが……一流の園芸家ならば問題ないはずです」

 グランストラエ伯が老庭師を見やった。


 ミスルトは“おおっ”と感嘆を漏らした。そしてしゃがみ込み、息吹を取り戻したプランターの葉を、震える指でわずかばかりなぞった。

「で、殿下……ありがとうございます。王妃殿下の形見を守ってくださるとは……、どんなに言葉を尽くしても、感謝し切れません」

 老庭師は感極まって瞳を濡らしている。


 人に感謝されることが初めてだったクランは、気恥ずかしくなってうろたえた。


 するとエーディンがいきなり後ろから抱きしめた。

「すごいわ、クラン。あなたがお母様の形見を守ったのよ」


 クランは姉の胸元に顔をうずめて、彼女の心音を聞いた。少しずれて、もう一つの鼓動が聞こえる。自分の心音だ。いつの間にか、肩で息をしているのに気付いた。この魔法、思っていた以上に重労働だ。


「あなたの魔力はお母様に似たのね。これだけ出来れば、もう立派な魔導士よ」

 エーディンはクランの頭を撫でながら言った。

「もしかすると、あなたが一番国王に向いているかもしれないわね」


「僕が……? そうかなあ? 姉上の方がいい王様になれると思うけど……」


「いいえ。私よりも、あなたの魔法の方が多くの民の命を救えるわ」


「でも、男らしくない魔法だって、兄上が……」


「クラン、私は強さを自慢するよりも、優しい人の方が好きよ」

 そしてエーディンは、弟のおでこに自分のおでこをくっつけた。

「優しい人になってね、私の可愛い小さなクラン」

 姉の微笑みに、クランは赤くなった。


「あー……オホン」

 そこでグランストラエ伯が遠慮がちに咳払せきばらいした。

姉弟きょうだい仲がよいことは喜ばしいことですが……クラン殿下、治ったプランターはまだひとつだけです」


「え?」


「まだまだこれだけの数があります。次のプランターの治癒を始めてもよろしいですかな?」


「こ、こんなに……?」

 その場に並んでいるプランターの残り数を見て、クランは戦慄した。




                   ◆



 アルは、フラガラッハの刀身に映った自分の髪を眺めた。


 あの後、全てのプランターに治癒魔法をほどこした。終わったのは日が傾き始めた頃だった。ひとつ蘇らせるのに、渾身こんしんの魔力を放ったのだ。終わったときには疲労困憊で立てなかった。

だから寝室までエーディンに背負って連れて行ってもらった。その時の彼女はかなり上機嫌で、ブランへの恨みなど本当に忘れているようだった。


 ただ、今振り返ると、実はグランストラエ伯だけでもプランターの草花を治癒できたのではないかと思う。恐らく、自分に自信を持たせるため、手を貸してくれと言ったのではないだろうか。


 おかげで治癒魔法だけでなく、植物を活性化したり操る魔法も得意になった。


 あの時あの王宮にいた人は、好きだった人も嫌いだった人も、自分を除いて全員もうこの世にいない。温室も宮庭も戦乱によって全て消えてしまった。


 アルが本気で魔法の修練を始めたのは戦後になってからだ。一人きりでする魔法の研究は困難を極めた。が、ついに自分の魔力を最大限に発揮する方法を身につけた。

 だからカルタゴに来たのだ。


「俺はもう、小さなクランじゃねえ」

 アルはフラガラッハを鞘に収めた。


 今度は俺のやり方で、もう一度あの庭を取り戻す。……つもりだった。しかし金を操って国を取り戻そうなんて、考えが甘かったようだ。


「優しさだけじゃ誰も守れないじゃないか、姉さん……。今から俺は、復讐者リベンジャーだ……」


 アルはおけに水を汲むと、自身の茶髪を洗い始めた。すると髪に塗ってあった獣脂じゅうしが落とされ、銀色の髪が現れた。




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