古い馴染み
アクションの多い出だしだったので、そのままノンストップアクションと行きたかったのですが……ここでペースダウンです。
でも後の伏線になっていく……かも、です。
カルタゴの首都カディスは、ポエニ川河口付近の西岸の平野にできた都市だ。カルタゴはもともと海上貿易で発展した商業国家である。川の中州には銀行や商業取引所、当座会社が軒を連ねており、国内外でも有名な金融街になっている。
アルとフィアは、カディスの旧市街を歩いていた。真新しいコンクリート建築が並ぶ中州とは違い、煉瓦積みの錆びれたゴシック調の街並みに、長方形の石畳が整然と敷き詰められた狭い路地が続いている。
そんな中でアルは、古びた四階建ての建物の前で立ち止まった。そこの一階は酒場だった。
「ねえアル、ここ何処なの?」
「知り合いの店」
「……ハッ、まさか……も、もしかして前に言っていた昔の女の……? そうでしょ、そうなのね? 私というものがありながらっ!」
「違うっ! まったく、本当に何処でそんな言葉覚えてくるんだ? やっぱりお前は城から出すべきじゃなかったかなあ……?」
「ああ、また子ども扱いしてるぅ~」
不満を漏らすフィアを尻目に、アルはドアを開けた。
店の中では、白いブラウスに黒いスカート姿の若い女が一人、モップで床掃除をしていた。
「悪いけど、まだ開いてませんよ。五時になったら来てください、お客さん」
言いながら彼女は振り返った。長い黒髪を藍色のリボンでおさげに結った、眼つきの鋭い女だった。ブラウスの胸元は大きく開いていて、魅力的な谷間が見える。
「あっ……」
しかし、彼女の青みがかった瞳がアルの姿を映した瞬間から、驚きでどんどん見開かれていく。さらに手にしていたモップが落ちて、床に転がった。
「もしかして……アル……アルバート?」
「よう、リーナ。久しぶり」
女は弦から放たれた矢のように、アルに飛びついた。
横にいるフィアが、口を開けて青くなった。
「よかった、生きていたんだ。突然いなくなって、ずっと心配してたのよ」
リーナはアルを力いっぱい抱きしめた。
するとフィアが、二人の間に小さな体をねじ込んで、無理矢理引き離す。
「離れなさいよ!」
「な、何?」
リーナは眼を丸くして、フィアを見下ろした。
「誰なの、この子?」
「私はアルの婚約者よ」
胸を張って答えるフィアに、リーナは「え?」と反射的に訊き返した。
「あなた、昔アルと何があったかは知らないし、節度ある淑女として殿方の過去を根掘り葉掘り訊く気もないわ。ええ、すっっっごく気になるけど、訊かないの……。それに何も教えてもらわなくても、一つだけ確かなことがある。それは、あなたとはもう終わってるってことよ!」
フィアはリーナを指差し、張りのある声で言い切った。
「そして今、フィアンセとして愛を語り合っているのは私なの。まあ、アルに未練があるのはわかるけど、嫉妬でちょっかい出して、変に波風立てるのはやめてくれない」
「………………………………………………………………………………」
ちょっと間をおいてから、リーナは怪訝そうにアルを見つめた。
「あんた、前に年上の女はもうこりごりだって言ってたの、あれはこういう趣味に走るって意味だったの?」
「違うっ。こいつは古い知り合いの孫ってだけだよ。戦争で肉親が一人もいなくなっちまったもんだから、俺が親代わりしてやってんの。言わば妹みたいなもんだ」
「ええっ、何でそんな酷いこと言うのよ、アル」
フィアはアルのズボンにしがみつき、上目遣いで訴えた。
「私たちいいなずけでしょ、婚約者でしょ、産まれた時から夫婦になることが運命付けられていた二人でしょ、ねぇ~え~」
「それは師匠が……お前の爺さんが勝手に決めたことだろ。話がややこしくなるし、変な誤解も生むから、少し黙ってろ」
「もうっ、何よっ!」
フィアはアルから離れ、「ふんっ」とふくれっ面でそっぽを向いた。
「えーと……それでだなリーナ、一、二週間ほど泊まりたいんだけど部屋は空いてるか?」
「う、うん、二階の一番奥なら今誰も使ってないし、空いてるわよ」
「じゃあ、使わせてもらうぞ」
アルは仏頂面のフィアを追い立てながら、店の二階へ上がっていく。
階段の途中で、フィアがリーナに向かって「べー」と舌を出した。すぐにアルがフィアの頭を軽く小突く。
◆
リーナがパブをやっている建物は、二、三階に小部屋がそれぞれ三つずつあり、全て宿泊施設になっている。このパブは宿屋も兼ねているのである。
ちなみに四階はリーナの居住区だ。
アルが借りた部屋には、壁際にベッドが二つ、中央にテーブルが一つと椅子が二脚あるだけだった。
「何よ、あの女ぁっ。アルもアルよっ、私というものがありながら、でれでれしちゃって!」
部屋に入ると、フィアはすぐさまものすごい剣幕でアルに噛みついた。
「別にでれでれはしてないだろ。それにリーナとはそんな関係じゃない」
アルはトランクをベッドの上に放り投げた。
「だったらびびってないで、あの女にガツンと言ってやってよ。俺がこの世で愛しているのは、フィアナ・メイザースという高潔で美しい娘ただ一人だけだって。今すぐ言ってこないと、もう許してあげないっ」
「別に構わねーよ」
「えっ……?」
「俺はこれから下で、古い馴染みに挨拶をしてくる。お前はこの部屋で大人しくしているんだぞ。じゃあな」
「え? え……?」
冷たく言い放って、アルは部屋を出て行った。
部屋に残されたフィアは、アルが閉めたドアを呆然と眺めていた。が、次第にその顔は怒りに染まっていった。
「アルの馬鹿ぁっ!」
被っていた帽子を手に取って、思い切りドアに投げつけた。
帽子を取った際にヘアピンが外れ、フィアの長いプラチナブロンドが背中に広がる。そしてはブーツを履いたまま、ベッドにうつ伏せに寝転がった。シーツに顔を埋めると、まるで狼のように「う~~っ」と唸り始めるのだった。
◆
「何か……騒いでるわよ?」
アルがパブに下りてくると、掃除用具を片付け終えたリーナが、天井を見上げながら訊ねた。
「悪いな、騒々しくて」
「構わないわよ。でもいいの?」
「何が?」
「あの子のこと。放っておいて」
「いいんだ。あんまり優しくするとつけ上がるから。たった一人の孫娘だからか、爺さんに蝶よ花よと大事に育てられたみたいでな、あの通り自己チューで我侭な性格してて、俺も手を焼いているんだ」
「へえ、あなたにそこまで言わせるとは大したものねえ。一応確認しとくけど、あの子のお爺さんっていう、あなたの古い知人も魔導士なのよね?」
「ああ。俺の魔法の師匠だった人だよ」
「じゃあ、あの子も……か」
リーナはもう一度天井を仰いだ。
「……迷惑をかける」
「いいわよ。私たちの仲に、そんな気を使う必要がないのは知ってるでしょ。もともと密輸団なんだし。でも、どういう経緯であの子を?」
「みんなと別れた後、その師匠の家を訪ねたんだけど、病気で死んでてな。代わりにあいつが住んでたんだ。それも人里離れた辺鄙な山奥にあるだだっ広い屋敷に、たった一人でさ。
話を聞いたら、一人っ子で、両親は物覚えがつく前に死んじまったもんだから、それまでずっと師匠と二人っきりで暮らしていたんだと」
「で、その後はあなたが保護者になったわけ?」
「そんなとこ。実を言うと、こっちに来るとき屋敷に残してこようか迷ったんだけど、山奥にたった一人で置いてくるのが忍びなくてな、それで連れ出してきた」
「そう。大変だったんじゃない? ネミディアの山奥から、カディスまで女の子連れで旅してくるなんて」
「その辺はフィアにも無茶させたなあ、と反省してるよ。
おまけにあいつ、旅の途中で俗っぽいことを色々覚えていって、最近じゃ変に大人ぶるから困ってんだ。山から出てきたばかりの世間知らずだから、簡単に周囲の影響受けてさ。それもここへ来るまでに見てきた人形劇とか演劇とか、あと古本屋で買ってやった大衆小説なんかの仮想世界の話が、そのまま現実にも当てはまると思っているからな。
今も熱心に読んでる小説があるらしいんだけど、そいつの影響でズレたアプローチしてくるし……」
「んふふふ、可愛らしいじゃない、子供らしくて。『嫉妬でちょっかい出さないで』かあ……」
リーナはフィアの声を真似、おどけてみせた。
「初対面の相手にあんな啖呵切られたのは初めてだわ」
「申し訳ない。何ともお恥ずかしい限りだ」
「まるで昔の私みたい……」
「え? リーナが……?」
「んー……何よ、変? 私にだってちょっとおマセな少女時代があったのよ。もうとっくの昔に卒業したけどね。まあ座って、おごるわ」
リーナはアルをカウンター席に誘った。
「何にする? 今はぶどう酒やラム酒だけじゃなくて、蒸留酒やビールもあるわよ」
カウンターの中に入ったリーナが、エプロンを着けながら訊く。
「え、ビールが置いてあるのか?」
「驚いた?」
ビールの原料となる大麦は、普通お粥にして食べるのが一般的だ。庶民にとって、お粥やパンなど、主食となる麦を原料に醸造するビールは希少品である。しかも足が早く、商品として扱うのも難しい。
故にもっぱら世間で常飲されているのは、食糧問題と縁遠く、長期保存も可能なぶどう酒だ。
ビールは穀物の収穫祭といった、特別な日にしか飲まれないのである。
「学のない私には難しくてよくわからないんだけど、帝国で麦の収穫量を増やす技術と、ビールの貯蔵技術が新しく開発されたんだって。何でもカガクが進歩したおかげらしいわ。それで今じゃぶどう酒と同じくらいの安値にまでなってきててね、うちみたいな店でも気軽に扱えるようになったわけ。ビールにする?」
リーナに言われて、アルは上唇を舌で少し舐めた。何年か前、リーナとの仕事で立ち寄った村がたまたま収穫祭をしていて、村民はアルたちにもビールを振舞ってくれたことがあった。
それまでぶどう酒か蒸留酒しか口にしたことのなかったアルは、そこで初めてビールを飲んだ。アルの中で、口腔の味蕾全てをビリッと刺激する苦味と、ぶどう酒や蒸留酒などでは得られない、スカッとした後癖のない喉ごしが蘇る。
「うん、ビールにするよ」
リーナはビヤ樽から木製のジョッキにビールを注いでいく。その後姿を見ながらアルは言った。
「きっと何を見ても聞いても、新鮮で面白いんだろうな」
「んー?」
「フィアのことだよ。産まれてからこれまでずっと、山奥に年寄りと二人きりで暮らしてきたからさ」
「ああ」
「俺もネミディアから初めてカディスに来た時は色々驚いたからな。よくわかるんだ」
リーナはビールをアルの前に置いた。
「でもあいつの場合良くも悪くも素直で感受性が高いから、変なものに刺激を受けてしまわないか心配だよ。そのうちギャンブルとか悪い遊びを覚えないかって。
……他にも、変な男に騙されたり、変な男に貢いだり、変な男に誘拐されたり、変な男と駆け落ちしたりしないか……ってな。
俺が言うのもナンだが、あれだけ容姿がいいから、眼を離した隙に、美味しいもの食べさせてやるとか、お金やるとか言われて、人買いや奴隷商人に連れ去られそうになったのも一回や二回じゃないんだ。だから知らない人から物を貰うな、ついて行くなって、厳しく言い聞かせたよ」
アルがビールジョッキの取っ手を掴みながら、胸のうちの懸念を洩らすと、何故かリーナはクスリと笑った。
もちろんアルはそれを見逃さなかった。
「どうした、何がおかしいんだ?」
「いやぁ、いっちょまえに父親ぶってるんだな、と思ってね。あなたはあのフィアって子のことを大人ぶってるって言ってたけど、私から見たらあなたの方こそ無理して保護者を気取っているように見えちゃったから、それで。なかなかお似合いの二人よ」
「ああ? 何だよそれ」
アルは真剣に悩んでいたことを茶化されたため、不機嫌な面持ちでビールを口に運んだ。
しかしビールを一口飲むと、その美味さに思わず目を細め、一気にジョッキの半分まで喉の奥へ流し込んだ。
「ぷっはぁ!」
陶然とした息を漏らしながら、ジョッキをカウンターに戻す。
「どう?」
「美味い! 毎日ビールが飲めるなんて、いい時代になったなあ。やっぱりこれからは魔法じゃなくて、科学の時代だな」
「いいの、魔導士がそんなこと言って?」
「いいんだよ。そんなカビが生えたような力に固執してたから、ティル・ナ・ノーグっていう国は地図から消えちまったんだ」
飄々と滅んだ祖国のことを語るアルに、リーナは一瞬言葉を詰まらせた。そもそもアルの母国を滅ぼしたのがカルタゴなのだ。
だがアルの方は特に意に介した様子もなく、ビールでまた舌を湿らせる。
「あ、そうだ、忘れないうちにこれ渡しとくよ」
アルはコートのポケットから何やら取り出して、カウンターの上に置いた。リーナがおもむろに手に取って見ると、それはウズラの卵くらいある、大きな瑠璃色の宝石がついた指輪だった。
「な、何これ?」
驚愕しつつも、指輪を燭台の明りに照らしてみる。
大きさだけでなく、色も透明度もリーナがこれまでに見たことのないクオリティの高さだった。しかもリング自体も純金製だ。思わず見惚れてしまった。
「キレイ……。これ……って、もしかして……」
「うん、そうなんだ……」
「婚約指輪?」
「えっ……?」
リーナは指輪を左手の薬指にはめた。その顔がはにかんだ笑顔になる。
「あ、ぴったりだわ。ありがとう……嬉しい。でもアル、プロポーズするならムードとかももっと考えて欲しかったなあ~」
「違う違う」
アルは激しく手を振った。
「宿代の代わりだよ。今、この国の銀貨をあまり持ってないから、それで立て替えてくれってこと」
「……あら、そうなの? んー……」
夢から覚めたみたいに、リーナは一気にトーンダウンした。
「とりあえず、それで一週間分の宿代は足りるかな?」
「ううん……これだったら一年間泊まってもらっても、お釣りがでるわ。いったい何処で手に入れたの?」
「そうか、よかった。ついでといっちゃナンなんだけど、これ、カルタゴの銀貨に換金できないかな?」
アルは両手に納まるくらいの小さな布袋を、リーナに手渡した。
リーナは中身を確かめると、「えっ」と眼を丸くして驚嘆したきり、しばらく言葉を失った。無理もない。袋の中には、眩いばかりの宝石の他に、指輪、ネックレス、ペンダント、ブローチ、ブレスレット、イヤリング、ティアラなど、たくさんの高級宝飾品が無造作に詰め込まれていたのだから。
「ど、どうしたの、これ? 長いこと裏の運び屋やってるけど、こんなに質のいい品を、一度にこれだけたくさん揃ったところなんて、今まで見たことないわ」
「師匠の屋敷の地下倉庫にあったんだ。それでも遠慮して貰ってきた方だよ。
でもさ、どんなにキイレに磨かれた宝石も、通貨に換えられなきゃ、川原の小石と何の変わりもないだろ。
だから一度、同じような指輪を質屋で換金したんだけど、かなりの安値で買い叩かれちまったんだ。相手がカルタゴの商人だったから、俺がネミディア人だってことで軽く見られたんだろうな。俺の見立てでも、多分正当な価格の十分の一以下だったと思う……。
まあ、それでもここまで旅をしてくるのには困らない額だったけど。リーナならそのジュエリー、相応の値段で買ってくれるんじゃないか?」
「信じてもらえるのは嬉しいんだけどねえ……。悪いけど無理。返すわ」
リーナは宝飾品の入った布袋をカウンターの上に置いた。
「うちの裏ルートでもこれほどの品物は扱ってないし、店中ひっくり返しても見合うだけの銀貨もないから」
「そうか……」
アルは困惑した顔で布袋をコートのポケットにしまった。
「じゃあ、中州のインサイドステート街か、王宮前の中央通り沿いの質屋に行くしかないかな?」
「んー……カディス市内の質屋でも、小さなところじゃ手に余んじゃないかしら。これだけの物になると、貴族御用達の大きな店かオークションハウスくらいじゃないと……。
でもそういうところって全部、敷居が高いから、身元がしっかりしてないと軍警察に通報されちゃうかも」
「結局そうなるのか……」
アルが気を揉んでいるのは、カディスに滞在する間の生活費のことだった。ネミディアからカルタゴに来るまでの旅費で、所持金はもう底を尽きかけていた。
でもこうなったら背に腹はかえられない。気は進まないが、不当な安値になっても、ここで換金しておくべきか?
「何か入用なら遠慮せずに言って」
悩んでいるアルを見かねて、リーナが言った。
「私たち家族みたいなものでしょ。他人行儀なことは言いっこなし。それにここでの生活費なら、さっき宿代と一緒に貰ったわ」
リーナは薬指の指輪を見せ、ウインクした。
「高そうな石だなぁ」
うっとりと指輪を眺めるリーナの眼前に突然、無造作に伸びた口髭で覆われた顔が現れ、そう呟いた。
呟いたのは腹の出っ張った、初老の大男だった。前頭部が禿げ上がっていて、残った後頭部の髪は白髪混じりの上、縮れてボサボサに乱れている。
男はリーナが給仕しているカウンターの中に入って、物欲しそうにじいっと指輪を見ていた。
「急に現れて、そのゴブリンみたいな顔近づけないでくれる。びっくりするでしょ」
アルと会話をしていたときとは打って変わって、男に対するリーナの口調は酷く冷淡なものになった。
「おお、オヤジ!」
男はアルに呼ばれると、前歯が二本欠けた口を開けてニカッと笑った。
「ぃようムスコよぉ、儲かってるかぁ?」
「ハハハ、その口癖、変わってないな」
「ガハハハ、よぉく帰ってきたぁ」
二人はカウンター越しにハイタッチして、そのまま手を握り合った。
男は店のオーナーで、運び屋のボスでもあるフレッドだ。
フレッドはリーナに向かって手を差し出した。
「何?」
怪訝そうにリーナは尋ねた。
「よこせよぉ、その指輪ぁ。さっきの会話聞いてたんだぜぇ。宿代だっつうならオーナーの俺が貰うのが筋ってもんだろぉ。それに俺だったら、相応の値段で換金できるぜぇ」
「ふざけないでよ。貰ったのは私なんだから、私が預かる。欲しかったら指を切り落としてとっていくんだね。もっとも、そんなことをしようとする奴は、私が先に首を刎ねてやるわ」
「ぬぅっ……」
「大体、換金したらそのお金、また全部ギャンブルに使う気なんでしょ」
「株はギャンブルじゃねぇ。投資だ。れっきとしたビジネスだぁ」
「何だオヤジ、株なんてやってるのか? ありゃ成功すれば儲かるが、その分リスクも高いって聞くぜ。第一元手も結構かかるんじゃないのか? 貴族くらい資産がないと」
アルが尋ねると、フレッドは得意満面になった。
「へへへ、昔はなぁ。今ぁ国中好景気で、庶民にも手が出せるくらいれぇの安価な株も出てきてんでぇ。俺の知り合いはほとんどやってるぜぇ。靴磨きのガキだって株とか相場って単語くれえは知ってらぁ」
「そのせいで働かなくなっちゃったのよ、こいつ」
リーナが不満を洩らす。
「儲かってるんだからいいだろぉ。それより俺にもビールだぁ、リーナぁ。それとぉ、アルのジョッキにぁ新しいの注いでやれぃ。ムスコの一人が帰ぇってきたことを祝って飲むとするぜぇぃ、とことんなぁ。今夜は俺のおごりだぁ」
そこへ、アルの隣の席に、赤茶けた髪の少年が座った。
「お帰り、アニキ」
笑顔を自分へ向けてくる少年に、アルは一瞬面食らった。
「おおっ……お前、ひょっとしてロンか? でかくなったなあ。幾つになったんだ?」
「今年で十五だよ」
「十五……そっか、あれから三年も経ったんだよな。見違えたよ」
「アニキも三年前と随分変わったよ。髪も短くしたし」
「ああ……まあ、三年もすれば卵から孵ったばかりの雛だって、親鳥になってるからな。そりゃ人間だって色々変わるだろ」
「ところでロン。あんた仕事は?」
ビールを注ぎながらリーナが訊いた。
「終わったよ。アニキが帰ってきてるって噂を聞いたから、急いで終わらせて来たんだ」
「なあリーナ、ロンの仕事って、密輸の……か?」
「そう。ロンにはあんたの抜けた穴を埋めてもらってるの」
「そっか……。何か、俺のせいでみんなに色々迷惑かけたみたいだな」
「気にするなぁ、ガッハハハ」
フレッドは笑いながら、熊のように大きくて分厚い手でアルの肩を叩いた。
「それにおめぇが帰ぇってきたんなら、もう一度一緒に稼げるってこったろぉ。おめぇの頭がありゃ、また大きな儲けが出せるぜぇ」
「あ、いや……すまないがオヤジ、今回はそうじゃなくて……」
そこへリーナが四人分のビールを運んできた。
「じゃあアルが戻ってきたことぉを祝してぇ、乾杯だぁ。全員ジョッキ持てぇ」
何かを告げようとしたアルの言葉は、フレッドの大声でかき消されてしまった。
酒場の夜エピソードはまだ続きます。