暁の会談(上)
カディスから北へ数キロほど行ったところに、人の手の開発が全く及んでいない原生林がある。そこは通称、北乃森と呼ばれ、代々カルタゴ王家の狩猟場として、一般人の立ち入り禁止区域に指定されている。もちろん貴族でもおいそれと簡単には立ち入れない。
だから開発著しいカディスの傍にあっても、企業のものにならず、手付かずのままである。
現在、季節は晩秋。正に狩猟の季節である。
狩猟が趣味のカルタゴ国王ディド三世はその日、早朝から狩猟に出掛けていた。
同行したのは娘のイサベルである。男勝りの彼女もまた、狩猟が大好きだった。
ハンチング帽を被って猟銃を下げた二人は、従者を一人だけ連れ、陽の差し込み始めた朝靄のかかる原生林を歩いていた。
ただし、今日のイサベルはいささか不機嫌な様子で、父親の国王へ一方的に文句を言っている。
「お父様、いや陛下、ですから前にも言ったはずです。昨今、世間を賑わせている魔導士を早々に捕まえてください、と。戦争のときにも随分苦しめられたのでしょう」
「そんないきり立つことはなかろう、イサベル。すでに全国に指名手配してあるんだ。それに怖いのは徒党を組んだ魔導士。一人、二人ならそんなに大事にはならんよ」
中肉中背のディド三世は、自慢のカイゼル髭をいじりながら答えた。
ちなみにイサベルは父親の国王よりも背が高い。彼女の容姿は、明らかに母親の遺伝子を色濃く受け継いだものだった。
「陛下、小事を放っておいたら、いつの間にか手の付けられない大事になっていたということもあります。それに私は、魔導士がこのカルタゴの大地を歩いているというだけで、許せませんの。二年前のことを忘れたわけではないでしょう」
二年前、イサベルは情勢が一向に落ち着かないネミディアへ、現地に駐留しているカルタゴの企業や軍を激励するため畏敬訪問した。
他にも、諸外国にネミディアがカルタゴの領土になったことを喧伝したり、植民地のネミディア人にカルタゴの威厳を見せ付けて反抗の意志を萎えさせるという、裏の目的もあった。
イサベル来訪の式典では、ネミディア人でもカルタゴの支配体制に協力的な有力者は参加を許された。柔和で理解ある態度を示し、有力者を抱き込んで、ネミディア各地の反カルタゴ運動を押さえ込もうという狙いだった。
これは、弾圧だけでは統治はままならない、現地民との理解と融和が必須だ、と考えていた当時のイサベルが提案し、国王や議会が制止する中、強引にやったことであった。そもそも危険地帯であるネミディアへの訪問も、彼女の強い意志からだった。
しかしそこで事件は起きた。式典に来ていたネミディア人の中に、魔導士が数名紛れ込んでいたのだ。魔導士は式典でイサベルを襲った。
彼女はこれまでの人生で味わったことのない恐怖の中、必死に逃げ、何とか九死に一生を得た。
しかし、それまで姉妹のように仲の良かった、幼馴染の侍女が犠牲になった。
それからイサベルは穏健派から一転し、ネミディアに厳しい態度で臨むようになった。
いや、一般のネミディア人の生活苦を考えれば、彼らには今も寛大に接しようと思っている。だが親友の命を奪った魔導士だけは絶対に許せなかった。
苦い過去を思い出したイザベルは、猟銃のグリップを握り締めた。
「私たちが理解を示し、優しくしようと思ったら……その好意に唾を吐きかけるようなマネを……」
「あのとき襲ってきた魔導士たちは全員捕らえて公開処刑しただろう、イサベル」
「しかし陛下……」
「しっ」
ディド三世は人差し指を唇の前に立てて、“静かに”と合図した。
彼らの目の前に一匹のアカギツネがいた。崖の前をうろうろしている。獲物でも探しているのだろうか。キツネはまだ国王たちに気づいてはいないようだ。
ディド三世は猟銃を構え、引き金を引いた。銃音が森中に響くと同時に、キツネは崖の手前すれすれでバタリと倒れた。
「よぉしっ、見たかイサベル。一発だぞ、一発で仕留めた。今日は調子がいいぞ」
ディド三世は歓喜して、獲物に駆け寄っていく。
「このキツネの毛皮で新しい帽子を作るぞ。今度の建国記念式典に間に合わせたいな」
そう言いながらキツネの尾を掴もうとしたときだった。撃たれて死んだはずのキツネがいきなりディド三世に飛び掛り、襟元を咥えると、国王と一緒に崖の下へ真っ逆さまに落ちていった。
このときばかりは流石のイサベルも、女らしい悲鳴をあげた。彼女はすぐに崖の下を覗き見た。が、朝靄のせいで底の方はよく見えない。
「何をボーッとしてますのっ。待機させてる警備兵に早く捜索させなさい!」
イサベルは従者に向かって怒鳴った。
◆
崖の下で倒れていたディド三世は、右足の痛みで意識を取り戻した。折れてはいない。挫いただけのようだ。
上体を起こして頭上を見上げると、靄がかかっていて、自分が落ちてきた場所の確認はできない。よくこれだけの怪我だけで済んだものだ、と思った。
不意に靄の先から物音がした。
「誰だ。誰かおるのか?」
靄の中から現れたのは、茶色いコートを着た長身の男だった。フードを被っていて顔はよく見えないが、鋭い銀色の瞳がこちらを捉えている。
右手にはディド三世の猟銃を持っていた。銃口は国王に向けられている。
コートの男は微笑を湛えながら、うやうやしくお辞儀をした。
「どうも始めまして、国王陛下」
「貴様は……?」
「今、巷を騒がせている魔導士です」
「貴様が?」
「元ティル・ナ・ノーグ王家、第二王子にして第四位王位継承者……でした、クラン=アルスター・レオニール・フィンドレイクと申します。以後お見知りおきを」
「ネミディアを支配していたティル・ナ・ノーグ王家の生き残りが、まだおったのか……?」
「時間もないし、早速用件にかかろうか」
魔導士は丁寧語をやめると、砕けた口調で、それこそ友人に話すような感じで語りかけてきた。
「ネミディアとカルタゴの首脳会談をしにきた。議題は……カルタゴ軍によるネミディア占領の改善策についてだ」
「……貴様も独立を望むのか?」
「話が早くて助かるぜ」
「余一人の権限では無理だ、議会の承認がなければ……。それに万が一独立したとしても……」
「……今より内乱が酷くなるだろうな」
「!……気づいていたのか」
「カルタゴ軍が駐留することで反発もあるが、同時に魔導士のテロ活動に対する一定の抑止力にもなっている。そのカルタゴ軍がいなくなったら……ネミディアは無政府状態になり、魔導士の軍閥同士が利権争いを始めて、今以上に血で血を洗う地獄が訪れることになる……。
元王族の俺が停戦を呼びかけたとしても、ティル・ナ・ノーグ王家には昔ほどの威光も武力もないからな。応じる魔導士は少ないだろう」
「ならば何故だ……?」
「俺の要求は独立だ、なんて一言も言ってないぜ、陛下。ちょっと違うんだ。それに俺が提案することは、あんた一人の意思決定で済む」
クランと名乗った魔導士は、ディド三世に小さな皮袋を投げてよこした。中を見ると、眩いばかりのジュエリーが袋いっぱいに入っていた。国王は首を傾げた。
「な、何だ、これは?」
「今の俺の全財産だ。それで国有企業マテリアルギアの株五十一パーセントを俺に譲れ」
「な、何?」
「マテリアルギアの株のうち、約九十パーセントは王族が所有している。が、さらに七十パーセント以上が国王個人の所有物となっているのは調べでわかっている。それを買うと言っているんだ。あんた個人の所有物なんだから、別に議会を気にする必要はないだろ」
「馬鹿な……マテリアルギアはネミディアの多くの銀鉱を所有しておる。マテリアルギアが採掘した銀によってカルタゴの金融経済は安定し、ここまでの発展を遂げたのだ。正に経済の要にして、国の根幹を支える会社だ。それを売るなんて、売国行為に等しい。王がそんなことなどできるものか。例え何億詰まれたとしても、手放したりはせんっ!」
「早くも交渉決裂か……じゃあ、仕方ない」
クランは国王の口腔に銃口を捻じ込んだ。
「死ね」
言い終わるか終わらぬかわからぬうちに、魔導士は引き金を引いた。




