ファントムキラー
なかなか思うように投稿が進みません。
申し訳ないです。
思い描いているラストシーンまで、まだ半分も消化していないというのに……。長い道のりです(-_-)
カディスの町にはガスランプが整備されていて、夜になれば華やかにライトアップする。といっても、それは中央大通りやインサイトステート街など、中心街のみのことだ。
一歩裏通りに入れば、何処へ落ちるのかさえわからない、底知れぬ晦冥の闇が広がっている。そこには欲望と背徳とが手ぐすね引いて待っている。
娼婦街の裏道などはその良い例だ。
暗夜の中、ケリーはローザの娼館からネミディア人スラムへの帰り道を全力で走っていた。というよりも逃げていた。
ゼッ、ゼッと呼吸は激しく乱れている。酷い過呼吸だ。気を抜いたら思わず嘔吐してしまいそうなほどに胸が苦しい。
それでも全力で走るのをやめるわけにはいかなかった。なぜなら捕まったら、殺されてしまうから……。
上弦の月の薄明かりで、周りが少しは見える。酔っ払いが座っていたり、街娼が客待ちをしていたりするが、誰一人としてケリーを助けようとはしてくれない。
目の前で一人の若い娘が絶体絶命の危機だというのに、誰もが無関心だ。
次の瞬間、ケリーは石畳のつなぎ目につま先を取られて転んでしまった。その拍子に、持っていた籠からスコーンとベーグル、そしてヤギの乳の入ったビンが転がった。
すぐに起き上がり、後ろを気にしながら急いでパンを籠に戻す。
パンもヤギの乳も、ローザの店で余った物をくすねてきたものだった。
最近、母の母乳の出が悪い。そのせいで、乳飲み子のマリーは酷く痩せていて、体重は羽毛のように軽い。成育もよくない。栄養失調は明らかだ。このままでは命に関わる。
早く帰ってマリーにヤギの乳を飲ませ、栄養を取らせたい。
そしてパンは母親に食べてもらうのだ。これはライ麦などではなく、小麦粉で出来たスコーンとベーグルだ。いつもより栄養価のあるものを食べれば、母乳の出もよくなるだろう。
落ちたパンを籠に戻すと、ケリーは立ちあがった。
背後からは、月明かりに照らされた人影と足音が迫ってくる。
ケリーは再びスラムに向かって遁走し始めた。その刹那……
「ばぁっ!」
進行方向の曲がり角から男が飛び出してきて、ケリーの行く手を阻んだ。
ケリーは悲鳴を上げて後ろへ飛び退いた。途端、別の誰かに口を塞がれた。パンの籠が足元に転がる。
「静かにしろ」
ナイフの切っ先が喉元に押し当てられた。
ケリーを追い回していた男たちは、彼女の口を塞いでいる者も含めて、全部で四人いる。彼らは全員同じ軍服を着ていた。軍警察の軍服だ。
男たちはケリーを、月明かりも届かぬさらに闇の深い路地へと引きずり込む。
一瞬、街娼を物色している肉体労働者らしき男と眼が合ったが、男は見て見ぬふりをした。
路地裏のさらに奥へと拉致されたケリーは、口を塞がれたまま、壁際に抑えつけられた。
ここまで来ると、周囲に人気は全くない。酔っ払いの喧騒が、遠くからコダマのように響いてくるだけだった。
「あんだよ、もう諦めたのか? 終わりか? もっと騒げよ。さっき逃げてたみたいに、ここでも必死で抵抗しろって。じゃないとつまらないし、俺様の海綿体も熱くならないだろぉ」
正面の男が、怯えるケリーの前髪を指先で弄びながら言った。
「まあ、どんなに暴れても誰も助けに来ないだろうし、泣いて命乞いしても見逃すつもりもねえけどな。知ってるか? カディスじゃネミディアのガキが何人殺されようが、誰も大して気にしねえし、事件にもならねえんだぜぇ。証拠に、俺様たちはこれまで何人も犯して、殺してきたが、今もこうして捕まらないでいる。
いや、むしろ俺様たちはいいことをしてるんだ。浮浪者が大勢集まると治安が悪くなるからな。増えすぎた浮浪者を排除するのも軍警察の立派な仕事だ。それに難民に混じって魔女が紛れ込んでいないか確かめる必要もあるしな。どうだぁ、立派だろぉ? へっへっへっへっへ……」
男の浮かべた卑猥な笑みに、ケリーは背筋に悪寒が走った。
「今、“あたしも殺されるの?”“そんなのいや~”ってビクビクしながら思ってんだろぉ? へっへっへ……当ったり前りぃ」
男は、この世にこれ以上面白いことはないというような満面の笑顔を、ケリーの鼻先に近づけてきた。
「そうでなきゃ、こんなにべらべらしゃべらねえって。そうだ、ついでにこれまで俺様たちが行ってきた、栄えある功績の数々をお前だけに教えてやろう。特別だぜぇ、サービスだぜぇ!」
男はケリーの耳元で囁き始めた。
「あのな……一番最近殺したネミディアのガキはな、人間狩りして楽しんだんだ。狩猟エリアは旧市街全体で、俺様たちは、頑張って逃げ回るガキを銃で狩るわけよ。ありゃあ、なかなか面白かったぜぇ。
貴族や王族が狩猟する獲物だってせいぜいウサギやキツネ、もしくは狼ぐらいだろぉ。それに比べて人間をハンティングできるのは俺様たちだけだ。どうだ、ワイルドだろぉ?
しかも人間ってのはな、どんな動物よりも凶暴で狡賢いから、狩るのは最高にスリリングで興奮するぜぇ。石は投げてくるし、隠れるのも上手えんだぜぇ。そしてギリギリまで追い詰めるとまたすごいことをしやがる。そのガキ、一体何をしたと思う?」
男の口はかなり酒臭かった。ケリーは息を止め、瞼をぎゅっと閉じた。
「そのガキはなあ、何と猿みたいに建物の壁を垂直に上っていったんだぜぇ。窓枠やレンガのわずかな繋ぎ目に指やつま先を掛けてな。人間ってなあ、追い詰められるとすごい力を発揮するんだなあ。って感心したぜぇ、へっへっへ……。
それからみんなで、セミみたいに壁にへばりついているそのガキを、順番に狙ってシューティングゲームしたんだが……これがなかなか当たらねえんだ。当たっても、上手く急所に命中してないと落ちてこねえしな。もちろん最終的に撃ち落したのはこの俺様だ、えっへっへっへ。ワイルドだろぉ?
軍警察の捜査じゃ、そいつは魔導士のガキだったってことになって、捜査は打ち切られちまった。つまり俺様たちは、悪い魔導士を退治した英雄ってわけだ。自分で言うのもナンだが、本当に俺様たちは仕事熱心で勇敢な、軍人の鏡なんだぜぇ。へっへっへっへ……」
男はその後も、ネミディア人の子供をなぶり殺しにした様子を、ケリーに散々語って聞かせた。髪に火をつけて顔を焼いたとか、ポエニ川で溺死させたとか、強姦しながら首を切り裂いたといった話を、まるで冒険談かのように得意気に話す。
どうやら、ケリーに絶望的な言葉を浴びせて、その反応を楽しんでいるようだ。
ケリーはすっかり怯えて縮こまっていた。足が、全身がおののいて、震えている。
その様子を見て、男はかなりご満悦だった。
「それじゃあこれから、お前が魔女じゃないか確かめてやるぜぇ。俺様の魔法のロッドでなあ」
唐突にそんな言葉をはいて、ズボンのベルトを外し始めた。
「もし魔女だったら魔法を使われる前に即殺す。でも魔女じゃなかったら………………………………いっそひと思いに殺された方がマシだっていうくらいに嬲ってから殺す!」
「またゾランが一番先か?」
他の男たちが不満を漏らした。
「お前はメシを食う時と同じで、周りをよく汚すんだよな。俺たちも楽しみたいんだから、あまり汚くするなよ」
「ときどき勢い余って殺しちまうこともあるしな。殺すなら全員ヤってからにしろ」
「うるせえなあ」
ゾランと呼ばれた軍人は、他の男たちを睨んだ。
「仕方ねえだろぉ、イク瞬間に殺すと最高に気持ちいいんだからよぉ。それも撃ち殺したり、腹を裂いたりするよりも、絞め殺すのが一番いいんだぜぇ。
女は首を絞めると、あっちの締りも良くなんだ。ヤっている最中はじわじわ絞める、そうすっとアソコも俺様のロッドをじわじわ締めてくれるわけよ。そしてイク瞬間に親指で頸動脈をプチっと断ち切る。と………………たまらねえぜぇ。お前らも試してみろ。もう病みつきだぜぇ」
その瞬間を思い出しているのか、ゾランは恍惚に浸った顔をした。
「ムーーーっ!」
突如、ケリーは手足をバタつかせて足掻いた。でも、後ろから自分を捕えている男は、万力のような腕力で抑えつけてきて、ビクともしない。それどころかケリーが暴れ出したことで、口を塞いでいる手に更に力を入れてきた。ごつい指先が顎に食い込んできて、一層苦しくなった。
「そうそう、そうやって精一杯あがらってくれないと楽しくねえんだよ」
ゾランも余裕の表情だ。
そこでゾランは、いきなりケリーの頬を引っ叩いた。
あまりに不意で、ケリーは頬に焼けつくような痛みを感じながら、一体何をされたのかしばらくわからなかった。
ゾランは更に何度もケリーを叩いた。その度にケリーは、脳髄の芯に衝撃が響くのを感じた。
「おらぁっ、殺すって言ってんだよお。だったらもっと必死になってあがらえよ。じゃねえとつまらねえだろぉ。俺様をもっと楽しませろぉっ!」
ゾランはケリーを引っ叩きながら、痛快そうに奇声を上げる。
しかも気分が昂ったのか、出し抜けにケリーの服を胸元から引き破った。服の裂け目から、釣鐘型に小さく隆起した乳房が露出する。
「んんーーーっ!」
ケリーは嗚咽し出した。赤く腫れ上がった頬に涙が伝い、ヒリヒリと疼く。
「ああ……ああ~っ……くっそぉ……よせよ、そんな顔すんなよ。めちゃくちゃ興奮するだろぉ」
ゾランは手の甲を噛み、たまらないという顔で、消え入りそうな声を出した。自然と息も荒くなる。
「弱い者いじめって何でこんなに楽しいんだよ、ちくしょーっ! 特にお前、いいじゃねえか。今までで一番ソソられるぜぇ。きっとお前には嬲られる才能があるんだ。だからこれはお前のせいだぁっ!」
ゾランはケリーの手を取ると、焼きゴテのように熱を帯びて滔々と屹立した自分の陰茎を、直に握らせた。
これにケリーは、悲鳴を上げることを通り越して、失神しそうになった。気持ちの悪い感触が掌にある。おぞましい、汚らわしい、不潔……。手首から先を切り落としたいくらいだ。
「どうしてくれるんだよ。俺様をこんなにしてどうするつもりなんだよぉ! 臨界点突破しちまうかもしれないぐらいにピクピクしちゃってんだろぉ! 俺様の大事なここがこんなにいきり立ってのは、お前のせいだぜぇ。責任とって殺す瞬間は、これまでにないくらい気持ちよくイカせろよぉ!」
ゾランは舌舐めずりした。
ケリーは心の内で「誰か助けて」と何度も叫んだ。その度ににロンの顔が浮かぶ。いつも優しくて明るくて腕っ節が強くて、頼りがいがあって、苦しいときに相談に乗ってくれて、字も読めて、お金の計算もできて、自分の為にローザに怒ってもくれた(簡単に負けたけど……)、格好いいロンの横顔が浮かぶ。
―― 助けて! 助けてロン! ――
しかしやはり、声にならない祈りは届かないのか……。
「もう我慢できねえっ。いくぜいくぜぇ。ヤっちまうぜぇぇ」
ゾランは荒い呼吸ではだけたケリーの胸をまさぐり、スカートの中へ手を突っ込んだ。
「……へえ、お前たちが噂の通り魔か」
音量はたいして大きくないが、よく通る澄んだ声が、何処からともなく降ってきた。
ケリーを嬲っていた男たちが一斉に振り向く。
月光の下、いつの間にかそこには一人の男が立っていた。男は茶色いコートを着ていて、コートのフードを目深に被っている。片手には、ケリーが持っていたのとよく似た、手提げ用の籠を持っていた。
「マーキングに南の方まで来てみたら、こんな興味深いモンに出会えるとはな。僥倖だ。
なるほど、事件を捜査する軍警察が犯人じゃ捕まらないわけだ。幻影の正体見たり……だな。例え目の前でカルタゴ兵がネミディア人を連れ去ったとしても、取り締まりだと思って誰も手を出さないだろう。そうでなくてもカルタゴは昨今の軍拡政策で、軍人は市民から恐れられている。何を見たとしても、仕返しが怖くて誰も密告なんて出来やしない。あとはお前たち自身で、魔導士のせいだと軍内部で吹聴すれば、誤報で事件は迷宮入りするわけか……」
コートの男は悠長に喋る。
その隙に、四人のカルタゴ兵のうち、ケリーの口を塞いでいる男以外の三人が、歩兵銃を構えてコートの男を囲んだ。目撃者を逃す気はさらさらないようだ。
「てめえ、ネミディア人だな?」
ゾランが訊ねた。
「……だったら?」
コートの男は不敵に笑う。
フードのせいで顔ははっきりと見えないが、その奥からは両の瞳が妖しい銀色の光を放っているのがわかる。その光を見たケリーは、同じネミディア人なのに何故か、今まで自分を弄んでいた通り魔たち以上の戦慄を覚えた。
「へっへっへ、英雄気取りで格好良く現れたつもりか? バっカじゃねえの? 俺様たちに勝てるつもりか? てめえらネミディア人は大人しくビビって震えてろや。そうすれば死なずに済んだのに、のこのこ出てきやがって……あ~、あ~……。俺様はなあ、正義の味方気取りで綺麗事言う奴に、一番イラッとくるんだよぉ。ゴルカ、やれ」
ゾランの合図で、仲間のゴルカがコートの男に歩兵銃の標準を合わせた。
「てめえのチンケな正義感に後悔しろや」
だがコートの男は余裕綽々で、ゴルカをゆっくりと指差した。
ゴルカが構わず引き金を引く。
同時に男の右手の人差指が光った。
歩兵銃の撃鉄が落ちる。撃鉄が撃針を叩く。
と、ともに暗夜の静寂に爆発音が轟き、ゴルカの顔面が吹き飛んだ。
辺りに血と肉片が飛び散る。ケリーの頬にも鮮血が数滴付着した。
顔が原形を全くとどめない程ぐしゃぐしゃになった、カルタゴ兵の遺体が仰向けに倒れる。
傍に転がった歩兵銃は、薬室が内側から破裂していた。
ゾランたちはもとより、ケリーもこの事態に唖然とした。
「…………暴発………………わざと? 今のって……まさか……」
ゾランは青ざめていた。
男は相変わらず、その顔に静かな笑みをたたえている。
「他人の名を語っていたら本物が現れました。なぁんてのは、よくある古典ネタだな。今じゃ小説でも戯曲でも流行らないだろう」
「ほ、本物の、ネ、ネミディアの魔導士……。ま、まさか……将軍を暗殺しようとした…………?」
「……随分と俺を有名人にしてくれたみたいだな。礼をするから受け取ってくれ」
魔導士の男は右手を翳した。
途端にケリーを陵辱しようとしていたカルタゴ兵が、全員一目散に逃げ出す。仲間の屍を放って……。
「逃がすかよ、サンピンが!」
魔導士は、獲物を狙う猛禽類のように眼を爛々と輝かせて、ゾランたちを追う。
一方、拘束の解かれたケリーは、シリモチをつくようにしてその場に座り込んだ。すると、足元にある顔の潰れたゴルカの亡骸が、網膜の奥へ飛び込んできた。
ケリーはそこで気絶した。
◆
ケリーが次に意識を取り戻した時、彼女はスラム近くのポエニ川の堤防で寝ていた。
肌蹴ていた服が丁寧に着直されている。
しかも身に覚えのないコートが羽織らされていた。ウールで出来た真新しい赤いコートだ。
更に驚くべきことに、顔の腫れも引いている。ゾランに散々叩かれて、頬があんなに赤く腫れていたのに、今は痛みもない。
手元には籠が置いてあった。あの魔導士が持っていた籠だ。
上に掛かっている布巾を恐る恐る取って見てみると、中にはケリーがこれまで食べたことのないお菓子やケーキがぎっしり詰め込まれていた。
「……」
事態の飲み込めないケリーは、遠くで幽玄に煌く中央大通りの灯りを、しばらくぼんやりと見つめるだけだった。
年末です。
休みの間に少しでも更新できたらなあ……と思っています。(難しそうですが……)




