看板娘
ロンはリーナの店の扉を開けた。後ろからはフレッドと、仕事仲間である密輸組織インディゴの構成員が三人ほど続いて入ってきた。
「ほら、本日最初のお客が来たよ、フィア」
「うん。いらっしゃいませぇ……あれ?」
だがロンは入り口で立ち止まった。後ろのフレッドたちが玉突き事故を起こす。
「なぁに立ち止まってやがんだぁ、ロン」
フレッドの文句も今のロンには聞こえなかった。
なぜなら少年の前には、お盆を持ってウエイトレスをしているフィアがいたのだから。しかも太ももが露わになるくらいの短いスカートを穿いて、エプロンドレスを纏っていた。髪はツインテールになっている。
ロンはフィアの姿に眼を見張った。
「なーんだ、ロンかぁ……」
でもフィアの方は、客の顔ぶれを見て嘆息した。
「ど、どうしたんだフィア? その格好……」
しかもロンが注視しているのは着ている衣装だけではない。
「フィア、ひょっとして化粧してる?」
フィアは薄らと化粧をしていた。もともと魅惑的だった形の唇が、口紅のおかげでより艶っぽくなっている。
「そうよ、リーナにしてもらったの。何その眼? もしかして変だって言いたいの?」
フィアは決まりが悪そうに、ツインテールにした髪の毛の先をくるくると指先でいじった。
「と、とんでもないっ。すごくっ、すっごく可愛いよ、フィア」
「ホント? ホントに私、可愛いかな?」
不安そうに上目遣いでそう訊ねるフィアに、ロンはノックアウト寸前だった。本人も気付かぬうちに、でれーっと鼻の下が伸びていく。
「ホント、ホントに可愛いよ」
「よしっ。ならアルもこれで私に絶対めろめろなはずよね。んふふふふ」
フィアは拳を握り締めてガッツポーズした。
「あ……結局アニキなわけね……」
対して、ロンはガクッと肩を落とすのだった。
「なぁるほどなぁ、ローザがこのおチビのことをぉ上玉だぁっつってたがぁ、そのわけがわかるぜぇ。こりゃぁ確かに上玉だなぁ」
フレッドの言葉に、カウンターにいたリーナが口を挟んできた。
「ローザ? 何であの売女の名前が出てくるのよ?」
「会ったんだよぉ、今日ぉ。したらフィアをくれぇって言ってたぜぇ。五百ディール出すってよぉ」
「はあぁ? 何よそれ?」
「おチビはぁ生まれながらにしてぇ、国を傾けさせるほどのぉ魔性の才能をぉ持っているぅ。その才能をぉ開花させんのがぁ、自分が天から与えられたぁ使命だぁ。だぁから早くよこせぇ、だとよぉ。
この姿ぁ見るとよぉ、あながち間違いでもねえなぁ、と俺もぉ思うぜぇ」
「それ、本当にローザが言ってたの?」
「ああぁ。んでぇ、五百ディールでやっちまうのかぁ、ローザにぃ?」
「んなわけないでしょ! 馬鹿なこと言ってんじゃないわよっ」
リーナはフレッドを怒鳴りつけた。
「まったく……あの売女、いったいどこでフィアのこと嗅ぎつけたのよ? 相変わらず耳が早いわね。しかも五百って……?」
リーナが舌打ちするのを聞き、ロンはゴクリと唾を飲み込んだ。背中に冷や汗が滲む。
そんなロンにフィアが訊ねてきた。
「アルは一緒じゃないの?」
「アルならぁ、商業取引所の帰りにぃ、ビスカヤ橋でぇ別れたぜぇ」
フレッドが答えた。
「なぁんでも行くところがぁあるんだとよぉ。リーナぁ、シェリー酒四つだぁ」
原始人は三人の部下と共にテーブルにつき、カードを切り始めた。
フィアはリーナに頼まれて、彼らのテーブルにシェリー酒を運んだ。そこでまたフレッドに訊いた。
「アル、何処に行ったの?」
「さあなぁ。なぁんにも言わずに行っちまったからなぁ。それよりおチビぃ、おめぇもやるかぁ? カードゲームぅ」
「カードゲーム……って、何?」
フレッドの誘いに、フィアが問い返す。
「知らねえのかぁ? 都会で流行ってる遊びだぁ。金を賭けて遊ぶんだよぉ。おめぇ、財布持ってなさそうだからぁ、かけ金はぁ手首にしてるそのブレスレットでぇいいぜぇ」
「やめな!」
リーナがフレッドを睨めつける。
「フレッド、あんたの魂胆はわかってんのよ。この子をからかって酒の肴にしようってんでしょ。そんなこと、私がさせないよ」
「ホントぉに頭の固てぇ女だなぁ、おめぇはぁ。よぉ、おチビぃ、カードゲームはぁ楽しいぞぉ」
少女はリーナとフレッドの顔を当分に見比べてから答えた。
「アルが、ギャンブルはしちゃいけないって言ってたから、やらない」
フレッドは舌打ちした。リーナはうんうんと頷いた。
「立派よ、フィア。でもあいつ、あなたにそんなこと偉そうに言ってるの? 自分は証券取引所に通ってるくせに」
「株はぁギャンブルじゃねぇ。投資だぁ、事業だぁ」
すかさずフレッドが反論する。
「それにしてもぉ罪な男だなぁ、アルの奴もぉ。こぉんな小せぇガキにぃ帰りの心配をさせてぇ、言いつけ守らせてよぉ、さらに夜になったらぁ思いのままにご奉仕させてるんだろぉ?」
フレッドはフィアに顔を近づけた。酒焼けなのか、日焼けなのかわからないが、赤黒く迫力満点な恐面の顔に、フィアは身を引き警戒態勢をとった。
「よおぉ、アルとはぁもうやったのかぁ?」
「アルと……何をやるの?」
卑猥な笑みを浮かべながら訊ねるフレッドに、フィアは首を傾けた。
「おい、そこのゲス、そこらでいい加減にしときな」
いつの間にかカウンターから出てきたリーナが、両者の間に割って入った。
「何でぇ、さっきからノリ悪りぃなぁ。いつものおめぇはぁそんなんじゃぁねえだろぉ。スコットと付き合い始めてからぁ妙にカマトトぶるようになりやがってよぉ。そぉんなにカタギの男ぉ持ったのがうれしいのかぁ?」
そこでフレッドは何を思いついたのか、意地悪そうにぐふふと笑った。
「そぉいやぁよぉリーナぁ、アルとスコットはぁおめぇを通じてブラザーなわけだろぉ。ならアルを通じて、おめぇはそこのおチビと……シスターになったってぇことかぁ? ガハハハハハハ」
「なっ……」
リーナの顔がすぐさま赤くなった。下品な笑い声を上げるフレッドの横で、彼の部下たちもニヤニヤと笑っている。
「この際、おチビに“お姉さま”ってぇ呼ばせてみたらどうでぇ? ガハハハハハ。ちなみにぃアルのはどんな具合だぁ、二人ともよぉ? ネミディア風のテクはぁ気持ちいいのかぁ? それともぉ、あの整ったぁ顔とはぁ裏腹にぃ、あっちの方はぁ下手くそでぇ痛い思いをさせられてるのかぁ? ギャハハハハハハハ」
リーナの額の筋肉がヒクヒクと痙攣している。
フレッドの部下たちは、彼が言い過ぎたことに気づき、笑うのをやめて顔を強張らせていた。
しかしフレッドだけはまだ馬鹿笑いを続けている。
硬く握られたリーナの拳が、フレッド目掛けて振り上がった。その瞬間……
「ねえねえ、アルとやることって、痛いことなの?」
出し抜けにフィアが不思議な顔をして訊ねた。
「でもアルが私に痛くしたことはないよ。それに痛いことされるなんて嫌だもん」
一瞬、店内は水を打ったかのように静かになった。が、すぐにフレッドと部下たちは爆笑した。
間髪いれずにフレッドが訊く。
「じゃあぁ、アルとやっても痛くねぇんだなぁ。むしろ気持ちいい、とぉ?」
「気持ちいい? どういうこと?」
「つまりぃ……二択だぁ。アルだと気持ちいいのかぁ、それとも痛ぇのかぁ。あえて言うならでいい、どっちだぁ?」
フィアは少し考えてから頷いた。
「うん、気持ちいいかな。アルに抱かれたり髪とかいじられるとすっごく気持ちいいし、それに私にはいつも優しくしてくれるもん」
再び大爆笑がおこった。フレッドたちは大喜びである。ある者は手でテーブルを激しく叩いているし、またある者は足をバタつかせている。
フレッドにいたっては腹を抱え、床の上でゴロゴロとのた打ち回っている。
「ガハハハハハ……そうかぁ、アルはぁすっごく気持ちいいかぁ。ギャハハハハハハハ」
何も知らない無垢な女の子は、こうしてゴロツキたちの猥談の餌食となってしまった。
こうなるともうリーナでも収集がつけることが出来ず、忌々しそうにしながら頭を掻くしかなかった。
ロンは顔を赤くして俯いている。
しかし、無頼漢たちの馬鹿笑いを聞いているフィアの表情は、徐々に険しくなっていった。
少女は突然、フレッドたちのテーブルに土足で飛び乗った。蹴り飛ばしたカードがパラパラと宙に舞う。
同時に短いスカートがひるがえり、中の純白な布切れがロンの眼に映った。
「言っている意味はわからないけど、あなたがアルのこと侮辱してるのはわかった」
フィアはフレッドを上から睨みつけた。
「へぇ……それでぇ?」
フレッドは馬鹿にしたような薄笑いを浮かべている。
「謝ってもらうわ!」
「ククク、嫌だぁっつったらぁ?」
「絶ぇっ対に謝ってもらう! あなた、チェスは出来る?」
「ああ?」
フィアは腕のブレスレットを外し、フレッドの前に突き出した。
「私はカードがわからないからチェスで勝負よ。私はこれを賭けるわ。私が負けたらあげる。でも私が勝ったら……」
「おめぇが勝ったらぁ?」
「土下座して!」
静まり返った店内は、危険な緊張感が漂う。だがフレッドは低い声で不敵に笑い出した。
「この俺にぃそんな口利く奴ぁ、ここんとこリーナとローザ以外じゃぁ、久しくいなかったなぁ。いいぜぇ、のったぁ、その勝負ぅ。リーナぁ、チェス盤がぁあったろぉ。持って来いやあぁっ」
「ちょっとやめなさいよ、二人とも。正気?」
リーナが制止しようとしても、睨み合う二人はもう収まりそうもなかった。
「いいのかよフィア、アニキの言いつけじゃ賭け事はしちゃいけないんだろ?」
テーブルの下からロンが訊ねる。そこからだと、フィアのスカートの中を覗くには、ちょうどいい角度なのだ。
「いいのよっ、バレなければ!」
昨日はローザの誘惑を撃退したフィアだったが、残念ながらしっかりと悪影響は受けていたようだ。
「でも、もしアニキにバレたら大変だぞ」
「他のことならともかく、アルのことだけは絶対に譲れないの。後悔させてやるわ、原始人」
凄むフィアに、フレッドは不敵に笑った。
「見た目でぇ判断するなよぉ、おチビぃ。こぉ見えてもぉ、俺ぁチェスにゃぁ少しばかり腕に覚えがあるんだぜぇ。身包み剥いでぇ素っ裸にしてやらぁ。ついでにぃそのまま裸エプロンでぇウエイトレスさせてやらぁ。したらぁいい客寄せになるなぁ。ククククク……」




