リーナ、恋のあと(上)
更新がずいぶん滞ってしまいました。申し訳ありません。
またぼちぼち進めていこうかと思います。
このスローペースにお付き合いいただける方がいたら、幸いです。
夕刻。
旧市街のリーナのパブでは、フィアが床の掃除をしたりテーブルを並べたりと開店準備を手伝っていた。店内には今、フィアとリーナの二人しかいない。
今朝もフィアが目を覚ましたとき、アルはすでに出掛けていた。昨日と同じようにアルの後を追うと暴れたフィアだったが、リーナが力ずくで抑え込まれた。
リーナとしては、昨日のようなことがまた起きて、アルに文句を言われるのは御免だった。少女を手元において見守るため、また抜け出したりしないよう監視するため、一日中店の仕事を手伝わせていたのだ。
「どっかのロクデナシみたいに、株や為替で楽して儲けようなんて思っちゃ駄目。そんなのは邪道よ。お金っていうのは、体を動かして、汗水流して稼ぐものよ! わかった、フィア!」
就業前にリーナはフィアにそう言い聞かせた。
フィアは最初嫌がっていたが、やがて渋々ながらも、リーナの指示に従っていった。
「ちょっと休憩しようか」
リーナはそう言ってフィアをカウンター席に座らせると、ホットミルクを出した。
木製のコップを両手で持ち、ふーふーと息を吹きかけて冷ましながら、少しずつホットミルクを口に含んでいくフィア。その仕草がいじらしくて、リーナは微笑んだ。
「どう、労働後の一杯は格別に美味しいでしょ?」
「う、うん……」
フィアはしおらしく頷いた。
「そうそう、そういえばエーディンの正体がわかったわよ」
「えっ?」
フィアは驚いてリーナを見上げた。
「エーディンが……? だ、誰なの?」
「エーディンはアルのお姉さんなんだって」
「お姉さま……? アルの?」
「そう、昔の恋人なんかじゃないから、心配しなくても大丈夫よ」
「……あの……リーナはそのこと、アルから聞いたの?」
「ん、そうよ」
途端にフィアの表情が曇った。
フィアは改めて思い返してみた。そういえば自分はアルの家族のことを何も知らない……。
祖父の隠し古城で三年近く一緒に暮らしてきたのに、アルの過去について、彼自身の口からは一度も話してもらったことがない。今の今まで姉がいたことすら知らなかった。
でもリーナは知っていた。自分の知らないアルのことを……。自分には教えてくれなかったことを、リーナには簡単に教えているということだろうか……。
その事実が小さな胸のうちを掻き毟りたくなるほどの、焦りと心細さの中にフィアを突き落とした。少女は無意識のうちに左手の親指をしゃぶっていた。
フィアは、アルとリーナの過去が、気になって気になって仕方がなかった。
しかし、そんなフィアの心境を知ってか知らずか、リーナはまた笑顔で話しかけてくる。
「けど、アルが不思議がってたわよ。何であなたがエーディンの名前を知ってるんだろう、って。フィアはエーディンって名前、何処で知ったの?」
「……昔アルがお酒飲み過ぎてベロベロになったとき、テーブルに突っ伏した状態で、何度もエーディンって名前を呼びながら呻いていた……」
「あははははは、そうなんだ。こりゃいよいよ筋金入りのシスコンってことになるわね、あいつ」
リーナはハミングしながら、仕込み中の鍋に香辛料を入れた。
フィアは親指をしゃぶりながら、リーナの後姿をじっと睨む。
「……リーナはアルと何処で出会ったの?」
今度はフィアがリーナに訊ねる番となった。
「ん? どうしたの急に、そんなこと」
「知りたいの……アルとリーナのこと……。どうやって知り合ったの?」
「んー、あいつと会った日か……。六年位前かな……」
リーナは鍋の中身をお玉杓子でかき回しながら話し始めた。
「終戦直後のネミディアへ密貿易に行ったの。私とフレッドはもともとインディゴっていう名前の密輸組織の元締めをしていてね、酒や麻薬はもちろん、その他の高価な宝や、絶滅寸前の珍獣、あと……人なんかも運んだことがある……。
ネミディアは金や銀や宝石などの貴金属類が豊富だって聞かされていたけど、それまで交易の窓口は狭くてね、鎖国に近い状態だった。それが戦争が終わって植民地化されると、出入りが前よりも自由になってね、私たち密輸団も宝石の取引を目的に、初めてネミディアへ足を踏み入れたの。まるで宝探しみたいな旅だったわ……。
そしてそこで、戦争で家も家族も失って、ふらふらと行くアテもなく一人さまよっていたアルと出会ったわけ。訊いたら三日間水しか口にしてないって言うから、パンとぶどう酒を奢ってやったわ。馬が合ったのか、私たちはすぐ仲良くなってね、仕事仲間に引き入れたのよ」
「少し前まで戦争してた、敵国同士の人なのに……?」
「インディゴは昔から人種や国籍は気にしない組織だったからね。腕っ節の強さに自信のある奴なら、出生や前歴は問わずに誰でも仲間にしてたの。そうして集まったならず者、荒くれ者の集団なのよ。
構成員はみんな国籍も人種もバラバラ。半分だけ、もしくは四分の一だけフェニキア人っていうのもいれば、ネミディアと同じようにカルタゴに祖国を亡ぼされたって奴もいるわ。多分だけど、純粋なフェニキア人はフレッドだけじゃないかな……。ちなみに私もカルタゴの生まれじゃなければ、フェニキア人でもないからね」
「え? そうなの?」
「私は帝国の生まれなのよ。私のことを陰で“帝国女”って呼んでいるのもいるわ」
「ふーん……。それで? それからアルとどうなったの?」
「それから……アルとは貿易で色々な国へ行ったわ。帝国や、そこからさらに東のウバール、西はメシカやモンテ=アルバンまで。海を渡って南方の新大陸にも行ったかな」
アルとのことを懐かしむように語るリーナは、実に楽しそうだった。
その笑顔がまたフィアの勘に触る。
「それで? それから?」
「急かすわね……」
リーナは苦笑し、続きを話し始めた。
「んー……三年前になるかな、久しぶりにネミディアへ貿易に行くことになったの。アルにとっては三年ぶりの……初めての里帰りだったわ。
そこでアルは、母国の変わり果てた様子にかなりショックを受けてたみたい。ネミディアの古い文化遺産や伝統的建築物はカルタゴ兵によって徹底的に破壊しつくされていたし、緑豊かだった自然も、戦後参入してきたカルタゴの企業による乱開発でめちゃめちゃに荒らされてた。
……けど、一番酷かったのは内乱ね。主要な都市部では、以前よりも弾圧を強めたカルタゴの治安部隊と、独立を謳ってテロ行為を繰り返す魔導士の軍閥とが、毎日のように衝突を繰り広げていたわ。犠牲になるのはいつも、銃も魔力も持たない非力なネミディアの一般民衆……。そうそう、そのときに治安部隊と魔導士の争いで、両親を失ったロンを拾ったのよね」
「ロンのことはどうでもいいわ。アルは? それでアルとはどうなったの?」
「アルは……アルはすごく悩んでた。他国に比べて、ネミディアだけどうしてこんなに悲惨な状態なんだろうって。まるでこうなったのは自分のせいであるかのように苦慮してたわ。ネミディアを元の自然豊かな、平和な国に戻したいって何度も呟いてた。
そしてある日突然、誰にも何もいわず何処かへ消えたの……」
「……それで? それから?」
「それで……それからついこの間、小さなブロンドの女の子をつれて、三年ぶりにカディスに戻ってきたわ」
「……私、小さくない……」
フィアは怒って頬を膨らませた。
やはりリーナは、フィアと知り合う前のアルをたくさん知っていた。自分の知らないアルを、そしてアルの過去を幾つも知っている。
フィアの胸は再びざわつき始め、言い知れない不安に苛まれた。すると少女はまた親指を吸い始めた。
フィアは意を決し、唇から親指を離すと、深呼吸をひとつしてリーナに訊ねた。
「リーナはアルのことが好き? やっぱり二人は昔付き合っていたの?」
「んん……っ? どうして?」
「だって……多分アルはリーナのことが……好きだから……」
「ど、どうしちゃったの、急に?」
リーナは激しく動揺したようだ。
さらにフィアは、そこでトドメとも言える一撃を言い放った。
「だって……私、昨日の夜、リーナがスコットとキスしてるの見たんだもん」
「えっ……」
リーナは思わず握っていたレードルを床に落とした。
「アルも……見てた……。アルは……すごい怖い顔して、二人のこと睨んでた……」
リーナの顔はサッと青くなり、その後、徐々に赤くなっていった。
「しかもアル……、そのこと見なかったことにした上、私から隠そうとした……。そのとき……そう思った……」
一時、冷冽な沈黙が店内を包んだ。
それからフィアは、敵意と哀しみとが綯い交ぜになった瞳で、リーナを見据えた。
「リーナ、ずるいっ!」
「えっ?」
「リーナには恋人のスコットがいて、弟みたいなロンがいて、他にもいっぱい、いっぱい、いっぱい、この町には大勢の友達がいるんでしょ。なのに……それなのに、アルまで自分のものにしようとしてるなんて!」
「ちょ、ちょっと、別に自分のものにだなんて……」
フィアは目尻に溜まった涙を、零れ落ちないよう必死に堪えながら訴えた。
「私、ずっとおじい様と二人っきりで暮らしてきたから、友達はいないし、親も兄弟もいない……。私にはアルしかいない……。でもそのアルも、私よりリーナの方がいいなんて……。何で?
リーナばっかりずるいっ! アルがいなくなったら、私はこの町で一人きりになっちゃう。リーナなら他にもたくさん仲間がいるのに、どうしてわざわざ何もない私から奪おうとするの? 私からアルを奪わないで。私のアルをとらないでよっ!」
言い切るとフィアは服の袖でぐいっと涙を拭った。
表裏のない、純粋で真っ直ぐなフィアの言葉を受け、リーナは雷に撃たれたかのように動かなくなっていた。
「フィア、アルは……どんなことになっても、決してあなたを見捨てたりはしないわよ」
しばらくするとリーナはそう言い、腰を屈めてレードルを拾い上げた。
「それから私は……もう、特定の相手をつくることはないと思うから……。スコットだって恋人じゃないし……」
「そうなの……?」
「うん……。きっと、怖くなっちゃったのよね……好きな人を失うことが……」
「……前の彼氏に、そんなに酷い振られ方したの?」
歯に衣着せないフィアの問いかけに、リーナは少し苦笑した。
「よし、仕込み終わり!」
リーナは調理をしていた鍋にふたをした。
「ねえ、リーナくらい美人でも振られることって、あるの?」
「んー……そおねぇ、じゃあ、一緒にお風呂入る?」
「へ?」
「そこで話してあ・げ・る。誰にも言ってない、アルにだって教えてない、私の秘密の恋の話を……」
リーナはウインクした。




