精霊の巫女
なかなか筆が進まず悩んでいます。すいません。
ベッドで眠りに付いたフィアを、アルは見つめていた。少女の口にはブロンドの髪がかかっていて、寝息の度に揺れている。アルはその髪をそっと退けた。
今日は朝から色々あった。
朝はハンニバルの暗殺に始まり、昼は金融街で軽いカルチャーショックを受けた。自分たち以外にも魔導士がいて、通り魔事件を起こしているというのも気になる。
しかし、一番印象深く残っているのは、苦々しくも、さっき見たリーナとスコットのキスシーンだった。
スコットはアルのことを尊敬すると言っていた。共にネミディアのために頑張ろうとも言っていた。
しかし、だからといって自分の恋情を譲る気はなさそうだ。それとリーナとは、別の話ということらしい。
「宣戦布告されたわけか……」
アルはランプの炎を見据えた。
◆
ランプを持って、アルは階下へ下りていった。
店はもう閉まっている。後片付けも済んでいた。
誰もいない店のカウンターで、リーナはたった一人、ランプの明かりの中、椅子に座ってアルのコートを繕っていた。
「何だあの直情的で暑っ苦しい男は? 身の上話じゃメソメソ泣き出すし、気持ち悪りぃ」
アルは憤りを隠そうとしなかった。
「直情的で暑苦しい男って、スコットのこと?」
「他に誰がいるんだよ。それからフィアにはカルタゴ兵を見たらすぐ隠れるか、逃げろって教えておいたのに、なのに俺がちょっと眼を離した途端にこれだ。仲良く一緒に帰宅するなんて、ロンもお前も一体全体どういうつもりだ?」
「あなたがフィアを勝手に押し付けて出て行ったんでしょ。知らないでしょうけど、今朝あの子、あなたの後を追うって騒いで大変だったんだから」
「だからこそ、リーナに頼んだんだろ。なのに……」
「悪かったわね、役に立てなくて。そうしてあなたは大事な女の子を他人に預けて、ギャンブルと人殺しに行ってたってわけね。なかなか立派な保護者だこと」
「株はギャンブルじゃねえ、投資だ」
「ギャンブルよ!」
リーナの口調も次第に憤怒の熱を帯びていく。
「あんなに朝早く何処に行くのかと思っていたら、ハンニバルを暗殺しに行ってた? あんたバカなの? 言葉を失うって正にこういうことだわ。ひょっとしてスコットが言うように通り魔事件も……」
「冗談よせ。そっちは俺がカルタゴに来る前から起きてる事件だろ。第一スラムの難民を襲って俺に何の得があるんだよ?」
「……じゃあ、スコットを殺そうとしたことは?」
リーナは裁縫を中断し、木製のジョッキをバシンッと叩きつけるようにしてカウンターの上に置いた。ジョッキの側面には、指が入りそうな穴が二つ開いている。スコットを狙ったときに開いた穴だ。
「昨日と今日であなたに二つもジョッキをお釈迦にされたわ」
「お前も昨日、一個握りつぶしただろ」
「うるさいっ! あの時私が庇わなかったら、スコットは確実に死んでた。それだけじゃない、店の前でも彼に斬りかかろうとしたでしょ」
「やっぱり、わざと割って入ったのか……」
「どうして? 魔導士を侮辱されたのはわかるけど、同じネミディア人じゃない。彼も悪気があったわけじゃないんだし、赦してあげてよ」
「……俺にだって譲れないものはある。あいつが言っていただろ、魔導士は無条件で悪だって。同じように魔導士は、カルタゴ兵を見たら逃げるか、隠れるか、もしくは……殺される前に殺すしかないんだよ。無条件に……」
「……同じ国の人間で……同じように弾圧と貧困に苦しんでいるネミディア人を憂いている二人なのに?」
「関係ない。奴はカルタゴ兵だ、それだけで十分危険だ。きっと向こうだって同じ考え方しているはずだ。奴は俺が魔導士だと知ったら、絶対に赦さないだろう。俺を処刑台に送るって、あれだけ鼻息荒く宣言していたくらいだからな」
「…………」
「……リーナこそ、何で止めたんだ? おまけにあいつの前じゃ、処刑が怖いなんてカマトトぶりやがって……。今も妙に肩持つし……」
「私はただ……店先に死体を転がされたら迷惑だっただけよ」
「本当にそれだけか? 最初に斬りつけようとしたのはともかく、二回目は即死する技じゃない。ありゃ時限式の魔法だ。まず後頭部から延髄に魔力を流し込む。そして一定時間が過ぎたら、仕込んでおいた魔力が発動して延髄を揺さぶるようにしておくんだ。延髄は呼吸や心拍を司る脳幹だからな、相手は心臓麻痺で突然死んじまうだろう。酔っ払って家に帰って、ベッドで気持ちよく眠りに付いたら、そのまま次の日の太陽が昇っても永久に目覚めない、って寸法だ。もちろん外傷もない。この魔法だったら、今度奴が店に来たとき殺っていいか? 俺とフィアの安全のために……」
アルは底意地悪そうな笑みを浮かべながら訊ねた。
リーナは質問に答えず、黙って裁縫を続けている。
アルはひとつ大きく深呼吸した。
「……惚れてんのか?」
「いつっ……」
リーナの人差し指から血が流れ出していた。誤って裁縫針で刺してしまったようだ。
「……スコットが初めて店に来たのは一年くらい前だったかな……」
言いながら、リーナは怪我をした人差し指を口に含んだ。
「何処の生まれかとか、家族のこととか、恋人はいるのかとか、来店するたびに色々聞かれたわ。それで……」
「それで?」
「一ヶ月くらい前に……プロポーズされた」
「はぁっ?」
アルには晴天の霹靂だった。
「まさか……受けてないだろうな?」
「……断ったわ」
アルが胸を撫で下ろす。ところが……
「でも、まったく諦めないの、彼……。”好きだから一緒にいたい”とか、”僕のことが好きになるように努力する”とか、”一生守るって約束する”とか……」
リーナが顔を少し赤くして、下を向いた。
「ケッ、歯が浮く。あの熱血バカらしいな」
「もしかしたら……恋人がいるってわかれば、彼も諦めるかもしれないけど……。アルはどう思う? どうすべきかな、私?」
何かを期待するような、意味深な言葉だった。
「断り続ければいい。そのうちあの坊やだって冷めるだろ。だいたい、お前とあいつとじゃ釣り合いがとれねえよ」
アルのその台詞を待っていたかのように、リーナは破顔した。
「んー、アル……それって……」
「あの坊や、リーナやフレッドの裏家業は知らないんだろ? 密輸団の副頭目と、それを取り締まる兵隊とじゃ、後の悲劇は目に見えてる。それじゃ坊やが可哀そうだと言ってるんだ」
一変してリーナの表情が曇る。
「まるで女郎蜘蛛の巣にかかった哀れな獲物だな。何も知らずに罠に落ちた坊やには心底同情するよ。けどお前も気をつけろよ。ああいう思い込みの激しい単細胞ほど、その反動で正体がバレたとき修羅場だ……ぶっ!」
コートが飛んできて、アルの顔面を直撃した。
「何だよ?」
「直ったわよ、コート」
「ちょっと酒臭いぞ」
「自業自得よ。それはそうと、私もあなたに訊いておきたいことがあるわ」
「あぁ?」
「エーディンって、誰?」
「なっ……ななななな、何でっ?」
アルは尻もちをつきそうなほど、後ずさった。
「な、何でリーナがその名前を知ってんだ?」
「今朝、フィアが言ってたの」
「フィアが? あいつにエーディンのことを話した覚えなんてないぞ……」
「それで私がそのエーディンじゃないかって、突っかかってきたの」
「リーナのことを?」
「とりあえず誤解を解いて、エーディンなんて女は知らないって言っておいた。……でも嘘。私もその名前、聞いたことがある……」
「い、いつ? ど、何処で……?」
「いつだったかしら……あなたが寝言でそんな名前を、うめき声のように漏らしてたの……覚えてる……」
アルはきまりが悪そうに、リーナから顔を背けた。
「私もソニーのことがあるから、無理に訊こうとは思わなかった。けどいつか必ずアルの方から話してくれる、そう信じてた。……でも、どうやら自惚れだったみたいね。結局、自分から訊いちゃったぁ……ふふっ」
リーナは自嘲気味に小さく笑った。
「私にも話せないような女の人が、あなたにいたなんてね……」
「違う!」
アルは首を振って叫んだ。
「違うんだ。エーディンは恋人じゃない。エーディンは………………………姉貴なんだ……」
「お姉さん?」
「そうだよ……」
「あなた……シスコンだったの?」
「そう言われるのが嫌で今まで話さなかったんだよっ、くそっ! でも仕方ないだろ、俺は物覚えつく前にお袋を亡くしてるんだから、ガキの頃はエーディンが母親代わりになって色々面倒見てくれてたんだ。だからなのか、大きくなってもずっと頭が上がらなかった。まあ実際、精霊の巫女になったほどのすごい魔女だったしな」
「精霊のミコ……って?」
「そうか、帝国生まれのリーナは知らないよな、巫女のこと。平たく言えば、古くからネミディア人に信仰されてきた宗教みたいなものさ。ネミディアには自然神信仰が根付いているんだ。そして万物の自然神とコンタクトをする、特殊な魔術の儀式を執り行う魔女を、精霊の巫女って言うんだ」
「へー……それってすごいの?」
「すごいんだよ! ネミディア人で知らない奴はいねえ。そもそも精霊の巫女はティル・ナ・ノーグ建国以前から続けられてきた、伝統ある文化だ。
あと、魔女なら誰でもなれるってわけじゃない。古代から続く格式高い魔導士の家柄の中でも、さらに特別な血筋の十歳から十五歳までの魔女にしかなることを許されないんだ」
「十歳から十五歳って、まだ子供じゃない」
「精霊の巫女は少女が務める。成人したら引退しなきゃならない。そういう決まりだ。そして前任者が引退したら、新たな巫女を選出する祭儀が行われるんだ。
巫女が暮らす神殿には、前もって条件を満たした素質のある魔女を、国中から集めて共同生活させている。その魔女たちを厳しく審査し、ネミディア中からたった一人だけ選び出される名誉ある役職だ。選考期間中から、新たな巫女が発表されて就儀式が終わるまで、国中お祭り騒ぎになる」
「ふぅん、初めて聞いたわ。 面白い催しものがあるのね」
「ついでに言うと、フィアのメイザース家は何十人もの有能な巫女を輩出してきた名家なんだ。俺の見立てじゃ、フィアもかなりの素質があると思う。時代が時代だったら優れた魔女として、確実に巫女候補に挙げられていただろうな。
でも敗戦後、カルタゴが魔導士を弾圧する際、一緒に精霊の巫女の制度も廃止した。巫女の神殿やそのほかの寺院も、治安部隊によって徹底的に破壊しつくされたよ。結局、エーディンが最後の巫女なっちまったな……」
「お姉さん、巫女を辞めたあとはどうしてるの?」
「……戦争で死んだ」
「ご、ゴメン……余計なことを……」
「別にいいさ……」
アルは腰に提げている剣をリーナに見せた。
「時空を司る月の魔剣フラガラッハ。エーディンの形見だ」
「へぇ、前はそんなもの持ってなかったと思うけど?」
「ティル・ナ・ノーグじゃ国宝級の宝剣だ。盗賊に盗られるわけにはいかないからな、この六年間、魔導士だけが使用できる秘密の隠し場所に隠しておいた」
鞘から剣を抜くと、刀身はわずかな青味を帯びた銀に光っていた。
「月の光彩のような色をしている……エーディンの魔力と同じ色だ……」
アルはフラガラッハを納刀した。そして天井を見上げた。視線の先には、フィアが寝ている部屋がある。
「そういえば、フィアの面倒を見るようになってから、前よりも一層エーディンのことを思い出すようになったな……」
「どうして? お姉さんとフィア、容姿が似てるの?」
「いや、全然。そういうことじゃなくて……。その……時々、子育てをしていて悩むことがあったら、エーディンは俺にどうしてくれたてたかなって、考えちまうんだよ。そういう意味さ。そして、エーディンが俺にしてくれたことを、俺は今、そのままフィアにしている。……でもダメだ。エーディンのようには上手くいかない。俺はいつもあいつを孤独にさせて、危ない目に合わせて、傷つけて……昨日も布団に包まって一人で泣いてたし……。ロクでもねえ奴だな、俺は……」
「……」
「興が冷めた……。今日はもう寝るよ。明日も早いし。コート、直してくれてありがと」
アルはリーナに微笑むと、階段を上っていった。
一応、序盤はこれで終わりでしょうか。次からは新展開……といきたいんですが……一旦、今までの内容を改稿していこうかな、なんて思っています。
遅筆で更新遅いのに、さらに間が空くことになりそうで、本当に申し訳ありません。




