6.桐塚優乃の二度目の転機
軽いグロテスク表現があります。
カニバリズムという言葉に嫌悪感を抱かれる方は回れ右でお願いします。
なんていうの。石膏みたいに白い肌。シンメトリーに配置された完璧な顔立ち。アーモンド形の眼は吸い込まれそうな黒。黒曜石みたいって言うのかな。唇はさながら富士山。ほんとにあるんだこんな形の唇。すっと通った鼻梁。身長は百八十……九十近くあると思う。なんせ、あたしの頭が胸よりちょっと上の位置だからね。絹を黒く染めたらこんな感じっていうくらいさらっさらの腰より長い髪。女としてはうらやましいことこの上ない。
項の当たりで切りそろえて常にショートのあたしとは大違い。というか、ちょっと丸顔で見れない顔じゃないレベルの平凡な日本人顔しいてるあたしに、ケンカ売ってるような美貌だよ。
あ、なんかムカついてきた。
いや、そりゃね。力のある存在ってやつのテンプレで魔人は総じて美人が多い。それが西洋美人なのかアラビアン美人なのか東洋美人なのか北欧美人なのかは、魔人によって違う。少数民族の割に、顔立ちに統一性がないらしいんだよね。
あたしにとって救いなのは、美的感覚が地球人とあんまりずれがないってこと。だって、ゴキブリを見てあれが美しいとか言われるような世界だったら、あたし絶対生きていけない自信あるもん。
あの妙に光沢のあるフォルムとか動きとか触角とか。ああ、思い出すだけで鳥肌が立つ。一般的な女子に比べて虫に強いとは思うんだけど、あれだけは生理的に駄目なんだよねえ。
なんて馬鹿なこと考えてる間に、足から力が抜けていく感じがする。座り込めたら楽かも。
仕事終わりで、体力、気力、魔力全部使いきってるから、魔人と相対するのは本気できつい。ここのところのハードな日々で、いつもより疲れがたまっている。
隣に立っていたはずのシャラはとっくに尻餅ついて固まってるからね。
っていうか、あれ目を開けたまんま気を失ってるんじゃあ……。呼吸が止まってないことを祈るしかない。
魔人の気配は下っ端にはきついんだってば。オーラっていうか気がね、半端ないんだよ。半径十メートルはお近づきになりたくないって感じ。強烈すぎる。
目なんてあわされた日には、失神するよ。多分ね。なんせあたしはそういう経験がないからよくわかんないんだよね。下働き仲間に聞いた話だからさ。
あたしの場合今も意識なんて失わず、何とか立っているからね。うん。目はばっちり合っているよ。むしろ反らせないっていう方が正しい。
それにしてもこの魔人、何者?駄々漏れしている魔力がただ事じゃないんだけど。もうちょっと制御とかしようよ。
そうすればシャラが気絶することだってなかったのに。
「馴染ませたか」
あたしの顔を覗き込んで、漆黒の魔人は感心したように言った。
馴染む?何が?
というより、あんたは誰ですか?!そして今すぐ離れてーーー!!
まじきついから。息苦しいから。
悔しいから倒れてなんてやらないけどね。
なんかこの魔人見てると腹が立ってくるんだよね。初対面なのに、おかしいなあ。
「ほう。面白いな」
何にも面白くないわ!!声を大にして言えたらすっきりするんだろうなあ。
魔人に喧嘩売った日には、一瞬であの世に行くだろうから言わないけど。仕事漬けの毎日だからね。将来はちょっとくらい遊んで死にたいって思うのが普通でしょ。
お金貯めていつか城から出ていくのがあたしの目標の一つなんだから。こんなところで死んでたまるか。
そんなわけで、あたしは一生懸命口を貝にして耐えている。ああ。早くどこか行ってくれないかな。おしゃべりな口が開く前に。
「……まだ余裕はあるな。どこまで耐えられるのか楽しみだ」
なんかすっごく不吉な言葉を聞いた気がするんだけど、お兄さん。ってなんであたしの体反転させるの?そりゃのけぞっている体制よりは楽だけど。
その人形みたいにすべすべの手で顎を掴まないでよ。痛いって。
みしみしって骨が軋むような音が聞こえるのは気のせい?気のせいだよね。
うわーーーん。正面から見たらこの人すっごく性格悪そうな表情浮かべてるよ。目が笑みを浮かべてるのに、冷たいってどういうこと???
「動くな」
思わず逃げ出そうと身じろぎしたら、言葉で動きを封じられちゃった。こわ。
って。なんで自分の左手の中指を咥えているのさ?変態なの、この人。
がり、ってすっごく痛そうな音がした。何か肉とか骨とかを食いちぎったような嫌な音。
魔人が口の中に入れていた中指を出した。えーーー、と。第一関節位まで指の先が無くなってるよう。え?なに?自分の指食べたの??何したいのこの人?
というかそういうカニバリズム見て喜ぶ趣味はないの。
だからあたしの顎を掴む手を離してええええええ!!
強制的にそんなグロを見せないでってば。お願いするから。
目の前で見た光景がショッキングすぎて、涙を浮かべたあたしなんて無視して、魔人は口の中からぺ、と掌の上に何かを吐き出した。うん。中指からはだらだらと血が流れてるよ。血は赤い。この世界も地球と同じで酸素が体内に取り込まれてるってことだと、あたしは勝手に思ってる。ヘモグロビン万歳。
魔人が吐き出したものを転がして摘まんだ。……噛み千切られた中指の先っぽ。それをどうする気なのかなあ?
なんであたしの口元に押し付けるのおおおおおお!!
「口を開けろ」
魔人の命令にあたしは口を引き結ぶことで逆らった。だって口開けたら、そのグロテスクな物体中に入れてくるでしょ。
絶対嫌だあああ!
己の命令に逆らうあたしの態度に、魔人が不快そうに眉を動かした。怖い。たったそれだけの動きが恐怖を与える。
でも、ここで負けてなるものか。屈したが最後、ろくなことにならないってあたしの勘が告げている。
涙目で睨むあたしに、魔人は直前と打って変わって楽しそうに笑った。
何?なんで喜んでるの、この人?
やっぱり変態だから???
「私に逆らうか。面白いな。そう思わないか、ユウノ キリヅカ」
呼ばれた瞬間、あたしの体に電流が走った。
何で、あたしの苗字をこいつは知っているの?あたしは自分の本名を誰にも言ったことがない。言う必要がなかったから、っていうのが本当だけど。
だから、あたしの名前。桐塚優乃を知っている存在なんていないはずだ。いるはずのクアントゥールにだって教えたことがないんだから。
クアントゥールっていうのは、キンドレイドの主人格の魔人の事。つまり、眷属から見て血肉を分けられた相手。
あたしの名前を聞いたメイドさんに、優乃って名乗ったけどどうもうまく発音ができなかったらしい。どうしてもゆ、と、の、の間が間延びしちゃったの。それが定着して、あたしはユウノっていう名前のメイドになった。
桐塚の方は初めから名乗ってもいなかった。
それなのに。
名前はミスっていたけど、魔人は苗字を正確に言った。
呆然と見上げるあたしに、魔人がますます機嫌よさそうに笑った。
「口を開けろ。ユウノ キリヅカ」
「あ……」
嫌だ、っていう自分の気持ちとは裏腹にあたしはわずかに口を開いてしまった。すかさずそこに指の欠片が押し込まれる。
血の味が口の中に広がった。吐き出そうとしたあたしの行動を魔人は許さなかった。
よりにもよって、出血し続けている中指を口の中に入れてきた。ますます広がる血の味。唾と一緒になって口の中に気持ち悪い液体が溜まっていく。
吐き気がこみあげてくる。
これ、放っておいたら苦しくて死ねる気がする。かといって飲み込むのも。
「飲め」
嫌、と思う間もなく魔人が命令してきた。絶対的な響きに逆らえず、あたしは指のかけらと一緒に血を飲み込んだ。
気持ち悪い、まずい、吐きたい!!
生理的な嫌悪が全身に広がり、胃がむかむかした。つーか、さっさと指を抜けええええ!
たらたらたらたら血が垂れてきて、飲まないわけにいかないじゃないかあああああ!!
こみ上げてくる吐き気と目の前から与えられるプレッシャー。勝ったのは言うまでもなく目の前の御仁だよ。
あんまりにも魔人の威圧感がすごくて、吐き気が引っ込んだよ。どんだけ最恐なの魔人。
まるで赤ん坊のように、男の指から流れてくる血を飲み続ける。はううう。今すぐ倒れて気絶したい。ああ。ちらっと見えたシャラがうらやましくなった。
こんなことされて意識失わないなんて、あたしどんだけ図太いんだろ。
自分がやっている行動から目をそらしたくて、他に意識を向けてからしばし。唐突に魔人が指を抜いた。一分も経っていないんだろうけど、三時間くらい過ぎた気分です。
口から出ていく指の動きをなんとなく追った。
……もう再生してました。速すぎ。
顎も一緒に解放されて、あたしはずるずると座り込んだ。疲れた。気持ち悪い。今すぐ寝たい。
「ふむ。もう一ついけそうだな」
もう一つ?何を??
そんなことを思っていたあたしの耳に、さっき聞いたばかりの不快な音が聞こえた。ちょっと嫌な予感しかしないんだけど。
思わず腰を浮かせたあたしの体を攫うように拘束して、魔人は半開きになっていた口の中にまた指のかけらを押し込んできた。もちろん先がちぎれている指もね。今度は薬指だった。
さっきと同じように指と血を飲み込んだよ。二回目だからって、慣れる訳もない。思い切り顔をしかめたあたしを、魔人が楽しそうに見ている。
人外魔境になっても、こういう行為はしたくなかったよ。
お刺身として出される肉や魚以外で生肉を食べたことはない。食べようとも思わない。
頭がくらくらする。衝撃が強すぎて、さすがのあたしの精神も限界だった。
謎の魔人の腕の中であたしの意識は遠のいていった。
ああ。屋根、下ろしてないのにいいいいいい!!
絶叫させすぎました。