5.桐塚優乃は休憩中
城の屋上にある干し場からあたしは外の世界を眺めていた。胸くらいまである白い塀越しに見えるのは、城下町だ。夕日に照らされて、真っ赤に染まった街並みは、どこか幻想的で綺麗だった。
後ろでは、風に吹かれて、干している服やシーツがぱたぱたと音を立てて揺れていた。本日最終の洗濯物たちだ。これらは明日の朝取り込むから、今日の仕事はこれでほぼおしまい。
朝が無茶苦茶早いから、これくらいで終了でちょうどいいと思う。だって朝日が昇る前からお仕事してるからね。
日本の労働基準法なんてここじゃ適用なんてされない。八時間なんてあっという間に過ぎて、十二時間労働位当たり前。
昔お父さんがぼやいてたような通勤時間がないのが救いかな。住み込みのメイドだから当たり前だけど。
一日の長さが地球とは違うから、労働時間も比例して長くなっている、って言えなくもない。
一日は地球時間に換算すると大体三十時間くらい、だと思う。正確に測ったことないからこの辺はいい加減。
こっちの一分とあっちの一分には倍くらいの差があるんだよね。本当は、時間、とか分って言い方はしないんだけど、あたしは楽だからこう言ってる。
……こうやって考えると、一日がすごく長く感じるよ。
体力は馬鹿みたいにあるから、活動時間は長いし、ご飯も朝と昼の二回で十分。すごいよねえ種族と文化の違い。
夕飯は、ほとんど間食みたいな感じになる。偉いヒトたちとかは、接待の時間として使うこともあるみたい。食べないってヒトもいる。あたしはもちろん食べるけど。
「いい風ねえ」
隣に立っているシャラが、緑色の目を細めて笑った。
ワカメみたいな髪が、風に遊ばれている。
まるで木の精霊みたいで、シャラは太陽の下にいることが好きみたいだった。
洗濯物を干す係りを進んでやってるしね。
「うん、気持ちいいねえ」
「やっぱり魔力で起こす風と自然の風ってちょっと違う感じがするわ。こっちの風の方が好きよ」
洗濯物最終便の時は、天気が悪くない限り送風機を止める。一晩あれば十分乾いてしまうから無駄な魔力を使う必要はない。
今は、仕事の終了時間になるまで少し時間を潰している最中だった。あたしたちと離れてケノウが壁にもたれて転寝をしている。
メイド長にばれたら怒られるけど、これくらいは目こぼしが欲しい。
最近は、本当に忙しくてお昼休みもないから。ご飯を食べる時間を捻出するので精一杯。それだってかきこむレベルだし、下手をすれば食べられない日もある。
どうしたって疲れは溜まるから、たまにできた空き時間にこっそり休憩するのはあたしたちの中では暗黙の了解になっていた。
塀の外に手を伸ばして、シャラはちょうど吹いてきたそよ風が当たる感触を楽しんでいるみたいだった。あたしはシャラ程敏感じゃないから、機械的とか自然とかあんまり意識したことがない。
言われてみればそうかも、って思うくらいだ。
でも、シャラが好きだっていうならそれでいい。
「今日の風は穏やかだね」
「ええ。優しくてくすぐったいくらい」
「物足りない?」
「十分よ。洗濯の乾きを気にするなら、突風が欲しいって思うけれど」
「確かに」
こんな時に洗濯の話し出すなんて職業病かな。顔を見合わせて、あたしたちは同時に噴出した。
「こういう時位洗濯のこと忘れてもいい気がするんだけど」
「もう、癖よ、癖」
「言えてる~」
あんまり嬉しくない思考回路だけど、仕方ないかなあ。
気を取り直して、あたしはシャラが好きな自然の風を楽しむことにした。
地球の風と同じような、違うような変な感じがする。酸素濃度でも違うのかな。
もう昔過ぎて、故郷の空気がどんなものだったのか忘れてしまった。
そのことがちょっとだけ寂しい。今は思い出せる家族や友達の顔も、こうやって忘れていくのかもしれない。
郷に入れば郷に従え。
ここで生きると決めた以上、この世界になじむしかない。
なんとなくシャラの真似をして塀の外に手を伸ばした。指に絡む風の感触は、やっぱり地球の物との違いが判らなかった。
ちょっとだけ物悲しくなって俯いたとき、頭上がふ、と暗くなった。曇ってきたのかな。今日は雨が降らない予定なんだけど。
雨雲のようなら、もう屋根を閉めた方がいい。上を見上げたあたしは、小さな悲鳴を上げた。
あたしの視線の先にあったのは、雨雲なんかじゃなかった。
この世のものとは思えない美貌を持った魔人が目の前にいた。