3.桐塚優乃を襲った悲劇
目が覚めたら、天国でした。
なんて、そうは問屋が卸してくれなかった。
地球で、アーバンクル産の馬車に引かれるなんて珍事に遭遇したあたしは、気づいたらこっちの世界に連れてこられていた。
うん。転生したとかさ、召喚されたとかそういうかっこいい理由じゃないんだよね。
それだったら、ドキドキわくわくがあったんだろうけどさ。
たまたまあたしを轢いた馬車の主が、こっちの世界の権力者でね。異世界で人を殺したなんてプライドが許さない、とかよくわからない理由で連れ攫われて死にかけたあたしの命を繋いでくれたらしい。
助けるんだったら連れてくる必要なんてないじゃんって思うじゃない?そのまま地球において行ってくれれば、万事オーケー。
あたしは、夢でも見たのかと思って日常に戻れた。
でもそう都合よくはいかなかった。
あたしを助けた方法がよろしくなかった。
さっき言ったあたしを轢いた権力者っていうのが、こっちの世界で最強って言われている魔人っていう種族の一人だった、らしい。
らしいっていうのは、あたしはその魔人に直接会ったことがないから。
全部あたしが目を覚ましてから、面倒を見てくれたメイドさんに聞いた話。おかしいって思ったけど、こればっかりは仕方がない。
なんてことしてくれたんだ、って文句を言おうにも、あたしの立場じゃあっちが望まない限り会うことなんてできないんだって。おかげで、あたしのやり場のない怒りは、どこにも発散されることなくくすぶっている。
閑話休題。
魔人は自分の血肉を、他種族に与えることで自分の眷属にすることができるんだって。
眷属にされたヒトは力が上がったり寿命が延びたりっていろいろ特典がおいしいらしい。
その特典の一つが、驚異的な治癒能力。生命力って言ってもいいかな。かすり傷位、その場で治っちゃうんだよ。泣く間もないっていうか、痛みを感じる前に治っちゃうの。
重体に陥ったあたしの身体も、魔人の血をもらったことで何とか回復した。体長三メートルはあるガイパーっていう超重量級の獣に轢かれたんだから即死してもおかしくなかったと思うんだけど。
あたしって結構しぶとかったみたい。魔人が気まぐれで血を与えてくれる時間があるくらいはね。
もちろんあたしは、気絶してたから治るところなんて見てないよ。……前にうっかり包丁で指を切り落としたヒトが、何でもない顔して指先を再生させたのを見たことがあるくらいで。
うん、あれはグロかった。傷口から指が生えてくるんだもん。骨と筋肉と皮膚が順番に再生されるの目の前で見せられたら、ご飯食べる気失せたよ。
たぶんスプラッタだったあたしの身体もあんなふうに再生したんだろうなあ。想像するだけで気持ち悪くなってきた。あたしゾンビとかあんまり得意じゃないんだよね。
魔人がなんでわざわざ眷属なんてもの造るんだろう不思議に思うよ。自分の一部を他人に分け与えるなんて、悪趣味な気がするし。
それにもちゃんと理由はある。
魔人は数が少ない。世界人口の0.00005%にも満たない超少数種族。そんな彼らにアーバンクルは支配されている。
支配者階級になるとね、お世話をしてくれる人が欲しくなるものなの。だけど同族を使うことはできないから、自分たちより弱い種族に目をつけて使役することにした。大体が魔人に気に入られたり、目に留まったりっていうヒトたち。そのヒトたちに自分の力の一部を与えて、無理矢理配下にするんだって。それを眷属=キンドレイドって呼ぶ。
使用人を普通に雇えばいいじゃんって思うんだけど、そこにも事情がある。
魔人の力って規格外もいいところらしい。一騎当千どころか一騎当万とか一騎当億とかっていうレベル。だから、ただそこにいるだけでもものすっごく濃い濃度の魔力が体から漏れてるんだって。それに触れると、普通のヒトは圧倒される。魔力に酔っちゃうんだって。悪くすると気がふれたり、死んじゃったりする。
それに耐えれるのがキンドレイド。能力の底上げがされているおかげで、魔人と同じ空間で働くことができるようになる、らしい。血を一滴二滴飲んだだけでも、城で住み込みで働けるようになるんだって。
キンドレイドじゃないヒトは、一泊できるかどうか怪しいの。それくらい、魔人の持つ魔力はすさまじい。
核爆弾より危険かもしれない。
だから、魔人に逆らおうとするヒトはいない。
おとなしくしていれば殺されないし、圧政を敷かれているわけでもないから不満はないみたい。
逆に、キンドレイドになりたいっていう憧れを持つヒトがいるくらい。むしろ多い。別にそれに文句はないよ。価値観なんて人それぞれだし。
事故って、知らない間にどこぞの魔人のキンドレイドにされていたあたしは、こっちの世界の住人になってしまったんだって。何その理不尽?!!って怒ったよ、当然。
理解されなかったけどね。
だって、キンドレイドになることは一種の栄誉だから。みんな望みこそすれ、絶望なんてしないんだって。文化の違いだよねーーー。
地球に帰ろうにも、帰り方は分からないし、反抗すると本気で方々から殺されそうになったし。
仕方なく言うこと聞いて大人しくしている。
もちろん帰る手段は探した。仕事の合間を縫って寝る間も惜しんでね。
三十年以上かけて探したおかげで見つけたよ。帰る方法も力もある。
いつでも帰れるんだけど、あたしは帰ることをいつの間にか諦めていた。
気づいたのは一か月前。地球に渡る手段を酒の席でたまたま古参のメイドに聞いたとき。
その時、あたしがこっちに来てからの五十年以上経っているっていう事実に気付いた。
五十年だよ?当時十七歳だったあたしが七十を過ぎてるおばあちゃんなの。
外見は十七歳の時から〝変わっていないのに〟。
そう。あたしの身体は成長することを止めていた。
魔人の眷属になったからだって。体がそういう風に変化しちゃったらしい。ひ弱な人間から魔人の身体にちょこっとだけ近づいたんだって。
その変化に体が耐えるために二十年も寝ていたって聞いた時にはびっくりした。起きたら二十年後って、タイムスリップした気分だった。
SF映画とかでよく見るコールドスリープから起きた状態の方が近いかな。
起きるのに二十年。帰還方法を探すのに三十……五年か。それだけの時間があっという間に過ぎていた。
行方不明になって五十年以上経ったあたしが地球に帰ったってどうしようもないじゃない。お父さんもお母さんも生きている保証はない。弟は生きているだろうけど、見た目はきっとおじいちゃん。
そこに若いままのあたしが帰ったら?
信用なんてしてもらえるはずがない。周囲はあたしを偏見の目で見るんじゃないかな。
そう考えたら怖くなって、地球に帰りたいっていう気持ちが無くなっちゃった。
帰っても身の置き場がないし、何より年を取らないあたしはどうやって生きていけばいい?
化け物って言われて隠れ住むような生活を送らなくちゃいけなくなるかもしれない。
それくらいなら、身の置き場があるアーバンクルにいた方がいいって思った。家族には申し訳ないけど、きっともう諦めていると思うし。
だから、今あたしはここで精一杯生きている。
この山になる洗濯たちをきれいさっぱり汚れを落とすことに命を懸けているよ。
補足:アーバンクルの世界人口は、約二十億人です