42.桐塚優乃は自分の状況と向き合う
しばらく二人で、取り留めもない話をしていた。
どんな生活を送ってきたのか、とかロウ族の村の特産品について、とかあたしの職場環境について、とか。
ロウ族は、その外見に見られるように元は狩猟民族だった。現在はがらりと趣を変えて、農業に勤しんでいるらしい。ものすごく意外だ。
もともと戦いを得意とする民族ではあるので、村を出て兵士や傭兵になるものも多いんだとか。レスティエスト公国は、それなりに治安が整っているけれど、日本に比べたら危険度は高い。
犯罪グループとかもたくさんあるらしく、そういった者たちから身を守る為に護衛の需要も高いんだって。
魔人の国だから、みんな大人しくしているかと思ったけどそうでもないんだ。どこの世界にも犯罪者ってのは出現するんだね。
あたしの過酷な労働環境には、ニイルも驚いていた。あっはっは。どうだ、参ったか、ってふざけて言ったらあほ、って言われた。
むう。一々変とかあほって言って子ども扱いするの止めてよね。
「そういうニイルはどこで働いているの?やっぱり農業?」
「いや。俺は伯父さんの手伝い。助手のようなもの」
「へえ。じゃあ、将来は後を継ぐの?」
「どうかな。療治師の勉強はして、免許もとったけど。たぶん伯父さんの息子が帰ってくるから」
「タウロムさんの息子さん?村にはいないの?」
「上の兄は俺が療治師の免許を取った時に傭兵になるって言って家を出た。下は、療治師の修業と言って別の町の大きな療治院に努めている。たぶん彼がこの院を継ぐと思う」
ニイルの言葉は淡々としていた。タウロムさんの跡を継げないことを悲観しているのではなく、当然としている。
なんか悟りきっているなあ。
「ニイルはそれでいいの?」
「ああ。従兄弟が戻ってきたらいつでも俺は村を出る。生きていく術は伯父さんにもらった」
だから何も問題はない、とニイルは笑う。
自分の生まれを悲観したこともあっただろうに、それを彼は受け止めている。迷うことはあっても、それも含めて自分だ、と認めている。
彼は、自分の生きるべき道をもう見つけているんだ。それが彼が笑っている秘密だ。わだかまりはあるけれど、自分の生い立ちに関して彼なりに消化していたんだろう。
正直ニイルの事は羨ましい、と思った。
公女と言われてそれから逃げるように洗濯メイドに執着していたあたしと違って、自分の環境を全部見定めたうえで先に進もうとしている。
そうだ。あたしは、洗濯という仕事に逃げていたんだ。理不尽な状況から目をそらすための手段にしていた。
公女と言われて、命を狙われて。襲ってくる嫌なことを日常を繰り返すことによって避けようとしていた。
本当に今更だ。城から追い出されて気づくなんて、鈍いなあ。
「ユノ?俺は何か気に障ることを言ったか?」
「違うよ。弱い自分に自己嫌悪してただけ」
はあ、とため息をついたら、ニイルが目を丸くした。
「すごいな、ユノは」
「へ?」
「自分が弱い、って口に出せるヒトはなかなかいない。ユノは自分の弱さを認められる」
「いや。あたしも今気づいたんだけど」
「なら、ユノは前に進みたいんだな。自分を成長させたいんだろう?」
聞かれて、あたしは返答に詰まった。成長はしたい、と思う。
その具体的な手段は全然見えないけど。逃げたくはない、と思う。
「……前を向きたい、とは思うよ」
「それでいい」
間髪入れずあたしの言葉を肯定するニイルの眼は、優しかった。
照れくさくなって、あたしは彼から顔を反らした。そっぽを向いた先には、どこまでも青い空が続いていた。
あたしの悩みなんて小さい小さい、と言われているような気がするくらい広い空。
どんな場所に立ったってあたしがあたしであることを忘れない限り、あたしは桐塚優乃なんだ。今ならはっきりそう思える。
あたしがそれを忘れない限り、洗濯メイドだろうと公女だろうとあたしは変わらないでいられる。あたしはあたしで存在していられる。
公女という立場と逃げずに向き合う時が来たのかもしれない。
違うな。
もっと早く立ち向かわなきゃいけなかったことの前に、ようやく立つ勇気が持てたんだ。
まるで、真っ暗闇の中から抜け出せたようなすがすがしい気持ちだった。
「ニイル……」
「ん?」
「ありがとう」
彼の顔を見るのはちょっと恥ずかしくて、空を見上げたままあたしはもう一度お礼を言った。
ニイルがああ、と苦笑交じりに返事をした。
一度城に戻ろう。逃げるのは、殺されそうになってからでいいや。
このまま逃げても、追っ手や暗殺者に怯える日々が続くだけで、平穏とは遠い人生になりそうだもん。
だから、大公を探す。一向に姿を見せる気配のないあいつに、あたしを娘にする、と言い出した真意を聞きだす。まずはそこから始めよう。
あたしにとって、公女としての出発はイレギュラーだった。他者からどれだけ公女って言われても、一番の元凶に話を聞かない限りあたしはずっと納得なんてできない。
それであくまであたしを娘だっていうんなら、それはそれ。間違いなく奴を父親とは思えないだろうけど、公女という立場とは向き合ってやろうじゃないか。
逃げっぱなしの負けっぱなしは悔しい。
本当にあたしがそんな偉そうな立場に立てるのかどうか、一回戦って確かめてみよう。
逃げて怯えて縮こまっているんじゃなくて、背中をしゃんと伸ばして前を向いて立っていたいから。胸を張って生きていきたいから。
なんだか気持ちが軽くなったかも。
その時だった。あたしの背中に、ものすごい悪寒が走った。
鋭い殺気に首を動かした先に、男がいた。家の角。あたしとの距離は五十メートルもない。
銀色のプレートメイルで全身を包み込んでいる。兜を着用しているせいで、彼の顔は見えなかった。その手には、長剣がある。
「あいつ、なんだ」
男の存在に気付いたニイルがいぶかしげな顔をした。立ち上がった彼の手を引き、あたしは前に出る。
「ユノ?」
あいつはあたしだけを見ている。なぜかそれが分かった。
新しい暗殺者だ。どうやってあたしの居場所を掴んだんだろう。
自分を庇うようなに立つあたしを、ニイルが不思議そうに呼んだ。
「逃げて、ニイル」
「何言って」
「あいつの目的はあたしだから。早く、逃げて」
「馬鹿言うな。俺だけ逃げる訳に、は」
ニイルの言葉は最後まで続かなかった。たぶん、あたしが魔力の制御を少し緩めたせいだ。
魔人の先祖返りとはいえ、耐久力はそこまで高くないのかもしれない。
「あたしは、大丈夫だから」
嘘だ。本当はすごく怖い。
あいつの殺気はこれまでの暗殺者とは全く違う。
あたしに対する憎しみを感じる。あんな奴の恨みを買った覚えなんてないのに。
すごく、鋭い刃物みたいな視線だ。
怖い。体が震えそう。
でも、ここで逃げるわけにはいかない。後ろにはニイルがいるし家にはタウロムさんたちもいる。
下手に逃げ回って、彼らに被害が及ぶようなことは避けなくちゃいけない。
精一杯の強がりで、あたしは笑いそうになる膝に力を込めた。
前触れもなく、男が動いた。剣を振り上げて迫ってくる相手に対抗しようとしたあたしの手を、誰かが握った。
そのまま強く腕を引いて走り出す。
「ニ、ニイル?!」
「つよ、がってないで、逃げる!」
苦しそうな声で、ニイルが叫んだ。
家の角を曲がろうとしたとき、背後に襲い掛かる力を感じた。咄嗟にニイルの身体に体当たりをして、二人して地面に倒れこんだ。その頭上を、刃のような風が通り過ぎ、家の周りを囲っていた塀の一面を粉々に破壊した。十メートル以上先まで地面が深くえぐれている。
「なんだ、これ」
ニイルが信じられない、というように呟いた。
あたしは胸中で冗談じゃない、と吐き捨てる。あんな奴に暴れられたら、この村が滅びる。
それだけの力を相手から感じた。
「ニイル、立って。走って……!」
「あ、ああ」
立ち止まっていたら殺される。ニイルを起こして走り出そうとしたあたしの頭上に影が落ちた。
プレートメイルの男が、あたしに目がけて剣を振り下ろしてくる。
反射的に両手を突き出して、頭の中に盾をイメージした。魔力が広がりあたしたちの頭の上に丸い壁を作る。
男の剣が盾にぶつかり、簡単に破壊した。
(嘘!)
相殺すらできないとは思わなかった。ニイルがあたしの身体を引き寄せて、抱え込む。凶器がニイルを切り裂く。そのすべてが、とてもゆっくりあたしの目に映った。
だめだ。ニイルをあたしの事情に巻き込んで死なせるわけにはいかない。
真っ白になった頭で、それだけを思った。
あたしの想いに応えるように、体から魔力が溢れ出す。まるで突風だった。
「があ!」
「ああ!」
男とニイルがあたしの身体から放たれた衝撃で吹き飛んだ。
「ニ、ニイル!!」
しまった。こんなふうに力を使ったことなかったから、一緒にニイルまで攻撃しちゃった。
い、生きてるよね?!
無事だった塀に激突したニイルの下に駆け寄ると、ちゃんと息をしていた。よかったあ。
「ユノ。魔力の使い方が下手」
「ご、ごめんなさい」
痛そうな顔をしながら、ニイルが文句を言った。返す言葉もございません。
戦闘になれているヒトは、敵にだけ的を絞って攻撃することもできる。今まで必要としていなかったから、と攻撃方面に魔力を使う訓練をしてこなかったつけがここになって回ってきた。
「ニイル、怪我は?」
「大したことない。激突する寸前に、魔力で衝撃を殺した」
おお、器用だね。
感心したあたしに、昔取った杵柄だ、とニイルが苦笑した。
暴力を振るわれて、なるべく怪我をしない方法を探していたのかな。うう。嬉しくないけど、今回は助かったよ。
「ユノ!」
ほ、と肩を落としたあたしの名前を、ニイルが叫んだ。背後には殺気。
しまった。ニイルの事ばっかり気にして、暗殺者から気がそれていた。
振り向いたあたしの目前に暗殺者の剣。
今度こそ間に合わない。そう覚悟したあたしの前で、男の身体が左に吹っ飛んだ。
さっきからぶっ飛ばされてばっかりいるな、あのヒト。
じゃなくて。なんで?!
驚いて固まったあたしの前に立ったのは、昨日あたしを襲ってきた竜人族だった。




