41.桐塚優乃は自分を見る
ニイルはすぐに見つかった。遠くに行っちゃたかと不安だったけれど、療治院の裏庭の大木の根本で体を小さくして座っていた。
ただでさえ華奢な体が、体を丸めているせいでよけい小さく見える。
原因はそれだけじゃないのかもしれない。
すごく背中が頼りなく見えるんだ。ボルクたちからあたしを庇った時に見せてくれた大きな背中とは、すごいギャップを感じる。
追いついたのはいいけど、かける声が見つからなくて、あたしはその場に立ち尽くしていた。
さっきもあった。あれは、拒絶だ。
彼は全身で、自分以外の全てのものを拒んでいる。
そして、あたしは彼が動くのを待っていてはだめなんだ。あのまま彼は自分の中で気持ちの整理をつけた何食わぬ顔で戻ってくるんだと思う。
それじゃ、だめだ。何でかわからないけどそう思った。
おかしいね。
あたしがニイルにあったのは、昨日のことだ。それもあたしが一方的に半ば脅すような形で助けてもらった。
ニイルにしたら面倒この上ない相手だと思う。
それだけの関係。一日にも満たない時間しか一緒に過ごしていないのに、あたしは彼を放っておけない。
すっごいお節介だ。自分のことすら面倒がみれていないのに、何様って思う。
それでも。
あたしは、自分の気持ちから目をそらせない。
「……ニイル」
「今近寄らない方がいいってことくらい考えないか?」
「考えた。その結果、近づいた方がいいって結論に達したの」
「馬鹿」
「返す言葉もないなあ」
自分でもちょっと思ったからね。
あはは、と笑うあたしに、ニイルが小さく笑い返した。
おや、思ったよりもいい感触だ。
「情けないところを見せた」
「気にしてないっていったら嘘になるねえ」
少年らしい外見に見合わず、落ち着いた雰囲気を醸し出していたからね。弱った姿っていうのは結構衝撃だったよ。
もしかしたら、無理していたのかな。
「いつまでそこに立っているんだ」
「隣に座っていいのか考えてたんだよ」
「遠慮深いじゃないか」
「嫌味だなあ」
近寄るなオーラ出しておいて、よく言うよ。
苦笑しながら、あたしはニイルの横に座った。ニイルはちら、とあたしのことを見ただけで、何も言わなかった。
「聞きたいか?」
何を、とニイルは言わなかった。ただ、黒い目があたしをじっと見ていた。
彼が聞いてほしいのか、聞いてほしくないのか。あたしにはわからなかった。
だから、あたしは自分の気持ちを優先させることにした。何も言わずにここにいたって、何にもならない。
やりたいことは、少しだけニイルに恩返しがしたいってこと。どんなものでもいい。内側に溜めてしまっている物を吐き出させて、楽になってほしかった。
独りよがりだな、と自嘲する。
ニイルはそんなこと望んでいないのに。
それでも、あたしは彼の言葉に頷いた。
「聞きたい」
まっすぐ彼の目を見返して言ったら、馬鹿、と笑われた。
「俺の姿見てどう思った?」
「ロウ族の親戚筋の種族」
ニイルの質問に、あたしはスパン、と答えた。
純粋なロウ族と見るには、あまりにも外見がかけ離れている。耳と尻尾くらいしか共通点ないもん。
馬鹿正直に告白したら、ニイルは小さく笑った。
「だろうな。俺自身、そう思ったことがある」
「違うの?」
タウロムさんが伯父さんってことは、ニイルの半分は間違いなくロウ族だ。だから、あたしが考えたのは彼が他種族とのハーフってこと。
緑人族みたいに人間っぽい外見をした種族っているんだよね。異種族間の交配はあまり多くないらしいんだけど、ゼロってわけじゃない。だから、それなのかな、って思っていたんだけどな。
「俺の両親は二親ともロウ族。だから俺はロウ族の突然変異」
「え?」
「正確には半端な先祖返り。十代くらい前の先祖に魔人がいたらしい。その姿とロウ族の姿が混ざったのが俺」
なるほど。そういうこともあるのか。
人間だって、両親の髪や目の色が出ないで、三代前の祖母の色が出たっていう話あるもんね。ニイルの話は別におかしくはない。
それがどうしたのかな。
「俺が生まれた時、先祖返りだっていうことは分からなかったんだ。両親は、ロウ族の外見をもたずに生まれた俺を忌み子として扱った」
「忌み子って、自分の子供なのに?」
「おかしな話ではない。誰だって、自分たちに似ない姿で生まれた赤子を気味悪がる」
ニイルは自嘲するように言った。ひどい、と思うのは、あたしが両親に愛されて生まれたからだろうか。
怒られることはあっても、憎まれることはないごく普通の家庭で育ったあたしには、親から疎まれる子供の気持ちは想像することしかできない。
言葉を失ったあたしに構わず、ニイルは話を続けた。
「親でさえ、そうだった。だから血がつながっていない村人たちはもっとひどかった。俺の姿を見ると、みんな逃げるか暴力を振るうかだった。両親は俺の育児を放棄した。代わりに育ててくれたのが、伯父さんだった」
それは、あたしに語っているというよりも、独り言のようにも聞こえる。
つらい子供時代と向き合うように、彼は誰もいない虚空を見つめていた。
「伯父さん夫婦に引き取られたから、俺はまともに育った。偏見はあっても味方がいたから生きてこられた」
「そう、なんだ」
「ああ。それに偶然村に立ち寄ったはぐれのキンドレイドが俺のことを見て、魔人の先祖返りだと教えてくれたことでだいぶ環境は変わった」
はぐれのキンドレイド、というのは、何らかの理由でクアントゥールを失った眷属のことを指す。
クアントゥールが死んでもキンドレイドの命が尽きることはない。眷属になっても彼らの寿命は独立しているし、一心同体というわけではないのだ。逆に、クアントゥールが死を迎えなくても、キンドレイドが先に寿命を迎えるケースの方が多い。
あたしとしては、大公と運命共同体にならずに済んで非常にありがたい。あいつが死ぬまで生き続けるとか冗談じゃないもん。
といっても、キンドレイドよりクアントゥールが先に死ぬことは少ないから、はぐれっていうのは珍しいらしい。
「じゃあ、今は少しは生活環境ましなんだ」
「まあな。両親なんて先祖に魔人がいると知って現金なものだった。俺に対しても、それまでの態度が嘘みたいに優しくなった」
「それ何歳ぐらいのこと?」
「生まれて十年と少しというところか。ロウ族の平均寿命は千三百年。それを考えると比較的早く環境が変わってよかったと思う」
皮肉気に言うニイルにあたしはなんて言葉をかけたらいいんだろう。
十年も生きれば、十分自我は育っている。幼少期の環境は大切だ。三つ子の魂百までは伊達じゃない。
つらかった記憶は、ずっとニイルの心の底に沈殿しているんだ。
ニイルが悪いわけじゃない。たまたま、先祖の魔人の血が色濃く出てしまっただけなのに。
望みもしない容姿を持って生まれただけで、どうして彼が辛い目に合わなくちゃいけなかったんだろう。
それに偏見がすべてなくなったわけじゃない。さっきからんできたボルクたちは、明らかにニイルの事を見下していた。
「どうして、お前が怒る?」
「世の中の理不尽さに腹が立つんだよ」
「お前も、つらい目にあったのか?」
思わぬ言葉にあたしは動揺した。
つらい目。色々あっているなあ。
負けるもんかで踏ん張っているけど、やっぱりちょっとしんどい。
「……うちに還りたいって思うことが時々あるだけだよ」
「帰ればいい」
「還る場所がもうないから。還れないんだあ」
化け物になったあたしをきっと故郷の人間は受け入れてくれないだろう。
それは仕方のないことだ。
理不尽だよねえ。あたしが望んだわけじゃないのに。
「ああ。だから気になったのかな」
「何の話だ?」
「ニイルを追いかけた理由。ちょっとだけね、自分に重ねていたんだよ」
同族のボルクに蔑まれた目で見られていたニイルに、自分を見ていたんだ。
仮に生きていたと仮定して、今家族の下に還ったらお父さんたちにどうやってみられるのか。きっと、行方不明当時のあたしの姿に怯えるんじゃないかな。
人間は、きっとそんなに強くないから。
あたしが、拒絶されるかもしれない、と怯えているように。
「ユノも俺と同じ目にあったのか?」
「あってない。別の意味合いで理不尽な目に遭いはしたけどね」
「聞いてもいいか?」
「……あたしの意思を無視して、家族の下から攫われたんだよ」
ここで、大公のキンドレイドなんて言ったら、絶対まずいってことくらいは分かるよ。ニイルは信用できるけど、下手なこと言ってあたしのごたごたに巻き込みたくない。
一応、現在進行形で命狙われてるもんなあ。
ああ。理不尽だ。
「誘拐されたのか」
「そんなところ」
「その上、放逐された?」
「誘拐犯に放り出された、っわけじゃないんだけどね。嫉妬は怖いっていうかねえ」
「複雑そうだ」
「そうでもないよ。単に力のある存在に振り回されているだけだから」
あはは、と笑うと、ニイルがぽん、とあたしの頭に手を乗せた。そのまま乱暴に髪を撫でられる。
おかしいなあ。ニイルを慰めようと思っていたのに、逆になっている。
……情けないなあ。
「ごめんね。ニイルに嫌なこと話させたのに」
「そうでもない」
「え?」
「今まで、このことを言葉にしたことはなかった。受け入れていたつもりだったけど、やっぱりどこかに不満は積もっていたんだ。初めて声に出して、なんとなく気持ちに整理がついた気がする」
「……そっか」
苦笑するニイルは、どこかすっきりしているように見えた。
「伯父さんはそのあたりの事を見抜いていたんだろう。何も知らない他者だからこそ、吐き出させるにはちょうどいいと考えたのかもしれない。逆に、あのヒトにいいように使われたユノに俺の方が謝るべきだな」
「じゃあ、お互い様ってこと?」
「ああ。だからお互い様だ」
気にする必要はないって、笑ってくれるニイルはあたしよりよっぽど大人だ。
「ありがとう」
「俺こそ、ありがとう」
二人でお礼を言い合って。なんとなくおかしくなって、くすくすと笑い合った。




