38.桐塚優乃は買い物中
窓から差し込む日の光の眩しさで、あたしは目を覚ました。
しまった、寝過ごした!!
大慌てで体を起こしたあたしは、軽く首をひねった。
ここ、どこだっけ?
ベッドとクローゼットと小さな机があるだけの質素な部屋だった。最近寝起きをしている、やたら広くて豪華な寝室でも、長年使っていた手狭な六人部屋でもない。
「ああ、そうか。ニイルの家だ」
寝る前の記憶を掘り起こして、あたしはポンッと判子を打つように手を打った。
昨日、迷いの森から出てニイルの住んでいる村に着いた時には、日はとっぷり暮れていた。
これじゃあ、銀行も閉まっているし宿の当てもない。野宿かなあ、って覚悟したあたしをニイルは家に泊めてくれたんだっけ。
ニイルは一人暮らしだから、気にすることないってちょっと強引に連れてきてくれたんだよね。子供かと思っていたら、あたしより年上だったし。百六十歳だって。見かけで判断してはいけない代表の一人だよ。
客だからって、ベッドまで貸してくれたんだ。遠慮したんだけど、押し切られた。ニイルは居間のソファで寝たはず。悪い事したなあ。
いろんなことがあって疲れていたのかな。申し訳ないと思いつつベッドに入ったら三秒で睡魔に引きずり込まれた。熟睡を通り越して爆睡したよ。日が出た後に起きるなんで久しぶりだなあ。
う~ん、と伸びをして立ち上がり、あたしは部屋を出た。昨日のうちに教えてもらっていた洗面所に向かう。
狭い洗面所に入ると、鏡に映る寝ぼけ眼の自分と目があった。瞼がいつもよりちょっと腫れている。
そういえば、久しぶりに思いっきり泣いたっけ。初対面の相手の前であんな風に泣くなんて、思い出すだけでも恥ずかしいなあ。
昨日は完璧にパニクってたから、余計涙が止まらなかった気がする。考えが右往左往して、自分でも収拾がつかなかったもんなあ。
混乱は収まったけど、まだ気持ちはぐちゃぐちゃしている。思っていた以上にリエヌさんの裏切りがショックだったみたい。こりゃ、しばらく引きずりそうだな。
にしてもひっどい顔。これでヒト前には出られないね。
自嘲するように嗤ってから、いろんなことを振り払うようにあたしは勢いよく冷たい水で顔を洗った。
居間に続く扉を開けると、すでにニイルが起きていた。まだ日は上り切っていないのに随分早いなあ。
タランを飲みながら、情報メディア=チーテックを見る姿はお父さんみたい。
携帯位の小さなパネルから、ニイルの目線くらいの高さまで四角い画像が浮き出ていた。長方形の薄いディスプレイには、最新のニュースが載っている。その映像に映っているアイコンや画像を触るとページが変わったり、拡大されたりするんだ。タッチパネル式のパソコンって感じかな。動力はもちろん魔力だから、パネルに、小さな魔充石が嵌っている。
「おはようニイル」
「おはよう、ユノ」
あたしが挨拶をすると、チーテックを切ってニイルがこっちに顔を向けた。ぶっきらぼうだけど、ちゃんと返ってくる挨拶が嬉しい。
「ベッドだけじゃなくて服までありがとう。新しい服買うまで、もう少し貸してね」
「かまわない。あの服はもうだめだろうから」
おっしゃる通り。あたしが来ていたメイド服は、暗殺者から逃げるためにがむしゃらに走っている間にずたぼろになっていた。逃げることだけしか考えていなかったから、自分の身なりなんて全然気にしていられなかった。
あたしよりも先のそのことに気付いたニイルが、見かねて服を貸してくれたんだよねえ。
借りたのは、丈の長いストンとした服とズボン。腰のあたりを服の上からベルトでとめている。ちょっとパジャマっぽい。レスティエスト公国で普段着として愛用されている。
ニイルの身長はあたしとそれほど変わらない上にあたしよりも細かったので、借りた服が大きすぎる、ということにはならなかった。
ニイルがタランを淹れてくれたのをありがたく受け取り、椅子に座った。
朝はやっぱお茶だよねえ。この暖かさが、ぐちゃぐちゃになっている気持を少し落ち着けてくれる気がする。つい日本人の感性で音を立てながらタランを飲んだら、ニイルに睨まれた。
しまった。この国じゃあ音を立てて飲み物や食べ物をすする習慣はないんだった。
「それで?金を下ろして服を買ったら帰るのか?」
あたしが、静かにタランを飲み直していたら、不意にニイルが聞いてきた。
そっか。いろいろ調達したら、この村出なきゃだよね。
「あ~。帰る場所、ねえ。どうしようかなあ」
「なんなんだ、それは」
「そのまんま。住んでいたところを追い出されちゃったからね。のこのこ帰っても、危険な気はするんだよねえ」
ニイルに聞いたら、今いるブラッハ村はレスティエスト公国の西のはずれにあるロウ族の村だって教えてもらった。一応公国内である上に、国境付近って聞いてラッキーって思ったよ。
あたしは、不可抗力とはいえ見方によっては黙って出奔したって思われてもおかしくない状況にはある。クアントゥールの下から逃げ出したキンドレイドって判断される可能性が高い。下手をすれば処分対象になるよ。
後ろ向きすぎ?最悪のパターンを考えちゃうのが人間ってもんでしょう?
お金を下ろすには、国内の方が都合がいい。そのまま国外にとんずらっていうのが一番安全なパターンだと思う。レスティエスト公国と同盟もしくは属国になっている国は、身分証明が必要ないっていうのが嬉しい。その中で一番遠い国まで逃げて、身を隠せば何とかなる気がする。
「どこかで住み込みで働いていたのか」
「そ。どじって、放逐されちゃったの。まあ、いいんだけどね」
「いい?なぜ?」
「いつか出て行こうと思っていたから。それがびっくりな展開で叶っただけって思えばいいんだよね。後は、住む場所と働く場所を探せばいいだけかな」
貯蓄額を考えれば、しばらく路頭に迷う危険はないとは思う。後はあたしの運と根性と努力次第。
体力系の仕事だったらいくらでも任せて、って言える自信はあるしね。
「能天気だな」
「悲観しても事態は好転しないって知ってるだけだよ。どこか大きな町に行けば、何らかの仕事に就けるとは思うし」
「そうか」
やることを決めたら元気が出てきた。
やる気を出して笑ったあたしを、なぜかニイルが少しうらやましそうな目で見ていた。
午前中一杯を使って、あたしは当座必要になりそうなものをそろえた。
仕事があるはずのニイルは、一人で出歩かせるのは不安だから、と付き合ってくれた。
職場には、休むと連絡を入れたから大丈夫らしい。申し訳ないとは思ったけれど、右も左もわからない村だ。
ありがたく案内してもらうことにした。
ブラッハ村には、商店街が一カ所あるほかに買い物ができるような場所はない。おかげで、それほど歩き回ることなく欲しいものを手に入れることができた。
あまり外から人が訪れることはないらしく、好奇の目にさらされたのには疲れた。
あたしがくたびれていることに気付いて、ニイルが休憩、と言って連れてきてくれたのは商店街のはずれにある公園だった。
時間が良かったのか、ヒト影はなかった。下手に喫茶店などに入ると悪目立ちするだろうから、文句はない。
「にしても、ほんっとうにロウ族以外いないんだね」
「ここは国でも端に位置する村だ。隣国とも迷いの森を挟んでいるから特別交流はない。よほどの物好きでなければ、村の出身者以外で住もうなんて考える奴はいない」
「そっかあ。ってことは、ニイルもロウ族なんだよね?」
耳と尻尾以外はそう思えないけど、この村に住んでいるってことはロウ族なんだろうなあ。
あたしが知らないだけで、ニイルみたいに人間の外見に近いタイプのロウ族もいるのかもしれない。
軽い気持ちで聞いたあたしは、すぐに後悔することになった。
ニイルがすごくつらそうな顔をしていた。何か痛いものをこらえるような、ひどく切ない表情だった。
まずいことを質問したんだってことくらいはすぐにわかった。
「ごめんね。嫌なこと聞いちゃったみたい」
「いや。誰だって不思議に思うことだ。気にすることではない」
「うん・・・・・・」
さっきより固いニイルの声に、あたしは肩を落とした。
拒絶されたなあ。会って二日目の相手の事情に立ち入りすぎたかも。
反省。
「なにをやっているんだ?」
「気にしないで。あたしの故郷では有名なポーズだから」
木に片手を当てて頭を深く下げているだけだよ。見様によっては間抜けな格好だ。
人目がなくてよかった。おかげで、あたしの反省ポーズの目撃者はニイルだけだった。
うなだれているあたしを見てぷ、とニイルが吹き出した。
「何?」
「ほんっとうに変な女」
「おヒト好しに言われたくない」
昨日から人のこと変、変言い過ぎ。失礼な。
べえ、と舌を出したら、ガキか、ってでこピンされた。地味に痛い。
「女の子に何するかな?!」
「お子さま扱いしている」
「ひど?!」
それって、さらに失礼だよね!一応七十年以上生きてるんだけど!!
その間に成長があったのかって言われたら、言葉に詰まるんだけどね。二十年は寝てて、三十数年は洗濯するだけの日々だったからなあ。ヒト付き合いもほとんどない上に、引きこもりと言っていいほど同じ場所しか行き来してなかったわけでしょ。
く。年ばっかり取って内面の成長が見られない?!そんなことは、絶対ないと信じてる!!
「何を一人でぶつぶつ言っているんだ」
「これまでの自分の生き方を振り返って見て、大人と言える行動がないか探してただけ」
「お前の思考回路がよくわからない」
「ごくごく一般的な考え方しているんだけどなあ」
「……そう思うのは自身の自由か」
「やっぱりひどい!」
プクリ、と頬を膨らませて抗議をしたら、ニイルが小さく笑った。
おお。彼の笑顔を初めて見たよ。なんか、暖かい笑みだなあ。
つられて、あたしも笑顔になっちゃったよ。
「なんでえ。出来損ないがこんなとこで何してんだよ」
ほのぼのとした空気をブチ壊す下卑た嗤い声が、離れた場所から聞こえた。




