37.桐塚優乃の出会い
走っても走っても出口は見えなかった。
いい加減疲れてきた。追っ手がいなかったら休憩しているよ。
これだけ無茶苦茶に進んだから、たとえ復活していてもあのヒトも追いつけないかな。暗殺者があのヒト一人って可能性は低いから、油断はできないか。
「いい加減、頭の上に広がる雄大な青空が見たいなあ」
この森の木はどれも巨大だ。樹齢ウン百年っていう貫禄がある。ヒトの手が入っている様子もないから、枝は好きに伸び放題。当然頭上はもさもさの葉におおわれていて、青空どころか、太陽の光すらほとんど届かない始末だ。
そのせいか、地面に生えている緑は心なし元気がないように見える。やっぱり緑に光合成は大切らしい。
元気そうに見える茂みは、ツンツンと尖った危険な茨とか枝とかだし。魔物が出て来ても不思議じゃないね、これは。
そんな風に注意力散漫に走っていたら、横から飛び出してきた物体と激突した。
「った?!」
「わあ!」
突然のことに反応できず、尻餅をついた。痛い。
こんなところで出くわすのなんて、動物位だよね。猛獣だったらどうしよう。
次から次へとトラブルが来ていい加減鬱陶しい。
苛立ち紛れに睨みつけた先にいたのは、獣の耳と尻尾を持つヒトだった。
え?狼擬人化ってやつ?見た目は十四歳くらいの黒い髪と目をした男の子だった。目つきが悪くてぶっきらぼうな印象を受ける。少年特有の細さと日によく焼けた浅黒い肌をしていた。
ロウ族とは違うな。ここまで人間に近い外見をしたロウ族は見たことがない。みんな狼に似た顔や体をしていることが多いから。あたしが知らないだけってことは十分あり得るけど。
「ええ、とごめんなさい?」
「いや。俺も、悪かった」
立ち上がって手を差し出せば、あたしと同様座り込んでいた少年は素直に手を伸ばした。
くい、と引っ張ると予想外の力だったのか少年がたたらを踏んだ。
あ、ごめん、つい。日々洗濯で鍛えられた腕力はなかなかのものなんだよねえ。
「ごめんね。だいじょうぶ?」
「ああ。それより、お前誰だ?この森にはうちの村の連中くらいしか入らない迷いの森だ」
何そのまんまのネーミング。それだけでこの森の危険率が分かったよ。
どこまでいっても脱出できなかった理由にも頷ける。地元民しか知らない迷路か。いつかやったRPGに似たような名前の森が出てきたなあ。小学生くらいの時だったから、同じような画面が延々と続いて、ずうっと迷い続けたよ。脱出用の魔法は使えないしセーブポイントもないし、しまいにはいつまでやってるの?!ってお母さんに怒られたっけなあ。
「ええ、と。簡単に言うと、迷子かなあ」
「迷子って、何をやっている。こんなところに普通は用なんてないだろう」
「あはははは。ちょっと面倒に巻き込まれちゃって。君もしかしなくても森の出口知ってる?」
「当たり前だろう」
無表情に頷く少年の答えにあたしは拳を握った。
よっしゃあああ。天はあたしを見捨てていなかったあああああ!
この機を逃してなるものか。がし、と少年の両手を掴んであたしは彼に迫った。
「お願い!連れてって!!」
「はああああ?」
「このままここにいると行き倒れちゃう自信があるの!」
「どういう自信だ、それは!!」
そのつっこみはごもっとも。
しょうがないじゃん。
迷子なんだよ。
溺れる者は藁にだって縋るんだよ。藁より頼りになりそうな存在がいたら、逃がすわけないでしょ。
「ってことで、案内よろしく!」
「どういうわけだ。まあ、外にくらいは連れていってやる」
行き倒れされたら寝覚めが悪いとかぶつぶつ言って、少年はそっぽを向いた。
この子、悪ぶってるけど、中身は善良な優しい少年と見ていいな。
悪運強いなあ、あたし。
「ありがとう!ついでに、銀行がある村や町の場所も教えてね」
図々しいお願いだってわかっているけどね。
先立つものがないとなんにもできないんだよ。そのために、資金は必要。
お給料は仕事に忙殺されていたせいでほとんど手つかずだから、残高はたっぷりある。
前にカラッカが嫌がらせで銀行の認証チップを盗まれたことがあった。それ以来、洗濯メイドは貴重品を常に持ち歩いているんだよね。もちろん、あたしも肌身離さず持っている。
認証チップは縦五センチ幅五ミリくらいの細い棒状の物。小さいから持ち運びは簡単だけど、無くさないように気をつけなくちゃいけないんだよね。
「おい!」
「でないと、付きまとうからね」
「脅すのか!」
確実な方法を選んだだけなんだけどな。これなら、少年に連れて行ってもらわなくても、彼の村にたどり着けるでしょ。村に行けば銀行くらいあると思うし。レスティエスト公国は貨幣社会だからね。あると信じているよ。
森の中に住んでいるって言われたらアウトなんだけど。
「気にしたら負けだよ。よろしくね。あ、忘れてた」
「今度はなんだ!」
「自己紹介。あたしは、……優乃だよ」
久しぶりに、あたしは本名を口にした。なんとなく、ね。
どうせ、言えないだろうくらいに思ってたし。
だけど。
「ユノ?俺はニイル……ってなんで泣いている?!」
少年、ニイルはちゃんとあたしの名前を呼んでくれた。
ユノ、とおじいちゃんがつけてくれて、家族や友達に呼ばれていた名前を呼ばれた。
何十年ぶりだろう。あたし自身呼んでいなかった、大切な名前。
今ではたった一つ、あたしが桐塚優乃だと証明するためのもの。
名前を呼ばれて泣くなんて初めてだ。困ったことに止まらない。
嬉し泣き、なんてアーバンクルに来てから一度も流したことなかったなあ。
「ああ。ごめんね。やっぱ、名前呼ばれるって嬉しいね」
「……そうか」
あたしの言葉に、ニイルは複雑そうな顔で頷いた。
困らせてるなあ。ごめんね?
「うん」
「変な女」
「自分でもそう思うよ。ニイルは優しいね」
「……やっぱり変な女」
涙をぬぐいながら笑顔を浮かべたあたしに、ニイルは酷く不本意そうにつぶやいた。




