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25.桐塚優乃が決めたこと



 戸惑いを隠せず、目を白黒させているあたしを、ハーレイ様の銀の瞳が射抜く。


「何が、苦しいのかな?何が、哀しいんだろうね?」


 耳に心地よくハーレイ様の声が、すとんとあたしの中に落ちてくる。

 凝り固まっていたものが、その後ろに隠れていたものが顔を出す。


「あ……たし、は」


 苦しいのかな?哀しいのかな?


 どうなんだろう。怖い思いはしていたけど。嫌な気持ちは味わっていたけど。

 そんなこと考えている余裕なんてなかった。

 でも、本当は気づいていた。知っていた。目を反らしていた。


 ずっとずっと苦しかった。哀しかった。


「怖い。怖くてしょうがないんです」

「何が?」

「ここが。あたしが。全部怖い」

「どうして?」

「だって、あたしは知らない。何で殺されなきゃらないの?なんで傷つけなくちゃならないの?なんで、奪われなくちゃいけないの?」


 あたしは、一度生きていた世界を諦めた。生まれ育った場所を家族を友達を、未来を諦めた。


 それなのに。


 どうしてまた居心地の良かった場所を奪われなければならないのだろう。やっと、手に入れた生きる場所を諦めなければならないのだろう。

 見据えていた未来への希望を、阻まれなければならないのだろう。

 洗濯係として生きてきた三十年はつらい事がたくさんあった。でも、一人じゃないからがんばれた。ケノウたちが一緒にいてくれたから理不尽に耐えることができた。

 いつか自由になって生きよう、と目標を持って頑張ることができた。

 それをまた奪われる。

 漆黒の見るものを戦慄させる美貌を持つ魔人が、あたしの希望を壊す。

 命を狙われて、ヒトを傷つけて、生きる場所を奪われて。

 ここは怖いことばかりだ。苦しいことばかりだ。哀しいことばかりだ。

 激情が、あたしを支配する。


「あいつのせいで、あたしの人生はめちゃくちゃだ。ずっと放っておいたくせに。今更出てきて何様なの?!最強の魔人だか何だか知らないけど、あたしは、あいつの人形なんかじゃない!!」


 大公だろうと、力のある魔人だろうと関係ない。

 あたしが、あたしを奪われて誰が喜ぶものか。

 誰が娘だ。あたしのお父さんは、日本で車屋の営業をやっていたおちゃめなあの人だけだ。


「あたしは、あたしの物なのに!わけ分かんない!なんであたしを連れてきたの?!なんで、あたしを殺して生かしたの?!!あんの変態魔人!!」


 あいつさえいなければ、あたしは地球で人生を謳歌していた。刃物で他者を傷つける恐怖なんて味わうことはなかった。

 全部全部全部。あの大公と呼ばれる魔人が悪い。


「ユウノ。落ち着いて。大丈夫だ。ここに君を傷つける者はいないから」

「あ……」


 いつの間にかあたしはハーレイ様に抱きしめられていた。

 力強いのに、その腕は優しい。


「父上のことをそこまで貶せるなんてすごいな。大物になれるよ、ユウノは」


 ハーレイ様の言葉にあたしは、は、と正気に返った。


 あっはっは。勢いに任せてこの国の権力者思いっきり詰ったよ、あたし。それも、実の息子の前で。


 死亡フラグ自分で立ててどうするかなあ。


「なりたくないです。なってもいいことなんてないに決まってます」

「そうかな?」

「そうです。第八公女なんて言われた途端に殺されそうになるし、ヒトを傷つけるし。いやなことしかないんです」


 殺されること以上に、ヒトを傷つけることが怖い。洗濯メイドをやっているときは、嫌がらせはあっても傷つけあうようなことはなかった。


「なるほど。ユウノは、他者を傷つけることが怖いんだ」

「悪いですか?あたしの生まれた国は、どんな理由があれ人を殺したら捕まるんです。暴力はいけないって教えられるような場所で生きてきたんです。スポーツじゃない、戦いなんて、あたしは、知らない……!!」


 あたしが知っているのは、剣道の試合。あの緊張感だけ。

 他に武器をとって戦うことなんて、ない。

 そりゃ、小さいころは弟と殴る蹴る噛みつくの喧嘩くらいしたけどね。そんな可愛らしいものじゃないんだよ。

 一歩間違えば命が消える戦いなんて、嫌だ。


「それでも、君は武器をとって戦った。それが答えだと私は思うけどね」

「え?」

「どんな場所であろうと、状況であろうと生きようとしたんだ。それでいいんだ。君は、難しく考えすぎだよ」


 言われた瞬間、あたしの身体に電流が走った。

 そう錯覚するくらい、驚いた。そうだ。あたしは、生きようとした。

 この世界で目覚めた時、自殺することは一切考えなかった。

 いじめられても、負けるもんかって踏ん張った。

 襲われた時は、自分を守る為に体が動いて抵抗した。

 ヒトを傷つけるのが嫌なら、抗わなければよかっただけ。

 それなのにあたしは。

 武器をとって戦った。

 知っていたから。あたしは生きたいって望んでいたことを。


「あたしは、ただ、普通に生きていければそれでいいのに」

「一度動き出した歯車は戻らないんだよ。どんな形であれ、君はここにいる。そして、それは変えられない現実だ」

「……慰めているのか、墜としているのか、分かりません」


 ハーレイ様の言葉は、ひどい。

 生きることを選んで戦うことを選んだのはあたしだ。

 誰に強制されたわけでもない。

 誰の責任でもない。

 あたしの、選択だ。


「慰めているつもりなのだけれど。でも、私の願望が入っているのかな」

「願望、ですか?」

「君にこちらに来てほしいっていう、ね」


 それはつまり、魔人の仲間になれっていうことを暗におっしゃっているんですか?


 周りがどう持ち上げようと、あたし自身がそのことを受け入れていないことをハーレイ様は気づいておられる。

 ならば、あたしにはまだ選択ができる。


「お断りします。あたしは、洗濯メイドで満足しているんで」

「それを決めるのは君じゃない。残念ながら私でもない」


 選択権は大公にあるのだ、とハーレイ様はおっしゃる。

 そんなことはない。誰が何と言おうと、あたしはお父さんの娘で、大公の娘なんかじゃない。


 決めるのは、あたしだ。


「兄様、ユウノ苛めるなら、黙る」


 それまで黙って傍観者に徹していらっしゃったミュウシャ様が、ハーレイ様を非難するような目で見上げられた。


 ミュウシャ様。その上目遣いはやばいです。

 襲ってくれ、って言われているようなものだと思います。


「苛めているつもりはないのだけれどね。そんな顔をさせるつもりもなかった」


 そんな顔って、どんな顔だろう。不思議に思ってハーレイ様を見ると、銀の瞳に泣きそうな顔をしているあたしがいた。


 ああ。

 これじゃあ、ミュウシャ様の言葉が正しいって映るよねえ。


「悪いのは、ハーレイ様ではないということくらいは分かります」

「ユウノ?」


 一度顔を下げて深呼吸。

 気持ちを切り替えよう。

 あたしは、桐塚優乃だ。

 ユウノと呼ばれていても、あたしだけはそれを知っている。


「ありがとうございます。ハーレイ様、ミュウシャ様。おかげで吹っ切れました」


 ヒトを傷つけてまで生きようとする貪欲な想いを持つあたしが、桐塚優乃だ。

 この先、あたしたちを煙たく思っているであろう犯人が捕まらない限り、同じようなことが起きる可能性はすごく高い。

 暗殺者だけじゃない。この世界は、日本よりも暴力が横行している。だから、あたしはあたしを守る為に力を振るうことはあるだろう。

 それは怖い。相手を傷つけることは怖い。

 でも、それ以上にあたしは死にたくない。他者の思惑に振り回されて死んでたまるかって思う。

 だから、闘おう。自分自身の理性と理念と道徳と本能と。

 相手を怪我させるたびにあたしは落ち込むかもしれない。

 偽善だと思う。でもそれが桐塚優乃だ。

 あたしがあたしでいるために必要な痛みだ。

 あたしの人生を選ぶのは、あたしだ。


 そう、決めた。


「そうか」

「はい」

「その顔の方がいいね。とても輝いて見えるよ」

「ありがとうございます」


 さわやかな笑みを浮かべるハーレイ様に、あたしは実に久しぶりになる笑顔を返した。



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