9.桐塚優乃は療養中
目を覚ましたら視界に飛び込んできたのは、やっぱりクリーム色の天蓋だった。
相変わらず、状況は変わっていないらしい。はあ、とため息をついて、あたしは重たい体を起こした。
体重が増えたわけじゃないからね。怠くて動かすのが億劫っていう方だからね。
なんていうの、十キロマラソンした後に腕立て、腹筋、背筋、スクワット五十回ずつやってから、素振り千本やったっくらいの疲労感がある。
それがもう、ひーふー……三日目、かな。
熱は下がんないし、食欲も元には戻らないし。散々だよ。
とはいえ、いつまでも寝ているわけにはいかない。
あたしには洗濯が待っている。軽い体調不良でいつまでも休んでなんていられない。
微熱は引きそうもないけど、上がる気配もないから大丈夫でしょ。
「ういしょっと」
ゆっくり体を起こしてベッドから出ようとしたところで失礼します、って言う声が聞こえた。
ここ三日で聞き慣れちゃったメゾソプラノの声。
入ってきたのは、案の定初日にあたしをベッドに押し込めてくれた上級メイドさんだった。
あたしがベッドを出ようとするタイミングで、必ず声をかけてくるんだもん。絶対狙ってるよね。
「おはようございます、ユウノ様。お加減はいかがですか?」
ウ族のメイド、レジーナさん。あたしの筆頭メイドになった、らしい。他にもあたし専属のメイドがついたって聞いてる。今のところレジーナさん以外の姿は見ていないけど。
話を聞いたとき運がないヒトたちだ、と思った。あたしみたいな平凡な女のメイドになんて。
本人が、全く気にしていないっぽいのがまたやるせない。あたしは、ヒトに仕えてもらうような存在じゃないんだよ。
ああ、早くこの環境から解放されたい。
それをレジーナさんに言ったところで受け入れられないことは、この部屋で過ごすようになって嫌というほど学んだ。
なので、ここは大人しくしているのが吉。
「おはようございます、レジーナさん。昨日よりだいぶいいです」
嘘。怠さは全然変わっていない。
いい加減ベッドに縛り付けられている状態から抜け出したくて、元気な振りをしてみただけ。
レジーナさんの髭みたいに伸びている眉がぴくり、と跳ね上がった。
やばい。
「……ユウノ様。お顔に全て出ております」
「ごめんなさい」
逆らうだけ無駄なので、あたしはさっさと謝った。
うう。正直者な表情筋が憎い。
うなだれるあたしの傍に来たレジーナさんがてきぱきと動く。耳に体温計を当てて熱を測った。体温計は直径三センチくらいのダルマみたいな形をしていて、後頭部部分に突起がついている。一秒もかからないで体温を測り終えた。
レジーナさん、体温計を睨みつけないでください。その子は一生懸命自分の仕事をしています。
なかなか下がらない熱に、レジーナさんはちょっとイライラしてるみたい。
お手間かけてすみません。
「下がりませんね。病気というわけではありませんから薬を処方してもらっても、それほど効果はないでしょうし」
「ほっとけば治ります。気にしないでください」
健康優良児だからね。死ぬつもりもないから、大丈夫。
魔人の力が何さ。絶対屈服させてやる。
だから、レジーナさんが申し訳なさそうな顔する必要はない。
悪いのは全部あの漆黒の変態魔人だ。
「ユウノ様。無理はなさらないでください」
「してません。そろそろ体動かさないと、石になりそうだとは思っていますけど」
「もうしばらくご辛抱ください。お熱が下がりましたら、中庭にお散歩にまいりましょう」
中庭って。基本魔人しか出入りしていないあそこの事ですか?
……無理無理無理。
あたしなんて場違いもいいところ。
一歩足踏み入れた瞬間、その場にいる魔人のだれかに殺されちゃうよ。
「いえ。あたしは仕事に戻りますから、お気になさらず」
「今は、ガナーが見頃です。小さなピンクの花びらが幾重にも重なった姿は見事ですよ。ユウノ様もきっと気に入られます」
あたしが仕事復帰したいっていう言葉をにおわせると、レジーナさんはにっこり笑顔で無視してくれた。っち。
どうもあたしが洗濯係に戻ることを嫌がっているみたいなんだよね。でもこればかりは譲れない。仕事を休んでもう七日になる。
きっと洗濯場は目も当てられない状態になっているだろう。
洗濯メイドはあたしを含めて全員で五人。はっきり言って人手不足もいいところの人数。
その中で、洗いを一手に引き受けていたのがあたしだった。最初の作業係がいなくなって、ケノウたちは大変なことになっているに違いない。
もしかしたら、部屋に戻れる時間もないかもしれない。
あとでこっそり部屋を抜け出してみようかな。
レジーナさんにお願いしても却下されることは、分かりきってるし。
お水を用意してくれているレジーナさんの姿を見ながら、あたしはプチ逃亡計画を立てていた。




