8.桐塚優乃は衝撃を受ける
「……は?」
ちょっと待て。大公閣下ってあれでしょ。この城の持ち主で、アーバンクルでも五指に入るって言われている実力を持つ魔人。
あたしが今住んでいるレスティエスト公国を治めている最高権力者で、周辺各国にもその名を轟かせている。レスティエスト大公に喧嘩売るくらいなら、殺したいほど憎んでいる相手と同棲した方が百万倍まし、って恐れられている大魔王的存在。
魔人の中でも世界に千人しかいない生粋の純血の魔人。
そんな存在を父親に持った記憶はないよ?
あたしのお父さんは、某車屋で営業マンをやっているごくごく普通のサラリーマンだ。いや、だった、かな。多分もう亡くなっているから。ついでに言うと、お母さんはその車屋の子会社の工場で事務をやっていた。両親の祖父母も純地球産の日本人だからね。キンドレイドになる前まで、あたしは確かに地球で生まれ育った日本人の女子高生だった。
間違っても人外魔境を親に持ったことなんてない。捨て子で養子ってこともないからね。なんせあたしはお母さんとそっくりだって周りから言われてたもん。
どこをどうしてそういう考えになったのか知らないが、ウ族のメイドさんの誤解は早々に解かなくちゃいけない。
だって、大公の娘なんて身分詐称もいいところだ。間違いなく捕まって罰せられる。
拷問も処刑も絶対に嫌だ!!
「あの、何か勘違いしてるみたいですけど、あたしただのキンドレイドです。その中でも下位の眷属です。大公閣下の娘なんてことはあり得ないです」
誰のキンドレイドかは知らないけどね。
「それは承知しております。姫様は、大公閣下から格別の恩寵を与えられたのですわ」
「はい?」
「心の臓の血とあの方の体の一部をその身に取り込まれたのでしょう?大公様のお力は別格。姫様は、下手な魔人よりも強大な力をお持ちになられたのですわ。そして、大公様の恩寵に耐えられた証にあの方の娘となられました」
「恩寵に、耐える?」
「はい。大公閣下のお力は絶大。通常でしたら血の一滴を体に入れただけでも死ぬような者も出ます。ですが姫様は、最も力を秘める心の臓の血だけでなく、十の指先を全て身に取り込まれました。それなのに発狂すらされることなく、正気を保ったまま生きておられます。素晴らしいですわ」
メイドさんが頬を紅潮させてとうとうと語った。うっとりとしている。
あたしは、というと教えられた内容に、ひくり、と頬をひきつらせて固まった。
それは何?あの、超絶美形魔人が大公だったってこと?
それはいいとして。よくないけどこの際置いといて。
心臓の血?指先十個?んなもん飲んだ記憶も食べた記憶もないんだけど。いや、正確には、左の中指と薬指にしか覚えがない。
いったいいつそんなゲテモノ口にした、あたし?!精神的ダメージが半端ないんだけど。
下手したら発狂して死んでたって聞かされて喜べるかあああああ!!
「姫様?ご気分が悪いのですか?」
「いえ、聞かされた事実にショックを受けてるだけです。立ち直りたいので、仕事場に行かせてください」
日常に戻れば、今聞かされたことは全部夢ってことにできる。あたしは何も聞かなかった。ちょっとうっかり気絶して、場違いな場所に運ばれちゃっただけ。
現実逃避と言われようが、それが一番なんだから。
「なりません。大公閣下のお力がお体に完全に馴染むまではご養生を」
つまり、この体調不良は大公様の血とか指先のせいってことか。異物に対して体が拒絶反応を起こしてるってことなんだろうな。はあ。
「じゃあ、部屋で大人しくしてるので、帰ってもいいですか?ここじゃ落ち着きません」
「ここが姫様のお部屋ですわ。どこにお戻りになられると言われるのですか?」
「あたし、洗濯メイドの身分で十分満足してるんで。姫様、って言われるような人間でもないんです」
体が震えている。多分声に嗚咽が混じってた。
メイドさんが困った顔をしてる。そりゃそうだよね。あたしの言ってることはきっとお嬢様の我がままなんだから。でもさ。いきなり大公の娘になれ、って言われて納得なんてできるはずがない。
だってあたしはちゃんと生きてきた。右も左もわからない異世界で、二本の足で立って生きてきた。それなのに今更出てきたクアントゥールに、これまでの生活捨てろって言われてうなずけるほど、あたしは従順じゃない。
五十年も放っておいたんだ。
この先一生気にかけてくれなくてよかった。
目が覚めて三十年。
あたしはあたしを轢き殺してキンドレイドにしてアーバンクルに浚ってきた魔人に会ったことがなかった。
目が覚めたら、下位のメイドたちが使う六人部屋のベッドに寝かされていた。入ってきたメイドさんに、あたしの現状を突きつけられて逃げられないことを諭されて。
それが始まり。
状況に戸惑って逃げることを考えて日々を過ごしていたあたし。
与えられた役割は、お城の洗濯メイド。朝から晩まで、誰の物ともしれない衣類を洗い続ける。
辛かった。
一日中洗濯してる生活なんて嫌だった。
何より、家に帰りたかった。
起きた時二十年が経っているって聞かされて、変わっていない外見に絶望したけどさ。
二十年くらいだったらまだ家族は生きてるって信じてた。だから帰る為の手段を探して、周りの人に方法を聞いた。でも、望む答えはなかなか得られなかった。
それでも諦められなくて。
現実を受け入れられず、あがくように帰還手段を探していたあたしはある日その光景を見た。
城の中を出された洗濯物の回収のために移動している時のことだった。
中庭でお茶をしていた魔人の女性。その彼女の目の前にある廊下で、下級のメイドが運んでいた花瓶を落した。小さな花瓶だったから、そんなに音は響かなかったし、運が良くて割れなかった。でも、それを見た魔人は不快そうに目を細めて、メイドに向かってデコピンをするみたいに指をはじいた。それでおしまいだった。
メイドの頭は空気が入りすぎた風船みたいに爆ぜて散った。
あの時よくあたしは悲鳴を上げなかったと思う。きっと本能が一生懸命止めたんだ。悲鳴を上げた瞬間あたしの命はないんだって。
その一件であたしは悟った。ちょっとでも目立つ行動は避けなきゃいけないって。万一魔人の目に留まったら殺されるかもしれない。
その恐怖から、あたしは仕事に専念するようになった。とにかく人目を避けて、上の目に引っかからないようにした。
生きるにはそうするしかなかった。
城から逃げても、行くあてなんてない。もし逃げるとすれば、アーバンクルの知識を得なくちゃいけないって思った。
漫画とかラノベをよく読んでたからね。異世界って理不尽なんだって想像で知ってた。
そしてそれが正しいってことも実感した。
あたしを眷属にした魔人も気まぐれで拾った命を顧みるつもりはなかったに違いない。
あたしのクアントゥールは、一度も姿を見せたことはなかった。
あたしは洗濯メイドとして息を潜めて生きてきた。
今は、それなりに楽しくやっている。人生は長いから、ここで経験を積んでそれから城を出よう、ってずっと考えていた。
いつ粗相をして殺されるのか、って怯えて暮らすのは嫌だったから。
お金を貯めて、この城から、国から出ようと思った。この世界の常識はだいぶ学んだし、魔力の扱い方だって覚えた。
後は、いつ出ていくか。
多分、洗濯メイドのメンバーがもうちょっと多かったらとっくに出奔していたと思う。でも、現実として現場は超人手不足。
あたしがいなくなったら、仲よくしていたあの四人に負担がかかることは火を見るより明らかだった。何回上に言っても新しいメイドを回してもらえなかったしね。
このあたりは日本人なのかな。
優柔不断というか、義理と人情を断ち切れないというか。
でも、悪い生活じゃなかったから。
大変だけど、仲間がいたから耐え切ることができた。
できるだけ頑張ろう、って思うことができた。
それが今更出てきたクアントゥールのせいで変わる?
冗談じゃない。
あたしは、ただ穏やかな生活を送りたいだけなんだから!!




