3.いまひとたびの
「先生!」
誰かが彼のそばで声をあげた。
「キタ先生!305号室の患者さんが目を覚まされました!至急おいでください!」
そしてその声の主は、どこかへばたばたと駆けていった。
「…………」
彼――サトル、はぼんやりと目を開け、あたりを見回した。
彼はべッドに横たわっていて、彼の周りを、白い天井と白い壁が取り囲んでいた。
自分はいったい……?
と、サトルは思った。何か頭の中が混乱していた。そして、ああ、そうだ、とサトルは思い出した。
たしか自分は――自分たちは雪崩で……?
「……!」
それを思い出すや、サトルはべッドから飛び起きようとした。
自分の目の前で雪崩に呑み込まれたエリは……?車に残したままの息子のシンは?
だが彼の身体はどういうわけかずっしりと重く、ベッドから起き上がるどころか、手足を動かす事さえもできず、かろうじて弱々しいうめき声をあげる事ができただけだった。
と、その彼の手を取り、誰かが彼の顔をのぞきこんで言った。
「……父さん?」
「おじいさん?」
見知らぬ二人の男が、サトルを見つめていた。二人の男のうちの一人は車椅子に座っている老人で、その隣には、中年というにはまだ少し早い様な男が立っていた。
二人の男は、心配そうな、そしてとても不思議そうな、何やら妙な表情を浮かべてサトルを見つめていた。
男たちは、サトルにとっては見知らぬ者たちであったが、しかしその彼等の顔はとても……
「ひいおじいちゃん?」
と、その見知らぬ男たちの隣で、また誰かが言った。見れば、そこには、小さな女の子がいた。
その女の子は、彼の妻のエリが、まだそのくらいの子供だった頃にそっくりな姿をしていた。小さな頃からの大の仲良しで、いつも一緒に遊びまわり、そのまま結婚したエリの子供の頃に……。
「ひいおじいちゃん?」
「おじいさん?」
「父さん?」
彼等はもう一度言った。
そこへ、看護師と医師が部屋へばたばたと入って来た。そして、まだぼんやりとした目で彼等を見上げるサトルを見て、看護師と医師は息を呑んだ。
「信じられない……」
医師は驚きの表情を浮かべ、首を小さく横に振って言った。
「こんな……こんな事が……?」
なんて事だろう、とサトルは思った。
あれから……あの雪崩に巻き込まれてから、もうすでに六十八年も経っている、だなんて?
その信じがたい話に、サトルは一時気を取り乱しかけたが、その彼に医者があわてて注射した鎮静剤がよく効き、医者はサトルにしばらく眠る事をすすめた。が、サトルにしてみれば、眠ってなどいられるわけがなかった。
話が本当なら――もう六十八年も眠っていたというのに?サトルは十五分だけ、自分の枕元にいた者たちの話を聞く許可を医者から得た。
あの日、妻のエリと生後八ヵ月の赤ん坊だった息子のシンの三人で、近くの山へ春の残雪を見にドライブへ行って、山間の残雪より少し離れたところに車を止め、エリがその雪の中へと足を踏み入れた時、雪崩が起こった。
そしてエリを助けようとしてサトルも雪崩に巻き込まれ……。
エリは雪の塊の下で、圧死してしまったという。雪に半分埋もれていた車の中で、チャイルドシートの中に寝かされていたシンはたいした怪我もなく助かり、サトルは――それからずっと意識不明状態だったという。
六十八年もの間を。
そしてまたも驚くべき事に、その長の眠りから目覚めたサトルのそばにいた見知らぬ者たちのうち、車椅子に座った老人が、なんとその赤ん坊だったシンで、もう一人の男は、シンの息子……つまりはサトルの孫で、子供の頃のエリによく似た女の子はその男の娘、つまりはサトルの會孫であるらしかった。
サトルの中では、彼自身はまだ二十八歳の年若い男で、エリは二十七歳のやはり年若い母親で、シンはまだ一歳にもなっていない赤ん坊であった。
そして実際、サトルの身体は、だいぶ衰えてしまってはいるものの、まだ若い姿のままだった。
だが、シンはあの事故からサトルの両親に育てられ、成人して結婚し、今ではついこの前六十九歳を迎えたのだという。そしてシンもまた二週間ほど前からこの病院へと入院しており、六日前、初期の肝臓癌の病巣を手術で取り除いたところらしかった。
「癌っていったって」
ベッドに横たわったまま自分を見上げ、癌の手術をしたと聞いて驚くサトルに、シンはにっこりと笑って言った。
その顔は、あの雪崩に巻き込まれたドライブへと出かける時、行ってくると声をかけたサトルに、居間でテレビをを見ながら、『あぁ、気を付けて』と返事をしたサトルの父親をもっと老けさせた顔に……そして何よりも、サトルを可愛がってくれた、彼の祖父の顔によく似ていた。
また、シンの横に立つ、シンの息子――今年三十六歳になるというナオトは、サトルに……そしてサトルの父親の若い頃によく似ていた。彼等二人を見た時、何やら妙な気分になったわけがわかった。
「今じゃあ、もうずっと治療も進んでいて、初期の癌なんて手術でちゃんと治る様になったんですよ」
「………」
げっそりとやつれきってはいるが、まだ二十八歳のままの姿のサトルに、父さん、と言う六十九歳の老人となってしまったシンを、サトルは見つめた。
六十九歳だって?嘘だろう?
サトルは思った。
シンは……あの子は、まだほんの小さな赤ん坊で……こんな、自分の祖父ほどにも年取っている老人であるはずが……。しかし、自分の目の前にいるこの見知らぬ我が子は、たしかに自分によく似た顔をしていて、そして何よりも、部屋の壁に掛けられているカレンダーの年号は、たしかに――しかし――こんな……こんな、馬鹿な?
「おまえには……ずいぶん寂しい目をさせたんだろうね?」
サトルは彼等の言葉を、本当はまだ半分以上も信じてはいない、混乱している思いの中で、その、自分よりも先に年老いてしまった我が子を見つめた。
「いいえ、父さん」
その言葉に、シンは首を振った。
「私はおじいさんとおばあさんに、大事に育てられましたよ。あなたと同じ様にね」
シンは穏やかな笑みをうかべ、サトルに言った。
「…………」
嘘だ……
嘘だ……?
そのシンを見つめながら、サトルは思った。
誰か嘘だと……
悪い冗談だと言ってくれ?
しかし――
サトルはシンの手を取ったまま、小さな声ですすり泣きだした。
「おじいさん」
そのサトルに、ナオトが言った。
「先生の言うとうり、もう休んだ方がいいでしょう。まだこんな身体なんですから。無理をしては……」
ナオトはサトルの背中を優しくさすった。
それにナオトの娘――今年八歳になるというリエ、もサトルの背中を小さな手で撫でた。
「ひいおじいちゃん、大丈夫?」
會孫の声と姿は、本当に子供の頃のエリにそっくりだった。サトルはそのリエの姿をながめながら、自分は、嫌な悪い夢を見ているのではないか、と思った。
そしてこれが夢ならば、早く目が覚めてほしいと。
翌日。
サトルは全身スキャンと脳波検査のため、車椅子に乗せられ、病室を出た。そして検査の後、ガラス張りの大きな部屋の前を通りかかった。ガラスの壁の向こうには幾つものベッドが並べられ、ベッドの上には医療機器や点滴チューブにつながれた、生気のない、土気色の顔色をした患者たちが横たわっていた。
「あそこは……?」
サトルはガラスの向こうを眺め見ながら、車椅子を押してくれている看護師に尋ねた。
「ああ、あれは」
看護師は言った。
「集中治療室です。とても具合の悪い人たちばかりなので、何かあった時、すぐに気づけるよう、壁がガラス張りになっているんです。あなたも何度かあそこにいた時があるんですよ」
「……」
サトルはその、医療機器につながれた人々を見つめた。部屋の照明は明るかったが、しかし、部屋の中は、医療機器の稼働音と看護師たちの会話以外は、暗い静けさに包まれていた。
と、その時、
『先生!』
突然彼の目の前に――いや、頭の中に?今見えているものとは違う“映像”が見えて、その中で看護師が誰かに向かって言った。
「??!」
サトルは突如自分の頭の中に現れたものにぎょっとして、目をまたたいた。が、それは消えもせず、なおも彼には見えていた。
『心拍と血圧が……』
サトルの中に見えている“映像”の中で、看護師は駆け寄ってきた医師に言い、医師はべッドの上に横たわっている年老いた男と、彼につなげられている機器のモニターを見つめた。
そしてその年老いた男が横たわっているベッドというのは……
(あの……左から三番目のべッド)
サトルは今、目の前に実際にある眺めを見ながら思った。ガラス張りの向こうの、左から三番目のベッド――
今は、そのべッドの周りには、看護師も医者もいない。しかし……
『ナカヤ先生を呼んで!』
『はい!』
医師の言葉に、他の看護師が返事をして、どこかへと走っていった。
(何だ?これは?)
サトルは目を見開け、自分の頭の中に見えているものと、実際に目の前にある眺めを見つめた。
(何だ……?)
左から三番目のべッドの老人……今はベッドの上で静かに眠っている。そのそばには看護師も医師もいない。が、彼の中に見えている風景の中では――
(これは……)
「どうかされましたか?気分でも?」
そのサトルに、車椅子の後ろで、看護師は言った。
「大丈夫ですか?」
看護師はサトルの顔をのぞきこんだ。それに、サトルははっと我に返った。
「ええ」
彼はまだ半分呆然となっているまま、ぎこちなくうなずいた。
突如頭の中に現れたものは、もう見えなくなっていた。しかし……
以来、サトルの頭の中には、その時目の前に見えている眺め以外の、もうひとつの“映像”が、いきなり見える事があった。
それはサトルのそばに、その時点より数時間、数日の後に亡くなる者がいる時、その人の亡くなる時の様子が、突如として彼の頭の中に現れているらしかった。
人の死期がわかるだなんて?
サトルは思った。
自分の頭はいったいどうなってしまったのだろう?
雪崩の時のショックで?それとも六十八年もの長い眠りの中で?どこがどうなってしまったのだろう?
一度死にかけた人間がこんな力を持つようになるなんて、まるでテレビのオカルト番組だ?それに人の死期がわかったところで、結局何の役にも立ちはしない。
それが訪れる時がただわかるだけで、その死期を遅らせたりする事は自分にはできないのだから?
だからサトルは人の最後の場面が見えるなどと、誰にも言わずにいた。
そしてある日、
サトルのすっかり衰えてしまった手足の筋肉と靭帯を医師が診察しているところへ、シンが様子を見に来てくれた時、サトルの頭の中に、またそれは現れた。
……シンは胸に手をあて、小さなうめき声をあげると、彼のべッドの横にふらふらと倒れた。
そして――
「……!」
サトルは自分の中を巡るその映像に、ぎょっとなった。
シンは激痛に顔を歪め、胸をかかえて……
「調子はどうですか、父さん?」
そのサトルに、今彼の前に立っているシンは、何も知らぬげに、にっこりと笑って言った。
なんてこった……
身体中の血の気が音をたててひいてゆく様に、サトルには思えた。
シン……シン。苦しげに床へと倒れて……
しかしどうしょうもない?サトルの中では、それはまるで手に取る事ができるように見えているのに。しかし……
シンはそれから五時間後、心臓発作を起こしてあっけなくこの世を去った。癌の手術結果は良好で、術後は順調に回復していたのだが。
それから半年後。
サトルはやっと退院して、孫のナオトの家で世話になっていた。退院後も医師には定期診断を受けるように言われていたが、サトルはもう病院へなぞ、行きたくはなかった。
病院へ行けば、またあの“映像”がたびたび見えてしまうかもしれない?なにしろ、病院というところは、身体の調子が悪い者たちが行くところなのだから。
サトルは、病院の外来待合室以外の人混みの中でも、あの映像がまた突如頭の中に現れるではないかと、いつも思っていた。そして実際、人混みの中ではなくとも、それは見える事はあった。だからサトルは、めったに家の外へ出ようとはしなかった。
そしてある日、
「隣街まで買い物に行きますけど、おじいさんも一緒に行きませんか?」
昼前のテレビニュースを見ていたサトルに、ナオトが言った。
「それから海沿いに新しく出来たとかいう公園に行こうとリエにせがまれているんですが。いい運動になりますよ」
「ね、ひいおじいちゃん?」
リエは椅子に座っているサトルの膝に飛びついた。
「海のそばにショッピングセンターと公園ができたの。そこで今日はお昼を食べるんだって。ね、一緒に行きましょうよ?」
「………」
そのリエに、サトルはにっこりと笑った。
サトルは孫や會孫を可愛がる様な姿に年老いてしまっているわけではなかったが、エリにそっくりなこの曾孫が彼にはとても可愛くてしかたなかった。
「ああ、うん……」
サトルはリエに笑いながら、ふとナオトを見上げた。と、その時、
「……?」
自分を見つめて笑っているナオトの顔に重なって、あの“映像”が巡りはじめた。
病院のべッドの上で、頭に包帯を巻かれ、酸素マスクをされてぐったりと横たわっているナオト……?
そしてその隣には、やはり酸素マスクを当てられ、すっかり死人の様な顔色になっているリエ――
サトルは息を呑んだ。
(なんてこった)
サトルはシンの時のあの“映像”が見えた時よりも愕然となった。
これは……いったいいつの事なのだろう?これから出かけるというところで起こる事なのだろうか?それとも……
(どこでだっていい)
サトルは思った。
(どこでだって)
(事故だか何だかわからないが)
(今度こそは)
(今度こそは――)
(私がそれを止めてやる)
サトルはそう思い、そしてぎこちなく笑みを浮かべると、リエとナオトと一緒に部屋を出ていった。
それは隣街へとゆく途中、自動車事故として起こるのではないかと思っていたが、そういった事もなく、ナオトの運転する車は無事目的地へと着いた。開店したてのきれいなショッピングセンターの駐車場へと車が何事もなく止まった時、サトルは緊張の糸が切れ、力がぬけた。が、安心などはしていられなかった。
「……」
サトルはまるで監視員の様な険しい表情で、ナオトと、ナオトの妻のアイと、リエの姿をながめながら、彼等の後ろをついて歩いていた。
「ひいおじちゃん」
何事もなく四人でお昼を食べ、海辺が見えるショッピングセンター街をぶらぶらと見物している時、リエは買ってもらったばかりのものを包みから引っ張りだしてサトルに言った。
「リボン買ってもらったの。綺麗な色でしょ?髪に結んで?」
サトルはにっこりと笑って、ポニーテールにしたリエの髪に赤いリボンを結んでやった。
それにリエは喜び、リボンをひらひらとさせて、こっちに海がよく見えるところがある、とサトルを引っ張っていった。
心地よく静かなさざ波をたてる海面から、数メートル上にせりだしているそのテラスには、何人もの人々がもたれて、海を眺めていた。
そしてそばでは、店員が子供に風船を配っていた。サトルはリエにその風船をもらってやろうとした。と、その時、
ミシッ、と……
どこかで何かが軋む様な音がした。
「……?」
サトルはふとあたりを見回した。
そしてナオトとアイと、リエが立っているテラスのコンクリートの床に、大きな亀裂が、まるで生き物の様に走ってゆくのを目にした。
「!」
サトルは目を見開けた。そして、彼等のそばへと走り寄ろうとした。
「ナオト!」
これだったのか?
そうしている中でサトルは思った。
あれは、この結果だったのか?
ナオトたちの足元がぐらりと傾いた。
ナオトが驚きの表情で声をあげ、アイとリエの腕を掴んだ。
その彼等の後ろでテラスが崩れ、数メートル下の海へと――
彼等のそばへ行こうとしながら、サトルはまるで自分が、スローモーション映像の中に居るように思えた。
何かが海へと落ちた、バシャン、という大きな音が聞こえた。
「ナオト!!」
サトルは今や海に放り出されんばかりだったナオトの腕を掴んだ。
サトルのようやく人並みに動くようになった腕が、ギリリと痛んだ。腕の筋が今にもブツリと音をたてて切れそうだった。が、サトルは必死にこらえて傾いたテラスの手すりを片手で掴み、もう片方の手の先にぶらりと下がっているナオトを引っ張り上げようとした。
駆けつけてきた他の男たちもサトルに手を貸し、彼等はようやくナオトを助けあげた。そして、
「……リエは?!」
サトルとナオトはあたりを見回した。
アイは顔面を蒼白にしながらも、彼等の側に無事な姿で立っていた。しかし、そのそばにリエの姿はなかった。
「リエは?!!」
サトルは崩れたテラスの下を見下ろした。
彼のその目に、波間で揺れている赤いリボンが見えた。
「リエ!」
サトルはそう叫ぶと、海へと飛び込んだ。
「おじいさん!」
ナオトとアイの声に重なって、ザブン、という大きな水音が響いた。
(リエリエリエリエリエ……)
波間に漂う赤いリボンを目指しながら、サトルは思った。
(そんなばかな。そんなばかなそんなばかなそんなばかな。いくらなんでもこれでは順番がちがう、私よりもあの子が先に死んじまうだなんてそんなばかな私よりもあの子が先に死んじまうだなんて)
(ちがうちがう、こんなばかな順番があるものか、こんなあんまりな順番があるものか)
(私だ、わたし、くたばるのならこの私が先なんだ!六十八年も寝くたれていた、見かけが若いままの、この死に損ないの私が……)
(この私が、この私がこの私が……)
(リエ、リエ、リエ、リエリエリエリエリエ……エリ!)
大波がサトルの顔面へと押し寄せ、ガバリと彼は海水を飲んだ。しかしサトルは、むせ込みながらも赤いリボンへと……波間に漂っているリエの元へと泳ぎつき、海面下に沈んだまま、ぴくりとも動かないリエの首に手を回し、彼女の頭を波の下から引っ張り上げた。
「エリ!」
ぐったりとして、目を閉じたままのリエにサトルは叫んだ。
「エリ!!」
突如右足がつった。
「!」
しかしサトルは痛みに構いもせず、リエをかかえたまま、今や人だかりとなっているテラスめがけて、バシャバシャともがく様に泳ぎ着こうとした。だがその彼の顔にまたも波がかぶり、サトルはむせた。そして……
彼等めがけて押し寄せてくる雪、雪、雪……真っ白で巨大な雪の壁。
『サトル!』
雪の壁の向こうで、エリが叫んだ。サトルはエリの手をとろうとした。だが彼の手は宙を掴み……
「エリ!」
雪……いや、塩辛い海の波が
(あんまりだ)
(順番がちがう)
(順番が……)
「…………」
どこか遠くで誰かが何かを言った。
エリか?いや、ちがう……
「…………-」
「おじい……!」
「おじいさん!!」
「ひいおじいちゃん!」
誰かがサトルの身体を揺すっていた。
「…………」
サトルは目を開けた。
そこには、ナオトと、アイと、リエがいた。三人は険しい表情で彼をのぞきこんでいた。
(順番が……)
サトルは弱々しく口元を動かした。が、酸素マスクの中で、その声はナオトたちには聞き取れなかった。
「おじいさん!」
ナオトはサトルに顔を近づけた。
「しっかり……」
と、その時、
サトルの目の前に、自分を見つめるナオトの顔ではない、もうひとつの“映像”が現れた。
それは……その映像の中には――目を閉じた、青白い自分自身の顔が見えた。
彼のそばにいた医師が、聴診器を耳からはずしながら言った。
『ご臨終です』
『おじいさん!』
その言葉にナオトたちは叫んだ。
『ひいおじいちゃん!』
(…………)
映像の中の自分はにっこりと微笑んでいた。
サトルはその中で思った。
(それでいい……)
(それでいい。それで)
(それが順番というものだ)
サトルは遠くなってゆく意識の中でささやいた。そして力なく、だがにっこりと笑うと、大きな、ため息の様な息をついた。そして……
「それが願番と……」
(それが順番と……)
サトルのそばにいた医師は、その笑みを浮かべたサトルの脈をとり、しばらく聴診器で心音を聞いていたが、やがて聴診器を耳からはずしながら言った。
「ご臨終です」
「おじいさん!」
その言葉にナオトたちは叫んだ。
「ひいおじいちゃん!」
しかし、一度は六十八年もの眠りから目を覚ましたサトルは、幸せそうな笑みを満面にたたえたまま、今度こそはその目を開ける事はなかった。




