第9話 絶縁宣言 〜あなたの国はもう腐っています〜
「あら、遅かったじゃない。待ちくたびれたわよ?」
その声は、湯煙の向こうから聞こえた。
王太子ジェラルド殿下を追い返した後、疲れた体を癒やそうと向かった大浴場(女湯)。
そこには、信じられない先客がいた。
ピンク色の髪をアップにし、私の作った檜風呂に肩まで浸かり、あろうことか私が開発した「特製フルーツ牛乳」を勝手に飲んでいる少女。
聖女リリィだ。
「……不法侵入ですね。セキュリティ(警備員)は何をしていたのですか」
「あら、騎士さんたちは親切だったわよ? 『聖女様が寒そうにしているから』って通してくれたもの」
リリィは悪びれもせず、ふふんと鼻を鳴らした。
なるほど、無自覚な魅了か。あるいは、ただの厚かましさか。
彼女は湯船から上がり、バスタオル一枚の姿で、私の前に堂々と立ちはだかった。
「ねえ、アメリア。単刀直入に言うわね。……私と手を組みなさい」
「はい?」
「ジェラルドはもうダメよ。あの王都も終わり。臭いし汚いし、住めたものじゃないわ。だから私、乗り換えることにしたの」
彼女は濡れた髪をかき上げ、周囲の豪華な設備を見回した。
「この温泉、温室、そしてあの快適な城……。全部、貴女が作ったんでしょう? 認めてあげるわ。貴女の土魔法は『使える』って」
上から目線だ。
彼女はにやりと唇を歪めた。
「だから、私が『聖別』してあげる。この領地の繁栄は、すべて『聖女リリィの奇跡によるもの』として発表するの。そうすれば、国も教会も手を出せない聖域になるわ。貴女は私の裏方として、このままメンテナンスを続けさせてあげてもいいわよ?」
……ははぁ。
読めた。
要するに「乗っ取り(M&A)」だ。
泥臭い作業は私にやらせて、美味しい成果と名声だけを自分が搾取する。王太子を捨てて、今度はこの快適な辺境に寄生するつもりなのだ。
なんて図太い生存本能。ある意味、野生動物並みの生命力だ。
「お断りします」
私が即答すると、リリィは意外そうに目を瞬かせた。
「どうして? 悪い話じゃないでしょ? 貴女みたいな地味な女が表に立つより、可愛い私が宣伝した方がウケがいいわよ?」
「構造的な問題です。私の設計図に、貴女という『無駄な装飾』を入れるスペースはありません」
「……可愛くない女」
リリィの目が冷たく細められた。
その時、脱衣所の扉が荒々しく開かれた。
「アメリア! 無事か! 侵入者がいると聞いて……!」
ジルベール様だ。
私が「風呂場です!」と言う間もなく、彼は大剣を片手に飛び込んできた。
そして、バスタオル一枚のリリィと鉢合わせる。
「きゃっ♡ 辺境伯様ぁ〜」
リリィは悲鳴を上げるどころか、わざとらしくバスタオルをはだけさせ、豊満な胸元を強調しながらジルベール様にすり寄った。
「酷いですぅ、アメリアさんが私をいじめるんです……。私、ただ平和にお話ししたかっただけなのにぃ」
上目遣い。潤んだ瞳。甘ったるい声。
王太子を骨抜きにした必殺のハニートラップだ。
男ならイチコロ――
「……なんだこの裸の女は。服を着ろ、目が腐る」
ジルベール様は、道端の石ころを見るような無関心な目で一瞥し、バサリと自分のマントを彼女の頭から被せた(というより投げつけた)。
そして、リリィをまたいで私の元へ歩み寄り、私の肩を抱いた。
「大丈夫か、アメリア。怪我はないか? この女に何かされたか?」
「いえ、ただの勧誘でした。お断りしましたけど」
「そうか。なら用はない」
ジルベール様はマントの下でもごもごしているリリィに向かって、冷徹に告げた。
「おい。今すぐ俺の領地から出て行け。俺の視界に入れる女は、アメリア一人だ」
「――っ!?」
リリィが顔を出し、信じられないという表情で固まった。
自分の魅力が通用しなかったショック。
そして、プライドを傷つけられた怒りで、彼女の可愛い顔が般若のように歪む。
「……なによ。なによなによ! せっかく私が救ってあげようと思ったのに!」
リリィの手のひらに、攻撃的な光魔法が収束する。
「いい気にならないでよ、土ころの分際で! この施設ごと吹き飛ばしてやるわ!」
「させません」
私は冷静に指を弾いた。
ここは私のテリトリー。大浴場は、とっくに私の魔力で支配されている。
「『自動防衛』作動。対象、排除」
ゴゴゴゴッ!
リリィの足元の床タイルが、スライドして開いた。
そこにあるのは、脱衣所から直結している「洗濯物用シューター(ダストシュート)」だ。
「え、なに? きゃあああああっ!?」
リリィは間抜けな声を上げて落下した。
シュートの中は滑り台になっており、城壁の外の堆肥置き場へと直結している。
「……ゴミ出し完了です」
遠くから「覚えてなさぁぁぁい!」という捨て台詞が聞こえ、やがてドサッという柔らかい音と共に静かになった。
大丈夫、スライムたちが優しく受け止めてくれるはずだ。彼らは有機物が大好きだから、少し服が溶けるかもしれないけれど。
「……容赦ないな」
「私の施設を壊そうとしましたから。正当防衛です」
私が肩をすくめると、ジルベール様は呆れたように、しかし愛おしそうに笑った。
その時。
脱衣所の鏡台に置いてあったリリィの手鏡が、ブーンと震え出した。
王都と繋がっている通信用の魔道具らしい。
『……リリィ様! リリィ様、応答してください!』
鏡の表面に、慌てふためく宰相の顔が映し出された。
『王城が……王城が傾いています! 地盤沈下が止まりません! 一階部分はすでに汚水に沈みました! 早く戻って結界を張ってください!』
背景には、悲鳴と怒号、そして崩れ落ちる柱の映像が見える。
まさに阿鼻叫喚。
私の推測より早かった。やはり、王太子の軍勢が出撃した振動がトドメになったのだろう。
私は手鏡を覗き込んだ。
「……残念ながら、聖女様は『ゴミ捨て場』へお帰りになられました」
『なっ、貴様はアメリア!? 貴様、何をした!』
「何も? ただメンテナンスをやめただけです」
私は淡々と告げた。
「言ったはずです。その国はもう腐っていると。……物理的に基礎が腐り、支える民を見捨て、表面だけの装飾(聖女)に頼った結果がこれです」
画面の向こうで、ガラガラと何かが崩れる音がした。
王の玉座の間だろうか。
『た、助けてくれ! 貴様の土魔法なら、まだ直せるはずだ! 戻ってこい! 報酬は弾む! 王太子の側室にしてやってもいい!』
まだそんなことを言っている。
学習能力のない人たちだ。
「お断りします」
『なっ……!?』
「私たちはここで、新しい国を作ります。腐った土台の上ではなく、固く踏み固めた大地の上で。……さようなら、サン=クレール王国」
パリン。
私は指先で鏡を弾き、通信を切断した。
鏡の表面にヒビが入り、王都の映像はブラックアウトして消えた。
静寂が戻る。
湯気だけが、白く漂っていた。
「……いいのか? 故郷だぞ」
ジルベール様が静かに尋ねてくる。
私は振り返り、彼の胸に飛び込んだ。
硬い筋肉と、温かい体温。これが私のリアルだ。
「私の故郷は、貴方のいる場所です。……ここが私の現場ですから」
ジルベール様は私を強く抱きしめ返した。
「ああ。……共に作ろう。誰にも脅かされない、俺たちの国を」
王都は沈んだ。
けれど、私たちの足元は揺るがない。
私がコンクリートで固めたからだ。
絶縁宣言、完了。
これで心置きなく、新たな「国造り」に専念できる。




