26 燃え広がる
火災で焼けた商会の帳簿の中に、見慣れない言語のメモがいくつも見つかった。
バルタザール事務次官はそれを手に取ると、眉をひそめた。
「……これは、ヴァルハラ帝国の商人が使う暗号だ」
エドワードもアウレリウスも言葉を失った。
侯国との交易は、ヴァレンシュタイン王国とヴァルハラ帝国の国境に接しているだけに長い歴史があるが、近年は国交が冷え込んでいた。
「帝国の商人がまだ出入りしているのか?」
アウレリウスが呟くと、バルタザールは短く答えた。
「いや、表向きは完全に締め出しているはずだ」
◇◇◇
竜騎兵団のジークフリート団長は、燃えた倉庫を監視していた兵士からの報告を持って現れた。
「火災の前日、見慣れない商人の一団が倉庫を訪れていたそうです。護衛がやけに多く、顔もフードで隠していたとか」
ジークフリートの口調は冷静だが、その瞳には緊張が宿っていた。
「盗まれた契約書も、この商会が保管していたもの。偶然とは言いがたいでしょう」
エミールが横で腕を組みながら言った。
「ヴァルハラ帝国の影があるってことぉ? まるで芝居みたいにわかりやすいわねぇ」
◇◇◇
エドワードは書類を机に置き、深く息を吐いた。
「侯国と王国の間に不信感を植えつける。帝国の狙いがそれだとしたら――」
彼の声は低く、だがはっきりと響いた。
「これ以上、彼らの思うようにはさせない」
アウレリウスがすぐに言葉を継いだ。
「まずは証拠を掴みましょう。侯国と王国の両方の組織が動けば、敵は必ず尻尾を出すはず」
バルタザールも頷いた。
「法務庁と竜騎兵団、そして王国の公安組織――すべての力を合わせるべき時が来たようだな」
◇◇◇
法務庁の会議室。侯国の軍部、竜騎兵団、法務庁幹部、王国の公安組織――すべての代表が集まっていた。
バルタザール事務次官の低い声が、重苦しい空気をさらに圧し潰す。
「盗まれた契約書の内容を解析した。……王国の貿易港の防備体制に関する情報が含まれていた」
部屋がざわめく。エドワードもアウレリウスも表情を変えないが、指先がわずかに震えている。
「これが敵国に渡れば、港は一夜にして陥落する」
ジークフリート団長が低く呟く。
竜騎兵団のリーダーである彼の眉間に刻まれた皺は深かった。
◇◇◇
エミールが扉を開け、淡々と告げた。
「……ヴァルハラ帝国の間者を一人捕らえました。逃げた女とは別の工作員です」
運び込まれた書類袋の中には、暗号文とともに数枚の手紙が入っていた。
アウレリウスがそれを開き、言葉を失った。
――イザベラ。
手紙の差出人の中に、彼女の名前があった。赤毛の肖像画。間者の名簿。そこには彼女の正体が、冷徹な記録として記されていた。
「彼女は……侯国を陥れるための囮だった」
アウレリウスの声が乾いていた。
王国の要人が侯国滞在中に、彼に問題を起こすことで、王国と侯国の外交関係に楔を打ち、王国の支援ありきの侯国の軍隊の脆弱性をつこうとしたのだろう。
エドワードは無言のまま椅子に腰掛け、額に手を当てた。
月夜のバルコニーで彼女を思い、花や宝石を贈りたいと願った自分が、なんと滑稽で愚かだったのか。
◇◇◇
バルタザールが鋭い声で言い放った。
「ここからは時間との勝負だ。奴らは必ず次の手を打つ」
ジークフリートが立ち上がる。
「竜騎兵団は警備を強化する。逃げた女の行方も追わせよう」
アウレリウスはゆっくりと顔を上げ、エドワードを見た。
「殿下……必ずこの件、終わらせます」
エドワードは沈黙ののち、わずかに頷いた。




