25 ウルバヌス
リューネブルク侯国、旧ローゼンタール邸の一室。
エドワードとアウレリウスは、深い木目の扉の前で足を止めた。扉の向こうにはウルバヌス猊下――教会連の重鎮にして、王国の公安組織、第三者監察院の最高責任者が待っている。
扉が開かれ、二人が入ると、ウルバヌスは椅子に深く腰掛けたまま、静かな視線だけを彼らに向けた。
窓から射す光に縁取られたその姿は、威圧感を通り越して、もはや荘厳ですらあった。
「――話せ」
短い指示。エドワードが資料を差し出し、アウレリウスが簡潔に事態を説明する。
◇◇◇
報告を聞き終えると、ウルバヌスはゆっくりと椅子の肘掛に手を置き、低い声で告げた。
「……なるほど。侯国内部だけでなく、国外からの手も伸びている可能性が高いというわけだな」
片手をわずかに上げると、控えていた部下が数名、静かに前に進み出た。ウルバヌスは椅子から立ち上がることもなく、次々と指示を飛ばす。
「第一部隊は侯国内で情報網を構築せよ。商会、研究施設、役人の家族に至るまで、影を張り巡らせろ」
「第二部隊は王国本土と連絡を取り、軍への臨時協力要請を準備しておけ。友好条約に基づき、有事の際は我らが即座に軍を展開する」
「第三部隊は――敵の資金源を洗え。帳簿に不自然な流れがあるはずだ。金の道は嘘をつかん」
矢継ぎ早に飛ぶ指示。部下たちは一言も発さず、次々と姿を消していく。
◇◇◇
静かになった部屋で、ウルバヌスは初めてエドワードとアウレリウスに向き直った。
「お前たちは業務を続けろ。表向きはこれまで通りだ。だが、気を緩めるな。敵が本格的に動く前に、こちらが影を制する」
低く、重く、しかしどこか安心させる響きだった。
エドワードは思わず姿勢を正し、アウレリウスも深く頭を下げた。
椅子に座ったまま世界を動かす男――それがウルバヌス猊下だった。
◇◇◇
ウルバヌスが馬車で侯国を去るのを見送ったエドワードとアウレリウス。
「嵐のような方だな……」とアウレリウスが呟くと、クレメンスも苦笑して頷いた。
わずか半日で指示を飛ばし、侯国中に影の網を張ってから悠然と帰っていく――あの重鎮がいる限り、王国は揺るがない。そう信じさせる存在感があった。
しかしその夜、侯国の空気は少しずつ変わり始める。
◇◇◇
翌日未明、アルトフェン市の外れにある古い倉庫が突然炎上した。
倉庫は商会が複数使う共同の保管場所で、火の手が回るのが早すぎると消防団が首をかしげるほどだった。
焼け跡からは、焦げた帳簿の切れ端がいくつも見つかった。
「まるで最初から証拠を消すのが目的のようだ」――ジークフリート団長はそう断じた。
◇◇◇
同じ日の夕刻、侯国の中央広場で複数のスリが一斉に捕まった。だが彼らは口を揃えてこう言った。
「俺たちを雇った奴の顔は見てねぇ。荷物を奪って逃げろとしか言われなかった」
盗まれたのは商会の使者が持っていたはずの契約書類だった。
◇◇◇
エドワードはアウレリウスと共に、燃えた倉庫跡と騒然とする中央広場を視察した。
「これが偶然重なっただけだと……思うか?」
エドワードの問いに、アウレリウスは無言で首を振った。
どちらの事件も商会と関係が深い。
そして商会のいくつかは――かつてヴァルハラ帝国とも取引していた。
◇◇◇
ジークフリート団長は竜騎兵団に追加の警備を命じ、エミールは「侯国の空気が変わったわねぇ」と眉をひそめた。
侯国内で何かが動き始めている。
だが、それが単なる商会の内輪揉めなのか、もっと大きな企みの一端なのかは、まだ誰にも分からなかった。




