1 はじまり
「ご報告します! 西区中央港に潜入していた第四偵察部隊、壊滅!
救援に向かった第六偵察部隊も、すでに撤退とのこと!」
「むぅっ!」
力任せに握られたワイングラスが甲高い音を立てて砕け散った。
赤い滴が白い大理石の床に散り、控えていた従者たちが慌てて駆け寄る。
「またしても……王国の第三者監察院か!」
「そのようです! 密偵部隊と思われる集団と交戦したのち、王立治安局に踏み込まれ、第六偵察部隊は撤退を余儀なくされました!」
黒衣をまとった大柄な男は、手を汚していたガラス片を払い捨て、倒れたテーブルを蹴り飛ばして立ち上がる。
大理石に響く衝撃音に従者たちは情けない悲鳴をあげた。
「小賢しい鼠どもが……!
図体ばかり大きく、古の塔の価値すらわからぬ愚かな王国の分際で!」
男がテーブルを踏みつけていると、正面扉からもう一人の報告役が駆け込んできた。
「報告です!」
「今度は何だ!」
「ヴァレンシュタイン王国王弟エドワード、その従者らが侯国に入りました」
男は荒い息を一度吐き、そしてゆっくりと椅子に腰を戻す。
唇の端が吊り上がり、薄暗い室内に不気味な笑みが広がった。
「“留学”の名目だったか……。従者もただの影ではなかったな」
「はい。リリエンタール侯爵家の長男、王国王女の婚約者でもあります」
「ほう……侯国にそんな要人が。
小さいながら精鋭を誇る竜騎兵団、そして侯国の友好国であり“古の塔”を抱えた図体だけの王国……」
男は顎をさすり、蝋燭の灯に金歯を光らせた。
「引き裂いて、まとめて潰すか……。
王国で成果を上げられなかった偵察部隊を残す必要はなかろう。拠点だけは押さえ、残りは侯国へ回せ」
「はっ!」
報告役が頭を垂れる。
石造りの壁に囲まれた薄暗い室内。
男の背後には、血のように赤く描かれた古の陣が広がり、蝋燭の炎に照らされてゆらゆらと揺れていた。




