ep 20
迫る夜闇、虎の嗅覚と決死の突入
陽は傾き、グレンスの街並みが茜色から深い藍へとその表情を変え始めていた。イアンの行方は依然として知れず、ユウジたちの心には焦りと不安が重くのしかかる。エスゼナから預かったイアンの小さな肖像画を手に、聞き込みを続けるが、有力な情報は得られない。
「くそっ、どこ行きやがったんだ、あのちびっ子…!」サーベルが苛立たしげに低い唸り声を上げる。彼の虎の耳が、周囲の音や匂いを拾おうと絶えずピクピクと動いていた。
「諦めないで、サーベル!きっとどこかに手がかりがあるはずよ!」アヤナは気丈に言うものの、その声には隠しきれない疲労の色が滲んでいた。
その時、サーベルが不意に立ち止まり、鼻をくんくんと鳴らした。その鋭い眼光が、雑踏の中の一人の男を捉える。男は薄汚れた外套をまとい、何かを警戒するように周囲をキョロキョロと見回しながら、早足で路地裏へ消えようとしていた。
「ん…?おい、テメェ!ちょっと待ちやがれ!」
サーベルの野太い声に、男はビクリと肩を震わせ、逃げ出そうとする。だが、虎のような瞬発力で距離を詰めたサーベルに、あっという間に襟首を掴まれた。
「な、何だテメェは!?いきなり人のこと捕まえやがって!」男は狼狽しながらも虚勢を張る。
「テメェから、イアンの匂いがするぜ。それも、かなり新しい匂いだ」サーベルの瞳が、獲物を捉えた虎のように鋭く光る。
「本当か!?サーベル!」ユウジが駆け寄る。
「ああ、間違いねぇ。獣人族の鼻は、人間の安っぽい香水なんぞじゃ誤魔化せねぇんだよ!」
アヤナは無言のまま、腰のナイフを抜き放ち、その冷たい切っ先を男の喉元に突きつけた。その瞳は、怒りと焦燥で燃えている。
「言いなさい!イアンをどこへやったの!?正直に話せば命までは取らないわ…でも、もしあの子に何かあったら…!」
「ひっ…!な、何のことだか、さっぱり…俺は何も知らねぇ!」男は恐怖に顔を引きつらせながらも、しらを切ろうとする。
その瞬間、サーベルの巨大な拳が男の頬にめり込んだ。
「ギャアッ!」
短い悲鳴と共に、男は地面に崩れ落ちる。
「こちとら、ガキのお遊びに付き合ってるほど余裕はねぇんだよ!さっさか吐かねぇと、その汚ねぇツラが二度と元に戻らねぇと思え!」サーベルの低い声には、本気の怒りが込められていた。
「わ、分かった!分かったから!言う!言うから、命だけは助けてくれ!あ、案内する!あの子がいる場所に案内するから!」男は涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、必死に命乞いをした。
男に案内されてたどり着いたのは、港に近い古びた倉庫街の一角だった。潮の匂いと魚の腐ったような悪臭が漂い、人気のないその場所は、いかにも犯罪の温床といった雰囲気を醸し出している。男は、一番奥まった場所にある、扉の壊れかけた大きな倉庫を指差した。
「こ、ここだ…あの子は、この中に…」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、男は手のひらを返し、倉庫の奥に向かって大声で叫んだ!
「おーい!ボス!侵入者だ!例の貴族のガキのことで、嗅ぎつけられたぞーっ!!」
「このクズがぁっ!」
アヤナの怒声と共に、ナイフが閃いた。男は悲鳴を上げる間もなく、肩口を深く斬りつけられ、その場に崩れ落ちる。
倉庫の奥から、松明の明かりと共に、ぞろぞろと十数人の屈強な盗賊たちが姿を現した。手には錆びた剣や棍棒、投げ斧などを握っている。
「何だテメェら?こんな夜更けに何の用だ?ああん?貴族の坊っちゃんをちぃとばかしお預かりしてるだけだろうが。…お、そこのねーちゃん、なかなか良い女じゃねぇか。ついでにそいつも拐っちまえよ、ひひひ!」
下卑た笑い声を上げる盗賊たちに、サーベルの全身から殺気が立ち昇った。
「…黙れ、下衆どもが」
その声は、地獄の底から響いてくるかのように低く、冷たい。虎の戦士は、本気で激怒していた。
次の瞬間、サーベルは両手斧を構え、獣のような咆哮と共に盗賊たちに突進した。アヤナもまた、両手のナイフを逆手に持ち、サーベルの動きに合わせて華麗に舞いながら盗賊たちの間隙を突く。
ユウジは、その凄まじい戦闘を前に、一瞬圧倒された。だが、アジトの奥から微かに聞こえるイアンの怯えたような泣き声に、ハッと我に返る。
(俺も戦わなきゃ!二人だけに任せておけない!)
ユウジはスキル「超学校」を発動!
『【小学校】カテゴリ…【防災用品】…これだ!【消火器(粉末式)】!』
手元に出現した赤い消火器の安全ピンを抜き、レバーを握りしめる。
「くらえっ!」
ユウジは盗賊たちの顔面めがけて、白い粉末を勢いよく噴射した!
「ゲホッゲホッ!なんだこりゃあ!目が、目がぁ!」
「前が見えねぇ!」
不意の目くらましと刺激臭に、盗賊たちは混乱し、その動きが鈍る。その隙を、サーベルとアヤナは見逃さない。
「ユウジ、ナイスだ!」
サーベルの斧が唸りを上げ、アヤナのナイフが閃く。まさに大乱闘だ。
その時、倉庫の外から複数の足音と金属音が近づいてきた。
「突入する!盗賊どもは一人残らず捕らえろ!」
カガン護衛隊長の声だ!騒ぎを聞きつけ、エスゼナの指示で動いていた彼らが、ついにこの場所を突き止めたのだ。
カガン隊の兵士たちが雪崩れ込むようにアジトに突入し、訓練された動きで盗賊たちを次々と制圧していく。
もはや勝敗は決した。盗賊たちは武器を捨てて降伏し、カガン隊によって縄を打たれていく。
ユウジは消火器を抱えたまま、アジトの奥へと駆け込んだ。薄暗い部屋の隅で、小さな影が膝を抱えて震えている。
「イアン君!」
「…ユウジお兄ちゃん…?」
イアンは顔を上げ、ユウジの姿を認めると、わっと泣きながら駆け寄ってきた。ユウジはその小さな体をしっかりと抱きしめる。
「良かった…無事で、本当に良かった…!」
カガン隊長がエスゼナに連絡を取り、間もなくしてエスゼナ自身も屋敷の兵士たちと共に駆けつけてきた。イアンの無事な姿を見て、彼女はその場に泣き崩れ、息子を何度も何度も抱きしめた。
誘拐の目的は、やはり身代金だったようだ。
ユウジ、アヤナ、サーベルの三人は、エスゼナから改めて深々と感謝され、その夜は、屋敷全体が安堵と喜びに包まれたのだった。




