ep 2
森を抜けて、出会いの村
衝撃と共に意識が途絶え、次に松村優治を襲ったのは、硬い地面の感触と、むせ返るような土と草いきれの匂いだった。
「痛ってぇ…!どこだよ、ここ…?」
ゆっくりと目を開けると、鬱蒼とした森の中だった。見たこともない巨木が空を覆い、木漏れ日がまだらに地面を照らしている。鳥の声なのか、獣の咆哮なのか、得体の知れない音が遠くから響いてくる。
(マジで飛ばしやがったな、あのアクアって女神…!)
頭を振って霞む意識をはっきりさせると、自分の格好が大学帰りのジャージにスニーカーという、サバイバルには全く不向きな姿であることに改めて気づく。そして、ポケットを探る。財布もスマホも、当然のようにない。
「ん?」
後ろのポケットに、何か細長い硬質な感触があった。取り出してみると、それは数年前に買った、少し錆の浮いたハーモニカだった。
「これは…ハーモニカか。あの女神、スキルは説明不足だし、特典も適当だし、おまけに俺の私物まで見逃してやがったのか。どこまで抜けてるんだ…」
苦笑いが漏れる。だが、こんな状況で文句を言っても始まらない。
「ま、何もないよりマシか。音くらいは出るだろうしな」
孤独と不安を紛らわせるように、優治はハーモニカをそっと唇に当てた。吹き込んだ息に合わせ、どこか懐かしい、少し物悲しいメロディが森の静寂に細く長く響き渡る。それは、彼が昔よく練習していたフォークソングの一節だった。不思議と、少しだけ心が落ち着いてくるのを感じた。
どれくらい歩いただろうか。ハーモニカを時折吹きながら、獣道のような頼りない道筋をたどっていくと、不意に視界が開けた。森が途切れ、その先には陽光を浴びて佇む、小さな村が見えた。藁葺き屋根の家々、畑らしきもの、そして村を囲む簡素な木の柵。
(村だ…!助かった…のか?)
希望が見えたと思った瞬間、村の方から数人の男たちが駆け寄ってくるのが見えた。手には錆びた剣や農具らしきものを持っている。その形相は険しい。
「何だお前は!?」
「見慣れない格好だな!怪しい奴め!」
男たちは優治を取り囲み、敵意を剥き出しにする。その服装は、麻や革で作られた簡素なもので、映画で見るような中世の農民といった風体だ。
「いや、怪しくは…いや、確かにこのジャージは怪しい格好かもしれないけど、俺自身は怪しくないです!ほら、見てください!丸腰です!」
優治は慌てて両手を上げ、敵意がないことを示そうとした。だが、村人たちの警戒心は解けない。
その時、村の奥から凛とした声が響いた。
「どうしたんですか?そんなに殺気立って」
村人たちが割れると、そこには一人の若い女性が立っていた。亜麻色の髪を緩く編み込み、素朴ながらも清潔な貫頭衣をまとっている。大きな瞳は澄んだ空の色を映し、その佇まいは清楚でありながら、どこか芯の強さを感じさせた。村長の娘、アヤナだった。
「アヤナちゃん!いや、それが変な格好の奴が森から出てきて…」村人の一人が説明する。
アヤナは優治の姿をじっと見つめた後、柔らかな、しかし有無を言わせぬ口調で言った。
「武器を下ろしなさい。怯えているように見えますし、悪い方だとは思えませんよ?」
「そうか…?アヤナちゃんがそう言うなら…」
「ま、確かにひょろっとしてて弱そうだしな」
村人たちはアヤナの言葉に少しずつ武器を下ろし始めたが、最後の言葉に優治は内心「ム!」と小さく反発した。
「ごめんなさい。村の人たちも、最近モンスターの活動が活発で、少し神経質になっているの。手荒な真似をしたみたいね」アヤナは優治に近づき、申し訳なさそうに微笑んだ。その笑顔は、緊張していた優治の心をふっと軽くした。
「い、いや、こちらこそ突然すみません。助けてもらって、ありがとう。俺はユウジ。松村優治です」
「私はアヤナよ。よろしくね、ユウジ」アヤナもにっこりと返す。
「ここは、ターナ村っていうんだ。ユウジはどうしてこんな森の近くに?旅の方には見えないけれど…」アヤナは首を傾げる。
優治は、自分が全く別の世界から来たと説明すべきか一瞬迷ったが、他に言いようもない。女神アクアとのこと、猫を助けて死んだこと、そしてスキルを与えられてこの世界に送られたことを、拙いながらも正直に話した。
アヤナは驚いたように何度か瞬きをしたが、真剣な表情で最後まで聞いてくれた。
「へぇ…別の世界から来たの?それに、スキル持ちだなんて…凄いわ!この村ではスキル持ちはとても珍しいのよ。もしよかったら、その力、見せてもらえないかしら?」
アヤナの瞳が好奇心に輝いている。村人たちも、遠巻きながら興味深そうにこちらを見ている。
(ここでスキルを見せれば、少しは信用してもらえるかもしれない…!)
優治は頷き、女神に言われたスキル名を思い出す。
「わ、分かった…。ええと…スキル!【超学校】!!」
優治は力強く叫んだ。
……シーン。
何も起きなかった。ただ、森の風が寂しく吹き抜けるだけだ。
「あれ?」優治はもう一度、今度はもう少し小さな声で呟いてみる。「…超学校?」
やはり、何も起きない。冷や汗が背中を伝う。
アヤナは少し困ったような、それでいてどこか楽しんでいるような複雑な表情で小さくため息をついた。
「ユウジ…もし嘘を付くなら、もう少しだけ、マシな嘘を考えた方がいいと思うわ」
「い、いや、違うんだ!本当なんだって!多分、ポイントが無いんだと思う!異世界に来てから何もしてないから…ポイントゼロだって言ってたし!で、でも、ほら!」
必死に弁解しながら、優治は咄嗟にポケットのハーモニカを取り出し、口に当てた。そして、目を閉じて、先ほど森の中で吹いたフォークソングを奏で始めた。それは、彼が一番得意とする、優しくもどこか切ないメロディだった。
最初は訝しげに見ていた村人たちも、ハーモニカの素朴で温かい音色が村の広場に響き渡るにつれ、次第にその表情を和らげていった。剣を握っていたゴツイ手の力が抜け、目を細めて聞き入る老婆、不安げだった子供たちの顔にはにかんだような笑顔が浮かぶ。アヤナもまた、うっとりとした表情でその音色に耳を傾けていた。
一曲吹き終えると、辺りはしばし静寂に包まれた。
「……素敵な音色ね」
最初に口を開いたのはアヤナだった。その声は、先ほどよりもずっと優しく、温かい響きを持っていた。「こんな音楽、初めて聴いたわ」
村人たちも、「ああ、いい音だ」「心が洗われるようだ」と口々に称賛の声を上げる。警戒心はすっかり解けているようだった。
アヤナは優治に向き直り、満面の笑みを浮かべた。
「良かったわ、ユウジ。ターナ村は、貴方を歓迎するわ。その音楽だけでも、私たちにとっては素晴らしい贈り物よ」
「あ、ありがとう…」優治は安堵と嬉しさで、少し涙ぐみそうになるのをこらえた。
アヤナに案内され、ユウジはターナ村を紹介された。村は決して大きくなく、家々は古びていたが、畑は手入れされ、人々は質素ながらも助け合って暮らしているように見えた。
そして、村の少し外れにある、今は使われていない寂れた一軒家をあてがわれた。雨風はしのげるが、隙間風が入り、床も少し傾いている。
「少し古い家でごめんなさいね。でも、今日からここがあなたの家よ」
「いや、十分だよ。本当にありがとう、アヤナさん」
「アヤナでいいわ。これからよろしくね、ユウジ」
こうして、松村優治の異世界での最初の夜が始まろうとしていた。スキル「超学校」の謎は解けないままだったが、ハーモニカと、アヤナという優しい出会いが、彼の心に小さな灯をともしていた。
(まずは、この村で何かできることを見つけないと。そして、スキルポイントってやつを貯めないと…「超学校」って、一体どんなスキルなんだろうな…)
新しい生活への期待と不安を胸に、優治は傾いた家の床に、そっと横になった。




